第24話
怜於は年上の女の子たちに、大いにもてていた。少し離れたところで、私と龍明は、その様子を眺めていた。
私は言った。
「ついさっきまで、結構沈んだ顔をしてたが。元気が出てきたようだな」
龍明は言った。
「あの子は人前では、隙を見せない。こういう席では、よく場を盛り上げてくれる」
「黙ってれば結構見れるが。動作、姿勢は男のままなのが、妙チキリンだ」
「まず、生き方を決めないとな」
「知毅に振られても君がいる。あの子はまだ女になる気満々だ。しかし君はあの子の手術に、反対のようだな」
「反対していない。失敗した時の症例について、説明しているだけだ」
「失敗?」
「長く痛みが続くこともありうるし。排泄や性交に、困難が生じた症例もある」
「でも、何もしなければ、癌になるリスクも高いらしいぞ」
「調べてくれたのか」
「気になっただけだ」
「反対は、していない。あの子が不具合を感じていないなら、俺はあの体に、メスを入れたくない。だが、あの子の決めることだと、思っている」
「律さんと薫くんの手は、借りれなかったはずだ。薫くんの女の子たちも、あの子のあの恰好を、今はじめて見たようだ。自分でできたとも思えない。今日のメイクと髪型は、まさか君か?」
「俺を頼ってきたが。俺じゃ無理だ。チカちゃんがやってくれた」
「あの子は彼女に任せたのか」
「おとなしく、されるが儘になっていた」
「よそよそしくはあるが。彼女のことは、意外に睨まないな」
「あの二人は仲良しなんだ。俺がもっと早くに決断すべきだった。あの子にも彼女にも、悪かったと思ってる」
「離婚届はもう出したのか」
「知毅と一緒になってくれるなら安心なんだが」
「そうだな」
「これからは友達として、支えていこうと思ってる」
「友達か」
「俺たちは、夫婦にはなれなかった気もするが。結婚して、前より親しい友達にはなれた。そう思ってる」
チカちゃんが、我々に近づいてきた。
「二人だけで世界を作ってるな」
私はチカちゃんに言った。
「君と結婚して、前より親しい友達になれた。こいつは今、そう言ったんだ」
チカちゃんは龍明を見た。二人は笑い合った。何かを諦めて、気持ちが落ち着いた。どちらもそんな顔をしていた。
チカちゃんは言った。
「俺たちはまぁ、これからも友達だ」
長い間、彼女の物思う顔ばかり、見ていたような気がした。しかしこの日の彼女は、物思いから、解き放たれていた。
もう夫婦ではなかったが、二人の間には、たしかな繋がりを感じた。
これで良かったのかもしれない。二人の離婚について、私ははじめて、そう思った。
「まぁ、養護施設にお勤めなの」
「はい。以前は小学校に勤めておりましたが。お世話になった先生の紹介で、昨年からそちらに」
この日信乃は私の生母に、ずっと捕まっていた。生母は彼女の生活について、色々と聞いたようだ。
私の生い立ち、生母との関係については、だいぶ前に、話したことがあった。まだ返事をもらってないことも、僕があなたに結婚を申し込んだことも、あの人には言ってある。この日の前日には、そう伝えた。だからだろうか。信乃は少し、緊張しているようだった。
二人のテーブルの前に立ち、私は尋ねた。
「何か料理を持ってきましょうか」
生母は腰軽く立ち上がった。
「私も行くわ」
腰を浮かした信乃を、貫禄の微笑みで抑えた。
「ちょっと席を外しますけどね。あなたとはもう少しお話したいから、待っててくださいな」
私と並んで歩きながら、母は囁いた。
「彼女ほど美人じゃないけど。あの方。頼子ちゃんに似てるワ」
「お母さんにですか?」
「ええ。昔お目にかかった時にも、そう思ったの。おまえってマザコンね」
「まぁ。僕はマザコンですが。そうですか。そうだな。似てるかもしれない」
「小さくていじらしくて。しとやかだけど芯がある。今どき珍しい、昔の日本の、良いお嬢さんだわ。あなた、あの人は良いわよ。あなたのお父さんも可愛がるだろうし。私もあの人なら、嬉しいわ」
「まだ返事はいただいてない。あまり質問攻めにしないでください」
「脈はあるわよ。あの人、結構、おまえのことが好きだと思う」
「僕のことより。今日のエスコート役を無視してるのは、どうしてですか」
「こっちに来る車のなかで、ちょっとね」
「またですか」
「あっちがいけないのよ。必ず腹が立つことを、言いだすんですもの」
料理がだいぶ綺麗に片付いた頃、庭に運び出されている二台のチェンバロを、龍明と怜於が弾き始めた。
夏至の日の結婚祝いとなればこれか。メンデルスゾーンの真夏の夜の夢、結婚行進曲。
龍明は呆れるほど多くの楽器を、巧に演奏した。そして怜於は、知毅が感心するほどの運動神経の持ち主であり、龍明が感心するほどの、音感の持ち主だった。龍明に指導されて、龍明が奏でる楽器はすべて、よく演奏できるようになった。
私は音楽を聴くのは好きだが、演奏はまるでだめだった。習ってもみたが、一向に上達しなかった。だから楽器を演奏できる人間には、敬意を感じた。私が龍明に引き寄せられた、その理由の一つは、彼の演奏だった。私が怜於にはじめて好意を持ったのも、怜於のピアノを聞いたときだった。
二人の演奏は、南の庭を、古風で品の良い、祭の空気で満たした。チェンバロの周りに人が集まり、私もそこに近づいた。
二人の演奏はぴたりと寄り添い、軽やかに絡み合った。時々目と目をみかわして、二人で楽しそうに笑った。怜於の頬は、そのたびに上気した。
「やれやれ。ほんとに、なんでもできる。凄い男だ」
背中から父に、そう声をかけられた。私が何も言わないと、父はさらに、ぼそぼそとだみ声で言った。
「凄い男なのに。あの年でまだ遊び暮らしとる。俺は彼が大好きだが。少々けしからんな」
私は言った。
「あいつみたいな人間がいなくなったら、日本はぐんとみすぼらしくて、楽しくない国になると思いますよ」
父が言ったようなことを、私自身も、龍明に言ったことはある。しかし人に言われると、あいつはあのままで良いと思った。彼もしまいには、自分の仕事を見つけて、人の数倍忙しく働き始めたのだが。その時は、残念な気さえした。
父は私に言い返さず、相変わらず信乃と話し込んでいる生母を、ちらりと見た。私は父を見下ろして言った。
「会えばケンカになるのに。どうしてお父さんはあの人を、諦めないんでしようね」
「煩い!」
「ドレスなんか着て」
ナオミちゃんは怜於の服装も、お姉さま方に人気なことも、気に入らないご様子だった。この日はずっと不機嫌だった。不機嫌でもその顔は、十分に見る価値があった。黒いダイヤモンドのようだ。そう思った。
怜於はにこにこと、黒ダイヤの姫の、機嫌をとっていた。
「今日のナイトは慎で、俺はお姫様の腰元だ。デザートとってきてやろうか」
「いらない」
「律さんの今日のケーキ、美味いぞ」
「ねえ怜於は、ほんとに女の子になっちゃうつもりなの?」
「うん。これからいろいろ教えてくれ」
「イヤよ」
「ちゃんと女になったら、いろんなところに、一緒に行こう。俺はナッチの友達で、ナイトになるぞ」
赤いドレスに白いドレス。腰元役の怜於の指が、ちょいちょいと、ナオミちゃんの前髪をいじっていた。清らかで秀麗な少年が、同じテーブルで、そんな二人を見守っていた。二人のナイトだと、チカちゃんは彼について、そう言った。慎くんは二人を眺めて、たいそう楽しそうだった。この三人も、おかしな関係なのかもしれない。そう思った。
知毅は、少し離れたテーブルから、一人、ウィスキーのロックを片手に、怜於とナオミちゃんを眺めていた。私はこのテーブルに腰を下ろした。
「あの子はまるで、龍明みたいに女の子をあやす」
私の言葉に、知毅は噴出した。
「ガキの頃から、女慣れした奴が、龍にあやされて育ったからな」
給仕人に声をかけて、シャンパンを貰うと、私は知毅に言った。
「ずっとあの子を気にしてるな」
知毅は顎鬚を引っ張った。
「あんな子供に、酷いことをした。どうして良いかわからん」
「許してほしいのか」
「いや」
「チカちゃんも、おまえに近づかないな」
「ああ。まぁ、あっちは、気長に口説く」
「へぇ。諦めないのか」
「チカは子供の頃から俺がずっと好きで。今も思ってくれてる」
「やっとわかったか」
「龍のことも好きだが。俺のことも好きなんだ。わかったよ。この前振られた時に、わかった」
「遅いな。おまえは、恋愛に関心がなさすぎる」
「そうか?」
「惚れてくれる相手と付き合って、楽しくやれてれば、それで満足。好きな相手も、すぐ諦めちまう」
チカちゃんは、薫の君と久世くんと、三人で立っていた。知毅はチカちゃんには目を向けず、だが強い声で言った。
「チカは追いかけるよ。一人にしちまった。これからは俺が追いかける」
宴たけなわの頃、この日の主賓は、二人でテラスの椅子に腰かけ、彼らのために集まった人々を見ていた。私もテラスに上がった。
テラスには公爵もいて、薫の君の膝の上には、毬子さんが、のびのびと横たわっていた。
「あれ」と、薫の君が、私の注意を促した。そちらを見ると、父と生母が、信乃を囲み、和やかに談笑していた。いつの間に出来上がった絵だと、私は些か戸惑った。
久世「未来の蓮實家は、なかなか良い感じですね」
薫「お父様が今お世話している女性と別れれば、法子さんは、お父様の家に入ると思うけどな」
私「あの二人は、会うたびにケンカだ。無理だね」
薫「でもしばらくすると、会いたくなるみたいだ。それで数十年続いているんだから、縁が深い関係だと思うな」
久世「そりゃあ。結婚しなくても、どっちかが死ぬまで、続きそうだな」
薫「知毅さんは怜於ばかり気にしてる」
私「チカちゃんのことは、気長に追いかけるつもりらしい」
久世「へぇ」
「そっか」と、薫の君は、嬉しそうに毬子さんをくすぐった。
「安心した。じゃあ、チカには、できるだけ逃げまわってほしいな」
私は苦笑した。
「あいつはこの数年独り身なんだ。あまり焦れると、他の女の子と出来上がるかもしれない」
薫の君は冷ややかに言った。
「あなたも男だな」
公爵の前にひざまずき、顔を覗き込んで、久世くんは言った。
「蓮實家は仲良くやっていきそうだし。俺とこの人は、末永く添い遂げるつもりだし。レオッチは龍と良い感じだし。チカちゃんと龍は離婚しても、悪くない感じだし。トモキチ兄さんは、チカちゃんを追いかけていくと。結構、大団円じゃないですか。なぁ公爵」
龍明は、怜於と恋をするつもりはないと、私に言った。
薫の君の膝から、毬子さんを抱き上げ、毬子さんの顔を見て、私は言った。
「龍明は怜於は、今後どうなるかわからない。怜於と知毅の関係は、修復に時間がかかりそうだ。チカちゃんはもう、この家にいない。大団円とは思えない。妙にすっきりした気はするが。これからどうなるかな」
「私とあなたが、末永く添い遂げるかどうかも。まったくわからない」
薫の君の言葉に、久世くんはおどけた顔で両手を広げ、人間三人は笑い合った。公爵と毬子さんは、何を思うか。そんな我々を、じっと見つめていた。
午後九時を回ると、船を去っていく人が、ちらほらと出てきた。
父は酒に酔わない男なのだが、まだ体が本調子ではないのか。少し眠そうにしていた。運転手を帰して、泊っていくようにと、龍明は勧めた。
「明日。俺がお送りしますよ」
「今日は愉しかったぞ。この家は良いな。また呼んでくれ」
父はそう宣い、立ち上がると、「おい、法子」と生母を呼んだ。
どうするかなと思ったが、生母も立ち上がった。
「今度うちに遊びいらしてね」
信乃にそう声をかけると、父とともに庭から立ち去った。
私は信乃をねぎらった。
「あの二人は、今日もやりあってたみたいだが。あなたが取りなしてくれたのかな」
信乃は笑った。
「お父様は、怒っていたお母さまに、真っ赤な顔で謝ってらしたわ。それで仲直りなさったの。なんだかお二人とも、可愛らしかったわ」
信乃の言葉に、私は驚いた。
「謝ったの。ほんとに?」
父も年をとったなと、私はこの時はじめてそう思った。
午後十時近くに、宴は終わった。臨時の雇われ人たちは、庭を片付け始めた。バンドマンたちも飲み食いを終えて、去った。
残った人間は居間で飲み始めた。居間に集まったのは、久世くんと薫の君、龍明、そして信乃と私だけだった。
チカちゃんは龍明だけに挨拶をして、だいぶ前に帰ったという。知毅は少し前に、龍明に声をかけて、去ったらしい。
「怜於はどこかしら?」
心配そうに、信乃が言った。
「自分の部屋かな」と久世くんが言った。
「見てこよう」
私はそう言って、居間を出た。
本日は男子用となっていた、一階の便所には、誰もいなかった。部屋をのぞいてみるかと、玄関ホールに向かった。怜於ははたして、階段で一人、行儀悪く脚を投げ出し、座り込んでいた。
「どうした?」
そう声をかけると、難しい顔で答えない。
近づいていくと、「あんたにあげる」と、何かを差し出した。
怜於が知毅に叩き返したはずの、婚約指輪だった。
「また知毅にもらったのか」
怜於は仏頂面で言った。
「階段を下りてきたら、知毅が帰ってくところだった。無視しようと思ったんだけど、寄ってきて。押しつけられた。一生許さなくてもかまわないが。俺は一生おまえの味方だ。そう言われた。さっさと出て行っちまって。返せなかった。意味わからん」
知毅の声で想像すると、恥ずかしいことをすると、いたたまれなくなった。この子の知毅への恋は、この指輪で成就した。そう言っても良いのではないか。そう思った。
怜於の隣に腰を下ろすと、指輪を押しつけられた。
私は訊ねた。
「知毅が嫌いになったか」
「嫌いだ」と、怜於は唸った。
私が何も言わないと、言葉を続けた。
「知毅は俺を助けてくれた。大きくて強くて、カッコ良くて。こんな男ははじめて見ると思った。俺の
「人間が
指輪を握らせようとしたが、唇を引き結んで受け取らない。
私は言った。
「嫌いなら。利用してやるといい。この指輪を見せれば、きっとたいていのことをしてくれるぞ」
「たいていのこと?」
「ああ。かなり大変なことでもしてくれるだろうな」
知毅は自分が怜於にしたことを恥じていたし、龍明もまた、大人三人の関係に、十六歳の怜於を巻き込んだことを、恥じていた。
今後知毅は怜於を、ますます気遣い、何も求めず守るだろう。龍明は怜於を恋人にしなかったとしても、いや、しなければ一層、怜於をますます許し、さらに愛するだろう。
私が知る兼平知毅とは、そういう男で、私が知る宗形龍明とは、そういう男だった。
何を思ったか。私の生徒は、指輪を受け取った。
私は言った。
「僕はちょっと、君が羨ましい」
二人の交際相手を、羨んだことはない。知毅と婚約した信乃も、龍明と結婚したチカちゃんも、知毅と婚約した怜於も、羨ましくはなかった。けれどこの時は怜於を、羨ましく思った。
「なんで?」と、怜於は不服そうに言った。
私は何も説明しなかった。
「なんでだよ」と、怜於はしばらくの間煩かった。
おかしな家の饗宴(シュンポシオン) 黒澤 白 @hakusuineko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます