最終話 加速する世界を、半分の歩幅で歩いてみなよ

「そうだな。一年あれば、違う大学も目指せるだろうな。俺と同じとことか」

「秋月くんと同じ大学……?」


 目を丸める私に、モヒカン男は何食わぬ顔で頷いている。


「今の悠里なら、ちょっと頑張れば射程圏内だろ。お前がやりたいことは、あの大学でも勉強できるんじゃねえの?」

「むしろ一番理想的だけど……」

「ジローのとこで教えてもらえよ。あいつは良い講師だ」

「ジローさんの塾で?」

「話しといてやるよ。親族割引効くように言っとくから。そうだ、今から行くか」

「え」

「俺も暇な時に教えてやる。バイト代は……そうだな、一時間につき一キスでいいや」

「はぁ⁉ ななな何言ってんの⁉」

「嫌ならしねーよ」

「え? いや、別に、全然嫌では…………って、秋月くん⁉」


 おもむろに接近してきたモヒカンの顔から、立ち上がって逃げようとした。しかし私たちの間に座るパカパカ星人によって、呆気なく腕を捕まえられてしまったのだった。


「ボクにお構いなく、続きをどうぞ。むしろ近くで観察したいです」

「八幡ちゃん⁉」


 爛々と瞳を輝かせる小さなエイリアンに下から観察されたまま、オレンジモヒカンが私に口づけた。何この構図。おかしすぎる。


「これは前金ってことで」

「……」


 顔を離した秋月くんが、私を見ながら「ははは」と大笑いしている。


「時間球こぼしすぎだろ」

「だだだだだって! こんなところで突然……!」


 確認できないけれど、私の顔は真っ赤になっているに違いない。舌を噛みまくりながら、ブツブツ文句を言う。膝の上に落ちた時間球を拾い集めて溶かした。一、二、三、四、五……この一瞬の間に、随分排出したものだ。


「……それに……前金とか、バイト代とか、そんな風に考えなくたって……」

「あ?」


 私の声が小さすぎて聞こえなかったのだろう。秋月くんは八幡ちゃん越しに、再び顔を下げてきた。

 よし! いざ反撃!


 ガツン、と衝撃音で口の中が振動した。勢い余って前歯がぶつかったのだ。ちょっと痛い。でもいいや。一矢報いてやっただろう――――両手で彼の頬を固定して、今度は私からお見舞いした。


「したいと思った時に、キスすればいいでしょ」


 あ、ヤバい。猛烈な恥ずかしさが後から来た。頬から手をぱっと離す。ペチペチ拍手の音を聞きながら、固まる秋月くんから顔を逸らして、私は今度こそベンチから立ち上がったのだった。


「行こ。ジローさんに入塾させてくださいって、お願いしに行く」


 何か喋らないと、どんどん顔が熱くなる気がした。頭が沸騰して、変な思考が止まらなくなりそう。とんでもない言葉が思いついて、それをまたテレパシーでエイリアン達に一斉送信してしまいそうだ。危険だ!


「……覚えておけよ? 割だからな」


 秋月くんが立ち上がる気配がした。


「わあ。それ、囲い込みってやつですね? さすが一馬くん。抜け目なしです!」


 歌うような八幡ちゃんの声は、とても楽しそう。私と秋月くんの手を握った彼の足取りは軽く、まるでダンスのステップを踏んでいるかのようにリズミカルだった。





◇◇◇





 夕暮れ時。オレンジに染まり始めた空の下、歩道の隅には時折、ぼんやり光る小石が落ちている。あまり人通りのない場所でも、注意して探さなくとも、時の結晶は落ちている。私達が出会った頃よりも、一日あたりの収穫数は増えていた。それは私達が時間球を見つけることに慣れたからなのか、世間の加速スピードが早まったからなのか――それは分からない。私は相変わらずだが、秋月くんの賢さには更に磨きがかかっている。


 私達の歩調はとても遅い。加速された世界の中を走る人々の、半分にも満たないだろう。でもそれで構わない。


――加速した世界の中で、たった一人取り残されるような……


 そんな孤独感も、無駄な焦燥感も、今の私は微塵も感じていないのだから。


 加速していく世界の中。

「タイパ、タイパ」と叫ばれる世の中で、私は生きている。時にはのろまと呆れられたり、迷惑がられることもあるけれど、それでいい。


 時とは、未来から過去に向かって流れていく一本の線に見えて、実は細かな点のようなものかもしれない。細かな点が集まっているから、実は繋がっているように錯覚するのではないだろうか。だから私達はその見間違いの線を引き寄せて、分からない未来の中にある結果を見ようと焦ってしまう。映画の結末を知ろうと倍速視聴したり、前奏を邪魔に感じてエモいサビだけを繰り返そうとする。


 だけど時の中に生きる私達の『今』は、パラパラ漫画の一コマと同じ。一つの瞬間、一つの『今』しかない。この『今』だけが、私達が確実に生きることのできるリアルな瞬間だ。


 過ぎ去った過去に戻れないのと同じで、来ていない未来を生きることはできない。それをしようと躍起になることは、『今』をないがしろにして忘れてしまっている。意識の中の時計ばかりが高速回転して、『今』を確実に生きるための時を捨ててしまう。


 だから私は、の自分を誇るのだ。『今』を感じきって、大切にする。そうすることに慣れているから。のろまは素敵なのだ。


 大切にすることは、愛おしむこと。たとえ気に入らない『今』だったとしても、愛おしめば愛着は湧く。そうすればそんな『今』の後から続いてくる『少し先の未来いま』は、おそらくもう少し気に入るものになっているはずだ。


 時間は普遍ではなくて、掴みどころのない曖昧なもの。だったら自由に解釈して、好きにしたって構わないではないか。


 私は私を生きていく。

 大好きなものを愛して、知りたいことを学んで、行きたい場所へ行く。それだけだ。ちっとも難しくない。


…………それでもたまには、迷うこともあるかも知れない。無意識に急ぎ足になっているかも知れない。

 そんな時につぶやくおまじないとして、ちょうどいい言葉を思いついた。それを最後に記しておこうと思う。



――加速する世界の中を


「半分の歩幅で歩いてみなよ」





〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

加速する世界を 半分の歩幅で歩いてみなよ 松下真奈 @nao_naj1031

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ