カーテンコール

真花

カーテンコール

 さんざめく劇場の灯りが落ちて、潮が引くように静かになる。期待を詰めた沈黙が空間を満たしてゆく。

 ブザーが鳴る。

 壇上にスポットライトがあたる。スーツ姿の男が後ろ向きに立ち、顔だけ振り向いている。だが、ギャングのような帽子を右手で押さえ、サングラスをかけていて、その表情は分からない。

 ジャン!

 短く切るような音楽のかけら。

 ジャン!

 男は動かない。

 ジャン! ジャーン。

 男が素早く全身を客席に向ける。

「困ったことに、俺は愛を落としてしまった」

 男は客席を探す。

「ここに、ある。間違いなく」

 ジャジャジャジャジャジャジャジャとギターの刻むサウンドと共に幕が開く。


 私は客席の前の方からその姿を見ていた。男の役柄はトニーだが、それを演じているのはナユタだ。

「俺は役者として大成する」

 ナユタは十年前からそう言っていた。

「きっと出来るよ」

 私はいつもそう頷いた。

 ナユタは努力した。だが少しも芽が出なかった。私達は同棲するようになり、経済的なことは全て私がまかなうようになった。

「きっと大成したら、楽させるから」

「楽かどうかは関係ないよ。でも、夢を叶えて欲しい」

 私は働いて、生きていくことに不満がなくて、だが、ナユタの夢を応援しているうちにいつしかナユタが役者として成功することが自分の夢になっていた。同時に、叶わない夢をいつまで堪え続けられるのか、不安でもあった。

 ナユタは少しずつ役をもらえるようになった。

 私と過ごす時間は確実に減っていった。だが、私はそれを好ましい変化だと捉えていた。

 トニーのオーディションを受ける朝、ナユタはいつもと違う輝きを放っていた。きっと、私しか気付かない光だ。

「今回は受かるよ、ナユタ」

「もちろんそのつもりだよ。毎回」

「違う。今日は違う。私には分かる」

 ナユタは自信を注入されたような顔になって、拳を握る。

「分かった。がんばって来る」

 送り出した背中も光をまとっていた。

 ナユタはトニー役を射止めた。私達は、抱き締めあって喜んだ。演目は大劇場での公演であり、間違いなく一流だ。ナユタの役者人生が本格的に始まった。

 今日はその千秋楽だった。公演は大好評を得ていて、ナユタには既に次の役のオファーが来ている。

 熱狂の中、舞台は幕を閉じる。カーテンコールがあると言うので、私も、他の観客も、今し方注入された熱の余韻に浸りながら役者達の登壇を待つ。

 拍手に迎えられて現れた役者は八人、なのに、左右に分かれて立つ。

 そこから、トニーがナユタが舞台の中央に出る。

 照明が落ちる。ざわめく劇場。

 スポットライトが照らす。開演のときと同じ格好のトニー。

 ジャン!

 音楽も同じだ。

 ジャン!

 観客が静まり返る。

 ジャン! ジャーン。

 トニーが素早くこちらを向く。

「困ったことに、俺は愛を落としてしまった」

 トニーは客席を探す。

「ここに、ある。間違いなく」

 ジャジャジャジャジャジャジャジャとギターの刻む音と共に、トニーが客席に降りて来る。私の前に立つ。

「一緒に来て」

 私は手を取られて、壇上に連れて行かれる。舞台の中央に立たされる。

 トニーがナユタが跪く。

 その手には指輪。

「キミコ。今までありがとう。僕と結婚してくれ」

 私は混乱して、何をどこでしているのだ、でも、でも、嬉しかった。

「はい」

 舞台の袖に立つ役者達が拍手をする。それに呼応するように、劇場全体から、割れんばかりの拍手、指笛、「おめでとう!」の声。

 世界全部が祝福してくれている感覚に包まれる。

 目の前にはナユタ。

 涙が止まらなくなった。

 ナユタが私を抱き締める。

 拍手がいっそう強くなる。

 そのまま、舞台の袖にナユタと共に引っ込む。

「キミコ。今はここで待っていて」

「ナユタ。ありがとう」

 ナユタは親指を立てると舞台に戻る。大きな歓声。本当のカーテンコールが始まった。

 私は初めて、舞台側からナユタを見て、その背中にいつかの光がずっと強く輝いていることを見付けた。指輪もプロポーズも嬉しい。だが、それよりもその光が、嬉しい。


(了)

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