シャルトルーズグリーン ~黄緑珊瑚~ ナギコさんの平穏な日常2
澳 加純
第1話
シャルトルーズグリーン……やや黄色がかった緑色のことで、フランスのシャルトルーズ修道院で作られたリキュールの色に由来する。( ウィキペディア参照)
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ある日、突然。ナギコさんはその物体に出会ってしまった。
いつも買い物に行くスーパーで、入り口からすぐの野菜売り場、本日の特売品売り場の片隅だった。
一応、
素早く左右を確認して、少しだけホッとする。
しかし好奇心は抑えられず、引き寄せられるように、ナギコさんの足はその野菜の元に向かっていた。
(たしか、ロマネスコ……とか言ったのよね)
ナギコさんは目を輝かせ、その野菜をじっと見る。
見れば見るほど、それは実に、奇怪な形をした野菜であった。
ロマネスコなる野菜の存在を知ったのは、テレビの情報番組、もしくは料理番組だったかもしれない。そこのところは曖昧なのだが、その形状と名前だけはしっかりと記憶に残っていた。
こんな野菜があったなんて! と、大きな衝撃を受けたからだ。とにかくそのユニークで印象的な姿は、ナギコさんの目に焼き付くのに十分過ぎたのである。
手っ取り早く云えば、カリフラワーの仲間らしい。
(なんだか、サンゴに似ている……ような気もする)
一説では、世界で一番美しい野菜とか云われているのだとか。果たしてそれが本当かどうかは、野菜ソムリエでもなく、加えて主婦歴も浅く知識も乏しいナギコさんには判断しかねてしまう。だが、みずみずしいシャルトルーズグリーンの色合いにはことのほか惹かれた。
惚れ惚れするほど、美しい黄緑色なのだ。仏蘭西の修道院で作られるリキュールと同じ名前の色、それだけでもなんてお洒落なんだろうと感動する。
そろそろと伸ばした手で掴んだロマネスコは、重みがあった。指先で花蕾に触れてみると堅さがあった。
(やっぱりカリフラワーの仲間なのね!)
などと妙に感動していると、ちょうどバックヤードから補充にやって来た野菜売り場担当の店員と目が合う。行きつけのスーパーなので、声を交わしたことはなくとも、その店員が野菜売り場のチーフだということはナギコさんでも知っている。
加えて、彼の目が「奥さん、それ買ってくれるよね」と言っているようにみえた。
ベテラン主婦ほどの根性がないナギコさんとしては、期待の視線が注がれているのを無視してまで、手にしている商品を陳列棚に戻すほどの勇気は無い。
中途半端な笑みを浮かべたままロマネスコの一房を買い物かごの中に入れ、そそくさとその場を立ち去ったのだった。
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ロマネスコ
帰宅したナギコさんは、保冷バックの中からロマネスコを取り出すと、冷蔵庫の前で小さなため息をついていた。成り行きで購入してしまったのは仕方ないとして、未知の野菜であるから、
目の覚めるような美しい黄緑色の野菜だというのに、調理法に手をこまねいていては、食す前に腐らせてしまう。それはなんとしても避けたいので、冷蔵庫の前で座り込んだまま、スマホでネット検索に乗り出し調理法を捜すことにした。
すると意外と簡単に美味しく食べられると知り、ナギコさんは胸をなで下ろす。しかも冷蔵庫の残り物やストックしてある品で、メニューは組み立てられる。料理はまだまだ得意とは云えない腕前ではあるが、目新しい献立で夫を喜ばせようと、ナギコさんの気持ちは浮き立ったのであった。
そして、唐突に「絵を描こう!」と思ったのだ。
ナギコさんの趣味は、「絵を描くこと」である。
人と接することが苦手なナギコさんだが、子供の頃から絵を描くことは好きで、おしゃべりするよりクレヨンや色鉛筆を動かしていたタイプであった。心躍ることがあると、突然絵を描きたくなる衝動は、今も昔も抑えることができない。
もうひとつ。上機嫌だと、鼻歌が飛び出す。
鼻歌のメロディに乗って買って来た食材を冷蔵庫に収めると、ナギコさんはダイニングテーブルの上にスケッチブックを置いた。宝物のステッドラーの36色の色鉛筆も取り出す。
もちろん、今日の課題はロマネスコだ。
まずはデッサンからと、おおよその形状である円をザッと描いてみる。そこから特徴である尖った花蕾を描き込んでいこうとするのだが、なかなか上手くいかない。バランスが上手く取れないのだ。
第一印象であるサンゴをイメージしつつ描こうとするのだが、ナギコさんにはロマネスコの渦巻く尖った花蕾が、次第にピラミッドの集合体のように見えてきた。そこで今度は大小の四角錐をつなげて形成していこうと思うのだが、これも微妙に違うような気がする。
底が四角なのがいけないのだろうか? と今度は円錐形で挑戦してみるのだが、紙面に展開された絵図は、どう見てもロマネスコには見えない。
ナギコさんは頭を捻った。鼻歌も止まってしまう。
そうだ、花蕾は渦を巻いているのよ。渦巻き模様にすればいいのよ。ナギコさんは光明を見出して、再び手を動かし始める。よく観れば花蕾のひとかたまりも渦巻きなのだが、それを構成する一房も渦を巻いているのだ。
(……こ、これがフラクタルとか云う構造なのかしら? 見れば見るほど不思議だわ!)
鼻歌が再開された。ナギコさんは、ロマネスコという野菜がどんどん好きになっていた。
しかし野菜である以上、その姿形が好きだけでは仕方ない。まだ食したことはないので正確なところは分からないのだが、ネット検索で得た情報に寄れば、味はブロッコリーに近く食感はカリフラワーに似ているのだとか。
煮ても焼いても炒めてもよしの万能野菜、しかもビタミンCの含有量は野菜の中でもトップクラス。日本では目新しいが、本家ヨーロッパでは古くから愛されてきたのだそうな。
反面、かつては形の奇っ怪さから「悪魔の野菜」とも言われた――とも。
ロマネスコには申し訳ないが、その意見には少し同意してしまう。とても活き活きとした黄緑色だというのに、このボツボツの集合体は妙ちきりん過ぎるのよ、とナギコさんはうなずいた。おそらくイナゴや蜂の子、なまこやホヤを初めて食べた人間と同じくらい勇気を持った人物が、この野菜を食べてみようとしたに違いない、とも考えてしまう。
せめてもの救いは、このきれいな黄緑色よね。ナギコさんの口元が緩む。
と、ここでナギコさんの手が止まった。ナギコさんの宝物であるステッドラー36色の色鉛筆セットには、黄緑色はあるのだが、シャルトルーズグリーンという名の色鉛筆はないのである。もちろん黄緑色はある。ウィローグリーンだ。
一般的にウィローグリーンというと、柳の若芽のようなくすんだ黄緑色を差すのだが、ナギコさんのものは芝生の若葉を思わせる色だ。
しかしロマネスコの魅力は、同じ黄緑色でもシャルトルーズグリーンだと確信しているナギコさんにとって、これは一大事であった。手持ちのウィローグリーンでは、気分的に違うのだ。
そうよ、この色が嫌いなわけじゃないのよ。でも、なんとなく違うの。
他人からみれば些細な違和感でも、ナギコさんには重大な違和感であった。このままでは絵が完成しなくなってしまう。そのくらいの大事なのだ。
同じ緑色の系列でも、サップグリーンでは緑色が濃くなり過ぎてしまうし、オリーブグリーンではもはや黄緑色ではない。
ここはやはりウィローグリーンで妥協するしかないわ。そうだ、混色や重ね塗りをしてシャルトルーズグリーンに近づければいいのよ!
いいことを思いついたと、ナギコさんはニンマリする。が、どうすれば理想とする黄緑色を作成できるのか、すぐには思い当たらない。
実際に色を混ぜ、探ってみることにした。
まずはウィローグリーンにライトイエローを重ねてみる。すると黄緑色の中の
あら、こっちの方が、
ロマネスコはカリフラワーの仲間だという。カリフラワーと言えば、馴染み深いのはこんもりとした形状で花蕾の色はアイボリーホワイトであるが、昨今カラフルなオレンジ色や紫色のものもスーパーでよく見かけるようになった。
だとしたら、ブロッコリーとカリフラワーの掛け合わせであるロマネスコも、黄緑色以外の品種もあるのだろうか? と云うことである。
忙しく色鉛筆を動かしながら、ナギコさんは考える。
カリフラワーにあるのなら、ロマネスコにあったとしても不公平じゃないわよね。と思ったのだが、さすがにこの姿形でオレンジ色だの紫色だのでは、食欲がわかないかもしれないとも思えた。黄緑色でさえ、「悪魔の野菜」と言われたほどなのだから。
鼻歌を続けながら、色鉛筆を持ち替える。
トマトのような赤色なら……とも思ったが、かえって毒々しさが増しそうだ。ジャガイモのような茶色なら安心感が湧くのだろうかとも考えたが、茶色のロマネスコはナギコさんには爆弾を連想させた。物騒よね、とこれも却下である。
安パイの白色では、カリフラワーと大差ない。ダメね。
ナギコさんの手は、次の色鉛筆へと伸びる。
やっぱり黄緑色――シャルトルーズグリーンよ! と結論が出たところで、ふと時計に目をやると、すでに6時を回っていた。夫の帰宅時間が迫っているではないか。
これは大変! とナギコさんは慌てて夕食の準備に取りかかったのである。
* * * *
その日。ナギコさんの夫ショウさんは、帰宅するなり、妻から不可思議な絵を見せられた。
夕餉の材料を描いたものだという。
速攻、ショウさんは眉間にしわを寄せることになる。
例によって例のごとく。妻の作品は「かなり前衛的」な作風であり、ショウさんの理解の斜め上をいく。だから「これな~んだ?」と問われても、咄嗟には答えられないのである。
その上「ヒントは野菜」とか言われても、ショウさんは野菜が嫌いだ。妻ナギコさん以上に野菜についての興味も知識も無かったから、それはヒントにはならなかった。
そうなると妻の描いた「大胆で奔放すぎる」作品から、どうにかして答えを導かなければならない。かわいい妻からの挑戦状は受けて立たねばと、変なところで負けず嫌いが顔を出すショウさんなのである。
さて。紙面には黄緑色の大小の
ショウさんは脳内をフル回転させ、条件に合いそうな野菜を必死で考えた。
大根、芋、まさかキュウリ……もしかしたらホウレンソウ、と候補を挙げては却下を繰り返す。
実生活ではおっとりおとなしいナギコさんだが、創作活動となると、なぜか人が変わる。常識にとらわれない感覚で物体を把握し、気分のむくままに再構築して表現する癖があるのは承知していた。色使いも、独特でユニークな選択をするから、配色を鵜呑みにしてはいけないのも知っていた。
紙面に描かれた、法則性の無い、色とりどりの
謎は深まるばかりである。
目を輝かせて回答を待つ妻を喜ばせようとショウさんは努力した。だが、どうしても正解には辿り着けそうに無い。やはり絵心の無い自分では妻の作品は理解できないのだろうと、白旗を揚げることにした。
案の定、「ロマネスコ」と云う答えを聞いてもピンと来ない。そんな野菜の名前など初耳だ。
夕餉のメニューはペペロンチーノにツナマヨサラダ、それに野菜のスープであったが、それのどれもに奇妙な形の緑黄色野菜が入っていた。おそらく、これこそが「今日の傑作」のモチーフだったのだろう。絵にあった三角形は黄緑色のものが多かったから、間違いない。
ただ野菜嫌いのショウさんとしては、未知の野菜の正体がわかったからといって、緑色の食材に対して食欲を感じられるものでも無かった。
が、果敢に料理に励む妻の努力は無にしてはいけないと思っていたし、「今日の傑作」をきちんと理解してあげられなかった手前もあり、尖った「悪魔の野菜」を黙ってフォークで突き刺し口に運ぶ。
ショウさんが覚悟していた青臭さはなかったが、コリコリとした歯ごたえがある。「悪魔」ほどではないが「奇妙」な野菜で、受け付けない程でもないが、やっぱり青物が苦手であることは返上できそうにない。
それでも新作メニューの出来に得意満面の妻ナギコさんを見ると、苦手な
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ロマネスコ(伊: Broccolo Romanesco)……アブラナ科アブラナ属の一年生植物。カリフラワーの一種。フラクタル形態のつぼみが特徴の野菜。( ウィキペディア参照)
ヨーロッパ発祥、味はブロッコリーに近くて食感はカリフラワーみたいな(←個人の感想)ロマネスコ。11~4月上旬が旬の野菜です。
「黄緑珊瑚」はロマネスコの別名。言い得て妙、ですね。他にも「カリッコリー」とか。
作中では「悪魔の野菜」と書きましたが、「世界一美しい野菜」とも云われています。なににしてもビジュアルのインパクトは絶大。
ぜひ、食してみてください。
シャルトルーズグリーン ~黄緑珊瑚~ ナギコさんの平穏な日常2 澳 加純 @Leslie24M
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