第44話 「とっても重要!」と赤ペンで

 ここ二十年くらいの死の術式に関する論文、そしてアリスティドが書いた膨大な量の論文を読みつつあるが、大公の呪いにつながるようなものが、いくつか見つかった。


「……」


 クロードは憂い顔を浮かべていた。まさか夫が、自分の作った死の術式をありとあらゆるかたちで深化させていようとは思っていなかったようだった。


 クロードは一気に教師たちをほふろうとしていたため、苦しまずに死ねるよう全身粉々にして一瞬でかせる術式を組み立てていた。

 だが、アリスティドはそれを改良、いや改悪した。

 どうやら大公にかけられた呪いは相手を苦しませるために、ゆっくりと肉体の表面から腐らせていくものらしい。まず、足やらどこかの血管が切れ、出血を起こす。当人はうっかりどこかで怪我をしたようにしか感じない。そのかすり傷のような怪我が、どんどんと広がっていく。大公の場合は皮膚を切ることができなかったのか、内出血、つまりあざから始まった。


 だが、誰か——おそらく、本当に呪いをかけた人物であるイザベル皇女——の意向により、本来は足や手先から始まる「怪我」が、左肩から始まった。たぶん、左肩から始まるのは、心臓と首、脳に近いためだ。苦しめながらも早く殺すつもりだったのだ。


「一年かけて大公殿下の呪いが身体に回るものだと思ってましたけど、これはまずいです」


 ルネはクロードに不安を訴えた。心がひどく焦っていく。


「一年持たないかも」


 口に出してしまうと本当に息が止まりそうになり、吐きそうになった。クロードは重く頷いた。


「ルネ嬢」


 背中にクロードの手が伸びた。少しだけ落ち着く。だが、話し続けなければ不安はさらに高まる。


「もし、もし、イザベル殿下がアリスティド猊下の魔力を転送されて殿下の命を奪おうとおもっておいでなら、……お二人のお命も」


 言ってしまって、ひどく後悔した。だが、クロードは傷ついた顔ではなく、ただただ寂しげな表情に顔を染めている。


「……私の夫は本当に愚かです。死んで悲しむ人間の気持ちをわかっていないんでしょうね」


 クロードの瞳に涙がうっすり滲んだのを見た。ルネはその涙に胸を衝かれた。あまりに「知っている」感情だったからだ。


 ——殿下。


 あの襲われかけた夜、襲われたこと自体にも腹が立ったが、何より、大公が生きることをあきらめてしまっていることに腹が立った。


 ——イザベル殿下からの恨みごときで、それほどまでに心折れるの? 生きたかったんじゃないの。だからわたしにおいしいものを作ってくれたり、一緒に変な苦難を乗り越えたり、おいしいものを作ってくれたり、おいしいものを作ってくれたりしたんじゃないの?


 叫びそうになりながら、死の術式の論文を読み進める。すると、ルネは目をまたたかせた。


「せっ! せんせい、クロード先生、こ、これ」


 あからさまに赤いペンで、ある一節に線が引かれている。その上に、丁寧な字でメモがされていた。「とっても重要!」と。

 クロードは、目をずーっとまたたかせているルネから論文を受け取る。


「うちの夫の筆跡じゃないですか。何ぃ、こいつ、図書館の蔵書に書き込みをしていたんですか!? このクズッ!! 全世界の知的活動の敵め!」


 ルネはクロードの今までで一番鬼気迫る背中を見た。アリスティド猊下が良くないな、と肩をすくめ、もう一度「とっても重要!」と書いてある箇所を見た。

 そこに書いてあったのは、「感情を魔術のエネルギーに変換する」という文言だった。

 クロードは瞬時にそれを読み取り、「そうか」と一人で頷く。


「なるほどね。アリスティドがこの術式を誰にも使うことがなかったのは、別に心底から恨む人間もいなかったから、エネルギーが足らないってことなのか」


 ルネは首をかしげる。マリーが母親の袖を引く。


「パパがどうしたの?」


 クロードは娘に素直に答えてしまった。


「マリー、パパはママではない女の人に結婚を望まれているの。パパはマリーがいるので丁重にお断りしたんだけれども、そのママではない女の人がパパの開発した魔術を勝手に使って、今とっても大変なことになっているの。それで神聖騎士のルネ・スキュリツェス卿が協力してくださってるのよ」

「……フリン?」

「なんでそんな言葉を知っているかなあ? この子は」


 クロードはマリーに向かって微笑みながらピクピク眉を動かしていた。マリーは素直に答える。


「ゾナラスのおばあちゃまが寝る前に読み聞かせてくれる本がそういうはなしなの! カミーユっておんなのひとが、夫ある身でありながら、イケメンな執事のフレッドと……」

「母上はなんでそうなんだろう……」


 クロードは目頭を押さえて嘆きながら男の姿に変わった。よっぽど動揺しているらしい。マリーは「ママ、今日は女の子になったり男の子になったりいそがしいね」という。


 ルネはクロードに聞いた。


「エネルギーが足らないとは」

「ああ、申し訳ありません。アリスティドの魔術をイザベル皇女が使用しているとして、一番の疑問は、アリスティド自身はこの術式を使い、誰かを殺したことがあるのかなということでした。でも、誰かを殺した痕跡はない。どうして手元に死の術式があって誰かを殺さずにいられるのか、と思って。……でも、アリスティドは別にそこまで激しい恨みを他人に抱かず、エネルギーが足らなかったんだろうとわかったのです。イザベル皇女の激しい感情があって死の術式が発動する……。よし。行くところができました。参りましょう」


 クロードは一人で勝手に納得し、すぐに図書館から出て、馬車を呼んだ。馬車が来ると、ルネとマリーを急いで馬車に乗せた。


「魔法解析室へ」と、クロードがいうと、馬車は静かに動き出した。

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「いらない」はずの神聖騎士ですが、このたび、「氷の殿下」 と結婚することになりまして (※ただし偽装) ことり@つきもも @coharu-0423

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