第4話 そのころ、青年は

山道からセシリアが見えなくなったところで二人は視線を交わし、馬上にも関わらずおもむろに上着と帽子を脱ぎ、裏地を表にして無造作にまとめ鞍の前に置く。


早朝ならば息が白くなるほど寒い土地だが、正午に近付き空気もあたたかくなった今なら白いシャツとベストでも凍えるほどではない。赤すぎる赤で目立つあの服は、遠目からでもよくわかるので必要な時以外は別の上着を着ていた。


馬二頭がどうにか並んで歩けるほどの道を、ゆっくりと下っていく。


土の道だがよく人が行き来しているのかしっかりと踏み固められおり、小石をたまに踏みそうになる以外は悪くはない道だとパトリックは感じた。道の両脇は高い杉林になっており、倒木も少なくきちんと手が入っていることが窺える。


つまりは村と少女の関係はとても良好だということだ。畑や庭、屋内の小綺麗さから彼女が働きものだと理解できても、この道をここまでひとりで手入れするには無理がある。村の端にある山道への入り口から少女の家まで歩いて約十分、馬であれば約五、六分だ。短い距離ではない。


パトリックはちら、と上司を横目で見た。無口で必要なこと以外は話さないので、会話の呼び水として少し大きめの声で話しかける。


「いやぁ、大収穫でしたね」

「そうだな」

「領主を飛び越えて正解でしたか」


四日前にテニ村の村長宅に先触れもなく訪問したが、直にそこへ行くとアベルが言い出したのは更にその三日前だった。


今まで通り一番若い者がリネラの領主宅を尋ねようとしていた矢先のことだったので、アベル以外のパトリック含む四人は驚いた。先触れの書状もとっくに用意してあり、流石にそれは慣習を無視しすぎではと声が上がったが、上司は首を縦に振らなかった。そもそも地位は低いとはいえ貴族をすっ飛ばして平民を尋ねるのは常識外れであるし、下手すれば回り回ってローズモンド侯爵への侮辱だと言い出されかねない。


だからこそ村人達にはきつく口止めをしたし、乗ってきた幌馬車には印を付けるような立派ではないものを、馬車を曳く馬も駄馬とは言わないが垢抜けぬものを用意した。遠目からは貴族が乗っているなど思いも寄らないだろう。


蛇足だが、その幌馬車は今山道の入り口に止めて残りの三人と共に待機させている。


幸いテニ村はリネラ領の中でも端にあり、周囲を高い杉が囲んでいる土地であったので、こっそり入るには苦労のない場所ではあった。


領主の館はもう少し北東の開けた見晴らしのよい丘にあり、その周りに家々が集まり宿や酒場もあるそこそこ大きな町になっている。山間のテニ村にはリネラ領主の執事が時折やってくる程度だ。


そもそもテニ村は百年前に村人が開墾した新しい土地で、杉林を切り込みそこを牧草地としながら、僅かな平らな土地で細々と麦を穫っている特に特徴もないところである。それでも一月後セシリアを伴って向かうルカルナシオンとこのテニ村とはひとつだけ共通点があり、それは北西にそびえ立つブローズ山脈の麓であるということだ。


ルカルナシオンより街道を南西に下り、人の足で約七日、馬で四日。その間西側の奥には常に絶壁の山々が連なり、テニ村を越えてもう少し南下するとようやくその尾根は地上と繋がりはじめる。そしてその辺りを境に狼や熊、イノシシが多く出没しはじめる。


つまり山脈に近いとはいえ、テニ村の辺りにはそれらが出てくる可能性があるということだ。


開墾を許されたのはそれも理由のひとつだろう。それより北には狼も熊も現れない。なぜなら山脈の天頂フィリムルラには竜が棲むからだ。その麓にルカルナシオンがあり霊廟がある。九年前、現王が即位してからルカ村から名前を変えた聖自地区、そこは古来より竜を信仰してきた土地だ。改名に慣れない人からは今もルカ村と呼ばれている。


その元ルカの地へ一足飛びに少女を連れて行くことを決めたアベルに、パトリックは意味深な視線を投げた。王都を二ヶ月前に出て、王命の元いくつか町を訪ねたが、最後の最後で慣習破りを数回行った上司の真意を知りたかったが、当のアベルは特に何の感情も見えない顔で小さく頷く。


「思った以上に末端部は汚れているものだな」

「リネラの領主ですか? ……確かゴーチエの三代目だと。議院に出すのなら調べますけど」

「その他にもだ。それにまだいい。表立った疑義も明かな実害もない以上、出すだけでこちらに面倒な視線が向く。当面は放っておけばいい」

「まぁ、そうですね。特別噂などな、い…………いや、ちょっと下世話な噂だけの男ですし」


テニ村の魔女は村人によって隠されていたわけが、隠す理由もちょっとわかる気がしたパトリックだ。


時間をかけて杉林の山道を上がった先急に開けた土地へ出る、そして手の行き届いた庭で丁寧に草を毟っていた年若い娘。こちらに気づいて顔を上げ、立ち上がった際に被っていた麦わら帽子を脱いだときの陽光に煌めく編み上げられた金の髪、驚いて見開かれた北国では見られない鮮やかなブルーの瞳。


近付くと、ツンと上向いた眦と形のよい鼻梁、小さくふっくらとした唇が見えた。適度に距離感を保ち、ハキハキと答える姿も良い。背は高すぎず低すぎず、磨けば王宮で流行っているドレスを着せても充分着こなせるポテンシャルさえ感じたほどだ。


近年では銀竜の巫女様の影響か、楚々とした細面の色白な美人が注目されているが、むしろ北国にはない健やかに焼けた肌と色彩の華やかさ、瑞々しい色気が唯一無二として注目を浴びそうではある。少女の出身が貴族であれば、あの娘をぜひ侍女にと望んだ上級貴族のご婦人もいただろう。


完全に憶測で邪推的ですらあるが、見目が良い故に好色な噂しかないかの貴族には近づけたくなかったのではと想像してしまう。


四日前に突如訪問した村長の屋敷ではセシリア宅を訪問したときと同様にアベルが主導し、麦の収穫の良好さから始まり、土地の管理方法、教会への参拝・信仰などなどを質問する。そして提出させた諸々の書類からセシリアの存在を嗅ぎ付けた。


(声を張り上げないけどなんか怖いんですよね、このお人は)


その時も後ろで侍り、細々としたことを手伝っていたパトリックはその時を思い出す。


セシリアの存在を肯定させてから、なぜ魔女として申告しなかったのか、から始まり、教会の名簿、領主への申告などへも静かに追求していく。


しどろもどろになりながらも腰を痛めた村長の代理で対応に出ていたその息子や妻は、遠回しな物言いで領主への言及を逃れ続けた。先ほどの下世話な邪推はさて置き、気性への恐ろしさか、所行への忌避か、当の領主に会ったことのないパトリックには解らないが、少なくとも手放しで歓迎されていないことだけはよくわかった。


「それにしてもよく気づきましたね、魔女がいるなんて」

「最後は勘だが、だいたいは調べて目星を付けて置いたからな。……先に回った町でももしかしたら才ある者は見過ごされていたかもしれないな」

「秘匿されていると?」

「それはそうそうないだろう。存在を無視しているか、もしくは飼われているか」

「あぁ、セシリア嬢も領主に報告なんてしたら、館に閉じ込められ――」

「パトリック」

「申し訳ありません」


いつになく厳しい声に馬上で頭を下げて謝罪する。

やや潔癖の気がある上司の性格を知っていて、少し口が滑ってしまった。素直に反省する。


「彼女はもはや大切に育てるべき国の財産だ。慎め」

「は、すみませんでした」


そこで慣習破りの懸念事項を思い出す。

「そういえば、勝手にルカルナシオンに行くって決めましたけど、侯爵様にはなんと言うおつもりです?」


通例であれば領地の教会に、そこではなくてもナッセアの中で済ませるよう決められている。そこをさらに飛び越えてフェルナダに行くなんて決めたのだから、どのような考えがあるのかと気になっていた。それを正確に読み取り、アベルは答える。


「彼女はもう読み書きはできる。いまさら教会で字の練習などする必要はないだろう」

「それは、そうですが」

「それにあの星図を一人で描ききったのだから、ナッセアに彼女を指導できるほどの人物はいまい」


この時パトリックは知り得ないことだったが、アベルは昨年王命により数十年分の各領地の小麦や作物などの収穫量やその時の星図、十三ヶ月のカレンダーをまとめた資料を渡された。ここから何かを読み解けと命じられて、一年をかけて読み込み、ある仮説を立てて今回訪れるべき町を拾い上げていた。その時に百に近い数を見た星図と、今回村長宅やセシリア宅で見た彼女手製の図はなんら遜色のないものである。またアベルの見た星図のほぼ全て大教会が作成した物だと考えれば、そんじょそこらの教会や修道院に下手に放り込めない人物だ。


「だからルカルナシオンへ?」

「ローズモンド侯爵の領地内なら、隣のサンザリアへ行くよりいっそルカへ行った方がいい。侯爵家お膝元のバイスル教会は司教が常に居られるが、貴族の世に染まった神官よりも、銀竜の巫女様がいらっしゃるルカ修道院の方が農民出の彼女には息がし易いだろう」

「……手を掛けすぎては?」

「芽を潰すよりもマシだ。陛下はより優秀な人物を欲している。これは全て王のためであり、国のためだ」

「左様ですか」


王様を天秤に乗せられたら適うわけがない。


大人しく引き下がった部下に、アベルは視線を寄越しながら聞く。


「茶は美味かっただろう」

「びっくりしました。なんのハーブですかね? さっぱりとしているのにほんのりと甘い。上級宿で出されても文句ない美味さでした」


最初見たときは知らない者が出した物を口に入れるなんて、と注意するつもりだったが、帰り際に飲まされてその美味さに文句が飛んでいってしまった。


「薬草やハーブの知識も問題ないはずだ」

「……その根拠は何ですか」

「昔、巫女様がお茶を淹れてくださった時におっしゃっていた。茶には淹れる人間の知や人なりが出ると。機会があればきちんと味わうといいと」


また反論の出来ない人物を天秤に乗せてくる、とパトリックは口を噤む。


この国で巫女と言ったらただお一人。ルカルナシオンの銀竜の巫女だ。


ただひとり竜に認められ、九年前十七歳の時にその竜へ嫁ぎ、聖自地区と名を変えた彼の地を王より任された人である。


元々旅商人の出であると噂される方だが、その慈悲は北の海より深く、ブローズ山脈の天頂にも届くと吟遊詩人たちに歌にされた人だ。たしかに貴族神官ひしめくバイスル教会よりも、居心地は良いだろう。良いだろうが。


「侯爵様にはなんと言うおつもりです?」

もう一度先ほどの質問を口にした。


百歩譲ってルカは良いだろう。こちらには王の命もあり、巫女は慈悲深き方だ。しかし自治を任されても実際の統治はローズモンド侯爵が行っている。こちらは両者の話し合いの末に決まったことだが、流石に今回の件は話を通さないといけないだろう。ここは上司もそのつもりのようで、そろそろ見えてきた山道の出口を眺めながら今後の予定を口にした。


「これから至急書面を揃え、事情をお伝えするために向かう。お前達は王都に戻り、陛下に報告するように」

「……まさか、おひとりでいくつもりじゃあないでしょうね?」

「……行くが?」


深く深く深くパトリックはため息を吐いた。


何度もしつこく言うが、本来ならばナッセアの中で済まさなければいけない。そのところをすっ飛ばして、フェルナダのしかもルカルナシオンに勝手に決めたことを許してもらわなければならない。それだけの書類を整え、侯爵だけではなく勿論王にも話を通すのが臣下として当然の業務だ。いや、ダメだ、逆だ。王命なのだから最初に王に報告をし、その出自を詳しく調べ怪しき者でないと判断されてから侯爵へ書状をもち、正式に認可するよう署名を求める。その後侯爵とルカルナシオン及びルカ修道院で話し合いを持ってようやく受け入れの手続きが完了する。


アベルから話を持ち込めば侯爵は聞くだろうが、本来の手続きの順を入れ替えてさらにそれを一月で終わらそうとする上司に頭を抱えたくなる。


そしてそれ以上に受け入れられないのが今の発言だ。


「あのですねぇ、アベル様」

「うむ」

「いい加減ご自身のご身分をご理解ください。おひとりで行かせられるわけないでしょう!」

「大丈夫だ」

「大丈夫云々の問題ではありませんっ。多数決を取ります。アベル様が勝ったらおひとりで。わたしが勝ったら一人か二人付きますから」

「……結果が見えていないか」

「見えている結果を無視したのは貴方の方です」


む、と押し黙るアベル。現在馬車で待たせている三人が自分の方へつくことはないのが日頃のやりとりのなかで察せられる。


確実に四対一になることが想像できたので、ここは潔く降参した。


「仕方ない。パトリック、付いてきてくれ」

「かしこまりました。ローウェン閣下」

「閣下はやめろ」

「はい、第三近衛騎士団副団長アベル・ローウェン様」


アベルがため息を吐くとほぼ同時に杉林を抜け、雲にも木々にも遮られていない太陽の下に出た。


眩しさに目を細めていると、帰ってきたのを見つけた部下達が馬車から降りてくる。アベルから手綱や上着を受け取り、馬上から降りると今度は馬車繋ぐために連れて行った。


そして二人が幌馬車に乗り込み、カタカタと去っていく姿をじっと畑から見ていたポレットは、姿が見えなくなったのを何度も確認しながら彼らが下りてきた道を上って行くのだった。

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呪われ魔女のセシリアは、宮廷魔導師に成り上ります! 宇佐木 綾 @atuti

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