【短編】走馬灯
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走馬灯
真っ暗な部屋に、二人の男がいました。
一人は、老人でした。
見事なまでの禿頭で、ふくよかな身体を、革張りのソファに沈めています。優しそうな表情で見つめる先には、映画館にあるような巨大スクリーンが鎮座していました。
その老人の、右斜め後ろに立っているのは、若者でした。
黒のスーツに、黒のネクタイ。老人とは対照的に痩身で、高くも低くもない身長。薄い眼鏡が、スクリーンの光を無機質に反射しています。
「では、始めます」
若者が眼鏡の位置を直しつつ、小さく呟きました。しんと静まり返った、完全に防音された部屋の中で、その蚊の鳴くような声ははっきりと、老人の耳に届きました。
「たのむ」
老人は穏やかな顔を崩さず、しっかりと返事をしました。
若者が、左側、つまり老人の真後ろにあるコンピュータを操作しました。ホログラムのタッチパネル式キーボードなので、打鍵音は一切ありません。スーツの袖が擦れる音だけが、微かに聞こえました。
若者が操作を終えると、スクリーンに表示された淡い光が微かに揺れ動いて、やがてある風景を映し出しました。
一人の男の子が、咲き乱れる
男の子は無邪気に笑っていました。ベージュのショートパンツに、白のタンクトップ。頭にはつばの広い麦藁帽子。手には虫取り網。
まるで絵に描いたような、夏休みの一風景でした。
若者は、そんな映像を眼鏡越しに見ていました。無表情で、口を引き結んで。
対して老人は細い目を見開き、
「ああ、覚えているぞ。実家の畑だ。この頃はまだ、川の水で野菜を洗えたんだ。信じられるか? 君は川の水を触った事もないだろう」
映像の中の少年と同じように無邪気な表情で、若者に語りかけました。若者は無愛想にも、そうですか、ええ、などと生返事を返すだけでした。
やがて画面はフェードアウトし、真っ白になりました。
少々の時間を経て、全く違う光景を映し出しました。
そこは、中学校のようでした。
桜が可憐に舞う校舎を背景に、生徒たちが卒業証書の入った焦げ茶色の筒を手にしています。彼ら彼女らは、泣いたり、抱き合ったり、記念撮影をしたりしていました。
中央に映し出されている男子生徒もまた、筒を持っていました。そして、同じ物を持った女子生徒と見つめ合っていました。まっすぐに下ろした黒髪の、清楚で落ち着いた雰囲気の少女でした。二人は少し言葉を交わすと、やがて涙を流して抱き合いました。
「……」
そのシーンを眺めていた老人の瞳からも、涙が零れました。
再び画面は白一色になり、老人はハンカチを取り出すと、ゆっくりと涙を拭いました。息を長く吐き、スーツ姿の青年に語ります。
「初恋の、相手だよ」
「――そうですか」
「遠くの大学に行くと言って、引っ越してしまった。――そうだ、彼女はこの後、どうなっただろうか。どんな人生を送っただろう。なあ、見せてくれないか」
懇願するように、老人はソファから身をよじり若者を見上げました。
「他人の『メモリ』はお見せ出来ません。『ルールブック』における禁則事項に該当します」
まるで機械のように、若者は一蹴。老人も彼のそのたった一言で納得し、再びソファに腰を沈めました。
「そうだな。そう言う君だから、後任に選んだんだ」
溜息混じりに言い放つ老人は、目頭を押さえて俯いていました。そこからは見えない事を知っていましたが、
「恐れ入ります」
若者は最敬礼の角度で頭を垂れました。上体を起こした若者の顔には、珍しく苦渋の表情が浮かんでいました。しかしそれも、眼鏡の位置を直すと同時に、まるで仮面を被り直したかのように消え失せました。
それから二人は、幾つものシーンを視聴しました。
映像の中の男性は成人し、就職しました。彼を追う映像は彼の上から映したり、俯瞰したり、斜め後ろから視点に合わせたりと、自由自在でした。手に持つ小説の文字を鮮やかに映し出す事も、屋内に居る時は壁などを通り抜けて彼の姿を捉える事すら、造作もありません。
彼はやがて結婚し、子を儲け、科学者となって、ある施設で働くようになりました。
その生き様を観ている間、老人は笑ったり、涙を流したりしながら、若者に当時の話を聞かせました。
若者はただ、その話を聞き、最小限の相槌を打ち、コンピュータを操作しました。
スクリーンは終に、白い光を放つだけになりました。
映画を観終えた直後の、高揚感と充足感、そして寂寞感が、二人の部屋に満ちています。
「――さて」
上映が終わってたっぷり六十秒が経ち、老人はゆっくりと立ち上がると、若者にまっすぐ向いて言いました。
「科学の進歩は、すばらしい」
若者は、その突拍子もない一言を、無言で受け止めました。
老人は続けます。
「気象科学の進歩によって、天気予報は最早『予告』となった」
若者は黙って聞いていました。老人と、まっすぐ向かい合ったまま。
現在、降水確率という表現はありません。なぜならば、向こう一週間に亘る天気の移り変わりが、分単位で計算できるようになったからです。なので『確率』ではなく、『確実に降る時間帯』が分刻みで放送されています。
老人は続けます。
「人工知能は精度を増して、今や車の運転は殆どが全自動。これぞ正に”自動車”というわけだ」
老人は鼻で笑いました。
若者は眼鏡の位置を直しました。
「そして――」
老人は間を置いて、青年に近付き、横切り、通り過ぎました。
背中を向け合った状態で、老人は言葉を続けます。
「そして、我々のこの研究の成果によって、人間一人ひとりが人工衛星で監視され、それが記録される時代になった。このシステムは本来、犯罪を見逃さないよう、冤罪を無くすよう開発されたものだ。どんなに巧妙な手口でも、どんなに隠れようと、逃げようとしても、我々の衛星システム『
今まで観ていた衛星の映像は、青年の目の前にいる老人――この研究施設の三代目最高管理責任者である彼の、一生分のメモリでした。
老人は青年に振り向いて、青年も同時に、老人と向き合いました。
老人は今日初めて、青年の顔に変化を見ました。
柔和なままの老人は、そんな、悲壮を浮かべる彼へ、さいごに言います。
「そして――医学の進歩によって、多くの病を治療できるようになった。しかし治せないものもまだある。そんな治せない病に罹った人間の寿命も、早い時期から正確に宣告できるようになった」
青年は唇をわななかせ、今にも泣き出しそうな顔をしました。
老人は彼の肩に、優しく手を添えました。
「儂の寿命は、七十六歳と十一日、午後十時三分。死因、心不全」
噛み締めるように、または、受け入れるように。
自らのさいごを自らに言い聞かせるように。
自分自身に死の宣告をするように。
老人は笑顔でした。
青年の肩に置いたままの手。そのまま左手首を少しひねって、自分の腕時計を確認しました。
午後九時五二分を示していました。
老人は、青年に言葉を遺します。
「この施設の、今後は君に託す。儂の座を引き継いでくれても良い。これからも神眼システムを活用して警察に協力し、この世界から完全犯罪をなくせ。――それとも、人々のプライバシーを無視したこんなシステムなぞ、壊してしまおうか。人は神ではない。神眼システムなど、我々人間が扱って良い代物ではないのかもしれん。『リセット』すれば記録は全て消え、この施設は崩壊して証拠も残らぬ。君たちはこの施設から開放される。選ぶのは君だ」
青年は、黙ってその遺言を受け止めました。
老人は青年の肩から手を下ろしました。
「さいごに、煙草でも吸おうかな」
「……ここは禁煙です」
「はっはっは! そう言う君だから儂は!」
老人はゆっくりと革張りのソファに腰掛けると、
「儂は――君を気に入ったんだ」
それを最期に、老人は動かなくなりました。
本日、午後十時三分を以って、衛星システム『神眼』最高管理責任者に就いた青年は、眼鏡を外し、いつの間にか流れていた涙を拭くと、再び眼鏡を掛けました。
その顔には、一切の表情がありませんでした。
その眼には、一片の迷いもありませんでした。
【短編】走馬灯 o0YUH0o @o0YUH0o
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