『書けなかった昨日の自分がやるべきだった事』

小田舵木

『書けなかった昨日の自分がやるべきだった事』

 ああ。

 昨日の私はそう思った。

 それは不思議な感覚であった。何故なら。時間が余っている私は何はともあれ書くことを習慣づけていたからである。

 PCの前。ライティングデスクの前。

 どれだけうなろうが1文字も湧いてこない。

 これはまずいな、と思った。

 私の精神の健康の指標は書けるか否かにかかっているからだ。

 その時点でPCの前に座って3時間が経とうとしていて。

 私は大いに焦ったが。どれだけ頭をひねっても、どれだけセンテンスを思いついてみても、そこから一歩が踏み出せなかった。

 

 実に50数日ぶりの書けない瞬間。

 私は再びリンボ辺土送りになる予想を立ててしまい。

 それに恐怖した。

 書けない私は。かなり不健康…というか精神的に追い詰められるのだ。

 創作をしていれば。いつか書けなくなる瞬間は訪れるものである。

 それは分かっている。何時までもアウトプットをしている訳にはいかない。

 いつか枯れる瞬間は訪れる。これはいつか来るはずだった未来が来ただけなのだ。

 

 だが。私は。

 書けないという事実だけがのしかかり。

 結構に落ち込む事になる。

 午前2時に起きて、今は午前6時。早朝。普通の勤め人が起き出す時間。

 その時間に私は絶望していたのだ。

 まるで書けない事に。

 

 私はやけくそになって。

 とりもあえず、昼飯を食い。風呂に入り。

 部屋の床に寝転がった。

 とりあえず。昼寝をしてみよう。

 そうすれば。回らない頭も少しは回転するはずである。

 

 …床に寝転がって。数時間。

 時刻は10時を迎え。私は起き出す。

 だが。頭には依然としてモヤがかかっており。

 待機状態になったPCのロックを解除して、テキストエディタに向かおうが、何も思いつかない。1文字も打てない。

 私は1時間は頑張ってみたが。

 PCに向かえば向かうほど疲弊する私がおり。

 私は頭をきむしるが。

 事態は好転しなかった。

 

 ああ。今日は書けない日なんだ。

 そういう考えが頭を過ぎる。

 諦めてしまえば良い。そう思った。

 だが。妙に書くことにこだわる私も居り。

 完全に諦めてしまうのに時間がかかった。

 

                  ◆

 

 と、いう訳で。

 今回のエッセイは書けない瞬間について書いていこうかと思います。

 カクヨムユーザーの皆様は。読む人であると同時に書く人が多いと思うのですが。

 

 書けない瞬間ってありますよね?

 書きかけの作品があるのに。書かなくてはいけないのに。

 

 昨日の私もそんな苦しみの中におりました。

 書かなくては。そんな思いばかりが先行して。

 書けない事に絶望して。

 時間ばかりが過ぎていく。

 これは中々苦しい事だと思います。

 

 さて。こういう時、どうすれば良いか?

 これを考えていきたいのが今日のエッセイ。

 ちなみに。昨日の私は完全に諦めました。

 こういう日もあるよなあ、と完全に開き直り。

 切り替えてゲームをしたり、動画を眺めたり、買い物に行ってみたり。

 時間が余り倒しているからこそ出来る芸当でありますね。

 だが。侮ること無かれ。

 昨日、一日無駄にした私は。再び復活して。今、せっせとこの文章を書いています。

 

 結構怖かったですけどね。書かないの。

 毎日何かしらの文章を書くことにしている私が。書かない。

 これは仕事をサボる心境に似ておりました。

 日々のルーチンワークを放棄する。こういうのって、地味に恐ろしい。

 もしかしたら。二度と書けないのではあるまいか?

 そういう思いと戦いながら、昨日は休んでおりました。

 

 しかし。書けない瞬間って。

 書き手としての自らの何らかのサインのような気もします。

 何らかの問題が起きているのです。

 だから。結果として書けなくなる。

 漫然と書く事はできるのかもしれません。頑張りさえすれば。

 だけど。そういう時の文章って逃げの要素が混じり。キレがない事が多いです。

 

 そう。書けない瞬間とは。

 書き手として何らかの問題にぶち当たっている瞬間なのです。

 

                  ◆

 

 書けない瞬間イコール何かしらの問題にぶち当たっている。

 そんな仮説を前項でぶち上げましたが。

 昨日の私はどんな問題にぶち当たっていたのだろう?

 ケーススタディとして考えていきましょう。

 

 昨日の私は。

 とりあえず机に向かっていました。

 今、抱えている『ハート・スナッチャー』の原稿を書かなければ。

 そういう思い一個で机に向かっておりました。

 当然頭の中はノープラン。書き出せば何かしら思いつくと思っておりました。

 だが。そういうとりあえず机に向かう行為は危険です。

 

 そう。昨日の私は追い詰められておりました。

 私という存在の中には。物語の欠片が一個もないのに。アウトプットする要素が一個もないのに。とりあえずの義務感で机に向かっておりました。

 

 世の中。義務感だけで物語が書けるようにはできていません。

 いくらノープロットで物語を書く私と言えども。義務感だけでは執筆が出来る訳がありません。

 

 だが。昨日の私は視野が狭まっておりました。

 書けないという事実だけが目につく状況。

 一歩下がってモノを考えるという事が頭にのぼりませんでした。

 

 …後になって考えてみれば。

 なかなか馬鹿らしい状況であるのですが。

 その瞬間の私は。冷静さを失っていたのですね。

 

 ま。そんな訳で。

 昨日の私はエンプティな状況で書き出そうとしていた愚かな作者です。

 そして。そういう状況は。当事者には分かりづらい。

 書かなきゃって義務感が先行しているものだから。エンプティという状態が目につかないのです。

 

 彼に対する処方箋は。一歩下がって考えろ。

 それが正解です。

 間違っても。昨日の私のように、とりあえずの休憩をしてはいけません。

 それは問題の先送りでしかないからです。

 余計に状況が悪化するだけです。結果として書けてませんしね。

 そうやって、貴重な執筆時間を無駄にしてしまいました。

 これは反省せねばならない…

 

                  ◆

 

 書けないイコール書き手に問題がある。

 これを考えていくエッセイ。

 前項では昨日の私をケーススタディにして考えてみました。

 結論は冷静さを失っている、というモノです。

 

 思えば。私が書けなくなる時は年甲斐もなく冷静さを失います。

 書くことしか能がないからです。と言っても。私は文章が巧い訳ではない。

 人よりややアウトプットが大きい、それだけです。

 

 冷静になる。一歩下がって考える。

 書いてみれば単純な解決法。

 だが。書けない時にそこまで冷静にはなれない…

 さて。ほなどうして参りましょうか?

 これを考えなくてはなるまいて。

 

 昨日の私のように。時間が有り余っているのなら。

 執筆を諦めてしまうのも一手です。

 書けない時って執筆面での問題があると同時に、体調面でも問題がある事が多いですから。

 思えば。昨日の私はやや寝冷え気味だったように思います。

 頭が妙に煮えてしまっていたのです。

 そんな状態で書ける訳がない…

 

 だがしかし。

 私のように時間が有り余っている作者様ばかりでないのが現実。

 本業の合間に執筆している方が多いでしょう。

 そういう人の為の解決法を描いてこそのエッセイでなかろうか。

 

 少し昔の私も派遣の仕事をこなしながら作品を書いておりました。

 だが。思うように執筆が進まず。書けない瞬間にぶち当たってしまい。

 そこで諦めてしまいました。

 その後、うつで仕事を辞めてしまってから、その作品は完成を見る事になります。

 

 私は時間で『書けない』を解決してきた男です。

 だが。何時までもこの方法を使う訳にもいかない。

 なにせ。もう31なのです。残された時間は少ない。

 早死する事が確定しているので。限りある執筆時間は有効に使っていきたいモノです。

 

                  ◆

 

 時間に頼らず『書けない』を解決したい。

 これがこれから考えていかなくてはならない問題。

 

 『書けない』…これはヴィジョンの無さが起こすような問題であるような気もします。

 どういう作品を執筆したいか?これに対する解像度の低さ。それが『書けない』を引き起こすのです。

 

 となると。

 プロット立てをするのが安易な解決であるのかな、と思います。

 しかし。プロットさえ思いつかない瞬間がある…特に書けない時は尚更。

 そこにプロット立てろよ、と言われても。釈迦に説法式のクソアドバイスなような気がします。

 

 では。どうすれば良いか?

 私が考えつくのは。まずは1シーンを組み立ててみよう、という解決法。

 全体の流れを思いつかなくても。とりあえず自分が書きたいシーンを組み立てる。

 物語の始まりでも終わりでも中間でも良い。キーになる瞬間が思い着ければ儲けものです。

 そいつを軸にして。とりあえず執筆してみましょう。

 それが思いつかないのであれば。一旦執筆環境から離れてみましょう。

 そしてコーヒーでも飲んでリラックスしましょう。

 書かなくては、という義務感から離れるのです。

 義務感に駆動させられた執筆はあまりよろしい結果を産みません。

 書けたとしても。後で冷静に見直してみれば。リライトをしたくなる出来のモノしか書けません。

 

 もし。シーンが浮かばないのであれば。

 登場人物を創り上げるのも良いかもしれません。

 特に一人称で書いてる作者様にはオススメしたい解決法。

 物語は。キャラクタによって駆動させられるモノです。

 キャラクタの解像度の低さ。これも『書けない』を引き起こします。

 貴方のキャラクタはどんなヤツ?これを考え込んでいけば。

 必ずモノローグが完成するはずです。

 それを軸に物語を書き始めるのです。

 

 また。キャラクタもシーンも思い浮かばねえよ!という方もいらっしゃるでしょう。

 こういう場合はどうすれば良いか?

 コンセプトを決めてしまいましょう。

 物語を使って、何を表現したいか?ここから考えてみるのも一手です。

 コンセプトがありさえすれば。それを表現するためにはシーンとキャラクタが必要で。そこから逆算して考えていけば良いのです。

 これは結構、難易度高めです。

 余裕のある時にオススメしたい解決方であります。

 

 …と。

 とりあえず思いつく解決方は以上です。

 しかし。これは割と冷静にならなければ思いつかない可能性があります。

 昨日の私のように。

 もっと早急に効く処方箋を編み出さねばなるまいて。

 

                  ◆

 

 シーンもキャラクタもコンセプトも思いつかねえ…

 今、貴方あなたは大いに焦っているはずです。

 書かなくていけない。時間は余ってない。執筆時間は限られている…

 こういう時にどうすれば良いか?

 これを私と一緒に考えていきましょう。

 

 諦められるのは精神的に余裕があるか、もしくは絶望しきっている時だけです。

 その中間の状態の時の対処法を考えていきましょう…

 

 古人の遺した言葉に。急がば回れ、という言葉があります。

 これは冷静になることを呼びかけた言葉だと私は思います。

 …そう。冷静になりましょう。

 まったく『書けない』貴方は焦っているでしょうが。こういう時こそ冷静であるべきです。

 

 いったん、深呼吸。

 冷静になりましたでしょうか?

 さあ。どうするか考えていくのですが。

 貴方はシーン、キャラクタ、コンセプト…この3点に手をつけられない状態です。

 これは一見詰んでしまっているように思えるのですが。

 コイツをどうにかしたい。早急に。

 では。どうするか?

 

 貴方が長編に手をつけているのなら。自作を読み返す事をオススメします。

 自分がどのような物語を書いてきたか?これを振り返るのです。

 …早急な解決法になっていないって?言ったじゃないですか。急がば回れ。古人の教えを無駄にしてはいけません。貴方は冷静さを失っている。ただ。書こうという思いばかりが先行している。

 物語を見返す事で。

 貴方がどういうキャラクタを創り、どういうシーンを組み立てて、どういうコンセプトのもと書いていたか?出来るだけ客観的に振り返るのです。

 そうすれば。運が良ければ、続きを書こうという欲求が生まれてくるかもしれません。

 

 また。短編を書いている貴方。今までの作品を振り返ってみましょう。

 時間が勿体ないって?いいや。しつこいようですが。急がば回れ。書けない事に焦るだけの時間と、自分の執筆を振り返る行為を天秤にかけてみて下さい。振り返りの時間の方が価値があることに気付くはずです。

 これまた運が良ければ。自分が書いていない領域を発見出来る可能性があります。

 

                  ◆


 さて。ここまで読んできて下さって。尚、執筆に戻れない貴方。

 そうですか。まだ書けませんか。

 昨日の僕と一緒だ。苦しいですね。

 …諦めちゃいなさいよ。これが一番安易な解決です。

 書けない時は。書ける状況ではないのです。

 しかし。貴方は私と違って忙しい。

 んじゃあ?どうすんべ?これを最後に考えてみましょうか。

 

 自身の執筆を振り返ろうが。何も発見が出来ない。

 これは完全にエンプティ状態である事を示します。

 一般的な解決法は、インプットをする事です。

 長編を書いているなら資料が少なからずあるでしょう。

 自身が創った設定集であったり、参考図書であったり。

 それを読み返しましょう。自身の思考に穴があれば。何かしらの発見があるはずです。

 短編を書いている貴方は。自身以外の作品を読んでみましょう。何かしらの発見をする事になります。

 

 …そんなまどろっこしい事してられるか!

 ええ。そういう声もありましょう。

 んじゃあ。を提案しましょう。

 これが私の思いつく最後の手段になります。

 

 …実はがその試みです。

 即ち。

 エッセイ一個でっち上げられます。

 素材が駄目なら道具を当たれ。これが私の最後の手段になります。

 ここまでやってきて。自身の創作法を振り返る事で。書けるパターンを見つけ出せました。

 これは究極の気分転換でもあります。

 書けない時って、『書けない』って感情に支配されてしまうでしょう?

 そして。『書けない』って感情は自らをみじめにします。

 惨めな気分になってはいけません。そのまま書けない人に転落してしまう可能性があるから。

 

 そんな感情に支配されてしまう位なら。

 『書けない』って状況をネタにしてしまうべきです。

 自らの執筆をネタにする事に抵抗がある人にはオススメ出来ない方法ではありますが、私のような何でもネタにしてしまう人間にとってはなかなか面白い試みになりました。

 

 さあ。これを読んでいる『書けない』皆さん。

 自分の執筆を振り返りましょう。自分のノウハウを言語化しましょう。

 何か発見があるはずです。

 それを武器に次の執筆へ向かいましょう。

 書き続けなくては。作品はできません。

 書き続けなくては。惨めなままです。

 

                  ◆

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『書けなかった昨日の自分がやるべきだった事』 小田舵木 @odakajiki

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