ある少女の末路について

長い紐

ある少女の末路について

 そこは人間がほとんどいない、妖怪たちが地上を蹂躙跋扈した世界。


 とある集落に、氷でできたお地蔵様がある。

 微笑みを浮かべていて、たいそう人間に似せている顔立ちから、これはその昔、この世を悼む巫女がみずから氷漬けとなり人身御供を行った姿なのだと、伝説が残っていた。


 その集落の最後の人間を殺した妖怪は炎を自在に扱う能力を持っていた。

 自分がいま殺したジジイの与太話が思いのほか面白かったのか、彼は自分の炎の能力を使い、地蔵を溶かし始めた。溶けてなくなるかと思いきや、中から柔肌が姿を現した。

全身の氷がなくなってきた頃、元地蔵菩薩は薄目を開けて、「たすけて」と確かに言葉を口にした。


 氷の地蔵菩薩の中には人間がいた。

 伝説は現実だった。


 面白がった炎の妖怪は、数百年氷漬けにさせられていた人間に鎖つきの首輪をつけ、愛玩動物として飼い始めた。



 氷漬けから解放された女の子は徐々に、本当に少しずつ、自我が覚醒していった。

 そして少しずつ気づいていった。


 自分がいた頃よりもう人間はずいぶんと減っていて、この世は妖怪が支配していること。食料か、愛玩動物、玩具のような扱いしかされていないということ。自分がいた世の頃の、家畜や犬、猫と同じか、それ以下だということ。言葉もずいぶん変わっていること。


 彼女は、目覚める前、氷漬けにされる前の記憶が一切なかった。

 ただ何もない心の中には、生きたい、という気持ちだけがあった。


 幸いにも自分の主人である妖怪は命にかかわるような危険なことを「まだ」自分に及ぼしていない。愛玩動物なので、服はもらえないが、首輪はある。

 そして私にはまだ『人間性』がある。

 この世でなくなってしまった性を、私はまだ持っている。


 死んではならない。

 せっかく生き返ったのだ、死んでたまるか。


 その欲望だけが彼女を奮い立たせていた。

 まだ彼女は『妖怪性』というものがわかっていなかった。




 ある日、髪も生え、立つこと、歩くこと、ものを持つだけの体力が戻った頃、主人である炎の妖怪は何かを(喋っている言葉がわからない)女の子に言った。

 へら、と歪な笑みを浮かべた彼女の反応に満足した彼は、首輪についた鎖を引っ張り、彼女を仲間の元に連れて行った。


 彼は仲間たちに何かを語りかけている。

 彼はこの妖怪たちの『頭領』のような立場なのだろうか。

 女の子が多くの妖怪たちの存在に怖気だっていた時、首輪の鎖がじゃらんと鳴って、女の子の首を吊りあげた。主人が引っ張り上げたのだ。


 苦しくて、短い息をもらしよだれを垂らしながら、女の子は遠くに歓声のようなものを聞いている。主人が何かを話している。だんだん息ができなくなってきた。

 気が遠くなりそうな中で、女の子は主人の顔を見た。

 主人は女の子へ無邪気な笑顔を向けた。

 女の子はへら、とまた笑い、そして気を失った。



 次に目覚めたとき、そこは大きな洞窟の中だった。

 顔を叩く強い衝撃で目覚めた女の子は目を見開いた。

 妖怪たち喋る言葉に耳を傾き続けた女の子は、少しだけわかる言葉がまじっていることに気づいた。


「タカラ」「ワナ」


 宝、罠・・・・・?

 すぐさま女の子が自分がどのような目に合うかが想像ついた。


 罠の確認をきっと私にさせるのだ。

『愛玩動物』などという言葉で自分をごまかしていたが、違う、まぎれもなく私は奴隷だ。彼らの奴隷なのだ。

 先を歩かせ、罠の有無を確認し、私の死体の上を彼らは歩くのだ。


 死にたくない。


 女の子は体を震わせ、股からは暖かい液体がこぼれ出た。

 主人は少しだけ嫌な顔をして、鎖を引っ張り、女の子を容赦なく歩かせた。




 第一の部屋は灼熱の部屋だった。

 女の子は部屋へ投げ込まれた。

 床は鉄板のようで、転げたときに触れた体の左側はジュ―――と嫌な音を立て、

 嫌な臭いがした。あまりの痛みに慌てて女の子は立ち上がろうとするも、体の左側は溶けて張り付いていて、手をつけば手の平が溶けてくっついた。

 痛みに狂いそうになりながら、鉄板のような床に引っ付いた皮をそのままに、肉をむき出しにしながら女の子は立ち上がった。


 その部屋では呼吸もままらなかった。一口吸えば食道が焼けた。臓腑も焼けた。だから口を押さえて進むしかなかった。それでも意味はなかったが、ないよりはマシだった。


 進むにつれて、足の裏の皮膚はとうに置いてきていたので、むき出しの肉のまま歩くしかなかった。激痛は都度脳天を突き抜けた。妖怪たちはまるで美味しい肉がやける匂いを楽しむかのような様子だった。主人は機嫌の悪い顔をしていた。

 妖怪の数人が何かを主人に言ったら、その者たちは主人の炎で燃やされた。(死んだら食わせろ、等とでも言ったのだろうか)


 死にたくない

 死にたくない


 自分の焼ける匂い、吐き気がこみ上げる。というかそのまま嘔吐した。

 焼けた食道が痛むも、出したものはすぐ蒸発した。

 気が狂いそうな痛み、まるで針千本の上を歩いてるようだった。


 それでも女の子は出口にたどりついた。

 後ろから妖怪たちはひとっとびで女の子がいる地点にきた。

 中には床に足をつけて女の子の真似をするものもいた。


 その時女の子は悟った。

 彼らにとってこんなのは罠でもなんでもない。

 ただ余興、なのだ。と。




 第二の部屋は毒の泉だった。

 ぼこぼこ沸騰するどす黒い中に紫色の反射を見せる泉。

 その上にかろうじて乗っている蓮の上を渡っていかなければいけない。


 ぼこぼこが弾けた際に飛んできた毒が、女の子の腕にはねた。その瞬間、女の子の腕の跳ねた部分だけが溶け、骨があらわになった。あまりの痛みに女の子は気を失いそうになったが、妖怪たちの爆笑の嵐の声で一瞬で気を立て直した。


 なんだこれは?これはヒトの腕か?


 背中を押され、行く手を促される。呼吸はしてはいけない。先程毒のガスをひと吸いした途端目がぐるりを後ろに回ったのだ。

 女の子は蓮の上を慎重に動いた。

 しかし最初の蓮に載ったとき、女の子は気づいた。


 沈んでいっている。


 これはのんびりいってられない。

 女の子は慌てて次の蓮を飛び乗ろうとするが、バランスが定まらない。

 立てばその部分が強く沈んでいく。女の子は半ば狂気的に叫びながら次の蓮へ乗り移った。

 沈む前に、沈む前に、乗り移ればいいのだ。


 死にたくない。

 死にたくない。


 なんとか出口まで女の子はきた。

 しかし両の足はところどころ溶け、綺麗に骨を見せていた。

 毒がはねたのは足だけではなく、脇腹や胸や頬にも跳ねていた。

 肉を溶かし骨を見せていた。


 私はまだ生きているだろうか?


 妖怪たちはまたひとっとびで女の子と同じ地点にきた。

 中には仲間を毒の泉に押しやるものもいた。

 溺れ溶けていく仲間を見ながらそいつらは大笑いをしていた。


 私はまだ歩けるのだろうか。

 立てない。立てない。


 むき出しになった骨と感じたことのない痛みで女の子は倒れ込んでいた。

 主人は仕方なさげに首輪の鎖を引っ張って、次の部屋へ女の子を引きずっていった。





 第三の部屋は極寒の部屋だった。

 部屋の中だというのに猛吹雪がふいていた。

 またも押し出された女の子は、四つん這いで着地した。口を開けたらおしまいだ。舌が凍って砕けるだろう。女の子は歯を食いしばった。

 でも、もう二足歩行で立つことはできなかった。


 極寒の部屋の床は、冷たくて冷たくて、冷たいを通りすぎて熱くて、

 一番最初の部屋を思い出した。床に触れた手のひらは、どんどん氷ついて、指は壊死してボロボロに取れていった。

 膝はくっついてはがれない。それでも女の子は進まなければいけなかった。


 死にたくない。

 死にたくない。


 立てなかったはずのは足は、この極寒の中凍り付いたおかげて、痛みを逆に感じなくさせた。

 女の子はまた立ち上がって歩き出した。

 足の裏は第一の部屋とっくに皮がなくなっていたので、簡単に凍り付き、指は壊死し、手と同じくボロボロに取れていった。

 そうなると不思議なもので、人間は指がなくなるとどうやら立っていられなくなるらしい。前のめりに倒れた女の子は、指の無い手足を虫のように動かし、なんとか出口までたどり着いた。

 そこまでいくのに、女の子は膝の骨はむき出しになり、手首から先と足首から先がボロボロと取れていた。

 凍り付いた髪の毛はぱらぱらと吹雪に散って、すっかり元の地蔵のようになってしまった。



 私はまだ人間だろうか。

 私はまだ人間の形を保っているだろうか。



 妖怪たちはまたひとっとびで女の子のいる地点についた。

 中には極寒の部屋に仲間を押し出して、氷漬けになった仲間を砕いて遊ぶやつらもいた。

 主人は笑いながら女の子を見ていた。

 女の子は気が遠くなってきた。


 気が遠くなる中、

 彼女は思い出した。


 自分が氷漬けになった日のことを。





 数百年も前、私は普通の人間のこどもだった。

 まだそのころは人間もたくさんいて、妖怪に対抗する人間もいた。

 私のうちは貧乏で、病気のおっかさんをかかえてた。

 ある日おっかさんの病気が悪化して、このままでは死んでしまうと思った私は

 村から一番近い寺院へ向かった。寺院にならきっとお薬がある。

 おっかさんをなんとかしてくれる。


 そのころ、周辺の集落は毎日吹雪がふいていた。

 このあたり一帯を牛耳りたい吹雪の妖怪がいたのだ。


 私は吹雪の中を進んで、進んで、

 何度も倒れそうになって、凍えて死にそうになりがら、

 なんとか寺院の門前に倒れこんだ。


 そしたら寺院の前を妖怪が通った。

 妖怪は私に話しかけた。


「この寺院を襲いたいが、結界のせいで手が出せない。お前、この寺院に入るのか?」


 私はあまりの恐ろしさに震えていたが、答えなければ妖怪が手に持つ大きな金棒でたたき殺されるに違いないと思い、震えながらうなずいた。


「そうか。おれはいつもならおまえくらいのこどもが大好物なんだか、このような機会もあるまい。この石を懐に入れておけ。そしてこの寺院に入るのだ」


 そう言って大きな金棒を持った妖怪は私に真っ黒な石を渡した。そしてどすどすと音を立てて去っていた。


 それがどういうものはわからなかった。

 それがどういうものか、わからないフリをした。


 私は寺院の門戸を叩いた。何度も何度も叩いて、ようやく重い扉が開いた。

 手も足もかじかんで、いまにも心の臓が凍ってしまいそうだった。

 迎え入れられたそこは、まるで天国だった。

 暖かい空気、暖かい人たち、温かい食べ物、温かい湯舟。

 外がまるで嘘のような、あたたかい空間だった。

 信徒の人が、私に笑顔で毛布をくるめながら、


「寒かったでしょう。もう大丈夫」


 ほかほかのおまんじゅうを食べさせてくれた。


「おいしい?」


 私はうんうんうなずいた。まんじゅうが喉につまりそうなほど頬張った。


「次は体を芯からあたためましょうね」


 そう言って湯舟に入れてくれた。


(あたたかい。こんなにあたたかいのははじめて。)


 遠くから悲鳴が聞こえた。


「何かしら、様子を見てくるから、ここにいて」


(私のうちは、貧乏で、火を焚く薪にも困ってて、)


 遠くから何かが破壊されている音がする。


(おっかさんも、寒さで病気が悪化した)


 悲鳴がどんどん多くなる。男の人、女の人。こどもの声。


(でも少しだけ、ほんの少しだけ。もう少しだけ)


 血なまぐさいような、鉄くさが鼻孔をくすぐる。


(おっかさんのことなんか忘れて、このあたたかさにつかっていたい)


 目の前のお湯にバチャン!っと何かが飛び込んできた。

 着物の柄からすると、先ほど私をお湯に入れてくれた人の腕だった。

 せっかくのお湯がどんどん赤く染まっていく。


 掻き出さなきゃ!

 お湯がもったいない!


 どんどん染まるお湯を掻き出していると、

 目の前に大きな影が現れた。


 門前で見た大きな金棒を持った妖怪だった。


「よう。お前のおかげで中に入れた。ありがとよ」


 私はへら、と笑った。殺さないで、いてくれる?


「ああ、礼にお前は食わないでおいてやる。その代わり、氷漬けにしてやる。嬉しいだろう?」


 私は、私は


「ほうら、お頭のお出ましだ。吹雪をあやつる大妖怪よ」


 すさまじい風が自分を吹き付けた。ぴき、ぴき、と肌が凍っていく。

 髪の毛はすべて砕けた。

 体の表面はあっというまに、すべて凍り付いた。

 私は、へら、と笑った。





 身体の痛みで目を覚ました。

 目の前には主人の顔があった。

 ぼろきれを見るような顔だった。


 私は、まだ、ヒトの形を保っているだろうか。


 主人は鎖を手放して、まわりの妖怪に何か言った。

 妖怪たちはいっぴき、にひき、と私に寄ってたかってくる。


 腕をちぎられた。


 丁寧に毒の泉がかかった部分はより分けて、肉を食べている。


 足をちぎられた。


 骨が見えてる部分から肉をはがして、少しあぶってから食べている。


 そうか、これが報い。

 天国に、地獄を引き入れた。その報い。



 私は、ただの貧乏な少女だった。

 私は、氷漬けにされた少女だった。

 私は、人身御供の巫女にされ、

 私は、その後妖怪の奴隷となり、


 私は、いま妖怪の食料となった。


 それが私の一生。


 もう、何も考えなくて済む。

 やっと終われる安堵感に、私は体をむさぼられながら、

 へら、と笑った。









 おわり

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