エピローグ
第47話 高楼の魔女の誘い
「……お二人とも、お疲れ様でした」
金曜日の夕方、わたし達は揃って茉莉伽さんの書斎にいた。
灯里ゾンビとハンプティ・ダンプティ、二つの市獣を倒したことに関しての詳しい報告。
それと、どうしてもわたしとアリスへ聞きたいことがあるから、絶対に来るように。
と、この日の夕方を指定され、お互いに困り顔で御茶の水の路地裏の洋館に足を運んだわけだ。
わたし達はいつでも良いと答えたのだが、今回は茉莉伽さんの方が忙しかったらしい。
「あの街で最も厄介な
茉莉伽さんはモケット張りの回転椅子に腰掛け、わたし達を優しい視線で眺めている。
それ自体はわたしもアリスも経験しているはずだったのだが、今日は様子が違った。茉莉伽さんの目線の位置が、わたし達を見下ろす位置にある。
書斎の中でわたし達を待っていた茉莉伽さんは、いつもの小学校高学年ほどのお洒落な子供服姿の少女ではない。
黒い絹のゆったりしたブラウスと、同じく黒いロングスカート。
長い栗色の髪にアッシュのように混じる白髪が目を引く、『魔女』に相応しい出で立ちの二十代後半ほどの女性の姿だった。
アリスもこの姿の茉莉伽さんを見たのは初めてらしく、書斎に入るなり長髪の魔女の姿にわたし達は二人して目を見合わせた。
開口一番にその姿のことを聞いたら「これが私の正装ですわ。あの子供姿は省エネモードですのよ」と、いつもの年齢不詳の笑みと柔らかな口調で答えてくれた。
「ぼくの剣も、半端な状態の『魔法』だったんですね」
「ええ」全てわかっていただろう魔女は、あくまで平板に言葉を返す。「ただアリスちゃんが『心』を閉ざしている限り解消しない問題でしたし、そこは私には踏み入れられない領域でしたので……それこそ、灯里ちゃんと彼女の『
それと共に茉莉伽さんとアリスの感心の視線が一斉にわたしに注がれ、わたしは「や、やめてよ」と声を漏らすのが精一杯だ。
「確かに灯里に剣のことを言われたり、魔法でウロになった父さんの『心』を解き放たなかったら、ハンプティ・ダンプティには勝てなかったでしょう」
アリスはちょっとだけ柔らかい口調で語る
「父さんの『心』に後押しされて、やっとぼくはあいつだけに拒絶を叩きつけられたので」
アリスの言葉を、当のわたし自身はこそばゆい針の筵に座る心地で聞かされる。
アリスのお父さんの記憶のウロがあの駅に来れたのは、偶然か必然かはわからない。
でも『金色の雫』が無ければ彼の記憶を動かせなかった。
それ以前にわたしがアリスを諭さなければ、アリスは自分のぶつける想いの方向を間違えたまま、あのウロも無力なままであいつに勝てなかった。
それはわたしの自信過剰でなく、本当なのだろう。
それでもわたしは気恥ずかしさでおろおろしながら、「そんなんじゃないですってば」と慌てふためき、手を滅茶苦茶に交差させる。
窓から差し込んだ少しだけ傾いた西日が、わたわた踊る手の影をラグに落とす。
「……では、貴女方のお話を聞かせて頂いたので、そろそろ本題に入らせて頂きます」
茉莉伽さんはすぅ、と息を吸うと、表情を引き締める。細い切れ長の目がさらに細まって、鳶色の瞳がわたし達を注視する。
「アリスちゃん、灯里ちゃん。特にアリスちゃんがあのタチの悪い市獣に手一杯だったのもあり今まで保留にしていたのですが……今日、貴女方に問います」
わたし達は再び目を合わせる。なんとなく、茉莉伽さんの聞きたいことはわかっていた。
「これから『
もちろん
茉莉伽さんはわたし達の出方を窺うように瞳を凝らし、口元を吊り上げる。
普段の姿の時には絶対に出来ない、『正装』に相応しい妖しい
だけど。その問いの答えは、もうお互いに決まっていた。
「続けるつもりです」
そう言ったのはアリス。
「ハンプティ・ダンプティは倒しましたけど、ぼくはまだ
アリスの横顔は刺々しさの無い、凜々しいものだった。
「灯里ちゃんは?」
わたしは、いつかアリスや茉莉伽さんに似た問いかけをされたのを思い出す。
あの時わたしは「わからない」と答えた。自分のことを何もわかってなくって、強さか『正しさ』が無ければ何も変わってくれないと思っていた。
けど。今のわたしは、一呼吸置けばその答えを口に出来る。
「はいって、答えます」
ほら、言えた。
「わたしはアリスと違ってリングバーンに因縁なんてないです。けど、
「灯里さん。前にも言いましたがあの街に魅入られた者の半分は救えない者です。そういう心構えをしていると、いずれ貴女自身が責任と否定を抱えて食われますよ」
茉莉伽さんのなだらかなトーンながら厳しい忠告に、わたしはすぐに答えた。
「たとえ全部を助けられなくても、わたしの魔法で『心』をほんのちょっと動かしてあげることはできます。アリスのお父さんみたいに少しでも止まった『心』を動かせたなら、それでもわたしは十分助けられてると思いたいです」
わたしの口から発せられたと思えない、震えの無い声は、さらに続ける。
「それに、わたしが色んなものを抱えすぎて食べられそうになっても、わたしの周りの人達がきっとわたしを助けてくれます。そういう人達ばっかりですから。わたしの周り」
わたしは隣に座るアリスに視線をやる。アリスは突然視線を振られたのが恥ずかしいのか、ぷいと顔を逸らしてしまう。
茉莉伽さんはわたしの回答に思わず頬を緩ませて、『魔女』の表情を崩し口元を抑えた。
「本当に灯里ちゃんらしい答えで助かりましたわ」
茉莉伽さんはくすくす笑って答える。
「そうなると二人とも、見習いやフリーが取れた正式な
はい。とわたしたちは答える。
ふと、わたしの目に茉莉伽さんのパソコンの壁紙が目に入る。前にも見た、御茶の水の聖橋を背に撮られた、二人の女性の白黒写真。
その片方の笑みを浮かべる少し幼さの残る女性に、今目の前でモケットの回転椅子に座る魔女の面影をわたしは見つける。
そして隣で優しく笑む、短い黒髪の女の人こそが――。
わたしは茉莉伽さんに確かめてみたかったが、それを訊くのは最後までやめておいた。
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