エピローグ/Prologue

 栄光は、誰の手にも渡ることはなかった。

《マセーラの一番槍》サー・ロウェル・デヴァイスによるクーデターの勃発と、《アトラフィスの英雄》サー・ヴェントス・パウによる計画の阻止という活躍は、ガルストア帝国の迅速な情報統制によって内々に処理された。

 マセーラの中心部ゼルトにおける混乱は、発生した時と同じく早々に収束していた。殲滅された〈騎士型〉の魔導人形ゴーレムは残らず回収された後に破棄され、クーデターの痕跡同様、魔導技術の秘匿は夜が更ける前には終わっていた。

《禁忌破りの魔導師》イゼア・タブラスカの身柄もまた確保された。老体に国外逃亡は困難だったらしく、老魔導師は郊外の山岳地帯を彷徨うようにしていたところを捕らえられた。

 騒乱の後に残ったのは、帝国騎士サー・ロウェル・デヴァイスの叛乱という汚名と──

 どこからともなく現れマセーラ崩壊の危機を救った、白銀の騎士という噂のみ。

 その〝騎士〟が何者であるかという情報は一切が隠蔽され、表沙汰にはならなかった。

 だから、栄光は誰の手にも渡ることはない。

 けれど当人たちにとって、それはもはや問題ではなかった。






 ロウェル・デヴァイスの帝国本土への移送は、その回復を待たず行われることになった。

 情報の漏洩を少しでも抑えるための処置だった。かの騎士は拘束され、ガルストア領内で厳しい取り調べを受けるだろう。

 そうなっては、話す機会が二度と訪れない可能性すらある。ヴェントス・パウが面会の権利をねじ込んだのは、ある意味で当然の行動だった。

 だが、今の青年に騎士と会話できるだけの体力はなかった。ロウェルとともに気絶していたのを帝国騎士団に保護されたヴェンだったが、意識を取り戻しこそすれ自由に動き回れるほどに回復はできていない。クーデターを阻止した功績と素性の非公開を受け入れることを条件に面会を取り付けはしたものの、実際に騎士と対面することは不可能だった。

 それで良かった。ロウェル・デヴァイスと話すべきなのは、自分ではないのだから。

「………………君か」

 留置所の面会室に現れた相手に、亜麻色の髪の騎士は納得して頷いた。

 その動作、僅かな発声すら苦しそうだった。

 ヴェントス・パウとの戦闘で負ったダメージは、まったく回復していないのだから当然だ。意識が戻りこそしたものの、身に纏った魔導鎧ブリガンダインの性質ゆえに肉体には深刻な負荷が残っていた。本来ならば絶対安静を維持しなければならない状態ですらある。

 そのような身体を推してまで面会に赴いたのは、叛逆者という逆らえぬ立場であることと、ロウェル自身が話すことを望んだからだった。

「君には、随分と恐い思いをさせてしまった。申し訳ない」

 そう言って、ロウェル・デヴァイスは魔導士見習いの少女に頭を下げた。

 それだけで胸の動悸が激しくなったが、苦悶の表情を浮かべることなく男は謝罪する。

「────ぁ」

 その姿に、フェイラは何も言えなくなってしまった。

 面会の直前、不安になって病室に見舞いに行った相手には『思ったことを言ってやれ。恨み言でも何でも言ってスッキリしろ』なんてことをアドバイスされていたけれど、無理だった。

 最初に心からの謝罪を受けてしまったなら、幼い魔導師見習いの少女には言うことなど何も思い付けなかった。

 琥珀色の瞳を困惑させるフェイラを安心させるように、ロウェルは微笑む。

 それは、〈騎士〉という役割とは無関係な彼自身の笑みだった。

 互いの立場も素性すらも関係のない、心底からの朗らかな微笑みを浮かべて、彼は少女に話し始める。

「約束していたものは、君の許に届くように手配してある」

「え……?」

「ああ、何であるかはここでは言えないから気を付けて。届いてからのお楽しみだ」

 男らしからぬ悪戯っぽい表情で、少女に目配せをする。

「どうか譲り受けて欲しい。私の手元に残していては、焚書されてしまうからね」

「あ──」

 男の言いたい意味を理解して、フェイラは頷いた。直前までの戸惑いを忘れるみたいに、その表情を無垢に輝かせる。

「ありがとうございます。必ず、大切にします」

「……こちらこそ、ありがとう」

 自分でも不思議なくらいに穏やかで晴れやかな気持ちで、ロウェルは再び微笑んだ。

 なぜだろう、と心中で彼は自問する。

 あの青年との戦いの最中から消えかけていた胸の中の澱が今、本当になくなっていた。帝国の騎士として活動する中でただ鬱積するだけだった感情の濁りが、どこかに消え失せていた。

「……サー・ロウェルは」

「うん?」

 目の前の少女に呼びかけられ、素の反応を返してしまう。

 ただのロウェル・デヴァイスとして応えてしまったものの、何も問題はなかった。

「サー・ロウェルは、〝あの物語〟のどの場面がお好きだったのですか?」

 純粋な好奇心からの質問だったのだろう。フェイラは、他意のない口調で彼に尋ねていた。

「私は──」

 その純真な眼差し、純粋な琥珀色の瞳に見詰められ、ロウェルは熟思する。

 考えたこともなかった。少なくとも、この数年は考えたことのない内容だった。

 けれど実際に考えてみたならば、奇妙なほど明確に答えは自分の中にあった。

「……秘密、ということにしてもらえないか?」

「え?」

「いや、少し違うな。宿題のようなものだと思ってくれていい。君が物語の続きを読んでいる時に、『ここがロウェル・デヴァイスの好きなシーンだな』と思う場面を見付けて欲しい」

「……そんなー」

 はぐらかすようなロウェルの発言に、フェイラは残念そうに表情を悲しくする。

 自分でもズルいとは思ったが、ネタバレになってしまうのだから仕方がない。

 そう考えて、彼はやっと先程の疑問の答えに行き着いた。

 自分の中から澱が消えている、その理由に。

 漸く自分は〝誰かに何かを託せた〟のだ、と。

 四年前のあの日に敗北し、帝国に従属したことで、自分の人生は停滞に陥っていた。

 マセーラというかつて存在した故国のために成すべきことを見付けられず、ただ眈々と機会を窺うだけの人生になっていた。前に進むことも、後戻りすらもできない歯車のような形で。

 だから、彼女にあの物語を託すことは、自分にとっての変化なのだ。

〈騎士〉という在り方からは外れた、自分自身の意思による行動なのだ。

 かつて自分も胸を熱くした物語を託すことで、少女に〝何か〟を伝えられる。

 愛した故国が生み出した物語を、憶えてくれる〝誰か〟がいる。

(────ああ、そうだった)

 そうして、彼は静かに自分の中の真実に気が付いた。

 この瞬間まで忘れていた。〈騎士〉という役割に殉ずるあまり、かつて抱いていた〝騎士〟への憧れを忘れていた。

 いや、違う。必要がないものだからと、自分から捨ててしまっていたのだ。

 ロウェル・デヴァイスという人間もまた、物語の中の〝騎士〟を愛した者だったというのに。



 民衆からの祝福を一身に浴びながら、凱旋する数多の〝騎士〟たち。

 栄光と歓喜に満ち満ちた、長き叙事詩の終幕。



 あの結末エピローグに──物語の主人公が迎えた輝かしい大団円に、自分もまた心を奪われたひとりだったというのに。

「…………敵うはずもなかったわけだ」

「え?」

「ああ、すまない。無駄に引き留めてしまったね」

 微苦笑を浮かべて、ロウェルは呆けた表情の少女に意識を戻す。

「行きなさい。私などより相応しい〝騎士〟が、君にはいる」

 そう言って、彼は少女を見送った。

 託したものと、託した相手の行く末に想いを馳せながら。

 そうしてみたならば、暗雲の漂う自分の先行きなど何でもないことのように思えた。

 幼き少女の人生ものがたりは、まだまだ序章これからなのだから。

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ナイツ・クラウン ~奔放騎士と翠髪の乙女~ 紘都果実 @Kmnrider893

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