第十六章 雷電

 女騎士スイゲツ・カグラとその従騎士フィウスと合流して、ヴェンは出陣の準備を整えた。

 鎧の装着には騎士見習いの少年の手を借りた。簡易型であり常に身に着けていられる電の魔導鎧と違って、付属品の数が多く重量もある甲冑を着るには、従者の存在が必須だった。

 籠手のひとつ、鎖帷子のひとつに至るまで恐る恐る扱おうとするフィウスに、ヴェンは言う。

「緊張すんなって。ただの鎧だろ?」

「い、いえ! とんでもないです!」

 いい加減なヴェンの口調にフィウスは大声で言い返す。それで緊張は少し解けたようで、作業の速度が一気に上がった。

 そして、英雄は数年ぶりに本来のあるべき姿を取り戻した。

 重厚な装甲を持つ全身鎧、一度身に着ければ簡単には脱ぐことのできない鋼の身体を動かし、万全かどうかの確認をする。

 何の問題もなかった。魔導駆輪バヤール《グラーネ》と同様、白銀の甲冑は女魔導師によって完璧な状態を維持されていた。指の先から首の間接部に至るまで、違和感なく肉体に馴染んでいる。

 魔導鎧ブリガンダインの確認を終え、ヴェンは次に武器を片手に執った。身の丈以上の大きさのある幅広の刀身を持つ大剣を、軽々と持ち上げ素早く振り下ろす。

 柄に琥珀の宝玉、刀身にもまた琥珀色の装飾を施された白銀の剣が、軽快な動作に似合わぬ轟音を立てて空気を断ち裂く。

「よし、準備オッケーだな。それじゃ、こいつらのことは任せるぜスイゲツ」

「ああ、マギ・ベルマとフェイラどのの安全は保障する。行ってこい」

 気軽く言ってみせる青年に、女騎士もまた何でもないとばかりに応える。

 それに素顔を晒したままの表情を微笑ませて、ヴェンは戦地に赴く前にフェイラと向き合った。

「んじゃ、ちょっくら行ってくるわ。お前はもう安全だけど、サー・ロウェルは止めないとな」

「……あ」

 あまりにもいつも通りの青年に、フェイラは逆にどうしていいのか分からない。相手が誰であるかをもう完全に理解しているだけに、本人とのギャップにすぐに対応できなかった。

 ヴェントス・パウ、白銀と琥珀色の騎士、《アトラフィスの英雄》。

 そして、最初は魔導人形ゴーレムとしてこの世に生まれ落ちた自分の命を救ってくれた男。

 そこで、最も伝えるべき言葉をまだ伝えていなかったことを思い出して、彼女は目の前の騎士に言った。

「あの……ありがとうございました」

「うん? え、なんで礼とか言い出すの、お前?」

「言ってなかったからです……森で魔導人形ゴーレムに襲われたのを助けてくれた時も、攫われたのを助け出してくれた時も、お礼を言えていませんでしたから」

 何より、最初に命を救ってくれた時のことに感謝の言葉を紡ぎたかった。

「あー、そういやそうだったな。そういう見返りを目的で助けるわけじゃないから、割と忘れちまう方なんだよな、俺」

「…………」

「まあ、言ってくれる分にはありがたいよな。どう致しまして、お嬢さん?」

「……似合ってません」

 格好をつけて言う青年に、フェイラは辛口の感想を告げる。

 それに苦笑して、ヴェンは籠手に覆われた左手を相手の頭の上に置いた。右手に持った大剣を肩に担がせながら、何気なく白銀の騎士は少女に言う。

「んー。お礼もいいけど、たまにはご褒美みたいなのも欲しいよな」

「はい……?」

「お前が庵でご馳走してくれたスープ。あれは本当に美味かった。また作ってくれるんだったら、俺は意地でも生きて戻ってくるぜ?」

「……わかりました」

 褒めてくれたことに頬を赤らめ、顔を俯かせながらフェイラは頷いた。

「一〇人分ぐらい作りますので、残さず食べてください」

「ははっ、流石に俺でもそれは食い切れねぇな。皆で一緒に食べようぜ。お前の妹にご馳走してやってもいいしな」

「へ……?」

 不意打ちの爆弾発言に反応できず、少女は琥珀色の瞳を白黒させるしかない。

 その可愛らしい様子に笑って、白銀の甲冑を纏った騎士は戦場へと青い眼差しを向けた。

「行ってくる。すぐに片付けて戻るから、スープの用意でもして待っててくれ」

「あ……」

 その背中と真剣な眼差しに、彼が向かうのが本当に生死に関わる場所なのだとフェイラは思い知らされた。

 魔導駆輪バヤールにも乗らず、青年はそのまま走り出そうと身を屈ませる。

 問題ない。この程度の距離なら、瞬く内に走破できる。

 旅立とうとする騎士の背中に、フェイラは声の限りに言葉をかけた。

「い……いってらっしゃいっ! ぜったいにもどってきてください……ヴェン!!」

「──おう」

 破れぬ約束を背中に受けて、騎士であり英雄であるヴェントス・パウは最初の一歩を大きく踏み出す。同時に展開した装甲が顔面を覆い、完全なる臨戦態勢へと移行。

 けれど遍歴の旅に出た時と同じ、気負いのない軽い足取りで前に出る。

 違いは速度。続く二歩目を誰の目にも捉えられない速さで刻み、彼は地平の彼方へと姿を消した。






 目標の建物を視認したのと同時に防衛機能が起動するのを、ロウェル・デヴァイスは空中から瞬時に確認した。

 旧市街を移動する軍団の存在は、すぐに帝国騎士団の知るところとなったのだろう。

 迎撃用の魔導人形ゴーレムが雄々しく立ち上がる光景を、彼は視界に収める。

 背の高い周囲の高層建築物に届かんばかりに長大な巨人が、襲撃者たる男を迎え撃つべく金属で形作られた身体を動かす。

 外敵を打ち倒し、あるいは後続の騎士たちが出陣するまでの時間稼ぎとしての役目を与えられた人形。錬金術で精錬された高純度の金属を素材に造られた、戦闘用魔導人形ゴーレムだ。

 突如として出現した巨人の存在に、地上の人々が事態を呑み込めず悲鳴をあげる。

 これぞ、帝国の威光を示す真正の怪物。外敵を圧殺する魔導兵器の最先端。

 巨大で強靭で圧倒的な、

「……ただの的だ」

 呟き、銀色の騎士は片手で大槍を振るった。掌の中で柄を幾度も巧みに回転させ、両端に備えた巨大な切っ先を一閃させる。

 がぎり、と。

 騎士に向けて右腕を伸ばそうとしていた魔導人形ゴーレムの身体が、歪な音を立てて崩れ始めた。

 巨大な金属の塊に無数の筋が奔り、鋭利な切断面を晒しながら新市街の街並へと破片を落下させる。

 完全破壊による機能停止状態に他ならなかった。最初の斬撃で頭部と胸部に収められた魔力核を切断し、続く風の刃で全身を切り刻んだ。

 地上に伏した魔導人形ゴーレムの残骸を見下ろしつつ、ロウェル・デヴァイスは続いて現れた敵の軍団に視線を送る。

 全身に鋼を纏った騎士たちが、襲撃者を討つべく戦場へと立つ。

 ガルストア帝国騎士団が誇る、いずれも魔術で製造された甲冑を動かすための魔力をその身に秘めた魔導の兵士たちだ。戦闘能力は歩兵や傭兵の比ではない。

 だが、軍勢の数ではロウェル・デヴァイスが率いる〈騎士〉も負けてはいない。その石製の身体に刻み込まれるのは、目的を遂行するための完璧な論理ロジックと、自分たちを率いる男が長年をかけて研鑽した戦士としての技巧。帝国の騎士であろうと、恐れる必要はない。

 しかし敵と最初に衝突するのは、魔導人形ゴーレムたちの役割ではない。その務めは、今も昔も他のものに譲るつもりはなかった。

 ロウェル・デヴァイスが、戦場において己に課す機能はただひとつ。

 戦端を押し破り、切り開く。

 それが、《マセーラの一番槍》と呼ばれた自分の役目であるが故に。

「フンッ……!」

 一声とともに、騎士は身に纏った銀色の甲冑を駆動させた。

 背中から膨大な空気を放出し、滑空翼を同時に操り前進する。圧倒的なまでの推進力で己の肉体を動かし、彼は帝国の軍勢の中へと飛び込んだ。

 嵐が巻き起こり、切り刻まれた鋼が砕けて飛散する。燻し銀の騎士が突撃した一角は、総崩れの様相を呈して混乱へと陥った。態勢を完全に整えるよりも早く攻撃を仕掛けられ、崩壊した陣形を戻すことも難しい。

 その混乱をさらに拡げるべく、男は槍を前方に向けて突撃を開始しようとして、

 側面から迫った巨大な刃に、素早く柄を構えて一撃を防いだ。

「貴様……ガルストアの帝国騎士団に盾突こうとは、何者だッ!?」

「……ロバート卿か」

 赤銅色の魔導鎧ブリガンダインを身に着けた騎士の襲撃に、男は冷淡に対応する。

 長柄の武器が力強い動きで振り下ろされ、その先端に備えた幅広の刃が彼を襲う。戦斧を操り、マセーラの統治者たるサー・ロバートは正体不明の外敵を討伐すべく迫り寄る。

「貴公の実力は、充分に承知しているが……」

 防御の姿勢すら取らず、ロウェル・デヴァイスは頭蓋を砕こうと迫る斧の刃を、何の感情もなく見返して、

「今の私には、貴公であろうと敵わない」

「むうっ……!?」

 直撃の寸前、見えざる盾に妨げられた攻撃に驚愕するロバートに、真実を突きつけた。

 幾重にも張り巡らされた空気の層が、不可視の防壁となって斧の一撃を堰き止めている。

 動きの止まった敵に、銀色の騎士は容赦なく反撃した。大槍を一閃させ、真空の刃を作り出して赤銅色の魔導鎧ブリガンダインに叩きつける。

「がああッ……!」

 帝国の魔導技術をもって造り出された甲冑のひとつが、風圧に堪らず吹き飛んだ。体勢を立て直すこともできず、無様に地べたを転がり漸く静止する。

 それでもすぐさま立ち上がり、壮年騎士は銀と翡翠の甲冑を纏った敵と対峙した。

「貴様……まさか、サー・ロウェルか!?」

「如何にも。こちらの正体を知ってもらったところで申し訳ないが、貴公の相手をするのは、もう私の役目ではない」

「なっ……!?」

 男の言葉に周囲に視線を巡らせて、ロバートは絶句した。燻し銀の魔導鎧ブリガンダインと戦っていた僅かな間に、魔導人形ゴーレムの軍勢がすぐ側まで接近していたのだ。

 ロウェル・デヴァイスの脇を過ぎ去り、石製の〈騎士〉たちは命令と同時に標的を殺害すべく陣形を展開する。

 一〇体程度は、目の前の壮年騎士に倒されるだろう。だが、残る数十が同胞の死を犠牲に敵を圧殺する。

「さらばだ、ロバート・バンデラス。マセーラを治める貴公の役割は、この私が引き継ぐ」

 男の宣言に続いて、〈騎士〉の軍勢が一斉に無数の刃を標的に向けて振り下ろし、



 その場を、一筋の迅雷が駆け抜けた。



 縦横無尽の電光が、魔導人形ゴーレムたちの合間を目にも留まらぬスピードで潜り走る。

 至近の距離で当てられたヒト型は、次の瞬間には両断された身体を倒れさせている。

 頭頂から股下まで、一息に。一瞬にして三〇近い数の〈騎士〉が斬り伏せられていた。

 その光景を前にして、ロウェル・デヴァイスは考えるよりも早く肉体を急き立てていた。

 片手で大槍を振るい、前方に向かって風を巻き起こす。

 戦士としての長年の経験が、そうしなければ自分が死ぬと男に訴えていた。

 無数に発生した真空の刃が解き放たれ──その隙間を潜り、一閃の稲妻が男に迫る。

「ッ……!」

 全開の魔力を甲冑に注ぎ込み、全力をもって応戦する。正面には圧縮された空気の防壁。続く一手に、足止めされた敵を仕留めるべく槍の穂先を突き出す。

 だが、空気の壁に直進を妨げられた電光は、刹那の後には男の視界から消え失せていた。

「────」

 背後に忍び寄る琥珀色の気配に反射的に応じ、ロウェル・デヴァイスは前に放ちかけた大槍を瞬時に後方へと振るった。自分自身を軸として、遠心力を加えて薙ぎ払う。

 ギン、と鋼の打ち合う音が鳴る。振り下ろされた剣を弾いた手応えが槍の柄を伝わってくる。

 それでも遅い、と男は動きを止めることなく魔導鎧ブリガンダインを駆動させ続けた。前後左右、死角を含む全周囲に防壁を発生させ、追撃に備える。

 そして、自らはその場から大きく跳躍した。同時に滑空翼を展開させ、頭上に大槍を振り上げながら飛翔する。

 上方から攻撃を仕掛けようとしていた稲妻は、その勢いに弾かれ地上へと降り立つ。

「──チッ。そう簡単にはやらせてくれないか」

 そんな風に呟いて、琥珀色の稲妻は漸く疾走を終わらせた。

 一筋の稲光りを背後に残して、眩いほどに輝く甲冑がその場に姿を現す。

 厚い鋼の重さを全く感じさせない挙動で、神速から一気に急停止する。

 白銀と琥珀色に輝く〝騎士〟が、そこにいた。

 全身を覆う装甲の重厚さは、まるで物語の中に登場するドラゴンの体を包む強固な鱗のようだ。その表面に刻まれた琥珀色の装飾の細やかさは、もはや毛細血管の如き精緻さに至っていた。

 顔を覆う兜の額からは、雄々しい角が左右へと拡がっている。その間を、僅かに紫電が奔って装甲の表面を照らす。

 直前まで振るっていた大剣を、右腕に持って肩に担ぐようにして保持する。戦闘中とは思えない、飄々さと気軽さを同時に伴った独特の雰囲気。

 それが《アトラフィスの英雄》と呼ばれた青年の、ありし日の姿だった。

「……追ってくるか、とは思っていたが。まさか、そのような姿でとはな」

 上空から青年を見下ろし、銀と翡翠色の甲冑を纏った騎士が言う。

 地上から相手を見上げ、白銀と琥珀の鎧を身に着けた騎士は応えた。

「知り合いの魔導師がわざわざ届けてくれてね。それで、何とかあんたに追いつけた」

「き……貴様、何者だ!?」

 一連の攻防を傍観しているしかなかった壮年騎士が、収束した事態にやっと言葉を発した。突然に現れた謎の騎士に、その素性を問いかける。

「ああ、ロバート卿。ちょっとばかりご無沙汰でしたね」

「む、貴様、私を知って……?」

「あ、この格好じゃ判らないか。えーっと、流浪の旅人って名乗ってた者なんですけど」

「あ……まさか貴様、あの時の……!?」

「そうそう。アトラフィス王国騎士団がひとり、ヴェントス・パウ。ガルストア帝国騎士団の救援に駆けつけました、ってね」

「…………はあああぁぁあッ……!?」

 訳が解らず、壮年騎士は事態も忘れて困惑の声を戦場に響かせた。

 オーバーなリアクションだなあ、と思いつつ、ヴェンは頭上の相手から視線を外さぬままロバートに告げる。

「サー・ロウェルの相手は、俺に任せてくれませんか。あんた達には、魔導人形ゴーレムの破壊に集中して欲しい」

「む、な……《アトラフィスの英雄》だろうと、私に指示ができると思っているのか!?」

「いや、別に参戦するって言うなら止めませんけどね。さっきの俺たちの動きに付いて来れるなら、むしろ味方として歓迎したいぐらいだし」

「……承知した! 聞け、帝国騎士団の戦士たちよ! 敵の首謀はサー・ヴェントスに任せ、我々は全力で魔導人形ゴーレムの撃破にあたる!」

「…………現金つーか、なんて言うか……逞しいな、あの人も」

 迅速な手の平返しに呆れながら、青年はすべての意識を眼前の男へと向ける。彼とロバートのふざけた会話を黙って見ていたロウェル・デヴァイスは、漸く本題を切り出す。

「なぜなおも私の前に立ち塞がる? この国マセーラの行く末など、貴様にもアトラフィスにも関係がないはずだ」

「あん? あー、そりゃそうかもしれねぇけどさ。でも、この何日かだけでも色んなマセーラの人と話す機会があったしな。アトラフィスはともかく、俺自身が関係ないってことはねーよ」

「……貴様の目的は既に果たされているはずだ。フェイラ・ミュステリウムを奪還した時点で、もはやこの場に現れる理由もなかっただろうに」

「うーん……それはちょっとだけ違うな。確かにフェイラは取り戻せたけど、それだけで俺の気持ちが晴れるわけじゃない」

「貴様の感情、だと?」

「そうだ。あいつにあんたがしたことは、まだ解決してねえ」

 担いでいた大剣を下ろして、言葉に静かに怒りを込めてヴェントス・パウは告げる。

「あんたはあいつを泣かせた。それだけでもう、俺はあんたが許せない」

「……くだらん」

 言い捨てて、ロウェル・デヴァイスは大槍の片先を地上の青年に向ける。

「貴様に騎士の資格はない。自らの感情だけで動く者など、騎士の風上にも置けぬ恥晒しだ」

「…………あんたにそう断言されると、やっぱ傷付くな」

 絶望とは程遠い調子で、ヴェンは肩を竦める。

 確かに今の男の言葉は胸に刺さったが、心的外傷トラウマになるほどではない。もっと酷い傷を負いかけた時に、救ってもらったことがあるからだろうか。

(……ああ。これは、言っとかねえとダメだな)

 思い至って、青年は真っ直ぐに男を見上げた。既に決別は確定しているのだ。ならば、せめて決着をつける前に伝えておかなければならない言葉がある。

「サー・ロウェル、あんたに言っておきたいことがある」

「聴くつもりはない。クーデターを決行した以上、猶予など欠片ほどもないのだ。直ちに貴様を殺し、ガルストアの騎士どもを制圧することが、今の私の役目だ」

「ああ、あんたに余裕はないよな。時間的にも、肉体的にも」

「…………知っていたか」

「いや、何となくは解るさ。本当なら、あんたにその魔導鎧ブリガンダインを動かせるほどの魔力はない。フェイラに頼んだのは、戦闘力の強化と同時に、あんたの魔力を補うための魔術の考案だろ。けど、それは未完成のまま。……あんたの体は今、どれだけ死にかけてる?」

 装着者の生命力まりょくを動力として機能することが、魔導鎧ブリガンダインの条件だ。

 膨大な魔力を身に秘めた者ほど強大な戦闘能力を得ることが可能であり、逆に生命力に乏しい者であれば魔術によって製造された甲冑を動かすことすらできない。

 魔導鎧ブリガンダインを駆動させるほどの生命力を持つことが、騎士としての最低条件なのだ。そして、その中でも飛び抜けた魔力と戦闘技術を持ち得た兵士が一流の騎士と称される。

 ロウェル・デヴァイスにその能力はない。だからこそ、四年前のあの日に男は敗北したのだ。

「…………」

 無言のまま、彼は自身の肉体を制御する。

 震える指先を、痙攣を起こす筋肉を、激しく動悸する心臓を力尽くに鎮める。

 自らの命を喰らって動く銀色の鎧をもって、死に向かう肉体を御し切る。

 いわおのような覚悟で意識を繋ぎ止め、ロウェル・デヴァイスはヴェンに告げた。

「──些事だ。私の命がここで尽きることなど、マセーラの尊厳を取り戻す使命に比べれば取るに足らない些末に過ぎん」

「……そうか」

 愚かだ、とは思わない。先程、少女を助け出すために青年も似たようなことをしたばかりだ。

 むしろ、その克己的ストイツクな性格に憧れてしまうぐらいだった。だからこそ、やはり自分の気持ちは伝えておかなければならない。

「サー・ロウェル。俺の身の上で申し訳ないが、言わせてもらう。正直なところ、俺は迷ってばかりの人間だ。自分が本当はどうすれば良いのか、旅の間でも悩んでばかりだった。それでも、あの時にあんたがくれた言葉があったから、とにかく前に進もうと何度も思い直せた」

 相手の都合など知ったことか。一度は、片腕で持ち上げられながら延々と厳しい言葉を聞かされたのだ。これぐらい勝手にさせてもらわなければ、気が収まらない。

「騎士の世界ってのは、子どもの頃の俺が思ってたのよりもずっと現実的だった。現実それだけだったら、俺はとっくに騎士になるのを諦めていただろうし、なりたいとも思わなかったはずだ」

 頭上で風が巻き起こる。さっさと言い終わらなければ、伝え切る前に始まってしまう。

 遠い日の記憶を思い起こしながら、青年は言葉を紡ぎ続ける。

 目の当たりにすることで一度は諦めようとしてしまった、残酷な戦場の光景を。

 そんな絶望から救ってくれた、男の姿を。

「あんたがいたから、俺はやっぱり騎士になりたいと思った。あり続けたいと思えた」

 感謝する、と。言いたかったすべてを伝えて、ヴェンは両手に剣を執る。

 白銀の装甲に施された琥珀色の装飾が青年の膨大な魔力を許容し、残さず全身へと循環させる。その輝きは、過酷な戦場に残された希望ひかりのようですらある。

 上空に存在する燻し銀の鎧もまた、翡翠色の輝きを増大させる。命を燃やして放つその美しさは、地に立つ者を畏怖させる空からの威光か。

「アトラフィス王国騎士団が筆頭騎士、ヴェントス・パウ」

「マセーラ王国騎士団が一番槍、ロウェル・デヴァイス」

いかずち魔導鎧ブリガンダイン地上の神鳴ケラブノス》──くぜ!」

かぜ魔導鎧ブリガンダイン天空の息吹ケイモーン》──推して参るッ……!」

 稲妻が奔り、疾風が吹き荒ぶ。

 ふたりの騎士は、自らの意志を賭して互いの肉体を駆り立てた。

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