第6話
「……いま、何て言った?」
「僕の伴侶になってほしい。それから、一緒にウォルファ王国に来てほしい」
「伴侶ってのは、いわゆるあの伴侶のことか?」
「うん、一生添い遂げる相手のことだよ。狼族はつがいって呼ぶけど」
シィグは涙で若干ぼやけていた目をパチパチと瞬かせた。そうして真っ暗な夜空を見上げる。こんな空をアージルと見るのも二十回、いや二十一回目だろうか。
「ちょっと確認したんだが、いい匂いでおいしそうってのは俺のことなんだよな?」
「うん。甘くていい匂いがする。それにすごくおいしそうだ」
「食べたいってのも俺のことなんだよな?」
「出会った日から食べたくて仕方がなかった。でも、いきなり食べたら驚くだろうし、それで嫌われるなんて最悪だからずっと我慢してた」
シィグは再び考えた。「あ、流れ星だ」なんて真っ黒な空を横切る星を見ながら、さらに考える。ついさっきまでブルブル震えるほどだった恐怖心は流れ星と一緒に流れてしまったのか、驚くほど冷静に考えることができた。
「俺が兎族の王子だってわかったとき、絶好の機会だって思った理由は何なんだ?」
「あー……ええと、ウォルファ王国に伝わる古い言い伝えなんだけど……」
アージルの話はこうだった。
ウォルファ王国には、高貴な兎族を狩った王族に褒美を与えなければ国が滅ぶという言い伝えがあるらしい。とくに兎族の王族を狩るとどんな願いであっても叶えなければならず、過去にそれを違えた国王が無残な姿で死んだという話まであるそうだ。
アージルは、この言い伝えを使って自由を手に入れようと考えていた。そのために城を出て森に入った。この森がラビッター王国に繋がっているとわかっていたからだ。
「で、途中で行き倒れたところに俺が現れたってことか」
「あのときは驚いたなぁ。まさか王子様のほうからやって来るなんて思わなかったから」
「それで俺に取り入って、気を許したところでウォルファ王国に連れて行こうと考えたわけだ」
「それはちょっと違う」
「違う?」
アージルがぎゅうっと腕に力を込めて肩に顎を載せた。
「たしかにほんの一瞬だけど、そう思ったのは本当だけど……。でも、すぐにシィグは僕のつがいだって思ったんだ。だってこんなに甘くていい匂いがするし、こんなにおいしそうに感じるのはつがいだからだ。だから無理やり連れて行ったり、騙すような形でつがいにするのは嫌だったんだ」
ぎゅうっと腕に力を込めたアージルが、今度はぐりぐりと額を黒髪に擦りつけながら「僕のつがいになって」と囁いた。
「僕のつがいになってほしい。自由を得るために連れて行くんじゃなくて、つがいとして両親に紹介したいんだ」
シィグは夜空の星を見ながら、また考えた。考えようとしたものの「何じゃそりゃ」という感想しか浮かばない。
「っていうかおまえ、伴侶を作ったら駄目なんじゃなかったのか?」
「狼族は伴侶にできないけど兎族なら大丈夫だよ。僕の幸運をどれだけ与えても狼族に与えたことにはならないからね。……あ、まずい。想像したら興奮してきた」
尻尾のあたりにゴリゴリと硬い何かを擦りつけられた。言わずもがな、男の生理現象の一つだ。ただ抱きしめながら話をしているだけなのにそういうことになるってことは、心身共に本気だということだろう。
(こういうとき、どうしたらいいんだ?)
気持ちが乱高下しすぎて、いまいち現実味が湧かない。そもそも狼族と伴侶になるなんて考えたことすらなかった。それに狼族は兎族を狩るんじゃなかったんだろうか。
「狼族は兎族を狩るって話はどこ行ったんだよ」
「え? いま狩ってるよね?」
「は?」
「だから、こうしてつがいになってほしいってお願いしてるのが“狩り”だよ? 昔は無理やりつがいにする狼族が多かったから“狩り”なんて呼び方されてるけど、いまは全然違う。そりゃあいまでも兎族の国をどうこうしたがってる狼族も一部には残ってるけど、みんな本当は兎族が可愛くて仕方がないんだ。その証拠に兎族とつがう狼も増えてきたし」
そんな話は聞いたことがない。
(それとも黒兎の俺だけ知らなかったってことか?)
……可能性はある。閉じ込めた黒兎が狼族に出会う可能性はないからと伝えなかったに違いない。
「狼族は一人のつがいを生涯大事にする。安全な場所に囲って大事に大事にするんだ。もちろん僕もそうするから安心してね」
狩られた兎族が一人も戻って来なかった理由がわかった気がした。王家に“狼族には絶対に狩られるな”という言い伝えがある意味もわかった。狼族の言い伝えのせいで狙われることが多かっただろうし、がっちり囲われて里帰りさえできなかったのだろう。
「でも、俺は黒兎だぞ? 黒兎は不吉の象徴だ」
「そんなの関係ないよ。シィグはこんなに優しくてかっこいいから、みんなすぐに好きになる。僕が保証する」
「でもなぁ」
「真っ黒はかっこいいよ。僕だって変われるなら黒狼になりたい。それにウォルファ王国初代の王様は黒狼だったんだ。だから狼族は黒色を不吉だなんて絶対に思わない」
「それに甘くていい匂いだしおいしそうだし」と続く言葉にシィグの長い耳がピクピクと反応した。ゴリゴリ押し当てられている尻尾がムズムズしてくる。
(悪くない話だとは思う)
ラビッター王国に帰ればまた自由を奪われるだろうが、ウォルファ王国なら違うかもしれない。面倒くさい兎族の王様になるよりずっとマシだ。
(いや、囲うとか何とか言ってたっけ)
それだとラビッター王国のときと同じになりはしないだろうか。このまま着いていけば外に出られなくなる可能性がある。「俺はまだ自由を満喫したいんだ」と考えたシィグはいいことを思いついた。
「なぁ、一つ提案があるんだけど」
「なぁに?」
「せっかくお互いこうして自由を手に入れたんだから、もう少し二人きりで旅をしてみないか?」
「旅?」
「そう。そろそろ森から出てあちこち見て回ろうと思っていたんだ。もちろん、おまえと二人で」
「二人で?」
「二人で。せっかくだから二人での初めて記念とか、いろいろやってみたいんだけど」
シィグは「二人」という言葉を敢えて強調した。そこに「初めて」を加えて後押しする。アージルは初めてのことに興味津々のようだから、絶対に話に乗ってくるはず。
「二人でいろんな初めてかぁ」
案の定、嬉しそうな声が聞こえてきた。顔は見えないが、白い耳がピクピク動いているのが想像できる。白い尻尾が地面をバサバサ叩く音も聞こえるし、まんざらじゃないに違いない。
「それもいいなぁ。……うん、二人きりでいろんな初めてをやろう。国に帰るのはそれからでもいいかな」
乗ってきた。シィグの口元がにんまりとする。
(これで旅の間の安全も確保された)
狼族と一緒ならどこに行っても大抵は安全に過ごすことができる。追い剥ぎを気にすることなく、夢見ていた自由を満喫できるに違いない。
「よし、それじゃあ起きたらどこに行くか相談するか」
「うん」
「俺としては西の渓谷と、それに南の湖も見たいところなんだけど、ま、いくつか行き先を考えてから選ぶことにするか」
「わかった。……その前に、僕としてはさっそく二人の初めてをしたいんだけど」
「うん? 何だ?」
少し振り返ったシィグの鼻にアージルの唇がちょんと触れた。驚くシィグに「伴侶になったら初めてすること、シィグとしたい」とアージルが囁く。一瞬考えたシィグは、すぐさま頬をカッと熱くした。
「は!? いまここでか!?」
「うん。だっていまの話だと、僕と伴侶になってくれるってことだよね?」
「いや、それはまだ決めかねてるっていうか……いや、なる。なるって決めたけど、いやちょっと待て」
うっかり「決めかねている」と言ったところで飴色の目が鋭くなった。青ざめたシィグは慌てて「なる、伴侶になる」と約束する。
「よかった。僕、すごく嬉しいよ」
満面の笑みを浮かべたアージルは、もう一度ぎゅうっとシィグを抱きしめ頬にキスをした。
こうして黒兎と白狼は、運命に導かれるように手に手を取ることになりました。
その後、二人はあちこちを旅して回ることにしました。中には珍しい黒兎にちょっかいをかける者もいましたが、それを白狼が許すはずがありません。優しい笑顔で周囲をしっかり牽制し、気がつけば頼もしい伴侶に成長していました。
もちろん寝るときも油断はできません。白狼は大事な黒兎を守るため、今夜もぴたりと体を寄せて腕にしっかり抱きしめます。黒兎もそんな力強い白狼の腕の中で眠ることが大好きで――。
「おいこら、毎晩盛ってんじゃねぇぞ!」
「い……ったいよ、シィグ」
「何押しつけてんだよ、おまえは!」
「何って、もちろんナニだけど」
「王子様が下ネタぶちかましてんじゃない! いいから寝ろ! さっさと寝ろ!」
「そんなぁ。だって僕たち伴侶だよね? それなら毎晩したっておかしくないと思うんだけど」
「こ……の絶倫狼が! 寝ろ! 俺は疲れてんだ!」
ぷいっと反対側を向いて寝るシィグに、アージルが「照れ屋さんだなぁ」とつぶやく。思わず「なんだと?」と反応したシィグが振り返ると、薄暗い中でも満面の笑みを浮かべているのがわかった。
「だってほら、真っ黒で可愛い尻尾がピクピクしてる。これって照れてるってことだよね?」
直後、シィグの小柄な足がアージルの腹を思い切り蹴り上げた。途端に静かな村の小さな宿に、アージルの「ひゃん!」という情けない悲鳴が響く。
その後も黒兎と白狼は旅を続け、数年後にウォルファ王国に到着した二人はいつまでも仲良く暮らしましたとさ。
黒兎と白狼 朏猫(ミカヅキネコ) @mikazuki_NECO
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