十五夜 2023
磐長怜(いわなが れい)
十五夜 2023
やぁ、そこのあんた。そう、あんただよ。
そんなに急いで、下をむいて、どこへ行くんだい?
心配ごとでもあるのかい?
今夜は満月だよ。
ひやおろしがあるから、月見がてら一口飲んで行かないか。
提灯の一つくらい貸してやるからさ。
暑さ寒さも彼岸まで。
きっぱりこれで秋が来たじゃないか。
ほら、あんたの熱を持ってたふくらはぎ。
立ち止まったら……そら、もう冷えている。
座んな。冷やでも体はあったまるもんだ。
引き止めた詫びにいいことを教えてやるよ
もう暗くって見えやしないが、道中、彼岸花が咲いてたろう。
あれは「いいの」と「悪いの」があるのさ……人間にとってはね。
良いのは人間に生気を与える。
悪いのは人間の生気を吸い取る。
あんたが信じるかどうか勝手なことだがね、本当のことさ。
そうじゃなきゃ、寂しくってあんなに並んで咲いてるとでも思うのかい?
人間よか よほど花のほうが立派に立ってるよ。
人間は図体ばかりでかくて寂しがりやで、いけないねぇ。
「『人間にとっては?』」と来たか。
お前さんなら聞くと思ったよ。
そんなら特別に教えてやろう。
――
ああ、ほら。そんな顔はよくないね。
知らないことを低く見積もると、後がこわいよ。
悪いようにはしないと言ったろう。
なに、とって喰おうってんじゃなし、酒もまだある。聞いていきな。
お前さんは山向こうにある
こんなうらぶれた茶屋にかかずらっちゃいられない。
夕暮れからこっち人っ子ひとり見かけない。
山賊も出る道だ。命は惜しい。
雲がかって月も隠れがちと来たもんだ。
だからさっきから落ち着かないんだろう。
それとも何か、連れ合いと約束でもしてるのかね。
恋しい相手のためなら山一つ、日をまたぐまでに越えるなんてわけないかい?
飛脚ならともかく、あんたの足じゃどだい無理な話さ。
さ、ぐい呑みの酒も回ったころだ。
お人よしなお前さんに褒美をあげよう。
さあ、この手を取りな。
荷物もしっかり持つんだよ。
そらっ!
ははっ浮いた浮いた!
月の酒はやっぱり効きがいい。
どんどんこのまま上がるよ、腰を抜かすなんて面倒はやめとくれ。
後々夢にしたっていいけども、今この時見える景色は本物だ。
忘れちゃならないよ。
屋根を越えて、ふもとの木を越えて、もうあんたが越えようとした山のてっぺんさえ越えるよ。
……羽衣なんかなくたってその気になりゃあとべるのに、里心ってやつかねぇ……。
ああいや、なんでもないよ。
ほらあんたが行くはずの宿場が見えた。
雲が流れる。
そいでな、もう一つ。
大事なもんを見忘れちゃいけないよ。
ごらん。
月は綺麗か、まんまるか
なにせ十五夜、満月ときた
今宵今晩この月をさかいに、体の芯まで秋めくといい。
人間てぇのはそうやって、感傷的になって季節を越えていくもんだろう?
その寂しいような、嬉しいようなって気持ちばっかりは、長らくここにいてもわからんかったなぁ。
いやいや、こっちの話だ。
さて、高さはこんなもんでいいだろう。
いち、にい、さんで手を離したら、宿までひとっとびだ。
なに落ちるわけじゃない、月の酒は人間にも優しいから安心しな。
さあ腹をくくんなよ?
それ、いち、にい、さん!
ああ、無事についたね。
ちゃんと話してやったのに、
狐につままれた顔してら。
――こんな月でも、あんなお人よしたちが見上げるんなら悪くないのかね……
さて、がらにもない、人助けなんてしちまった。
ぐずぐずしてないで月に帰るか。
あっちは何の心配事もないけれど、どうしてか……たまにここに来たくなる。
こりゃきっとカグヤのせいだね。
今日は満月だから、風が吹きゃ四半刻で帰れるだろう…っと、吹いてきたな。
一部始終を聞いていたどこの誰かも知らぬお前さんも、あるべき場所に帰んな。
十五夜 2023 磐長怜(いわなが れい) @syouhenya
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