ヘスティアの天秤
佐藤 拓哉
第0話 朝
『世の中に良い人と悪い人なんていない。ただ良い事と悪い事があるだけだ』
ふと、高校時代の恩師の言葉を思い出した。彼女曰く、世の中にいる良い人というのはたまたま結果として良い事をしただけで、悪い人はその逆でしかないという。
「私の言っている事が分かるか?泉。例えば強盗は、強盗だから悪い事をするわけではないだろう。強盗という悪い行為をする事によって、結果として強盗となってしまうわけだ。そしてその強盗でさえ、悪事を働かなければただの人だし、ゴミ拾いなんかをすれば簡単に善人の仲間入りというわけだよ」
一見暴論かのように聞こえるが、確かに説得力があり納得せざるを得ない自分がいる。
「じゃあ北原先生、人助けをする為に他人を傷つけた人は善人ですか?それとも悪人ですか?」
「んー・・・そうだな。殺さずに救えば善人なんじゃないか?相手によるかもしれんが」
「相手による・・・ですか」
高校生の頃、担任の女教師と交わした雑談をまさか数年後に考え直す事になるとは思ってもみなかった。普通はそんなたわいもない会話をいちいち覚えている人はいないと思うけど。
寝起きだから見ていた夢を思い出していたのか、それともふと頭の中で空想にふけっていたのか………まだ頭が完全に覚めていないせいだろう。
時刻は朝の6時30分。今日も同じ時間に目が覚める。
いつも通りの風景。見慣れた質素な柄の布団を片付け、畳の上を数歩歩き洗面台へ向かい顔を洗う。水の冷たさが、僕がいるのが現実なのだと教えてくれる。手の平にチクチクと刺さるような感触で、髭が伸びているのが分かる。
軽く伸びをして、ストレッチをする。身体がなまっているせいか、膝や腰からポキポキと心地良い音がする。いつも通っていた整骨院が懐かしい。
ストレッチを終えると、部屋の掃除をする。これも日課だ。
片手箒と小さなちりとり。最初の頃は使いにくいと感じていたはずなのに、今ではこれ以外考えられない。やたらと使いやすく感じるのは、部屋が狭いせいだろうか。
ストレッチを終え、作業着に袖を通す。袖口の小さなほつれが気になるところだが、今はこの1着しかないから仕方がない。まだ着始めて間もないはずなのに、どこか懐かしく思えるのは気のせいだろうか。
そうこうしているうちに、時計を見ると7時5分。いつも通り朝食を食べる。
今日は白米に豆腐入り味噌汁、サバの塩焼きと春雨サラダ、それに玄米茶。
質素だが、これがなかなか美味い。
サバのホクホクとした触感と付け合わせの大根おろしが口の中で混ざり合い、母がよく作ってくれていた味を思い出す。元気にしているだろうか。
朝食に舌鼓を打った後、気付けば7時20分になっていた。
そろそろ行かなければ。
「泉、出寮の時間だ。出ろ」
「はい」
午前7時30分。いつも通り看守から指示が出る。
単独室の鍵が開き、僕はその場をあとにした。
ヘスティアの天秤 佐藤 拓哉 @Nagase14
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ヘスティアの天秤の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます