第2話 そのころ、少女は①


ひとしきり踊りきってふぅ、と清々しくセシリアは汗を拭った。

やわらかく降り続ける陽光が、自分を祝福している気さえする。


踊り回っている内に編み上げていた髪があちこちほつれたので紐を解き、頭に指を突っ込んで編み癖をほぐしから、ふるふると首を振る。


背中まである金の髪と髪の間に冷たい風が入り込み、気持ちよかった。汗もかいたので、それが引くまで結ぶのはやめて風に遊ばせる。ついでに外し忘れていた腰のエプロンも解き近くの柵に引っかけた。


緊張と喜びから解放された体をうーん、と伸ばしたあと、ぼんやりと宙を眺めた。


「……なんかとんでもないことになったなぁ」


あまりにも唐突な出来事過ぎて、他人事のような感想になってしまう。

今日何やってたっけ、と指を折って朝起きたところから思い出す。


暗いうちに起き出し、鶏の卵を拾い山羊の乳を搾り、外へ出たがる愛馬のためにその身体に付いた藁クズを払ってやる。そして一緒に外へ出てから愛馬は好きにさせてやり、自分は家に戻って家中の窓を開ける。その後きちんと身支度をして家の周囲を見て回り、ポムとノルと湧き水を運びながら今日やることを考える。


朝食はいつもの通りだった。固い黒パンと野菜と干し肉の入ったスープ。食べ終わったときには朝日が森を照らし始めている。愛馬の散歩を見送ってから農作業するか、山に入って罠の様子を見に行くか、ふんわりと考えて今日は畑を見ることに決めた。


一通り思い出しても、いつも通りの一日である。

なのに、いきなり特使が現れて王国の魔導師候補生へ推薦だ。しかもひと月後にはあのルカルナシオンに行くとまで伝えられた。興奮が収まったからか、少しずつ事の大きさがじわじわと胸に浸食してくる。


(どうなるんだろう……)


ここテニ村はリネラ領という領の下におり、リネラの領主の元で日々作物を育て、家畜を飼い、税を納めている。


そのリネラはさらに上のナッセアという領地に他の同規模の領地とともにまとめられ、管理されている地域だ。


正確にはナッセアを預かる領主から、代理領主という特殊な立場を預かり領地を管理しているので、公式では代理領主とか小領主とか言われるが、少しややこしい事情があるのでここではリネラ領、リネラ領主とみなが言う。


そんなナッセアの北北東にあるのがサンザリア、さらにその上隣にフェルナダという地がある。そのフェルナダという場所に、聖自治区ルカルナシオンがあった。


そしてこの三つすべての土地を管理しているのがローズモンド侯爵家だ。


ゆえに、特使がこの辺鄙な村から北端のルカルナシオンへ行くと言っても――遠すぎることは置いとくとして――領地的な問題からは人間が管理地内を移動するだけなので、他家同士の領地を跨ぐ転居ほど手続きが煩わしくはないはずだ。多分。


上流階級の人々がどういうことに神経を使うのか、平民の、下手すれば平民以下のセシリアにはあまり想像が出来ない。申し渡されたことを黙って行うだけであるが、それでも侯爵様の許可があればリネラの領主は従うしかないということはわかる。


そこまで想像して、にまぁと口元が歪む。


領主の主宰する行事や町での教会の祭りに人員として集められたことはないので、噂話ですらあまり知らない貴族だが、良い噂も聞かないので戸籍のない身としては気が気ではなかったのだ。この逆なのがさらに上のローズモンド侯爵様である。この人の徳を讃える声はあれど、悪し様に言う人はセシリアの周りではいない。


だからこそこのチャンスを上手く掴めば、リネラ領主からのお咎めとは永遠にさよならだ。

やったぁ! と叫ぼうとして上から降ってきた圧力に地面へ押しつぶされる。


「ぐはっ」

「まだ回るか。五月蠅いぞ」

「いいじゃん! 嬉しいんだもん! 悪いかっ!」

「別に」


のそりと上から退いた重いモノに向かって噛み付くと、心底どうでも良さそうな金の目とぶつかった。


(まぁそうですよね、どうでもいいですよね)と思いながら巨大な砂色の狼を見る。


祖母を親友と称し、番犬を進んで行い、その親友が亡くなってからも『あの子セシリアが一人前になるまで見守って欲しい』という願いの元、つかず離れず側にいる狼。


その一人前云々の言葉を聞いたとき、「一人前って、何を持って一人前?」と聞いたが「我の気分」と俺ルールを言われたのでもうそれ以上は聞き返さなかった。


こちらが勝手にバロンと呼ぶこの狼は、本来はこの土地にはいない、はるか彼方の砂漠を根城にする大狼である。真の姿は小山を軽く凌ぐほど大きいとか。


祖母も元々はその土地の出身者で、若い頃にこの狼と出会い、問答の末親友の間柄までなったと生前に言っていた。


セシリアが乳児の時から祖母の隣にはこの狼がいたので、幼い頃は今一実感できなかったのだが、実はこの狼こちら側の生き物ではない。あやかしや魔物と恐れられる“あちら側”の生き物だ。


まぁ人語をしゃべるからにはそうだろうと突っ込まれるとは思うが、“そういうものだ”と思って来たのであやかしとそうでないモノとの認識を変えるのに中々苦労はした。


祖母が存命な時は良き理解者面し、すました顔で祖母の隣にいたので他界した後も少し遠目のこの距離感が続いていくかと思いきやどっこい。こいつ、親友が亡くなった瞬間から態度をガラリと変え、鼻面で突っつき回すようにセシリアを雑に扱いはじめたのだ。


(別に親切なんて一ミリもなかったけどさぁ)


祖母が孫の自分を大事にしているからその気持ちを汲んでお守りをしていただけで、こちらのことはどうでも良さそうだとは思っていたが、ここまで雑に扱われるとは思ってもみなかった。


口数は増えたが、増えた分はほぼ暴言である。

むしろ口の悪さゆえに、祖母の前では孫を誹らないよう喋らなかった説さえセシリアの中では確信が増していく。


あちらの生き物であるが故に、その体の大きさに対して重さを意図的に操作できるのだとしてもだ。屋根からひらりと飛び降りてそのまま人を押しつぶしてくるのは限度というものがあるだろう。


抗議の意思表示につんとそっぽを向いて口を噤んだセシリアへ狼もとい、バロンが一言。


「不細工な」

「暴言!」

「回りすぎてただでさえ少ない頭の中身が溶けたか」

「暴っ言!」


い゛っと歯を見せる少女に、バロンはふん、と鼻息を吐いただけだった。


唸り続けてもどうしようもないことは過去の経験から実体験済みなので、大人しく歯を引っ込めて今度こそ完全にそっぽを向く。当の狼はとっくに飽きて後ろ足で耳を掻いていた。


ぷくりと頬を膨らませ、下ろしていた髪を下の方でひとつにまとめて柵にかけていたエプロンをもう一度付ける。


こんなやつに構うのはやめて、朝の作業を再開した。


丁度農作業中の来訪だったので、慌てすぎて畑に道具を散らかしたままだった。本当は耕した後に様子を見て種を蒔くつもりだったが、ルカルナシオンに行くのならば蒔く前に来てくれて有り難い。埋めた土の中から種を掘り出すような面倒くさいことをせずに済んだ。さらに芽が出ていたら村の人にもらってもらわなくてはいけないところだった。


泥のついた鍬や鋤を畑の隅に置いてある雨水を溜めた桶で洗い、自然乾燥のために家の壁に立て掛けておく。次に納屋から数本の杭と木槌を持ち出し、麦を蒔いた場所がわかるように打ち付けた。今は良いが、これからどんどん草が生えてくるため、村の人に後を頼んだ際わかりやすいように目印にしておく。


杭を打ち終わり、さぁ次は何をやるかな、と見渡したときに草地に伏せつつ半眼でこちらを見ているバロンに気づく。


「なに」

「随分とお気楽なものだな」

「特使様たちのこと言ってるの? それとも修道女見習いのこと?」

「遣いの他に何がある」

「まぁ普通に聞けばあんまりにも美味すぎる話だとは思うけど……」


木槌を弄びながら、眉根を寄せながら“あれ”を思い出す。


「あなただって見たでしょう? お若い方の特使様。ものすごい加護だったじゃない」


きらんきらんに光り輝く加護の後光に、はじめて会った時は眩しすぎて顔どころか服の色さえまともに認識できなかったくらいだ。一歩前に出てきて来訪の要件を述べるパトリックの話を聞くときも、なるべく顔を顰めないようにするだけで精一杯で、家に案内しお茶を出してようやく一息吐けたのだ。


そしてその時に自分の感度を調節して眩しさを軽減し、どうにか素顔を見ることが出来た。てっきり神官系の職務でこのきらんきらんな加護に見合う年嵩の男性だと思っていたのに、見えたのは成人したばかりと思われる歳の青年で驚いた。そして両名の真っ赤な特使服におののくことになる。


まだこの時期は陽が陰ると凍えるほど寒いので暖炉に火はあり、湧いたお湯でお茶を出したが逆に上流階級の方には失礼だったかも知れないと反省している。だがまぁ、何の気負いもなく呑んでくださったので少し安心した。


話は加護に戻る。


「あんな聖霊が後ろについた人を怪しむ方が逆に疾しいこと有りよ。この人物は品行方正で正直な立派な青年ですって後ろの方々のお墨付きなんだから。なら正直になって印象を良くした方が利口だわ」


その品性方向な青年の前で逃亡を画策したことを一瞬思い出したが、終わりよければ全て良しとうっちゃる。そんなセシリアをバロンは胡乱な眼差しで見上げていた。


「小賢しいな」

「ふーんだ、なんとでも言いなさいっ」


人には守護聖霊と呼ばれるものが大抵はついている。


あまり多くの人間に出会って来たわけではないので強くは断言しないが、だいたいの人の背後にそれを見てきた。これはその名前の如く、その人を守ることを望みとしている元人間の聖霊達だ。区分的には“あちら”側ではあるが、詳細はもう少し違う。


個人を守り、血筋を守り、国を守る。そして厄を退けその人を導く者。さらに付け足すと、神官には生前神官だった者が、職人には生前職人だった者が大抵つくので、それを目の前の人間を判断する材料のひとつにもしていた。こそ泥や詐欺にはそれ相応の聖霊がついているので結構便利なのだ。また、あまりにも品性卑しい場合にはついていないのやもしれない。まがりなりにも“聖”のつく霊なのだから。


一方アベルと名乗った青年の聖霊は、その中でも特上中の特上だ。勝手にランクを付けるならば、高級聖霊とでも呼びたくなるほどに強烈な光。普段は意識して見ない限りなんとなく“そこ”に気配を感じるだけなので、初対面であれだけ激しく主張されたのは初めてである。


この加護が見えたからこそに家に上げたし、言っている内容に嘘はないと判断した。


ただ、とセシリアは思う。


あれだけ強烈なバックがいたら、人生苦労してそうだな、と。


聖霊を根拠にその言葉全てを信じた手前言うのはアレだが、全然羨ましくないなぁと思った。


髪の毛先を弄びつつ、嘆息する。


自分から言葉を聞いて満足したのか、狼は重ねた前足に頤を乗せて目を閉じていた。


その時、背後からガサガサと林をかき分ける音がして咄嗟に振り返る。警戒の反動で振り向いたが、奥の林からゆっくりと顔を出したモノを見て破顔した。


「おかえりプシー」


険しい顔から一転、笑顔で出迎えたセシリアに、林から顔を出した彼女は首を上下に振りながら足を速めて少女のいる畑に近づく。


手に持ったままだった木槌を、柄の部分をエプロンとスカートの間に差し込み両手をあけて愛馬を迎える。祖母がバロンと親友なら、プシーこそがセシリアにとって親友であり、小さい頃にうちにきて以来ずっと仲良しの家族でもある。普段は高い位置にあるその鼻梁をセシリアの顔に寄せて甘えてくるプシーに、少女も両手でその顔を包み再び「お帰り」と返した。


そしてその背中に乗った二つの影にも微笑みかける。


「ポムとノルもお散歩のお付き合いありがとね」


人で言えば年端のいかぬ年齢の、赤みがかった金の髪に少女の服を着たポムと、真っ黒な髪に少年の服を着たノルは、そっくりな愛らしい顔でふんすと胸を張ってそれに応えた。胸を張った瞬間に金と黒の耳と尻尾もご機嫌に揺れる。


普段人型であるときは注意して耳も尻尾も隠すよう言っているが、こういう人目に付かない行動の時はもぞもぞするのか耳も尻尾も露わにしていた。逆に本性である小狐の姿では間違って猟師に襲われかねないので、お互いの事故防止のためにも出来る限り人の姿でいるか、姿を完全に隠すよう指示している。


おかえりの挨拶を終えて、プシーをお世話するために手綱を二匹から受け取ったセシリアは、ゆっくりと愛馬を広い場所へ誘導する。プシーの背中に乗っていた二匹はセシリアの背丈ほどもあるその高さからぽんっと飛び降りると、今度は主人のスカートに左右からくっついた。二匹とも完全に足が浮いているが、綿毛ほどの重さしか感じないので好きにさせる。


家の側まで来たら馬銜はみのついていない頭絡を外してやり、ぽんぽんと頸を叩いてやる。そうすると自分で定位置にある水飲み場に行ってくれるので、その間に干し藁やブラシなどを納屋に取りに行く。ついでに腰に差し込んでいた木槌や今し方外した頭絡を所定位置に戻した。ちなみにポムとノルが付き合ってくれる散歩の時には不要なので、鞍は付けていない。


プシーの元へ戻って、足つきの飼い葉桶に干し草を入れる。


「プシー、食べる前にブラッシングしよ」


ちょっと広い場所に踏み台を持ち出しながらお誘いすると、水を飲み終えたプシーはゆっくりとセシリアに近づき、さぁどうぞとばかりに尾を振った。


「じゃあやるよー」


最初は硬めのブラシでホコリやくっついてきた小さな木くずなどをさっと落とし、次は柔らかいブラシで丹念に栗毛の毛並みを梳いていく。


たてがみ、顔まわり、短い首にしっかりとした肩。太い胴と足。丁寧に丁寧にブラッシングすると、おっとりとした目が気持ちよさそうに細められる。


それを見てセシリアも嬉しくなるので、つい鼻歌を歌いながら時間をかけて親友のお手入れをする。ただ普通の農耕馬よりも一回り大きいので、背中まわりをするときは必ず踏み台を使って高いところを梳いた。


そんな普段と変わらないはずの行為の中でも時折セシリアが見せる表情の静けさに何かを感じたのか、ポムとノルは顔を見合わせ、主人を見上げ、狼を見、もう一度二人で顔を見合わせてからバロンの方へ跳んでいった。小さなヤギほどの大きさもある顔に五歳児ほどの小狐が間近までくっつき、人には鳴き声にしか聞こえない言葉でふんふんがぅがぅ言い合いながら何やら情報交換をしている。最後にはしょぼん、と耳と尻尾をへたらせて座り込んでいた。


その様子をプシーの世話をしながら横目で見ていたセシリアは首を傾げる。


二匹はやんごとなき“あちら”の方より預かったそこそこ強力な使い魔だ。セシリアの両耳についた耳飾りを住処にし、大抵の魔物が尻尾を巻いて敵前逃亡するようなバロンにも臆することなく突撃するし、五歳から八歳程までだが人型にだって変身できる。お返しするまでは好きなように使っていいと言われているので、遠慮なく水汲みや畑仕事や今日みたいなプシーの散歩に付き合ってもらっているが、そうそう何かに嫌がったり凹んだりすることはない。


「どうしたの」


プシーの大きな体にブラシを当て終わってもしょんぼりしていたので、近くまで行きしゃがむと、耳がぴこんと上がってこっちに駆けてくる。愛馬は我関せずというように飼い葉桶から干し草を食み始めた。


やはり重さを感じさせずセシリアの肩に左右からくっついてくると、むち、とそれぞれの頬をくっつけてきた。驚きのむちむちさに一瞬心臓が跳ねる。深呼吸、深呼吸。


「ど、どうしたの?」

「ポムたちるすばん?」

「ノルたちるすばんしなきゃだめー?」


うわ、かわいい遠回しなおねだりだ。二匹のふっくらすべすべむちむちの頬を毎回しこたま褒めるので、くっつけてくるのはわざとに違いない。かわいい。


返答を待っている間もむちむちと緩急付けてくっつけてくる魅惑のほっぺに高鳴り続ける胸を服の上から押さえつつ、出来るだけ落ち着いた言葉でお願いした。


「むしろふたりには一緒に来て欲しいけど、いい? 大丈夫?」

「しょーがないなあ」

「まっかせろう」


……今度もうちょっとちゃんとした言葉を覚えさせようかな、と流石にセシリアは思った。そんな主人に対し、ほっぺを離した舌っ足らずの二匹は何を思ったのか、干し草を食んでいるプシーを指さす。


「ぷしーは?」

「プシーは一緒よ。お願いして一緒に行くわ」


今度はバロンを指さす。


「あっちは?」

「知らなーい」


この後バロンを意味もなく煽りに行って鬱陶しそうに転がされる二匹は、確実に主人に似ていた。

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