第3話 もう恋なんてしないっ!③

 電車に揺られながら環は大道菜音、言い換えるなら環をゴールデンウィークに振った女性に、初めて声をかけられる機会を作ったときのことを、夢見心地に回想していた。

 あのとき己の性癖を教室で聞かれていたおかげで経験できた、甘酸っぱいものがあるのは確かだったが、自身のへたれのせいで振られてしまったとは言え、あのような最後で終わってしまったことは、彼からもともとほとんど無かった自己肯定感を奪い、彼を浪人生のあるべき姿から遠ざけてしまっていた。

 ふと向かいの席に諏訪ある女性に目をやる。スーツ姿のいわゆるOⅬと言われるカテゴリーに属す人だろう。仕事終わりなのか、これからどこかへ移動するのか、疲れた様子で少し背を後ろに倒し足をやや広げて座っていた。豊かな太ももには窮屈な黒のスカートが食い込み気味に抑えつけようとするのも空しく、徐々に日本の足がだらしなく開いていく。

良く育った白い二本の太ももの内側に張り付く影の奥はきっと……。

 そして環は己に幻滅する。下半身の巡りの良さと、男として逆らえないその現象が、まだ未練を捨てきれていないからなのか、欲求不満だからなのかはまだ分からなかったが、いずれにしても、早々と帰宅してしまっているという現状と合わせて空しく肩身を狭くする。向かいの窓からの夕日が視線を上げた環の顔に降り注ぐと、夕方特有の乾燥した空気が鼻に充満する。深く息を吸う。ゆっくりと吐き出す。もう目線を下げてもそこには彼を魅了する太ももはなかった。


 (もう少し見ておけばよかったな)


 無意識にそんなことを考えていると、今まで無音かに思えた車内だったが、ようやく環の耳に車内アナウンスが入ってきた。最寄り駅についたことを知らされる。ドアが開くと、先ほどまで元気だったズボンの下のものがちゃんと元通りになったことを確認し、降車した。

 

 駅を出ると、近くの高校の生徒たちが駅に向かって歩いてくるのが見えた。皆等しく自分よりも楽しい学園生活を送れているのだろう、と根拠もなく考える。幸いにも、カップルは見かけなかったため電車内での空虚感の続きを味わわされることはなかったが、それでも角知れ切れない表情の元気のよさ、声の大きさなどが環にはまぶしかった。


 (俺も、滝沢さんみたいなレベル高いって言わる子と付き合っていたら、見える景色が違かったのかなぁ。そうすれば、菜音も傷つかなかったのだろうか。)


 いまさら聞く由もなかった。一日に何十件、何百件と送り合ったメッセージも、今は通知があるわけもなく、最後に連絡したゴールデンウィークの日のメッセージが日付とともに履歴に残っているだけだった。

 ふと、女子学生の集団にぶつかりそうになり、バランスを崩しながらもギリギリのところで避ける。


 「す、すみません……」


 気持ち程度の謝罪の言葉は、街の騒音と彼女たちの笑い声にかき消され、気が付けば十メートルほど後ろを駅へと向かって歩いていた。



 

 帰宅しても特に安心感を感じたりすることはなかったが、ようやく虚しさから現実逃避できるような気がしていた。自分の部屋に行くためにリビングの前を通ると、帰ってくるのを察したのか、妹のまどかが慌ててリビングへと滑り込む。年頃の妹だから仕方ない、その上浪人したともなれば何となく接しずらさもあるのだろう。逆の立場だったら俺だって避ける、と思っていたがそれでも少し来るものがあった。

 お茶でも飲もうかとリビングへと向かおうとも思ったが、流石に気を遣って直接自分の部屋へ入っていった。

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浪人生だって恋がしたい! 手垢 @teakaboo

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