呪われ魔女のセシリアは、宮廷魔導師に成り上ります!

宇佐木 綾

第1話 テニ村の魔女

おばあさまは、善き魔女だった。


星の流れを読み、草花の声を聞き、人とケモノの境に線を引く。

薬草の絶妙な配合、生き物との親しみ方、そして災いの兆しへの気づき。


またその才を自分だけのものとせず、人々にお裾分けするのがお上手だった。


蛇の嘆き、狐の嘲笑、猫の愛憎、形を保てぬほどぐずぐずに溶けてしまった人間の残りカス。


おばあさまはそれはそれは丁寧に耳を傾け、言葉を惜しまず語りかけ手を貸してあげる。そうすると、それらは驚くほど穏やかな様子で天へ昇っていくのだ。


ただ、たまにそういうふりをして近づき、こちらを騙して喰ってやろうなんて不届き者もいて、そんな時は本性を現した瞬間におばあさまの番犬に丸呑みにされていく。


天に昇っていく者と丸呑みにされていく者、半々の現実を木陰に潜んでじっと見送るわたしを、複雑そうな眼差しで見下ろしてしわしわの手で頭を撫でて下さる。

やさしくて大好きなおばあさまだった。


三年前にお別れするまで、いろいろなことを教わった。字の読み書きも、村との付き合い方も、星よみも、基本的な呪いまじないも。

たくさんのものを与えて下さった。


ただひとつ、とっても大事な事だけを除いて……。




   * * *




目の前で冷めてしまったお茶をすする宮廷服の青年とんでもなく偉い人を前に、セシリア=ミネルヴァはなんとか平静を装いながら、内心滝のような汗をかいていた。


冬の辛い寒さは峠が過ぎ、天を貫く山々を内包する巨大なブローズ山脈のほぼ南端の麓に位置するテニ村にも、雪解けと同時に少しずつ春が訪れていた。そのテニ村から更に十分ほど山を登った先に、セシリアの家と畑がある。


今はひとりで暮らしているが、三年前に祖母が他界するまでは祖母と二人で山羊や鶏、馬を飼い、畑を耕して野菜や薬草を育てながら生活していた。村へも頻繁に下りていって交流し、祖母亡き後も親しく付き合っている。


テニ村は百年ほど前に村人総出で開墾して土地を広げ、その労力をもって半自治を許された牧歌的な小さな村だ。庭で育てた薬草でつくった薬や軟膏を喜んでくれ、小麦粉と交換してくれる。祖母が他界したときも一緒に悲しんでくれた。


ひとりになった後も山で罠をしかけて狩った兎などの毛皮を売りたいときは時々訪れる旅商人に掛け合ってくれ、また品物を仕入れたいときも頼めばそれも代理を快諾してくれた。それに関して一切違法な行いをしたつもりはない。百歩譲って取引に違法性があったとしても、あまりにもささやかだ。


「なんでこんな辺鄙な村に王国の特使が来るの……?」


と、心の底から問いたいところだが、ただひとつだけ、セシリアにはうっすらとだが身に覚えがある事柄がある。


(まさかなぁ……)


ただそれでも、こんなにも偉い人がなんの先触れもなく唐突に来るには違和感があった。


勝手な推測ではあるが、これほどの偉い人がどこかに赴くならば、目的地にお触れを出して出迎えの用意をさせるはずだ。行き先も、こんな山の中に住む村人のところへではなくせめて領主の館だろう。

それにもしセシリアが思いつく“その件”で来るのなら、縄を持ったテニ村の領主やその家来だ。


ちら、とお茶を片手に紙モノを捲る青年を見下ろす。


さして大きくはない窓際のテーブルに腰掛け、もう一人が奥から出してくる紙の束を丁寧に素早く検分していく。その正面でセシリアは問われるまで口を噤み、手を前で重ねて立ち尽くしていた。やることがないので、非礼にならないよう注意しながらこっそりと二人を観察する。


目の前の青年は十六の自分よりもやや歳上だろう。淡い栗色の髪に菫色の瞳。外で出会ったとき頭ひとつ分ほど大きく感じた。そしてもう一人は同じ服装で歳はさらにひとつふたつは上に見えるが、目の前の青年への言動の端々が丁寧で、率先して動き、時折指示を仰ぐ様子から部下のように感じる。


(赤服……初めて見た)


そして一生見たくはなかった。


宮廷服の中でも、特に王の特使として着用を命じられている赤い絹の制服。旅人の噂話や商人が売りに来る本の中でしか見たことのない、通称赤服。

上級貴族の子弟にのみ許された地位であり、制服である。村娘であるセシリアにとっては文字通りの雲の上の人だ。


本来ならば平民にとって赤服とは、領主よりはるか上にいる者であり一生相まみえぬお人である。それに加えて目の前の青年の


(……とんでもない“加護”)


「セシリア=ミネルヴァ嬢」

「ひゃい!」


うっかり青年の背後のあれそれに魅入ってしまったセシリアを、いつの間にか紙から顔を上げていた青年が、菫色の瞳でひたとこちらを見上げている。

静かな圧迫感に自然に喉が上下した。


「これらは全て貴女が書いたということで相違ないな?」

これ、と手に持った色々な紙モノを少し上に上げて見せてくる。


それらはもうひとりの男が書庫から手当たり次第出してきた、日記やら星図やらだ。書きかけのメモ紙まである。


「はい。間違いございません。すべてわたくしが書きました」


背筋を伸ばし直して頭をやや下げる。

これには何一つとして嘘はない。とある事情により祖母が手書きしたものは全て失ってしまった。目の前にある書き付けは全てセシリアの手による物だ。


「では貴女が間違いなくテニ村の魔女でよろしいか」


出会ったときも思ったが、やけに丁寧すぎる言葉遣いに胸がざわつくと同時に疑問が首をもたげる。が、今はそれを考えるどころではないので正直な返答を返す。


「わたくし自身がそう名乗ったことはございませんが、そう呼ばれる者――魔女と呼ばれる者として在ることは承知しております」


「名乗って商売をしたことはない、と?」

「おっしゃるとおりでございます」

「ではこれは何だ?」


これ、と言われて頭を上げてそれを見たが、こてんと首を傾げた。


「星図でございますか?」

「そうだ」

「えっと……、それに何か不備がございましたでしょうか……」


できるだけ言い回しに気を付けつつも考えるが、いまいち何を問題視しているのか見えてこない。祖母にはおかしな手癖をつけないようにと頻繁に注意されてきたが、書いてあることは間違えていないはずだ。それはなんの変哲もない、夜空を紙に写したただの星図である。


相手も若干の噛み合わなさを感じているのか、少し考えるように一拍置く。


「これが何に使われているのか、わからないわけではないだろう」

「? 一年が十三ヶ月。その巡りをできるだけ正確に把握し、種を蒔くとき、苗の水を増やすとき減らすとき、家畜の種付け、家屋の修理、そして適切な時期の収穫を見定めるために使っております……」


だんだん不安になってきたのか、セシリアの声は尻すぼみになっていく。


これもまた嘘偽りなくそういう使い方をするし、祖母の教え通りに書いてきたはずだ。村の人たちにも作成する毎に渡しているし、そのことで問題が起きたとは聞いたことはなかった。


それをいかがわしい使い方をする者がいるのだろうか……。そりゃあ勿論いかがわしい使い方もできるが、使用後の功罪を考えるとあまりにもデメリットが大きすぎる。


青年が黙ってしまったので、セシリアも再び口を噤んだ。前で重ねていた手を無意識に胸元まで上げて、不安げに指をいじる。


何か事件があったのだろうか。そう思うと自然と心臓が早鐘を打つ。そういう場合は大抵が容疑者捜しである。つまりこの状況では自分が容疑者……。


相手の次を待つ間に、セシリアの頭は悪い想像の方へ回転しはじめる。


(……よし。逃げよう)


思い切りがいいのが自分の長所である。


(今日は運良く“アイツ”がいる。『ちょっとお花摘んできマース』で外へダッシュしてアイツを捕まえ、一気に山の中腹付近まで運んでもらおう。そして野宿しながらポムとノルに家から大事な物を運んでもらう。もうそれしかない。これまた運良く彼女(愛馬)はお散歩に出ている。外で落ち合えば当面の逃亡は完璧だ)


思い切りがいいのはセシリアの長所だが、素直過ぎてうっかり顔に出ることは短所である。


追い込められた顔で考え込んでしまった少女に、目の前に座る青年はやや目を半眼にした。


「セシリア嬢」

「ハイ!」

「レディを長く立たせてすまなかった。どうか座ってくれ」

「えっ!? い、いいえ! そんな恐れ多いことっ」

「どうぞ」

「アリガトウゴザイマス」


いつの間にか背後に回っていた部下さんが、にっこりとうちの簡素な椅子を差し出してくれた。家のドアは青年の背後である。


目の前にテーブルを挟んで青年。後ろに部下さん。


逃げられない。


大人しく腰掛けちんまりと椅子の上で縮こまり、よくわからない沙汰を待つ。

今度は黄昏はじめてしまった少女を見て、青年はひとつ咳をした。


「なにやら誤解をさせてしまったようで申し訳ない。セシリア嬢、我々は貴女に某かの嫌疑をかけているのではない」


考えていたことをほぼ全部読まれていて汗が出る。


「先ほど貴女の言った星図の使用法は無論正しい。だが貴女はそれを村に無償で配っている。なぜだ?」


セシリアはようやく彼が問いたいことがなんとなく見えてきた。


「……魔女は、こちらとあちらのあわいに立つ者です。わたしに星図の書き方を教えてくださったおばあさまはおっしゃいました。『その立場をいただいた限り、人様のお役に立ちなさい。欲をかかず、線を見極め、良心に則って最善を選択する。そうすれば……生きていく道が見えてくる』と」


「生きていく道?」

「はい……。この力を活かす道。自身が生きていくべき道が」

「それで無償にその知を分け与えると?」


やけにそこに拘ってくるが、それに対して特別な理由があるわけではない。


「……あの、申し訳ございません。物心つく頃よりそう学びましたので、金銭に換えるという行為が思い浮かばず」

「……では毎年大教会より作成された星図が、十三ヶ月の予定に書き下ろされ配られていることは知っているか?」

「存じております」

「知っていながら村にこれを配る?」

「お言葉ではございますが、大教会とここテニ村はあまりにも離れております。星のズレはいかんともし難く、さらに土地の気候も違いますのでそこにあったものへ書き直すのがよいのでは?」

「……なるほど。理解した。」


(何が??)


と思うと同時に、相手が上級貴族だということを唐突に思い出して血の気が引いた。青年の態度や言葉遣いがあまりにもやわらかく、失念していた。そして今の自分の発言は、完全に大教会の威光を貶しているようにしか聞こえない。


(やっぱり逃亡待ったなしなのでは??)


胃が締め付けられて嘔吐きそうになっているセシリアに気づいているのかいないのか、ひとり納得した青年は涼しい顔で広げた紙をまとめはじめる。部下の人もそれを手伝いながら、青年は改めて日記を捲りとんでもないことをさらっと言い放った。


「貴女が優秀であることを理解した」

「???」


青年は立ち上がりテーブルの脇に置いていたこれまた赤い制帽を被り、その静かに凪いだ眼差しをセシリアに向ける。


「王命により、我、アベル・ローウェンはセシリア=ミネルヴァ、貴殿を宮廷魔導師候補生へ推薦する」


あまりのことに口をぱかっと開けて放心している少女を尻目に、アベルと名乗った青年は散らかった紙を整え終えて、部下にも出されたお茶を飲み干させる。そしてセシリアが放心から立ち直ったときには、いつの間にか外で馬の鞍を締めて帰りの支度を済ませていた。


慌てて外に飛び出す。


「あっあの、なぜ……、なぜこんな山奥まで……」


なんとか驚愕から立ち直りはしたが、上手く言葉をまとめられないセシリアの疑問を汲み取り、青年――アベル・ローウェンは答える。


「王はより優秀な者を招集することをお望みだ。それが農民の出であれ、貴女のように教会の名簿に名前のない者であれ」

「ぅぐ、――っ、」


あまりにもあっさりと“教会の名簿記載無し(つまり戸籍無しの不法滞在者)”の張り手を無防備な横っ面に喰らわされ、セシリアは乙女にあるまじきうめき声を上げた。


怖すぎて今の今まで村の誰にも確認できなかったが、やはり戸籍無し。痛い。


呻くセシリアにやや気遣いの眼差しを向けつつ、アベルは自身の馬の手綱を部下に預けて改めて少女に向き直る。


「ひと月後、改めて令状をもって契約を完了し、すぐ目的の地へ出立したい。ゆえにそちらの都合を付けておいて頂きたい」

「つ、都合とは、具体的にどのようなものでしょうか」


王命と言うからにはもうこちらに拒否する権利はない。粛々と従うしかないが、正直いっぱいいっぱいで何も考えられない。


「貴女にはこれより北端の聖自地区、ルカルナシオンにあるルカ修道院にて修道女見習いをしていただく。そのためこの地をしばらく離れることになる。その間この家の面倒を村の者に頼むのだろう?」

「あ、そうですね。承知いたしました」


あまりにも突然の話だが、無理矢理割り切って返事をする。

馬で何日かかるだろうか、と目算しているセシリアを知ったか知らずか、アベルもどこか遠くを見るような目をする。


「ルカは遠い地だ。年に何回帰られるかは解らないゆえ、きちんと相談しておくように。だが、間違っても家は手放さぬようにな」

「はい。心得ております」


言外に、お前の成績次第では推薦却下で即帰宅だと言われたようで、自然と背筋が伸びた。


「また、通常であれば用意する支度金や領地内の教会などへの報告・許諾も不要だ。あと足りない衣服や小物は向こうで調達する」


(許諾、不要――っ!)


教会への報告が不要ということは、不法滞在は見逃される、と。いくらになるのかわからない支度金以上に、その言葉はセシリアにとって天を仰ぎたいほど有り難いことだった。なぜそこまでして自分を、という疑問よりも歓喜が上回ってそれを顔に出さないように必死になる。


領には領独自の裁判基準がある。上流階級と労働階級への罪科の差は大きく、さらに不法滞在者への罪状はそこの領主の胸ひとつだ。追い出されるだけなら最上級の恩情ある扱いである。


ここ数年の懸念が綺麗さっぱりと消える世界への入り口に喜び震えるセシリアへ、それだけでなくアベルは更に追加した。


「さらに働き次第で少額だが給金も出る。勤務が長く続き、修道院長の覚えが良ければルカ修道院の名簿に名前を連ねることを正式に許そう」

「誠心誠意働かせて頂きます!」

「その前に私より推薦されていることを忘れぬように」

「はい!」


念願の戸籍ゲット! ――への道!


(おばあさま、わたし、いままできちんといいつけをまもり、ぜんぎょうをかさねてきてよかった!!)


天に両手の拳を突き上げて雄叫びをあげんばかりの少女の横で、アベルは言い残したことはないな、と指を折った。


「改めて、セシリア嬢。わたしの名はアベル・ローウェン。あちらは部下のパトリック・シャブラン。それではひと月後に」

「はい! ご苦労様でございます!」


部下から手綱を受け取り軽々と鞍を跨いだアベルは、勢いのよすぎる見送りに目を軽く見開き、ふっと笑って馬を返して山を下って行った。


セシリアはその背が見えなくなるまで見送り、見えなくなったところで喜びのあまりに踊り出す。

それを屋根に寝そべった祖母の番犬は胡乱げに見下ろしていた。



おばあさまは善き魔女でした。

たくさんの善いこと悪いことを教えてくださり、様々な技術を与えてくださいました。

それでも、戸籍だけは欲しかった。


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