第26話 スーの夜明け -2- ゴウとの約束

「ゴウさ、なんでボクに優しくしてくれたの?」

「ええ?優しく?そんなことストレートに聞く?」

「初めて会った日からずっとそうじゃない。ボク嬉しかった」

「僕は優しくなんかないよ」

「そんなことないって」

 謙遜するようにゴウは首を振り、少し照れくさそうに話を続けた。


「僕は優しくなんかないんだ。僕は本来、自己本位で自分のことしか考えていないんだよ。でも人間の言葉が話せるようになって、少し考えが変わったんだ」

「変わった?」

「うん、言葉って人に影響を与えられるだろう?」

「人に影響?」

「そうさ、言葉は人に影響を与えられるんだよ。他人を勇気づけたり、背中を押してあげたりできる。それを知って、せっかくだからその為に言葉を使ってみようと思っただけさ」

 そうなんだ。ゴウって、えらいな。

「言葉を持っている人間っていいな。ふふん」


 言葉が持つ力か。

 考えたことがなかったけど、確かにゴウは何度もボクを勇気づけて背中を押してくれた。言葉で人に影響を与えるってすごいことかもしれない。


「それと」

 ゴウはそう言うと何かを思い出すように、遠くを見るような素振りを見せた。

「それと、僕は元々野良の生まれなんだけど、ある日ひとり遊びに夢中になってさ、母さんや兄弟たちとはぐれちゃってね。

 慌てて母さんを探していたら、走ってきたバイクにはねられちゃったんだよ。

 足をケガして動けなくなって、転げ落ちた狭い側溝の中でピーピー泣いてた。途中から雨が降ってきて肌寒かった。

 時間はどんどん過ぎていくし、暗くなってくるし、一人で心細くてね。ああこのまま死んじゃうのかなあって思ったよ。


 そうしたら通りかかった人間の女の子が、僕を見つけて病院まで連れて行ってくれたんだ。それで僕は助かった。

 その子は僕の手当てが終るのを見届けると、名前も告げずに立ち去った。

 どこの誰かはわからないけど、僕の命の恩人だよ。黄色い傘をさしていたことだけは覚えている。

 だからそれから黄色を僕のラッキーカラーにしたんだよ」

 ゴウは立ち止まって、ほらと言いたげにベストの裾を、ピンと正すようにして微笑んだ。

「だからスーに声を掛けたんだ。その靴を見てね」

 そうだったのか、ボクは自分の黄色のスニーカーに目をやった。



「スーの夜明けも近そうだね」

 再び山を下り始める。その足を止めずにゴウがポツリと言った。

 東の空が明るくなり始めている。


「長い夜だったんだろ?つらかったね」


 その一言に、ふいに涙がこぼれた。それは何の前触れもなく、突然ポロリとこぼれ落ちた。

 学校に行かなくなったこの半年間のこと、いやもっとずっと前からのこと。いろんなことが頭の中に一辺によみがえって、一言では表せない複雑な思いがあふれた。

 しかしそれは、自分でも驚くほど冷静で、よくわからない不思議な感情だった。

 ボクが歩みを止めるとゴウも立ち止まった。


「ありがとう、ゴウ」


 涙を見られて照れくさかったが、そのありがとうにはいろんな意味を込めた。

 ゴウがいなかったら、何も気づかなかったかもしれない。ゴウは頼りになったし、居てくれて心強かった。

 ゴウに会いたくて、ボクは午前零時が来るのが毎晩待ち遠しくなっていた。


「もう時間があまりないから先に行くね。タコ焼き買って、かき氷買って、お面も買ってくる。ポップコーン買いに最後に寄るから」

「わかった。転ぶなよ」

 ボクは坂道を駆け出したが、二三歩走って立ち止まり、ゴウを振り向いた。


「ねえ、ゴウ」


「うん?」


「うちに来てよ」


 ずっと考えていたことを思い切って口にした。

 ゴウは何とも言えない驚いた顔でボクを見た。


「ボクのうちで一緒に暮らそうよ」

 それは本心だった。そうできたらいいなと思った。


「無理かな?来て欲しいんだ」

 やっぱり無理だよね。あやしの市は居心地がいいし、ポップコーン売りが楽しいって言ってたもん。

 ボクはゴウの返事をじっと待った。


「……ふふん。考えとく。でも」

 ゴウは言葉を止めた。

「でも、なに?」

「でも、元の世界に戻ったら、僕はしゃべれないよ。ただの猫に戻っちゃう」

「うん、関係ないよ。しゃべれなくても一緒にいてくれたら、ボクは嬉しいんだ」

 ゴウは思案するように片方の指でヒゲを撫でた。


「あとさあ……」

 言いづらそうに下を向いたゴウのヒゲがピンと立ったように見え、ボクは次の言葉を待った。

「あとね、鈴は嫌いなんだ」

 ゴウの表情ははにかんだようで、ボクには一瞬ウィンクしたようにも見えた。

「わかった、鈴はつけない」

「ふふん、どうしよっかなあ」

「待ってるね」


 ボクはゴウに歩み寄り、右手を上げた。

 ゴウはしばらく考えてハイタッチを返してくれた。肉球の感触が柔らかくて、その照れたような顔は喜んでいるようにボクには見えた。


 ゴウがうちに来てくれるかどうかはわからない。でも本当に来てくれたら、その時には今とは違うボクを見せられるような気がしていた。

 というより、少しでも変わったボクを、ゴウに見て欲しい気になっていた。


 この数日間の不思議な体験は、確実にボクに大きな影響を与えた。

 しかし今思うと、それはあの最初の日に二階の窓から一歩踏み出した時から総てが始まった。

 踏み出す勇気がものごとを変えていくことを、ボクは身をもって知り、そのことが一番嬉しかった。


 白み始めた東の空にふと心が軽くなる。

 その空の色は、まるで今のボクの心境を映しているかのようだった。

 駆け下りる足に一層力が入り、銀河山の坂道をボクは急いで下っていく。


 まだ満天の星を抱いた夜明けの空が、刻一刻と表情を変えていた。



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夜明けのスー コロガルネコ @korogaru_neko

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