2. 回答欄


「ただいま」


下宿しているアパートの扉を閉める。

すぐに、本のページに向けられていた視線がこちらに向いた。


「おかえりー」

「その本、面白い?」

「うん、大学図書館ってすごいね。こんな本が沢山あるんだね」


下手なミスコン優勝者より蠱惑こわく的な、夜を煮詰めたような目が笑う。

僕よりも少しせた身体からだに、適当なシャツとジーンズを着ているからす濡羽ぬればの髪は、胸元ぐらいまであった。


「まあ、貸出できるものしか借りてこれないけど」

「いいよー、最悪忍び込んで読んじゃえばいいんだしー」


そう軽く言って屈託くったくなく笑う様子は、最初に会った時と何も変わらない。

多少のかたよりはあったとしても、知識も思考力もあるし、あれから僕との生活をすることで朧気おぼろげだった自己判断能力も改善が見られたのに、相変わらず善悪の倫理観がゆるい。


――あの後、閉鎖的な村で起きた連続同時多発殺人事件について、僕や家族に疑惑の目が向くには向いたが、そもそも皆一様に、頭部を圧縮されて破裂させられたという人間離れした死因に、誰も何も言わなかった。

何かしらのトリックを使ったにしても、ほぼ同時多発的に大量の人間をそれぞれ離れた場所で、というのはどうやっても論理的には「無理」の一言にしか帰結しなかったのである。


更に言うなら、村の外に出た人間のほとんどが、親族と絶縁上等の大喧嘩を繰り広げて出て行ったぐらいに閉鎖的だったので、遺族からの突き上げもロクになかった。

むしろ、本来なら遺言で遺産が貰えないかもしれない人は、村に残ってた一族郎党全員殺されたのでまるまる全部の遺産が転がり込んで来たのだ。諸手もろてを挙げないまでも、棚ぼたを感じた人間はどれほどいたか。

更に、その件は荒唐無稽な殺人事件だからこそ、多少僕らに向いた疑惑の目をらしてくれた。

あと、は村の駐在さんも殺していたし、規模が規模だったから県警として総力を上げて捜査していたが、村の閉鎖具合は有名だったようで、一応の事情聴取で「友達がいなくなって寂しいね」と言われて、否定して、嫌がらせや暴力を振るわれた事を告げて、身体からだの青タンまで見せた僕には、警官の皆さんは優しくしてくれた。


当然、父の会社は父の配属どころか、村がほぼ廃村になったことで、支社自体が取り潰し。結果、父の配属はまたも変わり、僕は転校となった。ちょっとれ物あつかいされたけど、前の殴る蹴ると比べれば全然マシだった。


それに、家に帰ればがいた。

ちゃんと黒猫に化けたをあの日連れ帰って、梃子てこでも動かないつもりで、飼う事を主張した。結局、事件のせいで忙しくなり、そんな事にかかずらうくらいならと簡単に承諾を貰えた。

また引っ越して、母がパートを初めて、親のいない時間が増えると、は人間の姿になって僕の話を聞いてくれたり、触り心地を堪能させろとひっついてきたり、一緒に本を読んだり、二人で図書館に行ってみたりした。戸籍がないからの図書館カードは作れなかったけど。

その時、黒柴の際の違和感を元に、デッサン向けの筋肉の構造を書いてある本を読ませたら、猫の姿で抱き上げた時の無駄な液体感が消えた。

は変身するその一瞬、どろりと溶け落ちて、その場に底なしの穴を開けたような、その目と同じように黒い液体になる。今まではその外側だけを取りつくろっていたのが、知識で補完されたようだった。

あいつのとこの初代(?)とかその後の代は、水袋でもいいから見目とだけ、それらしければ良かったらしい。

まあ真にせまったところで、猫自体は流動学に比されるほど液体に近いけど。


僕はの姿には――仮の姿だけは猫にしろ、体格だけは服の共有のために僕と一緒にしろと言ったけど――基本口を出さなかった。

しかし、顔はまだしも、身体からだこだわりはないというのに、常に男となっていた。

『古事記』の伊邪那岐いざなぎいわく「我が身は、りてあまれるところ一処ひとところあり」ならば、それは余分な箇所を作り込んでいるということになるのではないか、作り込まないなら伊邪那美いざなみいわくの「りてはざるところ一処ひとところあり」の方が楽だろう、むしろ、方がもっと楽なのでは、と問いただしてみた。

しかし、普通に楽に変身するとこうらしい。ならば、自認はともかく身体的性は男なのでは、と言うと、「そうなのかー」と他人事な言葉が返ってきたのでずっこけた。

どう伝えるべきか、悩んでいた自分が阿呆あほらしい。

まあ、髪の長さだけは完全な気分のようで、長い時には膝裏ぐらいまである。長い時はたまに暇つぶしに三つ編みさせてもらったりする。髪にも触覚と、何故か味覚があるらしいので、本人的にはスキンシップの延長線上で、僕の肌の質感と味を堪能たんのうできる、とのことだった。

いつか頭から食われるんじゃないかとちょっと思うけど、それはそれでいいかな、と思っている。あるいはあきらめた。


――ブブーッ、ブブーッ


テーブルに置いたスマホが震える。


「んあ?」

「あー……バイト先からか」


メッセージアプリのバイトグループから僕宛に来てるのは、急病の知らせと代打の依頼。

横からのぞき込んだが口を開く。


「どうするんだい?」

「んー……今日は行ってくるよ。晩ご飯、何がいい?」


あれ以来、僕は敵になることも、敵を作ることもけている。


「んー、カレーかな」

「授業二コマ連続での代打だから、そんなに遅くなんないし、手間かかるのも大丈夫だよ」


とりあえず、今のところはあれだけの憎しみを向けたのは、あの村だけだけれど。

それに匹敵する程ではないにしろ、きっと僕は憎しみを抱くことをけるべきだ。


「う、それならー、生姜しょうが焼き?」

「わかった。後で冷蔵庫の食材でチェックして欲しいもの、タブレットの方にメッセージ送るから、チェックして返して」

「うん、いってらっしゃい」

「行ってきます」


――だって。

今、には僕しかいなくて、この家があの座敷牢みたいなもので。

――ならばきっと。

あの家で当初行われたのと同じように、僕と最初に会った時と同じように、は、また僕が頼んだら。


僕の憎い相手を、殺してくれるだろうから。



――A. 多くの命と、一人の善良で聡明な子供の未来。

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Q. 座敷牢の奥の好奇心は何を殺したか 板久咲絢芽 @itksk_ayame

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