大樺斑

雨瀬くらげ

大樺斑

 【憧れの人】から貰った虫籠が私の前にあった。


 前面コンクリートの正方形の部屋で、南側の壁にある鉄格子から入り込む微弱な日光がその虫籠を照らしていた。


 まるで私に残っている力のような、その光は虫籠の中にいるオオカバマダラを【憧れの人】の所へ連れて行ってしまいそうにも見える。


 このオオカバマダラは【憧れの人】が私のために持ってきてくれたのだ。この部屋での生活の寂しさを少しでも紛らわすために、と。


 この手記を読んだ者が、もし次の世界の者だったならば、きっとこの手記を書いている私がどういった状況か説明しておいた方がいいだろう。


 百年前、地球は《大災害》と呼ばれる地球規模の災害に見舞われた。大地震、火災、豪雨に竜巻。死者は四〇億人にまで上った。そして、二次災害でその数はさらに伸びることとなる。初めて確認されたウイルスによる感染病が流行。しかし、医者の数も《大災害》で減っており、特効薬が開発されることなく、医者は全滅した。


 いや訂正する。全滅したという噂だ。と言うのも確かめる術がないのだ。


 《大災害》により情報ネットワークは崩壊。電子機器はただの鉄塊と化した。おかげで情報メディアは死んだも同然。生活は何百年も前にまで逆行した。


 毎日何人の人が死んでいるのか。どの国が滅んだのか。


 何もわからない。


「とにかく生きろ。生きてさえいればいつかは何とかなる」


【憧れの人】はそう言って私をこの部屋に隔離した。


 おかげで感染症からは逃れられている。しかし毎日私にご飯をくれていた人が一昨日から姿を見せなくなった。まあ、つまりそういうことだろう。


 支給される食料がない。飲料水も残りわずか。うん。まあ、そういうことだ。


 私は虫籠の蓋を開いた。すると、よろよろとオオカバマダラが飛び出していく。


「お前なら外の世界に行けるよ」


 わずかな力を振り絞り、オオカバマダラは鉄格子に向かって飛んで行った。


 やがてその隙間を潜り、この部屋を出ていく。


「どこまで飛んでいけ」


 太陽の光を反射する羽根に手を伸ばそうとするが届かない。


 力も入らなかった。


 私は諦めて腕を下ろす。


 そして、何を思うでもなく静かに目を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大樺斑 雨瀬くらげ @SnowrainWorld

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説