【其の二十一】新しい物語の始まり

 ——気がつけば、あたしは小脇に抱えられていた。エンジン音を響かせて、乗用車が目の前を走り去っていく。あ、あっぶなー。あのまま転がっていたら車にひかれていたかも。遅れて身震いする。まだうら若き乙女。五体満足の身体でいたい。


 「大丈夫か?」

「う、うん。ありがと」


 頭上から降ってきた声は、金城くんのものだった。あたしは彼の小脇に抱えられている。おっとこれは、ちょっと恥ずかしいが嬉しくもある。想像していたより彼の身体は少し固く、そして少し冷たい。


 見た目より金城くんはパワーがあるらしい。ゆっくりとあたしの身体が持ち上がる。ローファーの底がアルファルトの砂を噛む。靴は脱げてなかった様だ。反射的にスカートの埃を払い、そして路上に落ちたバッグと文庫本を拾い上げる。




 ——はて?




 何か重要なことを忘れている様な、いない様な。そんな気分が湧き上がる。なんだろう、周囲の空気の匂いが、とても懐かしく感じられる。久しぶりに祖父方の田舎に帰って、そして戻ってきた時のような感覚だ。目の前を黒猫と白猫が通り過ぎる。彼らはあたしの方を見て、にゃーと鳴くとどこかへ行ってしまう。ちっ、もふもふしたかった。


 「もしかして白銀、お前もか?」

「あー、うん。なんかへんな気分」


 気がつけば、金城くんも眉間に皺を寄せている。きょろきょろと周囲を見回すが、別段変わったところは無い。いつもの、放課後の通学路だ。


 「そうか。じゃあ言うわ」

「うん?」

「オレ、お前のこと好きだわ。付き合わない?」

「うん……うーん、え、なにそれ?! どういう展開?」

「いやだから、『お前もか?』って聞いたじゃん。おまえもオレのこと好きなのかなって」

「はっ?」

「うんっていうから、そうかと思ってさ」

「はー」


 それは丸っきり話が噛み合ってませんよ金城くん。噛み合っていないんですが……うーん、ある意味噛み合っているとも言える。大きな括りでは。


 今あたしは鏡が見たい気分で一杯だった。一体どんな表情をしているんだろうか。真っ赤っかなんだろうか。出来るだけ平静を装っているつもりなんだが、それが裏目に出て無表情過ぎるのも困る。それは怖い。


 沈黙。いや正確には周囲は雑踏で結構五月蠅いんだけど、まるっきりそれらの音は入ってこない。あたしの耳は今、金城くんにだけ向けられている。つまり彼は、あたしの返事を待っている。


 うわ。どうする? どうすれば正解なのか。少し焦らして回答を先延ばしにするのが最近のトレンドなんだろうか。がっついている様には見られたくない。おかしい、ゲームならここで三択が出てくるシーンだが。悲しいかな、ここは現実である。自由回答欄の世界だった。


 ——まあ、そうね。あたしは決意する。正直、結論は出ている話だった。ただ、だからこそ答えを現実のものにしてしまうのが怖かった。でも怖がっているばかりでは始まらない。どうか、その先の世界を見に行く勇気を、あたしに。


 あたしはゆっくりと手を伸ばし、金城くんの手を握り締めた。ぎゅっと。ちょっと冷たい手。あたしはほっとする。なぜほっとしたのだろう? 思い出せない。何かが原因で触れあうのが怖かった気がしたが……。


 「……これって、OKってことなのか?」


 金城くんが握られた手を見つめ、そして上目遣いでこちらを見る。いつも年上に見えた彼が、今はちょっと幼く見える。それがたまらなく嬉しくて、あたしは思わずにんまりと笑った。


 「さて、どうでしょう?」

「そうやって焦らすのは良くないと思うんだが」

「焦らしてない焦らしてない。これがあたしの返事……ってこと」

「だから、OKなんだよな?」

「あー、あたしなんだかショートケーキが食べたくなっちゃったわー」

「……この女、マジ酷くない?」


 一拍置いて、あたしとハヤトは笑い合った。握り締められる手と手。よくよく考えたら、下校中の他の生徒たちの見ているど真ん中だった。でも今は、相手のことだけしか見えていなかった。それが答えだった。


 二人は手を握ったまま、緩やかな坂になっている通学路を歩いていく。たわいも無い言葉が輝いて聞こえる。それは新しい世界の始まりだった。










 ——翌日。クラスメイトから散々冷やかされるハメになったのは言うまでも無い。



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魔法の名は「その恋は、けして実らない」 沙崎あやし @s2kayasi

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