第2話 考えてみました。


 午前中に仕事を終わらせられなかったリリーは、約束通り鞭で打たれた。


 仕置き用の鞭はそこまで攻撃性はないが、それでもやはり痛い。リリーはそこから、しばらく動けずにいた。


 背中が張り裂けたのではないかと思うほど痛いが、実際は少しだけ皮膚が裂け、シュミーズに血が滲む程度だ。


(とはいえ、これは傷痕が残るだろうなあ……)


 王女である以上、適齢期になればどこかに嫁がされるはずなだが、ブリジットはこの傷がばれたときにどういう言い訳をするつもりだろうか。それとも、ばれないと思っているのか。


 血で汚れないよう脱いでいたメイド服を抱え、よろよろと立ち上がる。このあとは図書館の掃除を命じられていた。


 王太子宮の図書館は広い。早く行かないと、終わらなくてまた鞭打ちコースだ。まだ背中の流血は止まっていないが、シュミーズで行くわけにもいかない。


 メイド服を着ようとごそごそしていると、後ろから声がかけられた。


「まあ、痛そうね。かわいそう。直してあげましょうか?」


 振り返ると、そこにはリリーと同じ年頃の女の子が立っていた。


 金の瞳に黒い髪をした彼女の名はフローラ。この国の聖女だ。虎視眈々と王座を狙う叔父ジギタリスの養女で、なぜかよくこの王太子宮に出入りしている。年は、リリーよりひとつ上の九歳だ。


「ありがとう。でも、結構よ」


 リリーは彼女の申し出を断って、メイド服を着て立ち上がる。


 以前のリリーはフローラをあまり良く思っていなかったが、今はそうでもない。なんせ、前世では二百年近く生きたのだ。知り合いの孫を見ているような気分だった。


 リリーが見るかぎり、フローラはあまり褒められた性格をしていない。それは恐らく、育ってきた環境が、彼女を育てた周囲の大人たちが良くなかったせいだろう。彼女の養父もとなった叔父なんて、その最もたるやだ。


 なんとかしてやりたい、と老婆心に思うが、それには年齢と権威が少々どころじゃなく足りない。


「そう? まあ、あなたみたいなのに聖魔法なんてつかったら、おばさまに怒られてしまうものね」


 ふふふ、とフローラは淑女らしく口元を扇子で隠して笑った。


「……そうかもしれないわね。ところでアニ、今日は王太子宮になんの御用で?」


 尋ねると、フローラは目を眇めた。


「口の利き方には気をつけなさい。わたくしはこの国の聖女なのよ」

「失礼いたしました、聖女さま。それで、本日はどのような御用があって王太子宮へいらしたのですか?」


 言い直すと、フローラは満足げに笑みを浮かべた。聞かれるのを待っていたかのように。


「ティカさまとお茶を飲むのよ」


 ティカというのはリリーと同い年の、腹違いの弟――つまり王子のことだ。


(それはなんともつまらなそうで……と、言いたいところだけど)


 お茶を飲む、というのが言葉通りなわけがないと、いちおう王族として育ったリリーは知っている。前世の、ただの魔女であった頃の彼女なら、いざ知らず。


 叔父はきっと、自分が王座につけなかった場合、養女であるフローラをティカに嫁がせようと考えているのだろう。王子と婚約するということは、とても光栄で幸せなことなのだ――そう思っているのだろうフローラを、リリーは哀れに思った。


 王子との結婚は、女の子であれば誰でも憧れるものだろう。そういう読み物は至るところに転がっている。それがただの憧れであれば、微笑ましく見守っていただろう。

 けれどそれが現実となると、そうもいかない。

 

 色んな大人の企みや、権力や、そういうものの道具にされているとも気づいていないこの女の子を、リリーは可哀想だと思ってしまった。


「……そうですか。楽しいお茶会となることを祈っております」


 思ったところで、リリーにはどうすることもできない。


 あまりにも傲慢なその感情を飲み込んで、リリーはその場を辞したのだった。



 


(ああ、これはまずいな)

 

 熱が出てきた、と自覚したのは、本棚の埃をハタキで落としているときだった。原因は十中八九、鞭で打たれた傷だろう。


 普通は、鞭で打たれたら、しばらくはこんな風に動けない。ましてや、八歳の子供なら尚更だ。動けているのは、ひとえに前世の記憶が戻ったおかげだろう。前世の人格が強く出ている今だからこそ、こうして強く意識を保っていられるのだ――と、言いたいところだが。


(記憶が戻る前も、こうして仕置されたあとに働いていたんだよなあ)


 思い返してみれば、リリーの身体は少しおかしい。鞭で打たれてもこうして動けていたり、洗濯のような力仕事を、栄養不足で痩せ細った小さな身体ひとつで終わらせてしまったり。


 ひとつ仮説を立てるとすると、リリーの内側に宿る魔力が、外に出ずに身体を巡り、あらゆるところを補強している……のかもしれない。つまりは、身体強化。

 

 傷に関しては、虐待により痛覚が鈍ってしまっている可能性も否めないが、盥に水を汲んだり、水を含んだ重たい洗濯物を投げて干したりできたのは、そうとしか考えられない。


 もし、本当に身体強化ができているのだとしたら、王家を出て冒険者になるのもありかもしれない、とリリーは考えた。


 このまま宮殿で過ごし、どこかに嫁がされ――と想像するだけで、あまりにも退屈でうんざりしてしまう。

 

 正直に申し出たところで許しが出るはずもないから、ある程度の年齢になったら、こっそり抜け出して冒険者になるというのも悪くないかもしれない。


 実をいうと、前世のリリーは少しだけ騎士や戦士に憧れていたのだ。膨大な魔力があって、規格外に魔法が扱えたため魔法使いとなったが――もちろん魔法もこよなく愛しているのだが――、剣術を使えるのなら、その道を目指していただろう。


 門に閉ざされた、狭い城の中は性にあわない。


 熱にうなされた次の日。転んだときの傷があとかたもなく消えた腕と足を見て、近いうち、こっそり騎士団に行ってみようとリリーは決意した。

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前世はちやほやされていた大魔女でしたが、今世は魔法が使えない嫌われ王女だそうです。〜ハズレ姫と嫌われていたはずだったのですが、最近周りの様子がおかしいです〜 稲葉 菟 @usausagi-178

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