運命線とぼくらの旅

紫陽_凛

ハサミで糸を切る

 ぼくが「ハサミを使ってみよう」と思いついたのは家庭科の授業の時だった。白い糸を糸切り鋏でちょきんとやるときに、天から雷がドーンと落っこちてきたみたいに、閃いたのだった。


 生まれた時から、ぼくらの左手の小指には赤い糸が結ばれていて、取れなくて、不思議とどこかへ繋がっている。そういうことになっている。それを辿っていくと、「つがい」に会うことができる。つがいっていうのは、将来結婚する相手のこと。ぼくのつがいは隣のクラスのしいちゃんなんだけれど、ぼくはさほどしいちゃんのことを好きではない。好きではない、を通り越して、どうでもいい。


 たぶん、つがいでさえなければ、意識すらしないような子だ。


 ぼくは別にしいちゃんに不満もなければ期待もしていなくて、それってしいちゃんに対してかえってフセイジツなんじゃないかと思う。ほかのつがい同士のみんなはイチャイチャしたりラブラブしたりお互いの消しゴムにお互いの名前をサインして使ったりしているのだけど、しいちゃんとぼくのあいだにそういうことは一切なかった。

 たぶんしいちゃんもぼくに興味はないのだろう。

 だからぼくは、とにかくハサミを使ってみることにしたのだ。この小指に繋がっている長い長い糸に。



 赤い糸は切れないらしいのだが、案外あっさりとそれはぷっつり切れてしまった。生まれた時からつながっていたしいちゃんは、この日この時を境に全くの他人になる。しいちゃんは気づくだろうか。


 まあとにかく、切れるものは切れた。と、そこでぼくははたと思い当たる。ぼくはいまこの瞬間につがいをなくしたのだ。この先、ぼくがおとなになっても奥さんがいないのは困る。多分、困るだろう。

 僕は慌ててしいちゃんの切れた糸を探す。元のように結び直せばまだイケるのかなって。だけど、糸はもうどこかに消えてしまった。しいちゃんは家に帰ったのかもしれない。もう放課後だから。



 ぼくは「これからどうしよう」とばかり考える。これを「とほうに暮れる」と言うらしい。

 ランドセルが重たいばっかりで、どうしようもないな、と思いながら誰かと誰かと誰かの赤い糸を跨ぎ越す。誰かの赤い糸を潜り抜ける。赤い糸が宙でもつれているときはたまに解いてやったりする。ぼくはやさしい。別に、他人の赤い糸が僕の体にカンショーするわけではないのだが。赤い糸っていうのは本当は体を通り抜ける光みたいなもので、ハサミでチョッキンできるはずじゃなかったのになぁ。


 厳密には「運命線」と呼ばれているそれが、ぼくらの未来を決定するらしい。えらいひとが言うには、「今つながっていること」自体が大切なのだという。ぼくはしいちゃんの横顔を思い出す。もうつながってないのに。

 そうしてとぼとぼ歩いていると、ぼくはしくしく泣いてるしいちゃんに出っくわす。


「なにしてんの?」


 何してるの、だなんて見ればわかる、泣いてるのだ。しいちゃんは分厚いメガネを外してしきりに涙を拭う。メガネを外そうが外すまいがしいちゃんはしいちゃんの顔をしており、そこに意外な発見は全くなかった、強いて言えば、泣きぼくろがフレームのかげに隠れていた。しいちゃんは泣きぼくろのある顔で、くしゃくしゃに顔を歪めた。

「運命線が切れてるのに気づいて……」

「あっごめん」

「違うの!」


 しいちゃんは水色のランドセルを揺らしてかぶりをふった。ぼくはちょっとだけ傷つく。


「──切れてるのに気づいたから、あって思ったら、変なおじさんが、それ見て、にやにやして、私の運命線とおじさんの運命線とを結んじゃったの。それが、解けなくなっちゃった!」

「え、ええーっ!?」

「どうしよう」


 しいちゃんは足元に伸びている運命線、赤い糸を指差した。確かにそれはぎゅっと誰かのものと結び直されていた。これは確かにぼくにも責任のイッタンがある。


「えっと、ハサミで切ってみる?」


 僕はしいちゃんと僕を分けた時の糸切り鋏を取り出した。

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