第43話 魔力なしの子と、論文探し

「マリーに魔力がないからよ! パパのほうのおばあちゃまがそういうの。もうマリーも五才なんだから、別の家の子になるじゅんびをしなくちゃねって」


 マリーの叫びに、ルネはあっけにとられ、言葉を失った。クロードは、表情が凍りついていた。


 有力魔術師を次々輩出する名門家には、そういうことを平気でする家がある。魔術師の純血性を保持するためだと言うが、科学的にも魔法学的にも証明されたことはない。


 ルネの母の実家のカロフェロス家も、三十年くらい前まではそうだった。

 今の当主母の従兄はそれをやめ、分家にも魔力なしの子を手元で育てて良いと伝達しているらしい。

 子供たち全員が可愛すぎた三代前のカロフェロス家当主は実験を行なった。自分の子供が魔力なしでも、その子が魔力ある子を産むことができるのか。結果、魔力なしの平凡な末息子から、聖女リュディヴィーヌが生まれた。

 自分の子供が魔力なしでも、その子供は魔術師かもしれないのだから、魔術師の純血性を損なうことなどあり得ない、とカロフェロス家当主は涙ながらに叫んだ。

 では、なんのために皆が涙を飲んで我が子を他の家に養子に出したのか。好き好んで誰が子供を養子に出したいと思うか。自分のきょうだいは、魔力がないというただ一点の理由で他の家に養子に行った、そのときの自分の涙を無碍にする気か。そう反発した大半の家の人々は、いまだに魔力のない子を人間に養子として「下げ渡して」いる。


 心が痛んだルネは魔法でマリーにぬいぐるみを作ってあげた。気持ちが落ち着く魔法を込めた。

 マリーはそのぬいぐるみをひったくるように受け取り、抱きしめた。


「よかったわね。でもありがとうしなさい」


 かすれるような声を出し、クロードはマリーの頭を撫でた。


「……ありがと」


 マリーはぬいぐるみに顔を埋めた。ルネはクロードも見た。マリーよりひどく傷ついていた。


 ——母親には知らせてなかったってこと……?


 やっばい、とルネはヴァタツェス家に震えた。託児所へマリーを預けているあいだに、ヴァタツェス家のものがマリーを迎えに来て、養子先へ送る算段だったのだろう。クロードが仕事先から託児所へ戻ってきたら、マリーはいなくなっていた、という形にするつもりだったに違いない。


 一応は気分が落ち着いたマリーは、書架の間を踊るようにくるくる移動しながら、ルネやクロードに聞いた。


「こんな図書館のなかでなにをするの? 図書館でおとなしくべんきょうするような子って、くらいわよねえ」


 娘にクリティカルヒットを食らった母・クロードは胸を押さえた。


「う、ううん、うぅん、そうかもしれないわね。でも、ママ、今のでとても傷ついた」

「なんだか心が痛くてしょっぱい水が目からドバドバ出ます、先生……」


 同じく胸を押さえながら、ルネがクロードに言う。マリーはクロードのところへ寄ってきて、首を傾げている。

 そんな感じで、学術雑誌が置かれている区画へと赴いた。

 よいしょと子供を抱えて、クロードはその区画を整理していた司書に訊ねた。


「ここ二十年の死の術式についての研究はどちらにございますか?」


 司書はクロードの胸元に光るラピスラズリのブローチ——上級魔術師の証——に目をやり、一瞬不審そうに眉をひそめた。だが、ややあって従容と頷いた。


 上級魔術師の学術的な物事に対する要請を断れる人間など、あまりいない。


 しばらく待っていると、複写したと思しき紙の束が渡された。論文集だった。でも、さすがに一応禁術なだけあって、束とは言っても薄かった。


「ここ二十年のものはこちらだけになります」

「ありがとうございます。あの、申し訳ありませんが、アリスティド・ヴァタツェスがこういった論文を読んだなどという記録はありませんか?」


 司書は無表情ではあったが、警戒する眼差しでクロードを見ながら答えた。


「クロード・ゾナラス師とお見受けします。いくらご夫君のものとはいえ、ほかの方の利用記録の開示はできません」


 クロードは肩を落とした。


「そうでしたね。申し訳ございません」


 そっか、そうだったそうだった、とルネは思った。図書館は利用者が読んだ本に関して他者に公開しないのが原則だ。以前は利用記録を開示している時代もあったが、それによって魔術師が変な考えを持つ過激な連中に、凄惨に殺された事件があったらしい。また、利用記録からストーカーされ、暴行の末に殺された女性もいたとか。

 それ以後も何件か事件は続き、三十年くらい前に皇帝の御触れがでて、図書館の利用記録を司法捜査以外では開示しないと言う方針に切り替わったのだ。なかなか壮大な話だが、たしかにルネも、真面目な学術書とともに「ドキッ! ここが美味しい♡ 帝都の銘菓」という本を借りるときは、利用記録を速やかに消してくれ、ああ、開示されなかったんだと安心するときもある。


 皆で閲覧席へ行こうとした。すると、クロードに手を引かれていたマリーが聞いた。


「パパのは? パパのろんぶんよみたい!」


 マリーからすると、まるで今の状況がわかっていないで、「ママの仕事について行っているだけ」という気分なのだろうが、ルネは、あ、と気づいた。

 ひょっとしたら、アリスティドの出している魔法論文にも、何かヒントが隠されているかもしれない。

 ルネは先ほどの司書を呼び止めた。


「あ、あの、アリスティド・ヴァタツェス猊下の論文もお願いします」


 司書はやはり不審そうに頷いた。


「たくさんございますが大丈夫ですか?」


 クロードがこれには答えた。


「全然大丈夫ですわ。だいたい、彼が書いたのって二百くらいでしょう。大したことありません。もっと書いて貰いたいものだわ」


 二百はかなり多い方でしょう、とルネはクロードを見た。

 司書はそのクロードの様子に少しだけ「鬼嫁……」と頬を引き攣らせた。

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