第十七章 両雄並び立たず
自ら提案して、ベルマはヒト型の
残されているものは少ない。ここにあった百を超える数の〈騎士〉はすべて戦場へと出払い、存在しているのは両断され、あるいは自壊して粉々となった
「ふむ、最終的にはこうなったか。確かに、この形状ならヒト型であることは理に適っている」
冷たい地面に転がっていた
しかし、すぐに構造を理解し終えると躊躇もなく投げ捨てた。石の塊は、宙を舞った後に激突して破片を散乱させる。
続いて、甲冑を身に着けた本体に視線を移す。流石にこちらは持ち上げるわけにも行かず、フードの下からあちこちを検分するに留めた。
足下に薄い緑色をした一本の髪が落ちているのに気付いて、彼女はついでとばかりに回収する。触るのも遠慮したい代物だが、後々の行動に必要なので割り切って懐に収める。
「補助魔力核の設置、自壊装置の限定、全身鎧を装着させ総合的な防護力を向上させる。魔導兵器としてはひとつの完成形だな。フェイラが持っていた私の知識を使ったからこそだが、元となった
言って、女魔導師は自分の弟子に振り返った。
「それと、遠目にしか見えなかったが、銀色の
「…………はい」
師であるベルマの質問に、フェイラは体を緊張に固くさせながら答える。
「装甲の表面に、通常の導体とは別に通わせる〈魔力路〉。あれは私が生み出した独自の技術だ。見たところ、再現率はかなり低かったが。お前から設計構想だけ聞き出して、あとは抱えの魔導師に造らせたんだろう。精々、あの男が旅に出る時に頼まれて造った《
淡々と続けて、ベルマはさらに
「だが、あの飛行構造は私も思い付かなかった。甲冑の内側に膨大な空気を取り込むと同時に圧縮して外部に放出、滑空翼と併用して飛翔可能とする、か。悪くないアイデアだ」
「え……?」
純粋に評価を下すベルマに対して、少女は戸惑った風に呟く。
取り合わず、女魔導師は冷静に魔導技術について考察した。
「同時に、致命的な欠陥を抱えてもいる。
「それは……これから、どうにかするつもりでした」
「なるほど、完成前だったか。道理でお粗末な出来なわけだ。ならこの場合、責任を追及されるべきは、そんな未完成のものを持ち出してでも行動せざるを得なかった人間の実直さか」
懐から一本の葉巻を取り出して、ベルマは地下に煙を漂わせ始めた。
「それでも、お前の責任は追及されるべきだ。私の知識を勝手に持ち出して、余計な騒動を引き起こした。だからお前は未熟者だと言ったんだ。自分と、自分が持っている知識の危険性を正しく理解していない」
「…………ごめんなさい、
「私に謝られても困る。お前が謝罪すべきは、今回の一件で被害を受けた人間だ。最初に名前が挙がるのは、あの男だろうな。戻ってきたら必ずそうしろ」
「……はい」
「まあ、あいつは笑って許してしまうんだろうが。そういう態度が場合によっては本人のためにならないことは、あの男も承知しているはずだが」
だからこそ、ここで自分の弟子には必要以上に罪悪感を抱かせなければならない。それが師である《琥珀色の魔法使い》としての役割であり、母であるベルマ・ミュステリウムとしての務めだ。
さらに叱責しようとして、彼女は少女の異変に気付いた。
俯きがちな顔が震え、白い指先がローブの裾を摘んでいる。
「…………」
口を衝いて出ようとした厳しい言葉が、その姿を前に呑み込まれる。ここで相手を甘やかすことが正しくないことは、充分に承知しているはずにも関わらず。
はあ、と甘味の強い煙を吐き出してベルマは肩の力を抜いた。自分の親甲斐のなさが嫌になる。これも、あの青年と知り合ってしまった故の結果だ。
「だが……まあ、初めてにしては悪くない術式だ」
「……え」
驚いた様子で、フェイラは琥珀色の瞳でベルマを見た。
相手を褒める言葉を使い慣れていない様子で、ベルマもまたたどたどしく話し始める。
「だから……私の娘としては及第点だと言ったんだ。知識の使い方もまだまだだし、拙さだってある。それでも、《琥珀色の魔法使い》の弟子に恥じぬ魔術の冴えだ」
言って、彼女は少女の翡翠色の髪の上に片手を置いた。
「始まりは、確かに違った。お前は、《禁忌破りの魔導師》と呼ばれる老人の手によって
それは、フェイラが意識の底から呼び起こしていた記憶の追想だった。
「初めて私の庵を訪ねた時も急だったがね。フラスコの中に容れられたお前を抱えてあいつが鎧姿で現れた時は、何事かと驚いたものだ」
言いながら、当時のヴェントス・パウの姿をベルマは思い浮かべる。
『……はあ……はあ……頼む、ベルマ。こいつを助けてやってくれ』
どれだけの距離を駆け抜けたのか。
その腕には、透明な容器に収められた、辛うじてヒトの形をしていると判る未成熟な個体。母親の体内で育つ胎児よりもさらに不安定な命の結晶をこの世に繋ぎ止めようと、ヴェントス・パウは必死になって友人である琥珀色の魔導師を訪れた。
騎士としての役目を途中で投げ出してでも、彼はその命を見捨てることができなかったのだ。
「
それが、少女にまつわる真実のさらに奥のある真相だった。
〈
生まれながらにして、この世のあらゆる叡智を識るとも伝えられる存在だ。その製造技術を用いて延命処置を施されたからこそ、フェイラは完璧に近いまでの記憶力を有している。それこそ、ベルマ・ミュステリウムの知識をすべて記した
ラブラ魔術と錬金術、
「お前の生みの親ともいえる老人に、色々と言われたようだがな。いつも言っているように、私にとってお前がどういう存在であるかは変わらない」
告げて、ベルマ・ミュステリウムは少女と向き合う。翡翠色の髪から視線を外し、自分と血の繋がる証明である琥珀色の瞳を見る。
「お前は、私の不出来な弟子で、完璧な作品で……手のかかる娘だ。それは、これからもずっと変えるつもりはない」
「……あ」
今この瞬間まで我慢できていたのに、その言葉に堪え切れなくなった。少女の瞳から、透明な滴が零れ落ちる。
「あ……ありがとうございます、
涙を流すフェイラに、ベルマは柄にもなく狼狽し始めた。
「ば、馬鹿者! 泣き出すヤツがあるか、私が悪者みたいじゃないか」
「ご、ごめんなさい!」
「謝らなくてもいい! とにかく泣き止め。子どものあやし方なんて知らないんだ!」
慌てふためきながら、ふたりの母娘は互いの絆を確かめ合う。
その間に水をさすようで申し訳なかったが、まだ挨拶を正式に済ませていなかったため、女騎士は礼儀正しく琥珀色の魔導師に頭を下げた。
「お初にお目にかかります、マギ・ベルマ。サー・ヴェントスの友人、スイゲツ・カグラと申します」
その介入に、どうして良いか分からなかった女魔導師は救われたように彼女と向き合った。
「ああ、君がそうか。あの男が楽しそうに話していたよ。仲間に東洋大陸の出身で、しかも女で騎士になった面白いヤツがいる、と」
「……そうですか。そんな風に紹介しているのですか、あの野郎は」
ベルマに対する言葉遣いをどうするか迷うようにしながら、スイゲツは戦友に対する不満を口にする。
初めて自分と接する人間の反応としては珍しくもないものだったので、大して気にもせずベルマは続けて言った。
「最初に庵を訪れた時のことだ。自分の能力に見合う魔導鎧を《ブリガンダイン》造って欲しいと、噂を頼りに私を探し出してね。王都には、あの男の魔力に対応した鎧を製造できる魔導師はいなかったらしいからな」
「はい……帝国の侵略が始まった頃です。それが理由で従騎士どまりだったあいつは、焦っているようでした。どんな
「ふむ、だろうな。並の代物では、ヤツのバカみたいな生命力は許容し切れん。そんな風に説明されたが、私は初めの内は取り合わなかった。魔術は好きでも、魔導兵器なんてものは嫌いだったからな。隠遁しているのも、そういう厄介事に巻き込まれるのが嫌だったからだ」
そこで一度、ベルマは葉巻を一服した。面白い話のオチを勿体ぶるように、間を開ける。
「そうしたらだ。あの男、事もあろうに土下座を始めてね」
「ぶっ……!?」
「……ドゲザ?」
スイゲツが吹き出し、聞き慣れない単語にフェイラが首を傾げる。
目の前の女騎士が動揺しているのを楽しむみたいにしながら、ベルマは続ける。
「ああ。東洋大陸出身の友人から教わった、相手に何かを頼む時の最大限の礼儀作法だ、などと言い出したんだ。いや、通じない相手にしても意味はないだろうし、急に頭を床につけられてもこっちは当惑するしかなかった」
「……申し訳ありません」
その光景を寸分違わず想像できたスイゲツは、あまりの済まなさと恥ずかしさに、まともに相手を見ることもできず謝罪するしかない。
「君が謝ることではないさ。承知の上でそんなことをするヤツが変なんだ。それに、訳が解らないなりに、あの平伏ぶりには妙に感心してしまったしな」
「……そんなに凄いんですか?」
イメージすらできないフェイラだが、師匠が随分と評価するので気になってしまった。弟子の質問に、女魔導師は興が乗ったとばかりに詳しく説明を始める。
「恐らくは、この地上で最も美しく格好の悪い姿勢だろうな。地面に跪いて、思い切り礼をするんだ。プライドも何もあった姿ではない。私が無視し続けても、そうやって延々と床に這って過ごしているんだ。あまりにいじらしくて、頭を踏んづけてやりたくなったぐらいだ」
「申し訳ない! 二度とさせないから、もう勘弁していただきたい!」
口調を乱しながらスイゲツが懇願し、それに対して、ベルマはフードの下でクツクツと意地の悪い笑みを浮かべながら告げる。
「騎士がそう簡単に謝るものではないぞ。君も相当、あの男の影響を受けているようだな。もっと傲慢で、思い上がっていても良いだろうに」
「……無理です。あいつの側にいると、そういう態度をとるのがバカらしくなってくるので」
「ああ、それは解る。余計な自尊心や自意識など、ヤツの前では無意味だからな」
頷いて、ベルマ・ミュステリウムは友人であるヴェントス・パウについて言い纏める。
「そういう男なんだ。自分が〝こう〟と決めたことのためには、形振り構わず我武者羅に生きられる人間なんだ、あいつはな」
図らずも、それはスイゲツ・カグラが青年に告げた評価と同じものだった。
空中で、琥珀色と翡翠色の輝きが交錯した。
白銀の甲冑が電光を帯びながら建物の合間を飛び跳ね、燻し銀の鎧が疾風を携えて飛行する。
どちらも、常識の域を超えていた。ヴェントス・パウが纏う
両者とも第三者が目で追えぬ超高速で移動しているにも関わらず、琥珀と翡翠の光が交わる度に、甲高い金属音と火花が中空で発せられた。互いを視覚だけに依らない第六感とも呼ぶべき戦士の感覚で認識しながら、ふたりの騎士は戦闘を継続する。
高層建築物の壁面を、一筋の稲妻が駆け昇る。
如何なる走法を用いたものか。背後に電光と足跡を置き去りにしながら、白銀の騎士は視認困難な速度で疾走する。次の瞬間には壁を蹴って、彼は空中の燻し銀を目掛けて跳んでいた。
飛行している相手に対して、完全にタイミングを合わせて両腕に執った大剣を振るう。だが紫電一閃と共に放たれた斬撃は、ロウェルが周囲に纏った高密度の空気に妨げられて届かない。
銀の煌めきが擦れ違い、青年の背後を狙って燻し銀の騎士が真空の刃を解き放つ。
不可視にして無数の刀身が空中を駆け抜け、ヴェンに襲いかかった。しかし目前に迫った建物の壁面に着地すると同時にその場から離脱し、白銀と琥珀色の鎧は敵の攻撃をことごとく回避している。
それを認め、ロウェル・デヴァイスは即座に背中の滑空翼と周囲の大気を操り空中を駆ける。敵がこちらの攻撃を躱し切っているのに対して、自分は風の防壁を使用しなければ守り切れない。防戦一方の状況に陥らないようにするためには、常に飛行の態勢を維持する必要があった。
疾風と迅雷。ともに尋常ではない速度であっても、その動きには明確な違いが存在している。
対して、
そして、何よりロウェル・デヴァイスがヴェントス・パウに先んずるものがあるとすれば。
「ぐっ……!」
背後に迫り寄る風に、白銀の騎士は反撃すべく何度目かもしれない跳躍を敢行した。強固な空気の盾を貫通すべく、大剣の切っ先を突き出し相手に肉薄する。
それでも、銀色の装甲には届かない。鋭利な剣先が圧縮された大気を斬り裂こうとも、ヴェン自身の肉体が風圧に押されて至近距離まで男に近付くことは不可能だった。
そして、一瞬とはいえ動きの鈍った敵の隙を、ロウェル・デヴァイスが見逃すはずもない。
「ハァッ……!」
剣を前方に構えたまま側面を過ぎ去ろうとするヴェンに対して、ロウェルは双頭の大槍を目にも留まらぬ速度で操った。両手が巧みに槍の柄を駆使し、両端に備えられた巨大な刃を一閃させる。
銀色の甲冑を中心に激しい竜巻が巻き起こり、切断力を伴った風は白銀の装甲の表面に幾筋もの
「ッ……!」
堪らず、ヴェンは相手から距離をとろうと離脱を試みる。
あの動き、槍を振り捌く絶技の動作だけが、練度という一点において青年のあらゆる挙動を凌駕している。
たとえ如何なる速度で迫ろうとも高密度の《風盾》で攻撃を凌がれ、少しでも脱出が遅れれば真空の刃《鎌鼬》によってダメージを負わされる。そもそも、武術の練達という長年の研鑽と経験を必要とする素養において、ヴェンがロウェルを越えられる道理はない。
もしも、ヴェントス・パウがロウェル・デヴァイスを上回るものがあるとすれば。
「逃がすものかッ……!」
死角から翡翠色の気配が接近する。空中で突進の勢いを殺された《
宙を舞うだけのヴェンに、その一撃を完全に躱す手段はない。
彼にできることは、ただ己の全力を解き放つことだけだった。
轟音と雷鳴。琥珀色の装飾を膨大な魔力が駆け抜け、そのすべてを外部に放出する。
白銀の装甲全体から迸った電撃が、ロウェルが突き出そうとしていた槍の先端を撃った。
「ぬ、う……!」
片腕を襲った痺れるような衝撃に、ロウェル・デヴァイスは慌てて後方へと退却する。直撃していないにも関わらず、落雷を受けた鎧の部位が痙攣し、その下にある男の肉体もまたダメージを負わされていた。
今の攻撃、どれだけ自分の全力を解き放とうとも尽きぬ生命力が、スタミナという一点においてロウェルのすべてを凌駕している。
壁面すら駆け昇る神速の移動術《電奔》は外部から干渉されぬ限りは決して減速せず、直前に放たれた技《雷放》もまた恐らく連発が可能だろう。生まれ持った魔力量という、生来の素質を覆せる手段は今のロウェルの手にはない。
全開にして全力。両者ともに力と技を出し惜しみすることなく、苛烈な空中戦を繰り広げる。
そうしなければ相手の刃が瞬時に自分を切り裂くことを、ふたりの騎士は承知していた。
燻し銀の甲冑が大きく機動する。青年が跳躍と同時に放とうとした電撃から距離を置くことで回避し、そのまま建造物の合間を回り込むようにして姿を消そうとする。
追うべく、ヴェンは目算でふたつの建物に当たりを付けた。左右に飛び跳ねるみたいにして壁面を蹴りつけ、ロウェルが消えた建物の間へと進入する。
その先に広がる石造りの建物が眼下に立ち並ぶ光景に、彼は即座に己の迂闊さを悟った。
(──ヤベ。完全にハメられた)
周囲の風景が一変している。ロウェル・デヴァイスの巧妙な誘導によって、ヴェンは気付かぬ内に新市街から旧市街の一角へと誘い込まれていたのだ。
方向転換しようとするも、間に合わない。全速力で跳躍していために、最も手近な高層建造物すら既に遠い距離にある。中空に放り出された白銀の甲冑は、重力に抗う術もなく地上へと落下を始めた。
「くっそ……あとで弁償するから勘弁してくれよッ!」
見も知らぬ他人に対して先に謝罪して、ヴェンは空中で姿勢を変えた。両手で大剣を振るい、その重量を利用して体の上下をほぼ逆にする。
目前まで迫っていた石の天井に刀身を叩き込み、
鍛え上げられた鋼鉄の刃が岩をバターのように斬り裂きながら、摩擦を受けて徐々にスピードを減退させる。それでも両腕にかかる負荷は相当なもので、籠手に刻まれた琥珀色の〈魔力路〉が集中する生命力に眩いまでに発光する。
地上数十メートルからの落下の衝撃に、
戦闘中において、あまりにも大きな間隙だった。敵が万が一にも墜落死を免れた事態に備えて移動していたロウェル・デヴァイスは、その無事を認めると瞬時に打って出た。
空中から白銀の騎士の背後を捉え、その背中に向けて真空の刃を放つべく大槍を握る両手に力を込める。
地上のヴェンに剣を届かせる術はなく、また電撃の射程圏外でもあった。死角に存在する翡翠色の気配を認識することは可能でも、討つべき手段がない。
サー・ヴェントス・パウが、正道を
「うおりゃあッ……!」
両足を地面につけ姿勢を立て直した瞬間、ヴェンは背後に浮かぶ燻し銀の騎士に振り返った。
振り向き、全力のフルスイングで片手に握った大剣を投擲する。
空気を断ち裂き、幅広の鋭利な刀身がロウェルの眼前まで迫り寄る。
「ぐっ……!?」
その光景に目を見開き、ロウェルは高密度に圧縮した空気を前面に展開し、剣先を押し止める。残り数層というところまで肉薄した切っ先は、それでも届かず空中で静止する。
その柄に埋め込まれた琥珀の宝玉を
「な、ぁッ……!?」
衝撃が《風盾》を、銀色の装甲すら貫通してロウェルの全身を駆け抜ける。白銀の鎧から発せられ、大剣の先端から放出された稲妻は、あらゆる防御を無視して相手にダメージを与えた。
「貴様ぁぁッ……!」
激昂し、燻し銀の騎士は眼前の刀身を片手で掴み取った。肉体にかかる負荷に構わず、地上へと投げ捨てる。
放物線を描いて落ちる大剣を拾うべく、琥珀色の電光が地上を走り抜けた。
仕留めるべく、ロウェルは痙攣する肉体を酷使して《鎌鼬》を撃ち放つ。敵の進行ルートを限定するように風を巻き起こし、同時に自ら敵を討つために滑空翼を展開し飛翔する。
地面に突き刺さろうとする剣を目掛けていたヴェンの背中に、大槍の刺突が繰り出された。
「
「──執れないと思ったかよ」
瞬間、二メートルほどの距離を瞬く内に移動して、大剣の柄がヴェンの手元に引き寄せられていた。振り向き様に刃を一閃させ、白銀の騎士は槍の切っ先を弾き飛ばす。
「……!?」
驚愕に支配され、ロウェル・デヴァイスは咄嗟に後方へと飛び退いていた。
「…………奇怪な技を使ってくれる」
対峙するヴェンに、ロウェルは半ば独りごちるようにして言葉を紡ぐ。連続して不可解な現象を起こしてみせる敵に対して、一度は距離をとるしかなかった。
先程ヴェントス・パウが剣を手にできた原理と、フェイラ・ミュステリウムを男の手から助け出した時に抱かせた違和感の原因は、同じものに違いない。
だが、その結論に至ったところで実際に何をどうしているかまではまったく理解が及ばない。まさに魔法、高度に発達した魔導技術の真髄だった。
それでも、驚くことはあっても恐れる必要はない。魔術とは、突き詰めれば理詰めの現象に過ぎない。
そんなことよりも、ロウェル・デヴァイスが許せぬ行動をヴェントス・パウはしてみせた。
「やはり、貴様などに騎士の資格はない。自らの武器を投げるとは何事だ」
「あん? いや、ああでもしなきゃ届かないと思ったから、そうしただけだぜ。これぐらい、《大戦》でガルストアの連中を相手取ってた時は日常茶飯事だったしな」
男の叱責に動じる様子はなく、ヴェンは平時通りの飄々とした態度で受け応えた。その返答に、銀色の騎士は兜の下で僅かに眉を顰める。
「必要とあれば、誇りすらも投げ捨てるというのか。……そうでもしなければ、帝国の騎士たちには至らない、と」
「そういうことだ。まあ、バカみたいな大技も、さっきみたいな小手先も使い熟せなきゃ太刀打ちできない相手だったってだけの話さ」
「…………その理屈から言えば、今の私は失格か」
考え耽るようにして、男は自らの掌の中にある大槍を見る。あの敗北の日からさらなる研鑽を積み、新たな力を獲得したにも関わらず《アトラフィスの英雄》を未だ打倒できていない事実が、ロウェル・デヴァイスの言葉を肯定していた。
無言になった彼に、ヴェンは生死を競う相手にかける言葉とは思えぬ調子で話し始めた。
「いや、そうでもないぜ。正直、今のあんたがここまでとは思ってなかった。その
「……!」
何気なくヴェンが口にした騎士の名に、ロウェルは思わず視線を地上の敵へと下ろした。かつて自分を完膚なきまでに打ち倒した人物とも匹敵し得ると言われて、驚かずにはいられなかった。
あるいは、その時になって初めてロウェル・デヴァイスはヴェントス・パウという人間と正面から対峙したのかもしれない。
大剣を片手で肩に担がせ、ヴェンは何食わぬ様子でこちらを見ている。
一見すれば失笑してしまう無防備さだが、気負わぬ姿こそがこの騎士にとっての自然体なのだ。その気になれば、今の体勢からでも即座に刃を一閃させてロウェルに斬りかかることもできる。
だが、可能であることと実際にそうするかは別問題だ。今この瞬間は話をしたい気分らしく、ヴェンは親しげに男に語りかけた。
「あれ、何だろ気のせいかね。初めてあんたに見てもらった気がするぞ。…………今まで眼中になかったってことか?」
変なところで傷付いたみたいで、ヴェンは困ったように頭を掻いた。兜を被ったままなので、左の籠手で額の角を撫でるような形になってしまっている。
「…………」
その姿に、ロウェル・デヴァイスはどう反応したものか判らない。騎士としてならば、敵である青年は是非もなく討つべき相手でしかない。
だが仮に、何の立場も関係も考慮に入れない一個人としてならば。そう考えて、自分が決して目の前の青年を嫌ってはいない事実に、男は気付いてしまった。
なぜだろう。騎士としてはあまりに型破りで正道からも外れたヴェントス・パウという人物を、自分は心の底で疎んじていたはずだったのに。
馴れ馴れしい態度が苦手だった。礼儀を知らないような不躾さが嫌いだった。感情の起伏が激しい子どもみたいな性格が厭わしかった。
何より、自分がなれなかった〝英雄〟という存在であることが男の感情を逆撫でしていた。
けれど内心でどんな風に感じても、本音として漏らしたことは一度もなかった。〈騎士〉という役割に徹するならば、そんな言動は余計な感傷に過ぎなかったからだ。
そういう生き方を、ロウェル・デヴァイスは今まで続けてきたのだ。
『──感謝する』
戦いの直前にヴェンが発した言葉が、頭の中で残響する。かつて戦場で純粋である故に傷付こうとしていた少年を救った男に対しての、謝意の言葉だ。
くだらない、と今でもロウェル・デヴァイスは思う。あの時の少年にかけた言葉など、ただの誤魔化しでしかなかったからだ。
世界の非情さを一時でも紛らわせ、未熟な人間を現実を弁えた大人に成熟させるための詭弁。だというのに、愚直にも目の前の青年はそれを信じ続けた。
苦しみしかなかったはずなのだ。答えの出ない命題ほど、自分の心を悩ませるものは存在しないのだ。
それでも悩み続け、今の生き方を手に入れたヴェントス・パウの姿が、ロウェル・デヴァイスには眩し過ぎた。
「…………私は、君が嫌いだ」
初めて声に出して、男は自分の本音を漏らした。
それに、ヴェンは微妙に残念そうな声音で応える。
「あー、やっぱりか。何となくは解ってたけどよ」
「憎らしくて仕方がない。私が持っていないものを、君はすべて持っている。いや……失い、手に入れられなかったものというべきか。そんな君は、私にとっては憎悪の対象だ」
「…………ちょっと待ってくれ。急にどうした、遠慮がなさ過ぎてかなりキツイんだけど」
騎士であることを否定された時よりも傷付いた様子で、ヴェンは慌てて男に抗議する。
その様子に笑って、ロウェルは自分の弱さを受け入れた。
〈騎士〉という役割に拘り変わろうとする意志を持てなかったことが、自分の弱点だったのだ。
ヴェントス・パウという騎士に対する感情も、その裏返しに過ぎない。ロウェルが何よりも誰よりも許せなかったのは、無力な自分自身に他ならなかった。
目の前の青年のような──お伽噺の中の〝騎士〟のような存在には、決してなれない。
それでもなお、だからこそ、マセーラの〈騎士〉としての役目を自分は最後まで手放せない。
お伽噺の中の存在にはなれずとも、故国のために戦う〝英雄〟にはならねばならないのだ。
そう考えて、彼は自らの役割を取り戻した。帝国に反旗を翻し、祖国の尊厳を奪還する。それ以外のことを考える必要などなかった。
決着をつける。目の前の敵を打倒し目的を果たすためには、しかし余力を残すことを考えていては叶わない。命を賭して、それでも至るかどうかの
今の自分では、そうすることでしか勝利を得られない。その事実を受け入れて、ロウェル・デヴァイスはすべての魔力を手の中にある槍の穂先へと注ぎ込んだ。
滑空翼を収納し、大気の操作すら中断して両足で地面に降り立つ。
風が凪ぐ。あれほど猛威を振るっていた暴風の如き気流が止み、静寂がその場を支配した。
「────」
その静謐さに寒気を覚え、ヴェンは瞬時に己の肉体を駆り立てていた。全力で後方へと跳び、一〇メートル近く目の前の男と距離を置く。
両手に大剣の柄を握らせ、切っ先を天へと向けて構える。
それが、《アトラフィスの英雄》ヴェントス・パウが得意とする基本にして最強の型だった。必殺の姿勢をとると同時に、全身鎧に循環させていたすべての生命力を大剣へと集中させる。
兜の額に備えられたふたつの角の合間を幾筋もの電流が奔り、変換された魔力を蓄積させ剣先へと迸らせる。
図らずも、ふたりの騎士が勝敗を決するために選んだ技は同種のものとなっていた。あるいは、その起源をひとりの魔導師の知識と同じくするが故の必然だったのかもしれない。
執るべき刃にすべての力を注ぎ込み、両者は対峙する。
嵐が巻き起こり、雷が轟いた。
身を護る盾も、空を駆ける翼すらも棄てて放たれた超高圧の疾風が、標的までの間に存在するすべてを巻き込みながら一直線に道を開く。見えざる攻撃でありながら、それは目標を粉砕し撹拌し塵ひとつ残さず薙ぎ払う神の息吹の如き風だった。
迫り来る死の気配を目前に、ヴェンはただ一度だけ剣を振るった。放電の寸前、剣の素材である鋼が溶け出す限界まで高められた稲妻の力を、前方に向けて撃ち放つ。
旋風の最中を眩いばかりの電光が奔り、雷神の鉄鎚の如き威力をもって衝撃を撒き散らす。
雷電に威力を削がれて、暴風は堪らず四散した。それでもすべての威力を相殺することはできず、無数の風が刃となって白銀の装甲を切り刻む。
竜の鱗を思わせる重厚な鋼が切断され、ヴェンの皮膚を断ち裂く。
そして、高密度の気圧が吹き抜けた直後、穿たれた一点の穴を抜けて燻し銀の騎士が眼前に現れていた。
直前の嵐すらも、この一撃のための布石。あらゆるものが吹き飛ばされ真空となった道を進んで、ロウェルは必殺の刺突を繰り出す。
それは確かに、一方の〝力〟がもう一方の〝力〟を凌駕した瞬間だった。
その瞬間だけは神速の域に達した槍の切っ先が剣の刀身を粉砕し、その担い手たる英雄の許へと至る。
武器を破壊され、既に鎧すら崩壊寸前のヴェンに、その一撃を防ぐ術はない。
追い風を受けた騎士の飛翔は、標的へと届いてその先へと奔り抜ける。
双頭の大槍の先端に手応えを覚え、ロウェル・デヴァイスは勝利を確信した。
しかし、全力の命を撃ち放ったロウェルの意識はもはや風前の灯火に等しい。槍の片側を大地に突き立てて、倒れようとする肉体をどうにか支える。
その背後から、琥珀色の電光が迫り寄った。
「────」
精も根も尽き果て、平常な思考すらままならない状態にも関わらず、マセーラの騎士は背面の気配に機械的なまでの反応で槍を振るった。
騎士として、戦士として体に刻んだ長年の業が為せる一撃だった。敵がまだ生きている理由すら考えず、ロウェルはただ打倒すべく刃を突き入れる。
精確に心臓を抉るべく放たれた刺突は、しかし寸前で軌道をずらされ装甲の表面を切り裂くだけに留まった。穂先が血に塗れるも、致命傷では決してない。
ヴェントス・パウが、神速の槍すら凌いだ理由がそれだった。同時に、フェイラ・ミュステリウムを助け出し、離れた剣を執り、壁面すらも疾走できた理屈と同じ。
《
剣を失い、白銀の鎧すらも辛うじて身に纏っているだけのヴェンは、それでも決着をつけるべくロウェルに走り寄った。
直前の刺突は、なけなしの生命力を残さず装甲の表面に通わせていたなら完全に防げていただろう。だが、それではヴェンのスタミナが尽きる。最強の技を全開で撃ち放ち、全力の一撃を受け切って、彼の魔力もまた枯渇の寸前まで追い込まれていた。
すべては、最後に放つ一撃のために。徒手空拳、何も持たず体中を傷だらけにしながら、白銀の騎士は片腕を振り上げる。
正直なところ、拳を放つ余力すら残されていない。それでもなお勝利を手にすべくヴェントス・パウは右手を伸ばし、
ロウェル・デヴァイスの顔面を、その掌で掴み取る。
「────、……」
目に見える変化は、何も起きなかった。
傍目には、その姿勢のままふたりの動作が止まっただけに見えただろう。
ぐらり、とロウェルの手から槍の柄が零れ落ちる。緩やかな動きに反して、鉄の塊は重さに相応しい音を立てて地面に落下する。
そして、ロウェル・デヴァイスもまたその場に崩れ落ちた。
最後の攻撃、ヴェンが残された力を振り絞り放った電流を頭部に受けて、ロウェルは辛うじて保っていた意識を喪失させる。
「………………」
その銀色の兜に覆われたままの相貌を、しばらく見下ろした後。
ヴェントス・パウもまた、ロウェル・デヴァイスの傍らに倒れ伏した。
英雄になってしまった者と、英雄になれなかった者。
すべての魔力、命のすべてを使い果たして。
ふたりの騎士は、並び立つこともなく、ただ何もない暗闇へと意識を落とす他なかった。
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