第十八章 魔導技術


 絶望だけが、その男に許された唯一の末路だった。


 夕闇を、四つの人影が発見されるのを恐れるようにしながら移動している。

 その中で、生身の人間であるのはイゼア・タブラスカひとりだけだった。他は全て、ロウェル・デヴァイスの命令を受けて老魔導師の護衛という使命を忠実に実行している〈騎士〉──全身に鋼の甲冑を装着した石製の魔導人形ゴーレムだ。

 数年前の逃走と丸切り同じ再現は、老人にとって屈辱以外の何物でもなかった。自尊心ばかりが強く、内側でプライドを肥大化させたこの男は、戦略的撤退という言葉すら知らないのかもしれなかった。

 だから、夕暮れの中に巨大な影が立ち塞がっている光景を目の当たりにした時も、老人はすぐにはそれが何なのか理解できなかった。

 西の空から照りつけるオレンジ色の光を反射して、金属製の巨人が岩山の麓で男を待ち構えていた。

「ふむ、計算通りだ。実践したのは初めてだが、マセーラが誇ってきた魔術だけのことはある。数秘術、その精度は一級品だな」

 その巨体の傍らに隠れるようにしながら、全身を緑色のローブに包んだ小さな人影が立っている。自らが製造した魔導人形ゴーレムにこの場所まで運ばせ、魔導技術によって予測したポイントでベルマ・ミュステリウムは男を現れるのを待っていたのだ。

 方法は簡単だった。地下空洞で入手した老人のものと思われる毛髪を錬金術を用いて分析し、その経年劣化の度合いから正確に誕生数を導き出す。そして、専門ではないものの知識だけは備えていた数秘術を実践し、その行く末を計算した。

 イゼア・タブラスカが、フェイラ・ミュステリウムの所在を探り出したのと同じ方法だ。創造者である老魔導師であれば、魔導人形ゴーレムとして製造された少女の誕生数を把握していても不思議ではない。

 その後の展開は、まったくの想定外だったのだが。差し向けた手駒の魔導人形ゴーレムはことごとく撃退され、目的の少女を協力者である騎士に懐柔させてみれば、その知識は自分を遥かに上回るものとなっていた。単に創り出した被造物を手元に置いておきたかったという、つまらない欲のために老人は今回の結末を招いたのだ。

「貴様は……誰だ?」

 その原因が目の前に立っている人物とは知らず、彼は正体の不明な存在に素性を尋ねる。

 それに、ベルマは甘い香りのする煙を周囲に漂わせながら答えた。老魔導師が現れる時間に合わせ、計算通りに嗜んでいた葉巻はもうすぐ消えようとしている。

「初めましてだ、《禁忌破りの魔導師》。名乗るつもりはないが、素性だけは伝えておこう。貴様が造り出した魔導人形ゴーレムの面倒を引き継がせてもらった者だよ」

「…………そうか。貴様が、儂の人形に小細工をしおった人間か」

 白濁した翡翠色の瞳に一瞬で憎悪を滾らせ、イゼア・タブラスカは女魔導師を睨めつける。

 動じる様子もなく、ベルマは咥えていた嗜好品の後始末を背後の巨人に任せた。金属の腔内に彼女が放った葉巻を収めて、ごくりと魔導人形ゴーレムが喉を鳴らす。

 その人間のような動作に、老人は目を見張った。ラブラ魔術を専門とする魔導師から見ても、その完成度の高さは驚くべきものだったのだ。

「ふん……なるほどな、貴様も魔導人形ゴーレムについては精通しているようだ。そうでなければ、あの失敗作を完成させることなどできなかっただろうよ」

《魔導の混血児》というフェイラ・ミュステリウムの真相を知らない男は、自分の尺度だけを基準に言葉を紡ぐ。対面してから二言ほどしか発言を聞いていないが、それだけでベルマは老人の性格を把握した。

 自分の世界だけでしか物事を語れない、矮小で狭量な人間。つまらない俗物だ、と内心で思いつつ女魔導師は老魔導師を淡々と見る。

 どうすれば目の前の男を破滅させられるか。数秒だけ考えて、彼女はすぐに解答を導き出した。

 単純な計算式だ。ただ、自分のありのままの姿を見せつければ良い話だった。

「今回は残念な結果に終わったな。いや、貴様のような魔導師の手を借りなければならなかった騎士には同情するよ。魔導人形ゴーレムの製造技術はともかく、性格に関しては小物の一言で片付くような人間だからな」

「な……貴様、儂を愚弄するかッ!」

「ああ、失敬。聞こえてしまったか。独り言のつもりだったんだがね。こんな独白、お前のような人間に聞かせても馬耳東風が良いところだ。否定するだけで、受け入れる気など少しも起こさないんだからな」

「ッ……!」

 安い挑発に、いとも簡単に老人は乗せられた。全身をワナワナと震わせて、翡翠色の眼球を血走らせベルマを見据える。

 この程度の人間なのだ。この程度の皮肉すら無視することもできない、ただの人間なのだ。

「殺せ、あの女を殺せ!」

『────』

 創造主の命令に従い、石製の魔導人形ゴーレムたちが即座に動き出した。携えていた武装を振るい、その凶刃でローブ姿の魔導師を切り刻むべく疾走を始める。

 ふむ、とその光景にベルマは思案する。背後の巨人は移動運搬用に拵えた急造品であって、まともな戦闘能力などない。そもそも、兵器としての魔術の産物など友人の頼みでもなければ造るつもりは少しもない。

 三体の〈騎士〉が迫る。戦う術など持ち合わせていない《琥珀色の魔法使い》は、身動きひとつすることなく、

 冷徹に、魔導技術者としての自らの技量に頼ることにした。

『──、──……、──』

 変化は劇的だった。標的を切り裂く寸前まで肉薄していた三つの凶器が一瞬で静止して、それを手にしていた魔導人形ゴーレムらの身体もまた停止する。

 ベルマ・ミュステリウムの全身を包んだ、黄色い電光によって。

「な……」

 その姿に、イゼア・タブラスカは絶句した。懐から何気なく琥珀の石を取り出した女魔導師は、そこから電撃を発して自らの身を護ったのだ。

 同時に、巻き起こる稲妻に緑色のフードが煽られ外れていた。夕日に照らされ、彼女の容貌が初めて人目に晒される。

 身も凍えるような女のかおが、そこにある。

 太陽の光を浴びて黄金に輝く、風に揺れる稲穂のような琥珀色の長髪。理性的な冷たさを帯びながらも、隠しようもない光を湛える琥珀色の瞳。彼女が手にした宝玉よりもなお輝く、純粋な色。

 色白の肌以外は、何もかもが琥珀色だった。その名に違わぬ面貌を晒して、ベルマ・ミュステリウムは西日の眩しさに美しい顔を僅かに歪める。

 巨人に命じて、太い腕を日傘代わりに頭上に掲げさせる。長大な魔導人形ゴーレムに体を護られている姿は、まるで小人か子どものようだ。

 そして、その通りだった。《琥珀色の魔法使い》と呼ばれる彼女は、十の齢を数年前に超えたばかりの少女に過ぎなかったのだから。

「な……なんだと……」

 意味が解らず、老人は歳の離れた容姿の人物を見詰め続けた。

 目の前の光景が理解できす、自分に都合が良い解釈をして納得しようとする。

「幻覚で自分の姿を変えて……いや、まさか不老の魔術を……」

「生憎と、若さに執着するような域にはまだ達していない。私の娘と違って、私自身は見た目そのままの年齢だよ」

 つまらなそうに言って、琥珀色をした美貌の少女は老人に告げる。

「さて、罰の時間だ。私の娘に危害を加えようとしたんだ。相応の報いは受けてもらわなければな」

「な、が……」

 動揺して、翡翠色の老魔導師は目の前の少女に言う。

「ま、待て! 悪かった、命だけは……!」

「安心しろ。貴様のような老いぼれの命など、最初から貰うつもりはない。不必要なものは持たない主義なのでね」

 琥珀色の瞳に殺意を秘めたまま、少女は言った。

 そう、ベルマ・ミュステリウムは暴力を用いない。彼女は、ただ淡々と相手に己の欠陥を自覚させるだけだ。

 それこそ魔法のように、言葉だけを冷静に操って。

「まずは、お前が造ったこの魔導人形ゴーレムについてでも話そうか。ヒト型にしたのは、効率など関係なく単に拘りの問題だろう? ロウェル・デヴァイスが〈騎士〉という形を求めたというのもあるだろうが、同サイズならば他の形にした方が効率は良い。私なら、隠密性と攻撃力も考慮して大蛇あたりにする」

 あれの形は可愛らしくて好きだしな、と若過ぎる魔導師の少女はぽつりと漏らす。

「ヒトを創って神を気取る、か。ふん、短絡的で呆れ返る」

「ぬ……おのれ、貴様。さっきから黙って聞いておれば……!」

「怒ったのなら、殴るなり蹴るなりどうとでも好きにしろ。私は別に、お前が何をしようがどうでも良いんだ」

「ぐっ……!」

 ベルマの背後に立った巨人に怯え、老魔導師はその場から動けず相手の言葉に耳を傾けるしかなかった。立ち去れば済む話なのだが、無駄なプライドはそれすらもイゼア・タブラスカに許しはしないのだろう。

 すべて計算尽くに実行された、ベルマ・ミュステリウムの掌の上の出来事なのだが、彼はそんな現実にすら気付けない。

 琥珀色の少女は、その矮小な精神を木端微塵に粉砕すべく無感情に言葉を紡ぐ。

「宗教いわく、ヒトは神が創り給うたとあるがね。私に言わせれば、生命なんてものはアミノ酸を含んだ海水に雷が落ちたことによる偶発的な産物だ」

「………………は?」

 彼女の言葉の意味が解らず、男は呆けた表情をした。

 崩されようとしている価値観。本物の『天才』を思い知らされることで、イゼア・タブラスカは魔導師として完全に殺される。

「ほら、突き詰めた話をするとすぐにこれだ。言っておくが、魔導技術の最先端においてこの程度の知識は常識だぞ」

「何を……言って……」

「自分の国を陳腐だと嘲笑いながら、その実は自分も大した進歩をせずに長い年月を無駄に費やした。……いや、見事なまでに救われない人間だよ、《禁忌破りの魔導師》」

「さっきから……何を言っておるッ……!」

 激昂して、老魔導師はベルマに叫ぶ。それでも近付くことはできず、ただ喚き散らすことでしか抵抗できない。

 子どものような姿に、琥珀色の魔導師は告げる。

 どこか優しさを含んだ、幼い者に言い聞かせるような口調で。

 何も知らない人間に現実を思い知らせるための、冷徹な声音で。

「理解できないか。理解しようともしないのだから、それも当然だ。自分の世界だけで生き続けた人間は、誰もがそうなる。他人を理解できず、自分の解釈だけで物事を判断する。そうして、いつか取り返しのつかない失敗をして身を滅ぼす」

 今がその時だ、とベルマ・ミュステリウムは言い放つ。

 魔導師としての自尊心は半分ほど崩壊させた。残りの半分は、イゼア・タブラスカの人間性を否定することで殺し切る。

 そう決めて、少女はさらに続けた。

「お前には、何も理解できないのだろう。ヴェントス・パウの愚直さも、ロウェル・デヴァイスの実直さも。私のような小娘に頭を下げてでも自分の信念を貫こうとするあいつの馬鹿さ加減も、お前のような俗物の力を借りてでも宿願を果たそうとした男の不器用さも」

「……待ってくれ。意味が解らない。お前は、何を言って……」

 最初の威勢はどこやら。根拠のない自意識の欠陥を指摘されて、力なく老人は言葉を漏らす。

 内心で失笑して、琥珀色の少女は思考を巡らせる。

 同情する気も起きなければ、哀れとも思わない。すべては、この男が招いた自業自得の結末だ。

「最後に、魔術の講釈をしようか。お前は、魔導技術という知識をどう捉えている?」

「ぬ……どういう意味だ……」

 まともな返答など最初から期待していない。老人の言葉を無視して、ベルマは話す。

「存在の力である〈魔力〉を操作し、導くが故に〈魔導技術〉。まあ、この考え方も少し古い。昔からそういう風に伝えられているのだから今更かもしれんが、やはり少しずつでも啓蒙は進めるべきだな」

 内容が脱線しかけたことに気付いて、彼女は気を取り直した。

「〈魔法〉やら〈魔術〉やら、もっともらしく呼ばれているが、要は〈魔力〉を操るための技術だ。そして、〈魔力〉というのも別に特別なものではない。この世界に生まれ落ちたものすべてが、各々に備えている『性質』に過ぎないのだから」

 それを導くのが〈魔導師〉である我々の役割なのだ、と。

 未だ幼き琥珀色の少女は、それでも決然とした態度で言い切った。

「世界の『性質』を導き、世界の一部たる自らの『性質』……感情をも制御する。騎士の条件が魔力の量であるなら、魔導師の資格はその心構えだと私は考えている」

「…………」

「さて、ここから先の結論ぐらいは自力で出して欲しいものだな。ヒントぐらいは与えてやろう。ひとつ、いま言ったばかりだが、魔導師である者は世界の『性質』を理解すべきである。物質の構造ばかりではなく、人間の感情すらも把握しておく必要がある。でなければ、自分のことも制御できないからな」

 前者については及第点。魔導人形ゴーレムの製造技術において、イゼア・タブラスカほどの魔導師はそうはいない。ヒト型の魔導人形ゴーレムを造り、肉身の人形すら生み出してみせる業は、ベルマも認めるところだ。

 だが、後者については失格だ。老魔導師の世界は自己完結している。他人を理解しようとせず、自分の言動がどのような結果を招くか考える想像力すらない。

「ふたつ、イゼア・タブラスカに魔導師である資格はあるか否か?」

「…………」

 寒気を感じて、老人は身を縮ませた。震える体を支えるように、両腕で自分を抱く。

《琥珀色の魔法使い》による仕込みは既に終わっている。少女はもう何も言わず、己の言葉が相手に浸透する様子を冷淡に観察するだけだ。

 それは、呪いか毒のようだった。少しずつイゼア・タブラスカに与えられた言葉が、遅行性の死のようにその精神を侵食していく。

 彼に魔導師たる資格はあるのか。答えは、おのずと導き出された。

 老魔導師は自分の感情だけを理由に行動している。クーデターの画策から人工生命の研究に至るまで、この男は劣等感を払拭するために着手したに過ぎない。

 魔導師とは、自らの感情を制御できる者。感情に支配されるようでは、資格は与えられない。

 だから、イゼア・タブラスカという人間は、そもそも魔導師になるべきですらなかった──。

「ぁ…………」

 その結論に老人もまた思い至り、彼はその場に膝を屈しさせた。自分という人間、これまでの人生すべてが、今この瞬間に否定されたのだ。

 その光景さえ確認できれば、もうベルマにとって老人は用のない相手だった。

 後は煮るなり焼くなり野垂れ死ぬなり、自分でどうとでもするが良い。

 興味以前だった男に対する感情すら自分の中から消して、ベルマ・ミュステリウムは魔導人形ゴーレムとともにその場から立ち去る。

 哀れな男は、暗闇が空を支配しても、いつまでもそこで咽び泣き続けていた。

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