教え

藤野 悠人

教え

 じいちゃんが死んだ。その連絡が入ったのは、最後に病院で面会をした三日後だった。夜中に容態が急変して、そのまま死んでしまったのだそうだ。


 じいちゃんの病状が良くないと聞いてから、俺は大学をサボって帰省していた。何人かの友人と、恋人のはるかにだけは事情を説明していた。単位なんて、正直どうでもよかった。


 通夜と葬式の準備で、一気に慌ただしくなった。両親の住む実家のすぐ隣が、祖父母が二人で暮らしていた家だ。遺品整理のために、ばあちゃんも含めた家族みんなで、家中を歩き回った。


 じいちゃんが入院してから、こうなることを覚悟していないわけではなかった。でも、実際に直面すると、胸に穴が開いたような気持ちになる。最期に話ができてよかった。そう思って、胸に空いた穴を埋めようと努めた。


 仏間ぶつまに敷かれた布団の上で、記憶の中の姿よりもずっと小さくなったじいちゃんを見ながら、俺はぼんやりそんなことを考えていた。


―――


 思えば、俺はじいちゃんとばあちゃんに育てられたも同然だった。両親が共働きで二人とも帰りが遅く、家に帰っても誰もいない。だからほとんど毎日、俺は祖父母の家で過ごしていた。


 若い頃のじいちゃんは、いわゆる遊び人だったらしい。それは歳を取ってからも変わらず、土木の職人仲間や若い衆を連れて、しょっちゅう町のスナックなんかに飲みに行っていた。そして、気分良くふらふらになって帰ってくる。子どもの頃、ばあちゃんがぶつぶつと小言を言いながら、そんなじいちゃんを介抱していた姿を俺は何度も見た。


はじめぇ、こっち来い」


 顔を真っ赤にしたじいちゃんは、俺を呼んでしょっちゅう語っていた。


「じいちゃん、お酒臭い」

「そらおめぇ、酒を飲んだんだから当たり前よ」


 ガッハッハ、と豪快に笑う。じいちゃんはいつもそうだった。


「いいかぁ、始ぇ。男ってぇのはな、大事なことは、一番最初に言わなくっちゃならねぇ」

「もう何回も聞いたよ、じいちゃん」

「慌てんな、ここからが大事なんだ。いいか? それでな、大事なことは、何回でも伝えてやんなくちゃならねぇんだ。友達にも、女の子にもな」

「それも何回も聞いたよ。でも、なんで何回も伝えなくちゃいけないの? もう最初に言ったのに」


 俺はじいちゃんの答えが分かっていて、いつもそう訊いた。そして、じいちゃんは決まってこう答えた。


「そりゃおめぇ、一番大事なことだからだよ」


 その教えを聞かされていたとき、俺はまだ小学生だった。他にも、じいちゃんの教えはたくさんあった。


 ハッタリでもいい。男なら堂々と胸を張れ。


 仕事、勉強、おおいに結構。だけど、遊ぶことも忘れるな。


 友達や家族を裏切ることだけは、絶対にするな。


 悪いと思ったら、素直に謝れ。嬉しいと思ったら、素直にありがとうと言え。


 筋を通すことを辞めたら、男としてお終いだ。


 正直、どれもこれも暑苦しくて、『ザ・昭和の男』って感じの言葉ばかりだ。でも、俺はなぜかその言葉を無視できなくて、結局いつも素直に従った。思えば、俺の生き方や考え方は、じいちゃんの言葉で出来ていると言っても過言ではなかった。


 しかし、そのじいちゃんの教えをことごとく無視した時期もあった。いわゆる反抗期の時期だ。じいちゃんが昔は遊び人で、随分とばあちゃんに迷惑を掛けたこともあったと知って、本気で嫌いになったこともあった。


 それでも、高校を卒業して、少しだけ冷静になると、やっぱりじいちゃんの教えを無視し切れていなかった自分に気付いた。それぐらい、じいちゃんの教えは、俺の中に深く根付いていた。


―――


 葬式が終わって、三日が経った。俺はばあちゃんに挨拶をするために、隣の家を訪ねた。ばあちゃんが、これからひとりでここに住むのだと思うと、胸の奥が締め付けられる気がした。


 台所に行くが、ばあちゃんの姿はない。代わりに、テーブルの上に、一枚の便箋が置いてあった。手紙の字を見てみると、すぐにじいちゃんの手紙だと分かった。この荒々しい達筆は、間違いなくじいちゃんの字だ。


千代子ちよこ


 これを読んでいるということは、俺は先に、仏さんの所へ行くみたいだな。すまないな、最後の最後まで、お前に寂しい思いをさせて。


 思えば、苦労を掛けてばかりだった。昔は俺が遊んでばかりで、随分と泣かせたね。骨になってごめんなさいじゃないだろうに。これじゃ、始に格好つけたこと言えないな。


 千代子。こんな俺の女房でいてくれて、本当にありがとう。そして、本当に身勝手だけど、もしも仏さんやお前に許してもらえて、もしも生まれ変われたら、そん時は、もっと真人間まにんげんになって、お前に会いに行くぞ。本当にありがとう。』


「始」


 急に声を掛けられて、俺はビックリした。いつの間にか、ばあちゃんが後ろに立っていた。


「人の手紙を勝手に見るもんじゃないよ」

「……ごめん、ばあちゃん」


 咄嗟に謝ると、ばあちゃんはふっと表情を緩ませた。心なしか、少し目が赤い気がする。


「困った人よね。本当に、最後の最後まで、手前勝手てまえがってでね」


 憎まれ口を叩きつつ、ばあちゃんはとても優しい声でそう言った。そして、仏間にあるじいちゃんの遺影と、かたわらの遺骨を納めた骨壺に視線を移した。


「あんた。また苦労かけさせたら、承知しないよ」


 俺はもう一度ばあちゃんに謝って、家を出た。駅に向かう途中で、不意に涙が出てきた。


 馬鹿だなぁ、じいちゃん。俺に散々あんなこと言っといて、自分は最後の最後で大事なこと言ってら。


 でも、じいちゃんがなぜ、口うるさいほど俺に言って聞かせたのかも分かった。


 俺に、大切なことをなかなか言えない自分のようには、なってほしくなかったからなんだ。


 ポケットからスマホを取り出した。


『今から戻るよ。今日、会えるかな?』


 素早くそう打って、遥にチャットを送信した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

教え 藤野 悠人 @sugar_san010

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説