第3話 そのころ、少女は②

ポムとノルがバロンにちょっかいをかけて転がされる横で、その不穏さにベエベエと不安で鳴く山羊たちを落ち着かせるべくせっせと青草を刈って運んでいた時、ポムとノルがぱパッと山道の方を振り向く。一瞬の静けさに振り向くと、その時にはもうバロンの姿は消えていた。


あの巨躯にも関わらず、相変わらずの気配のなさである。


再びスカートにくっついてきたポムとノルを彼らの住処である両耳の耳飾りに戻して、草を運びながら少し待つと特使達が帰っていった山道のほうから、ふくよかな壮年の女性が足早にやってきた。


「ポレットおばさん!」

「セシリア! 大丈夫だったかい!?」


ぱあっと明るくなったセシリアとは逆に、ポレットと呼ばれた年嵩の女性は厳しい顔のまま速度を上げて駆けてくる。


「……どしたの?」

「どうしたもこうしたもないよ。こっちに赤服が来ただろう? 何か無体なことはされてないだろうね!?」


思ってもみない言葉にぎょっとする。


「なっ、大丈夫よ! ほら、みて。わたしも家もなんともないでしょう?」


焦ってポレットの前で両手を広げくるりと回ってみせる。朝の畑仕事で多少汚れてはいるが、何もないことは火を見るよりも明らかだ。それでもポレットは側まで来た後、セシリアを前を向かせ後ろを向かせ、上から下までじっくり眺める。


就職先と戸籍ゲットのチャンスで狂喜乱舞の舞を踊り、バロンと例の件を問答した後では流石に居心地が悪かった。が、よく考えれば年頃の娘の元に男が二人向かうことを心配する気持ちも察したので、大人しく両手を広げたままくるくると回される。


しばらくして気持ちが落ち着いたのか、深い深い安堵の息の後、ポレットは少女に促されるまま家の外壁にの沿うように置かれた椅子代わりの丸太に腰掛けた。


セシリアはそのまま家へ入って、朝摘みのハーブをいくつか洗って陶器のコップに突っ込み、早朝裏で汲んできた水をそこに満たしてマドラーでくるくるとかき混ぜる。それを二つ分用意してポレットの元に戻った。近くの木箱を側まで寄せて即席のテーブルにする。


「はぁ、寿命が縮んだよ」

「大袈裟じゃない?」


はい、とコップを手渡しながら自分も横に座ると、ちょっとねめつけられたので小さく肩を竦める。心配してくれているのは実は嬉しいことなので、ここは素直に謝った。


「心配かけてごめんなさい」

「あんたは悪くないさ。突然に来た赤服が悪いよ」


ぷりぷり怒りながらコップに口をつけるポレットにこっそりとセシリアは笑った。

セシリアの無事を確認し、ハーブ水を飲んで落ち着いたポレットから話を聞くに、特使の団体は四日前に突然テニ村へ現れたという。先ほどセシリアの家を尋ねてきたのは二人だったが、実はもう三人いて幌馬車で山道への入り口で待っていたらしい。


山から帰ってきた二人が幌馬車に乗り、馬も前に繋がれて去っていったので、様子を見に来たとポレットは言う。


「うわぁ……」


流石に五人で来られたら恐怖が勝って着の身着のまま逃げるな、と思う。それを見越して二人で来たのだろうが、まさかそんなに前に一度来ていたとは思わなかった。終わったからこそ言えることだが、二人で来てくれて良かったし、逃げなくて本当に良かった。


「悪かったねぇ、何も言わなくて」

「ううん。こういうのってきつく口止めされるんでしょ? 仕方ないよ」

「すまないね……」

「いいって、大丈夫だったから」


本気で落ち込みはじめたポレットに苦笑いしながらセシリアは首を横に振る。最悪自分の身はどうにかなるが、その最悪の時には確実に村へ迷惑がかかるので、本当に丸く収まって良かったと思っている。


ただまだちょっと落ち込み気味なので気を逸らすように、話の続きを聞く。


「四日前に来て何かしていったの?」

「あぁ、そうそう。村長の家にね、全員で入って、なにか調べていったらしいよ。外からはなんにも見えなかったけど、なんだかてんやわんやしててねぇ」


後からポレットが聞いた話では、数年分の村の書類という書類を検分していったらしい。セシリアの家で紙という紙を出させたことを、先に村長宅でやったのだ。


「あららー」と相づちを打ちつつ、手慣れてるなぁとも思った。


テニ村はあまりにも辺鄙で村としての規模も小さいので、ここには教会がない。つまりは聖職者が在駐していない。村の中心に礼拝堂はあるが、みんなが働く時間はがらんどうとしている。鐘を突く役割の家が村の中にあって、その人たちだけ特定の頃合いになったら礼拝堂へ入るが、やはり基本的には無人だ。ちゃんとした教会があるところは神官が村や町の記録をつけ、残しているので書類を探すなら一般的に協会一択である。


なのにその一択で村長宅に来たのならば、よく調べてきたのか、前例を踏んでいるのか、はたまたその両方か。


想像していなかったが、『より優秀な者を欲している』は結構強い意志でやっているのかも知れない。上流階級の思いつき、なんて一瞬でも思ったことを撤回しておこうと思う。


「それで四日後の今日にまた突然来たの?」

「……それがねぇ、又聞きなんだけど、あんたのことを言ったらしいのよ」

「……わたしのこと? 魔女がいるって?」

「いやね、詳しいことは本人も言わなかったらしいんだけど、赤服がこの村には魔女がいるだろう、って言ってきたんだってさ。あんまりにも怖くて頷いちゃったらしいのよ」


あぁ、だからこんなにも申し訳なさそうにしているのかと納得した。言ったのはポレットではないはずなのに、義理堅い人である。


「……やっぱり仕方ないよ。あの赤服様だよ? 国の特使様だよ? そんなのになんて逆らえないよ」


びっくりするよねーと膝を抱えつつ心から同調すると、ようやくポレットの顔色も良くなった。ただ次の質問には吹き出してしまう。


「本当に何もされていないね?」

「大丈夫だってば! さっき確認したじゃないの」

「あんたは別嬪だからねぇ」

「もうっ」


心配してくれたり褒めてくれるのは嬉しいが、流石に王国特使の上級貴族様なら本物の別嬪を見慣れているはずだ。


ここ三年、バロンの暴言を度々受けてきたセシリアにそんなものと自分を並べる自信など微塵もあるはずはなく、村内でちょっと褒めてもらえれば嬉しいくらいの気持ちである。もしくは目分量でいれたハーブ水が絶妙で美味いことを自画自賛するくらいで丁度良かった。


大きな事は望まない。戸籍が欲しい。

……あれ? 戸籍は大きな事か? と思ったが、まぁここで生活していくためには必須ので大小は考えないでおく。


そして戸籍で思い出した。


「……おばさん、どうしておばあさまはご領主様に滞在や居住のお許しを申し出なかったんだろう」


唐突な言葉だったが、訪ね返してこないのはポレットもそのことを承知済みだということなのだろう。


「……さぁ、あたしたちもあんたたちはここに長くは居ないんじゃないかって思ってたから……。もう随分と前の話だけど」

「うん……」


思い出すのは、夏の陽ざしと、日よけの布、そして金色の麦畑だ。


セシリアの一番最初の記憶は、降り注ぐ真夏の太陽とそれを遮る日よけの布が、バタバタと海風でなびいている光景である。


ここロザ王国よりも南にあるマナンビア帝国の、さらに南海岸沿いで生まれ猫にまみれて暮らしていた。


その頃祖母は漁港で働いていて、留守の間は猫とバロンにお守りをされていたような気がする。そこから色々あって物心つく頃には町や村を点々とするような生活になっていた。


マナンビアでは徐々に魔女の排斥が大きくなり、どういった経路かは殆ど覚えていないが祖母とバロンと自分と一匹のロバで、南の森から逃げ込むようにロザ王国に入ったと思う。


そこからもひとところに留まることなく旅人としてあちこちを歩き、最後にここテニ村へ辿り着いたときにはセシリアは六歳になっていた。


夏の初め、冬蒔きの麦を収穫したばかりの金色の畑や、礼拝堂で数日泊まらせてもらった際に出してもらった麦粥のことを今でも覚えている。


連れていたロバは路銀の足しにとっくに売ってしまっていなかったが、そのお陰か多少お金はあったし、野宿した際にはバロンが肉を狩ってくるので特別飢えることはなかった。それでも麦が粥になったものを頬ばったのは久しぶりだった。微かにミクルが香ってほのかに甘く、大事に大事に食べた。


そうだ、あの時も誰かに金色の髪を褒めてもらった。麦畑の色と同じだと。


転機は、村を出るか出ないかで祖母が葛藤していたときだったと思う。冬は格別に寒いところだが人々はあたたかく大らかで、その気性に惹かれていた。


そして事件は起こる。


大袈裟に言ったがいわゆる集団腹痛で、礼拝堂を貸してくれたり食事を別けてくれたお礼として祖母が道具を借りて薬湯を煎じ、振る舞った。薬はよく効き、そして祖母は村人たちに魔女だと知られる。その後村の代表である村長が、みなの意見だとして礼拝堂を尋ねてきたのはみんなの腹痛が治まって、すぐだ。すでに出立の準備を完了させていた自分たちに驚き、焦る。


『どうかそちらさえ良かったらここに留まらないか』『村の外れだが貸せる場所があるので、これから冬だし、寄って行かないか』『代わりに薬湯や軟膏をもらえると有り難い』と村長だけでなく、後ろから付いてきた数人も口々に祖母を口説いていった。


小さなセシリアは旅をすることだけで精一杯だったが祖母はきちんと周りの人間を観察してきただろう。


ここロザ王国はマナンビア帝国のような魔女の排斥運動をしておらず、魔女に対しての悪感情を発露させていないことを。けれど部外者からは国内の人間が魔女に対してどのような感情を持っているかわからない。


腹をくくって、色々と自分たちの事情を話し、向こうの事情も話してもらったともう少し大きくなってから聞いた。恥ずかしながら、その時はもう一度麦粥を食べられるかもしれないという食いしん坊な思考で頭がいっぱいだったので、なんか大人が真剣な顔しているという記憶しかない。


最後は村長達の言う、魔女の煎じる薬や軟膏はとても良い物で、王国でも優秀な魔女は多く登用されている。よければ長く居てくれると嬉しい。家は、現在は猟師の使う小屋だが、冬が来る前にもう少し住みやすいように少しずつ改築しようという言葉に頷いたそうだ。


今思うと大らかすぎるのもちょっとどうかと思うが、祖母が感謝やお礼以外には何も言わないので、当時は麦粥はなくなったがそれ以上に案内してもらった先にある小屋が、自分たちの家になることに感動しきりだったと思う。なのでこの時バロンが珍しくしょげきった顔でいたことには気づかなかった。


そしてその元猟師小屋と小さな空き地だった場所が、現在のセシリアの家と庭である。


改築の約束は少しずつ果たされ、猟師小屋だったものは現在の納屋。その隣に今の小ぶりな母屋が建っている。庭もこつこつと二人で整備し、今の大きさまで広げることに成功した。


定住を得て、心と体の余裕が出来たことでその頃から順に魔女の修行が始まった。ポムとノルとの調整もその頃から少しずつはじめている。


祖母は自分の修行を見つつ、きっと村へのお礼も欠かさなかったことだろう。だからこそセシリアは今でもこうやって心配してもらえるのだ。これからもこの定住という安息を、感謝という行動で示して生きたいと思っている。ゆえに、戸籍を得て村に迷惑をかけない未来が嬉しい。


「みんながやさしくていい人ばっかりだったから。わたしもおばあさまもここが大好きで離れたくないんだよ」

「やだよう、この子ってば」


真剣なセシリアの言葉に照れたポレットはパタパタと手を振りながら笑う。


「あんたの作る薬は良く効くしね。毎年くれるセイズ? とやらも村長が褒めてたよ。……まぁ長く居てくれれば居てくれるだけ有り難いと思ってたけど、まさかこんなに長く居てくれるなんて思わなかったからね」


しみじみと呟いたポレットに感化されてこちらもしみじみとしていたが、一番大事な事を言っていないことに気づいた。


「そういえばおばさん、赤服の方達はなんで来たのかって、そっちで言ってた?」

「あぁ、そういえば聞いてないね。なんか言ってったのかい?」


聞き返されて自然と背が伸びた。なんとなくかしこまって空咳をこほんとこぼす。


「あのね、王国の特使様も私の星図を褒めてくださったの。良くできてるって。でね、魔導師の候補生に推薦してくださったの! お仕事も……、きちんとできたらルカ修道院の名簿に載せてやってもいいって言ってくださって!」


少しずつ見開かれていくポレットの目を真剣に見つめ返す。


「わたし、ルカルナシオンに行くわ。行って修道女見習いをしてくる!」

「なんでまたそんな遠くへ……」


心配そうに顔を暗くしたポレットに、安心するようににこっりと笑い返した。


「大丈夫よ! 確かに北の端だけど、ローズモンド様のご仁徳ある施しで行く道もしっかりしているし、街道沿いも安全って聞くし」


そしてお願いしたいことは次だ。


「だからそれはいいんだけど、家をどうしようかなって。何十日も、もしかしたら何ヶ月も空けなくちゃ行けなくなるらしいから、いっそ戸締まりしちゃおうと思うの。……麦畑はもう踏んで、野菜の種はまだ蒔いてないからいいんだけど、冬のために溜めてた食料がまだちょっとあって……。出立はひと月先らしいから大丈夫だと思うんだけど。もし残ったら村のみんなに食べてもらいたいのだけど、麦畑も含めてお願いしても大丈夫かな?」


「それは、どうしても行かなきゃいけないことかい?」

「……特使様は王命だっておっしゃっていたから……、多分、お断りすることは出来ないと思う」


心の底から心配そうに首を横に振るポレットに、セシリアはなんとなく気まずげに告げた。王命のことは本当だし、断れないのも事実なのだが、なんとなくそれを言い訳に使っているようで真っ直ぐに見つめ返せなかった。


「あ、でもっ、でもね、お給金も出るのよ! わたしも一端に働けるわ!」


目を見ずにつとめて明るく向かう先のことを話すセシリアに何かを感じたのだろう、ポレットは心配は消しきれないまま、それでも笑ってみせる。


「……そうだね、あんたももう十六だ。ルカで働いて、名簿に乗ればほんといいことだね」


「うん! 立派になって帰って来るからね!」


少し目を見開いたポレットは「そうかい」と笑った。


「いいさ、食料だね。もらえるんならよろこんでみんなで分けさせてもらうよ。麦の様子も含めて家もちょいちょい見に来るからね」

「ありがとうっ! ……あ、あと鶏と山羊もいい? 鶏は時期が来たら食べちゃっていいから。それから庭の端にリンゴとかも植えてるから実がなったら食べちゃって欲しいの。ほっとくと獣が出ちゃうし」

「まかせなさい。帰ってくるまでうちか協同の牧草地で面倒みるからね。鶏も麦も果物も、ありがたくいただくよ。……そうだ、行く前にこの前つくってくれたあの軟膏。行く前にもうちょっともらえると助かるんだけどいいかい?」

「あれなら材料が残ってるから大丈夫。他の乾燥ハーブも残ってるから……、お茶とかのレシピ書いておく?」

「助かるわ」


伝えきってほっとするセシリアとは逆に、不意にポレットは苦笑いをこぼす。


「?」

「いやね、村長が何て言うかなってさ」

「村長が? そういえばてんやわんやだったって言ってたけど、何かあったの?」

「あははは。赤服が来たって言って文字通り腰を抜かしちゃったのよ。息子のドニが全部対応してたけど、その間布団の中で震えてたらしいわ」


肝の小さい村長らしい。想像ができてセシリアも苦笑いした。


「あと、セシリアを孫の嫁に、なんて息巻いてたから。ルカに行っちゃうんならもう一回腰を抜かすんじゃないかしら」

「それ、まだ言ってたんだ……」


残念ながら村長の孫のトマとは相性が悪く、相手の様子を見るに随分と嫌われているのでそんな夢は見ない方がいいと常々思っていたが、まだ諦めていなかったか。だがこれでさすがに諦めるだろう。


そもそも村の長になるだろう跡継ぎに籍無しの娘はまずい。領主に叩かれかねないのに、何考えていたのだろう。


はぁ、と少しうんざり気味にため息をついたセシリアを、まぁまぁとポレットは宥める。


「男は息子や孫に美人を宛がいたいものさ」

「……物珍しいだけじゃない? ちょっとみんなと色が違うだけで」


自分の視界の端に見えた髪をちょんと摘む。


鶏のくちばしよりも黄色い髪と、鏡を覗き込めば空より青い眼。


北の国では南国色の自分が自然と浮くのでどうしても目を引くだけだろうと、セシリアは思っている。バロンの暴言はさて置き、自分が周りに溶け込めきれないのはこの髪と目の色が起因すると感じて、どうにも好きになれないのだ。


ややふて腐れ気味のセシリアにカラカラとポレットは笑う。

「あたしは好きだよ。あんたの髪の色」

「……へへっ、ありがとう」


その時遠くから何か音が聞こえた気がして、二人とも一瞬耳をすました。それが村の礼拝堂が告げる、正午の鐘の音だと気づき驚いて立ち上がったポレットに倣って、セシリアも立つ。


「あれ、いやだ! 戻らなくちゃ! セシリア、また今度改めてきちんと話そうね」

「うん。わたしも家の戸締まりのこととかもっとちゃんと考えて相談するね」

「……寂しくなるねぇ」

「やだなぁ、お許し頂いたらたまに帰ってくるわ。家もほったらかしに出来ないし。その時は珍しいお土産も買って帰るね」

「ふふ、楽しみにしてるさ。じゃあまたね」

「うん。また」


山道の入り口まで一緒に歩き、その背中を見送ってセシリアは自身の昼食の準備のために家に入っていった。

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