納棺

@isako

納棺

 夫の話をします。夫は七年前に亡くなりました。がんでした。私たちは今よりもまだ七歳若く、子供は幼稚園に通い始めたばかりでした。私と娘は、精神的な支柱と経済的な支柱を失うことになりましたが、七年という時間は、そのどちらもを回復させることができるようです。ただ、私がいまここにいることが、その回復の程度を物語っているようにも思えます。娘は今年で10歳になります。小学校に通っています。月に一度か二度しか会うことができません。つまり、私が24時間以上アルコールを断っている時だけです。他の時間は、私の両親が彼女と過ごしています。私はここに来る前にも、飲んできています。ええ。飲酒運転です。


 夫を失ってから、お酒を飲むようになりました。アルコールが血液の中に溶けていくと、心が弛緩して不安が聞こえなくなります。ここにいる人たちの多くが知っていることですが、不安というのは声として私たちを取り巻いています。耳を塞いでも聞こえる声なのです。ずっと、耳元でぼそぼそとささやかれるのです。


 彼は会計事務所の職員をしていました。かつては試験にも挑み、自分の事務所を持つことを目標にしていましたが、それは諦めたと言っていました。国家資格がない以上はヒラ職員でしかないのだと、自虐のように嘯く彼でしたが、給与は家族三人で生きていくのに申し分ない額があり、私たちは比較的裕福な暮らしができていました。もちろん、十全な生活というのは存在しません。私と彼は違う人間ですから、さまざまな行き違いや諍いは日常のことでした。子供のこと、親のこと、社会についての意見や、人間としての在り方――およそ倫理とよんで差し支えないような感覚のことばたち――など、しばしば私たちは様々なトピックについて衝突に至るたび、擦り合わせを行ってきました。語気が強まる……というにはあまりにも残酷な態度とったこともあります。彼が怒りに任せて私を打ったこともありました。でも、それでも私たちは、間違いなく唯一の幸福を味わっていました。愛するものがいる幸せです。それは誰にも否定できないものです。私は幸福でした。夫もそうですし、娘もそうでした。


 夫のがんは、それが見つかった時にはすでに大きく広がっていました。胃と肝臓に伸びる白い影を、医師が指摘しました。もっと早くに見つけることができていれば。そう私は思いました。一緒に暮らしている私にも、その責任の一端があるように、そう感じました。だって彼は、私の作るものを食べ、私が洗濯したものを着、そして私を抱いて生活していたのですから。夫に死の影が近づいてたのであれば、それは私が見つけるべき脅威だったのです。しかし残念ながら、すべてが明るみになったときには、すべてを終りを待つだけの状態になっていました。あまりにも早い終りを。


 一年間の、とってつけたような闘病生活のあと、私たちは終末医療への移行を決断しました。夫の命を長らえさせることを諦めました。残された時間を、できるだけ幸せに過ごせるように。抗がん剤治療をやめてしばらくしてから、夫は自宅で過ごすことになりました。それからすぐに、著しい衰弱が訪れました。眠る時間が長くなり、表情はおぼろげになりました。あらゆる欲求が減衰しているのが分かりました。がん医療関連のパンフレットや書籍、WEBサイト、ブログ、動画などでなんども見聞きしたことが、私の夫で再現されました。この人は死ぬんだな。そう思いました。娘はようやく言葉を話し始めたくらいの時期でした。彼女も幼いながらに、夫の終りを感じ取っていたようでした。だから今のうちにと、せいいっぱい父親に甘えました。もう抱っこはできないけども、一緒にソファでテレビをみることはできました。夫もまた、娘との最後の時間を、噛み締めるようにしていました。そんな様子を見ていると、私は、私たちは間違いなく幸福な家族なのだと思うことができました。運命が非情であろうと、私たちはいまここにある幸せを手に取ることができるのだ、と。


 死んだ……ことで、幸福に終りがやって来たのだと、そうお思いでしょうか。ええ。そうです。もちろん、夫が死ななければ、今の悲しみや苦しみの一部は、生まれることもなかったでしょう。ただ死んだこと自体は、それは運命だったと、わりきれるものです。意外とそうなのです。……少なくとも私の場合は。


 私は恐怖しています。未だに、です。もっとも恐ろしいものとは、理解できないことです。まるで私のことばでは、どのようにも説明いたらないそれのことです。


 それは夜更けでした。娘も夫も就寝していました。私は居間にあるソファにかけて、テレビを見ていたつもりが、睡眠と覚醒の間をうとうと行き来していました。あ、今寝てた? そういう瞬間を何度か過ごして、もうベッドに入ろうと思ったとき、スマートホンに通知が現れました。夫からのLINEでした。起きたのかな。何かあったのかな。まさか。そう思ってすぐさまメッセージを確認しました。

「起きてたら水持ってきてもらえるかな?」

 なんら緊急性は感じられませんでした。夫はすでにベッドから降りるのも難しいほどの体力になっていましたので、こうしたリクエストは珍しいものではありません。ただ、枕元の水差しには、十分な量の水が備えてあったつもりでしたので、水を要求されることには、少し、ほんの少しのひっかかりがありました。全部飲んだのかな。まさか。もう食事だってほとんど喉を通らないのに。


 水差しは確かに空になっていました。それは床に転がり落ちていました。そして夫は、どうやら残っていた水を被ってしまったようで、頭の先からびしょびしょになっていました。そして彼はベッドから上体をはっきりと起こして、私がこの部屋に入って来るのを待ち構えるようにしてこちらを見ていました。私はちいさく叫びました。彼の瞳が、夜の獣のように光っていました。あるいはそのように見えました。ベッドレストの読書灯だけが夫の身体を照らしていました。


「暑いんだ」彼はそう言いました。彼の病気が分かる前に買い替えたばかりのエアコンが静かに空気を吐き出していました。最新型は冷たい空気も温い空気も出しません。私たちにとってほどいい温度を提供し続けてくれます。私が部屋に入ったことで、温度変化を感じたのか、少しだけ中のモータ音が大きくなったように感じました。 


「さっきからすごく暑い。喉が渇くんだ」はっきりとそう言いました。そんなふうに声が出せることに、私は驚きました。もう死期が近いことが分かるほどに弱っていた彼が、そんなにも強く何かを主張することに、言い知れぬ不安を覚えました。


 私の手元を見て「水」と言いました。私は怯えながら、それを彼に渡しました。彼はとそれを飲み干しました。私にはそれがとても不健全なことのように思えました。ただ水を飲むだけの行為です。でも夫は、何日も飲まず食わずで過ごしていたのだと言わんばかりに、貪るようにして水を飲んでいました。不気味でした。


 私は思い至りました。ついにきてしまったのです。最期の執着。まだ死にたくないという正真正銘の気持ちが、夫の中で爆発したのです。きっと次は食事を求めるでしょう。食べたくもないものを無理やり口にねじ込んで、そして、私にベッドに入るように指示します。私は自分の服を脱いで、彼の服も脱がせます。彼はもう勃起しないおちんちんを何度も私のふとももに擦りつけます。終りはありません。私は彼の何かを満たそうと、口に含んだり、撫でまわしたりするでしょう。そうして彼の身体から発せられる死の臭いに、えづきそうになりながらも、役目を果たします。他にどうすることができるというのでしょう。


 しかし私の妄想とは異なり、夫は食事も、私の身体も求めはしませんでした。「もっと水」そう言うと、濡れたパジャマを脱ごうとして細い腕をもじもじさせました。その前に着替えようよ。私がそう言って服を脱がせようとすると、いいから水! と怒鳴りました。ぶうぅ。ぶふぅ。息を荒げます。私は言われた通りに新しい水を用意しました。部屋に戻ってくると、彼はなんとか服を脱ぐことができたようです。夜にだけに穿いているおむつまで脱いでいます。


 もう何度も目にしている夫の身体でしたが、いよいよ痩せくたびれていました。夕方に身体を拭いたときよりもはるかに肉がしぼんでいて、そして全身に汗をかいていました。この人、本当にもう死ぬんだ。そう思いました。明日の朝には死んでいるんだろうなと思いました。


「暑い! 水!」夫が叫びます。私は水の入ったグラスを渡しました。夫は力なくそれを掴むと、自分の身体にかけました。私は怖いと思いました。そしてそれ以上に、夫の苦しみに同情しました。無力な自分を、情けなく思いました。


 まだ暑い? 私は聞きました。暑い。なんでこんなに暑いんだ? 夫はそう言います。私はベッドに腰掛けて夫の手を取りました。私は思うままに、彼に伝えました。部屋は全然暑くないんだよ。エアコンもちゃんと効いてる。きっとあなたの身体が熱いんだろうね。窓を開けて外の空気を入れてみようか。そっちの方が暑いと思うけど、気分はよくなるかもしれない。


 夫は驚いたように私の顔を見ました。頼むよ。そう言いました。窓を開けると湿った生温い空気が部屋に入ってきました。私はエアコンを切って、部屋のドアを開けました。わずかながら、空気の流れが感じられました。夫は少し落ち着いたらしく、息も普段のものに戻って行きました。私はまた彼の隣に腰掛けました。


 びっくりさせたね。ごめんね。裸ではありましたが、それはいつもの夫でした。


 ううん。大丈夫。ねぇ。もう少しここにいてくれないか? もちろん。ずっとここにいるよ。うん、今日はね、なんだか気持ちが落ち着かなくて。ええ。そんなときもあるわよ。私を呼んでくれてよかった。パジャマもシーツも水浸しになってしまったね。ごめん。もういいのよ。謝らないで。……僕は結局、君たちに何を残すことができたんだろうか。わかってないの? あなたは十分、私たちを愛してくれたじゃないの。伊織もわかってるわよ。だったらいいんだけど。なによ。自信ないの。そうだね。やっぱり、あまりにも早いな、とはね。うん……。ねぇ。おにはさ、僕の集めてた牛乳瓶のフタ、あれ入れてほしいんだ。……わかった。あと写真もね。家族の写真をいっぱいいれてくれよ。寂しいからさ。うん。普段使ってる箸とかさ、わかってるよ。あと本も。うん。いつも被ってた帽子もいれてね。わかったってば。あとさ、あとさ。はいはい。何がほしいの。伊織もいいかな。離れ離れだときっとあの子も寂しがるだろうし。


 私は逃げるように身を引きました。聞き間違いなどでないことは確かでした。間違いなく彼は、自分の娘を棺に入れるように言ったのです。私は彼の顔を見ました。読書灯を背に受けた彼の表情は、逆光でよくわかりませんでした。。だって彼は、病気の前と同じころの声色で続けるのです。


「ねぇ。やっぱりだめかな。でもおれもさみしいんだよ。なぁ。いっしょにいれてもらっちゃだめかな」


 それからは一度も彼と口を聞きませんでした。二日後に夫は亡くなりました。なくなるまで、絶対に娘と彼を会わせませんでした。彼には、水も食事も与えませんでした。携帯も取り上げて、部屋に軟禁しました。怖かったのです。彼の顔を見るのが、彼の言葉を聞くのが怖かったのです。部屋に入ることができませんでした。以後も、極力遺体の顔を見ることを避けました。


 恐ろしいことでしょうか。残酷なことでしょうか。私はそう思います。私を許すひとがいるでしょうか。以来私は、自分をどのように取り扱うべきかわからなくなりました。お酒を飲むとそういう気持ちを忘れられるので、よく飲むようになりました。


 私は夫を殺しました。一週間もすれば病で死ぬ夫の、介護を放棄して殺害しました。社会が私を犯罪者と疑うことはありませんでした。彼がもうじき死ぬのは、みんなが知っていたからです。


 この話をひとにするのは初めてです。当然、娘にはそんな話をしません。娘は幼かったので、私が彼を殺めたとは気づいていません。彼女にとって、夫は優しい父親のままでした。それがなによりも大切なことです。


 たまに、娘が言うのです。父親の出てくる夢を見たと。それは一緒に食事をしていたり、どこかに出かけたりと実にささいで、あたたかなものです。

 そういう話を聞くたびに思います。どうか私の夢には出てこないでくださいと。


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