第3話 真相

「え?」

「痛みと焦りと恐れのせいか、高橋は自らの手首を置いたまま、応急処置の止血だけして、病院に向かった。相棒の女性はどうするか。残された手首を病院に届けることを考えるはずです。うまくつないで、再建できるかもしれない。その可能性を高めるべく、手首を冷やすことを思い付く。冷蔵庫から氷と保冷剤をありったけ取り出し、手首は丈夫なビニール袋に入れて、口を紐で縛る。それらを一つの大きな紙袋に入れて、手首を冷やす状態を保つ。病院の場所は、メモに書いてあったとは考えにくいですから、携帯電話で連絡して分かったんでしょう。女性は紙袋を持ち、急いで空き家を飛び出す」

「なるほど、つながってきた」

 川島は息をついた。ドラマ上の謎が、ドラマ以外の答、現実における答に合致していく。何とも言えぬ、奇妙な感覚。

「鋏に着いた水滴は、保冷剤や氷による結露の水か。急いでいたのも道理だな」

 山口も感嘆したような口ぶりで言った。

「少しでも早く、病院に到着したいんだから。でも、何でタクシーじゃなく、バス停なんだ」

「バス停に向かったのは、タクシー代の持ち合わせがなかったのか、たまたま、病院への最短ルートを通るバスだったとか?」

 川島の推測に、山口が即、だめ出しをする。

「待て。問題の女は、バスに乗らなかったんだぞ。間に合わなかったようには見えなかったが」

「ええ」

 空地の微笑を含んだような声。顔を向けると、彼女は実際、微笑していた。

「相棒の女性は、空き家ですることが残っています。自分達がいた痕跡を可能な限り消すとかの。だから、彼女は信頼できる第三の人物に協力を求めたんです。その人物に電話をして、最寄りのバス停を通るバスに飛び乗ってもらう。彼女自身はバス停に急ぎ、手首の入った紙袋を乗車口から協力者に手渡し、病院に向かわせた」

「……だとすると、文庫本を盗んだ理由は……」

「女性が川島さんとぶつかって転倒した際、きっと、ビニール袋の口を縛った紐が切れるか、袋の一部が破けたんです。そこを補修するために、紐が必要だったが、生憎と持ち合わせがない。髪を結わえる紐や靴紐すらなかったんでしょう。そんなときに、目の前に転がった文庫本。栞紐を使えばと考えるのは、さほど不自然ではありません。ところが簡単に外せる物じゃなかったので、焦った。偶然通りかった山口さんが、偶然にも鋏を持っていて貸してくれたから助かったようですけれど」

 これでおしまい、とばかりに口をきゅっと閉じ、二人を見渡す空地。

 川島の方は、どう反応してよいのか分からない。もし裁判で証言を頼まれても、応じようがない。ドラマの話なんだと言わなければ。

「……あの」

 川島が口を開こうとした刹那、相手の女性は不意に噴き出した。しばらく抑えた笑い声が続く。

 訳が分からず、川島は山口の方を見た。山口もまた、困惑の色をその表情に浮かべ、コーヒーカップを浮かせたままにしている。

 やがて、笑いの収まった空地が言った。

「ごめんなさい。あー、でも、おかしいやら嬉しいやらで、どうしても笑わずにはいられなかったんですもの。咄嗟の作り話にしては、うまくできたみたいで、自分で自分を誉めたいわ」

「つ、作り話?」

「はい。あなた達の、聞こえよがしのお芝居を聞いて、こっちも乗ってみようと思って、即興の芝居で応じさせていただきました」

「ということは、あなたはこの話がドラマのことだと」

「もちろん、承知の上でした」

 邪気のない笑顔で答える空地。川島は力が抜けた。テーブルに上半身を預けたくなるぐらいの脱力感。彼の横の席では、山口が少し遅れてガッツポーズをしていた。そう、賭けは山口の勝ちになるのだ。

「ひどいですよ、空地さん。あ、もしかすると、偽名?」

「いえいえ、名前は本当。ただし、探偵というのは嘘です。私、俳優のタマゴなんです」

 こんなに演技がうまいなら、じきにタマゴじゃなくなるだろうな。

 そう思った川島だったが、悔しいので口にはしなかった。


           *           *


「――あ、空地さん? 今日は急なお願いを聞いてくれてありがとう。助かったぜ。え、卑怯? だってよ、負けたくなかったんだ。あのドラマ、前評判の割には案外、人気が出てないのかね。二軒やっても全然手応えがねえから、三軒目に移動する間に、電話したって訳さ。

 しかし、君も君だな。ストレートに、ドラマの話でしょ、とでも言ってくれりゃ簡単に済んだのに。いきなり、実際に体験した事件だ何だと始めたときは、焦った。頭の中、パニックだったぜ。何? 卑怯な俺へのお仕置きだって? ま、あれくらいは仕方がねえな。受け入れるとするさ」


――終わり

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ビブリアを見た男たち 小石原淳 @koIshiara-Jun

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