Q. 座敷牢の奥の好奇心は何を殺したか
板久咲絢芽
1. 前提条件の提示
――
――ああそうだ、試練をクリアしたら入れてやる。
――俺ん
◆
「い……た……」
あいつら、本気で蹴り落としやがった。
階段を後転を繰り返すように転がり落ちた先が、コンクリだったらとぞっとする。
幸い、少し意識を飛ばす羽目になったが、感触的には少し踏み固められた地面だったようだ。築何年だとか何代続くだとか知らないが、あのクソ野郎の家がこの蔵にロクに手を入れないままにしてくれてて助かった。
それでも痛いし、たぶん、頭のどこかを切ったと思う。
何も見えないが、
「おや、気が付いた?」
闇の向こうから声がしてびっくりする。
まさか他にも、と思ったが、あいつらが言う
「ああ、人間は普通暗いと見えないんだっけね」
ちょっと待ってね、とその声の主はこっちの入れたいツッコミを封殺して、すぐに暗い中に灯りが
「最初、驚いたよ。君、転がり落ちて来て、ぴくりとも動かないで血を流してるんだから。まさか、当代はこれ食うの? とも思ったけど、何も言われないし」
「……」
「おでこ切ったんだねえ。それは大変だ。何か血止めできるもの、あったかな」
がさがさと何やら
ゆらゆらとどこか揺らめくのは、どうやら光源が揺らぐ火であるからのようだ。つまり電気は通ってないと見ていいだろう。
「うーん、これでいいかな? こっちへおいで」
するりと格子の間から出て来たたおやかな白い手が、おいでおいでと手招きする。
「えいっ」
近寄ると、がっとすごい強さで
止血として間違ってはない、はずなのだが。
「ぎゃあ!」
痛い。というかこれは何、なんか肌触りがちょっとがさがさする、そりゃ痛い。というかそんなぎりぎり言いそうなほど押し付けないで。
「あれえ?」
おかしいなあ、と言わんばかりに眼の前の格子の向こう側で首を
服は、和装だ。もう
「何かぼく、間違った?」
「ええと、まず勢いが、手当のそれじゃないです……」
最近殴られ慣れてはいるけど、不意打ちで殴られたかと思った。
「あー……初めてだった、から?」
「あと、押し付けてきた紙みたいなの、何ですか? がさがさしてて、痛い」
「これね、もう読まない古い本のページ」
「ヤバい菌とかついてそうなんでやめてください。せめて、ティッシュとか……」
そこまで言って、こんなあからさまな座敷牢に、そんなもんある訳なさそうだ、とようやく思う。
ん、座敷牢? たぶん蹴落としたあいつもこれ知らないな?
「きん……あー、この本に書いてあったやつだね。見えない小さい生き物が、他の生き物の中で育って増えて、時には殺しちゃうやつ。すごいねえ」
そう言って示された本は、古い、けれどあくまで戦後レベルの文庫本だ。
よくよく見てみれば、思ったよりも広い座敷牢の中の古い
寝起きできそうな布団のようなものはない。
「てぃっしゅ、は他の本にちらっと書いてあったなあ。ハンケチーフみたいなものなのかなって思ってたんだけど、どんなの?」
「あの……」
「なんだい?」
「ちょっと、その」
推測される情報量が多い。多過ぎる。
その上で、ここまでフレンドリーなひとなら。
「整理、させて、ください」
「……いいよー」
一瞬納得したように
「あなたは、なんですか?」
「なんだろうねえ? わかんない!」
元気だけが大変よろしいお返事である。
「人、ではない?」
「たぶん? えーと、ぼくがここに入ってから……十八人は家の
さらっと言ってるけど、それってつまり十八世代は
「ええと、人を、食べたことあるんですか?」
「あるよ? えーと、いち、にー、さん……いっぱい? 当代はそれが普通って言われたから」
雲行きが怪しいなあ。この家の過去。
「じゃあ、なんでこんなところに?」
「化け物が力のある人の家の地下に飼われるのは普通って言われたから」
「……他に、ここで何が普通って言われて、何をしてきましたか?」
「え? えーと、初めは、ああそう、白い着物の、ああこの服ね、
「察したのでストップで」
「えー、いいの? この後何代目か忘れたけど、
チョロい。何このひと(人じゃない)チョロくてめっちゃ利用されてる。
そして、僕を文字通り蹴落としたあいつらはマジでこれを知らない。先祖の
「本当はね、家の
格子の横にちょこんと体育座りして、こちらを見ながら小首を
乾く前の
「でも、家の
ぷう、と唇を
「君、他にも何かぼくに言いたいこと、ありそうだね?」
「……あなたは、利用された、だけですよ」
そう言うと、僕の右目がその
「それねえ、最初の女の子の、死に
「……その後に、あなたが強要された行為が何か、知ってますか?」
「んふふ、最初は
少し
「叶わない欲望を、みんな
「……僕の知る普通では、ないです」
その僕の言葉を聞いて、ふむ、と考え込むように濡れた手を口元に添える。
触れた部分の
「……僕から見れば、何もかも普通でない、です」
もし、これがこの村で普通だったのだとしても、最近越してきたばかりの
それなら、と
「君は、ぼくに、普通を教えてくれる?」
「……わかりません」
「何故?」
「あなたが普通を求める理由がわからないから」
長い
「だって、人は普通じゃないものを怖がって、普通なものは好きなんだろ?」
「……あなたは、人が好きなんですか?」
「うーん、嫌い、ではない、よ? ……触るとすべすべして生温かいところも、こうしてお喋りできるところも、本に書いてあることみたいな面白いことを考えつくところも、そうだね、好きなのかも。味も悪くないし」
そこで味の話を出されたくはなかったかな。
「ねえ」
「はい」
「外にはもっと本がある?」
「はい」
「外にはもっと人間がいる?」
「はい」
「外には、他にぼくみたいな化け物はいるかな?」
「それは、わかりません」
「正直だね」
「下手な嘘ついてバレて怒られるのは嫌ですから」
というか、このひと(人じゃない)の戦闘力とかわかんないけど、さっき殴られたと思ったしな、素の力は人間よりあると考えていいんじゃないかな。
「ふふふ、いいなあ、好きだな、それ。あ、君は、おいしいのかもしれないね?」
もしや僕、死ぬのでは?
「うん、おいしい」
「……僕、食べられます?」
「んーん、食べないよ」
からかわれているのだろうか。いや、からかうだけの能力がこのひと(人じゃない)にあるのかは謎。チョロいし。
「そういえば、君はどうしてここに来たんだい? 状況と話しぶりを考えたら、放り込まれたんだろ?」
「まあ、文字通り、蹴落とされたんですが……僕、この村の外から、引っ越して来たんです」
ふんふん、と
「父親の仕事の都合で、丁度近かったのが、この村で……だけど、いざ引っ越してきてみたら、家や車に嫌がらせされるし、中学校だって、みんな、僕のこと
「なるほど、ぼくの事知らない子供が君を放り込んだのか……殴られたり蹴られたりって人間はとっても痛いんだろ?」
まるで自分にとっては大した事ないというような物言いだ。実際そうなのかもしれない。
「……痛い、です」
「
「……普通では、ないですね」
「やっぱり、君に当代の普通を教えてほしいな」
すい、と格子越しに顔を寄せられる。
黒い底のしれない井戸のような目が、その奥に好奇心を
「君の普通の方が、少なくとも当代では本当だろう?」
「まあ、それは、たぶん……」
格子の間から、またするりと手が伸ばされる。
一本、二本、三本――
「……腕、増えるんですね」
「あ、できるかぎり人間の姿でいよーってしてたから忘れてたんだけど、君が欲しいなって思ったら増えちゃった」
あは、と笑われるが、笑い事ではない重要事項だと思う。
そして顔だけでなくて、肩とかまで
「それなら、この格子抜けるのも楽なのでは?」
「むしろ楽に壊せると思うよ?」
確定したな。このひと(人じゃない)、人間よりもパワーある。
「ね」
「はい」
「ぼくを連れて逃げなよ」
提案の形をしているけど、こうして、何本もの腕に確保されて、身動きが取れない、ましてこのまま外に出れば、また殴る蹴るが待っている僕には、実質
「あなたを連れて行ったら、どうしてくれますか?」
「そうだねえ。彼らの普通をお返しするよ」
ロクな事にならないんだろうな、というのは予想がついた。それこそ、命の保証もないだろう。
だけど――
「それは、いいですね」
僕だって人間だ。理不尽な事をされれば、怒るし、恨む。
「あれ、これって普通?」
「いえ、普通ではないです。でも、誰だって、憎い相手の不幸は喜ばしく思ってしまう。普通の、考えなだけです」
僕は聖人君子ではない。だから、この村に対して、怒っているし、恨んでいるし、憎んでいる。
母さんの顔を日に日に
気がつけば、ぱきん、という音の後に、ごとん、という音がして、格子についていた戸板が綺麗にはずれて倒れた。
「
するりと僕を拘束していた腕が離れていく。
最後に、さらりと頬を
初めて立ち上がったそのひとの背は僕よりも高くて、身体が男だというのは本当なのだろう。
さりさりと古い畳を踏みしめて歩く音を立てながら、格子の向こう側からこちら側に出てくると、立ち尽くす僕の頭を、止まりかけてる
「ぼくが戻ってくるまで、ここで、このまま待っておいでね」
「あの、僕の母さんと、父さんは」
火を見るよりも明らかに、流血沙汰になることが確定しているのだ。そこに巻き込まれないかだけが、心配だ。
「大丈夫、わかるよ。さっき血を
◆
――緊急ニュースです。
――〇〇県✕✕村で、大量殺人事件が発生しました。
――警察は――
◆
「戻ったよ」
「……おかえりなさい」
ひどい匂いにむせそうになるのを我慢しながら、そう返した。
にこやかな顔にはまったく返り血はないが、黄ばんでいた白い着物は、特に袖が、真っ赤に染まっていた。
「いやー、当代の
その真っ赤な指先に肉の
素手でこのひとは何をして来たんだ。
「つかぬことを
「なんだい?」
「その手で、何をどう……?」
「顔をぐっと
実演して見せるように、がっと手を前に出して、そのままぐっと強く
まるでトマトを
「ふふふ、面白かったよ。あ、君を
「
「腹を
まあそういう事である。でも、
「ところで、なんですけど」
「なんだい?」
「あなた、名前とかってあるんですか」
「呼び名は……コレだったよー」
「指示代名詞かあ……」
呼び名が困るなあ。あとは――
「あの、性自認、とかは」
「せい、じにん……?」
「あなたとしては自分自身は男なんですか、女なんですか?」
「わかんない!」
「本当にそこ、元気良いですね……」
何故、こうも無駄に元気がいいのかは謎である。
「……外は、阿鼻叫喚ですかね」
「そうだねえ、この格好だと一発でお縄かな?」
まあ、そんな猟奇ホラーまっしぐらな格好なら、少なくとも職質ルート一本でしょうね。
「うーん。正直、猫とかだと、家族に説明して連れ込みやすいんですけど」
「そしたら、着物脱ぐの手伝ってくれる?」
帯ほどいて、と背中を向けられて、確認しながらしゅるしゅると帯を
この家の先祖の業の深さに、花嫁
とりあえず帯を
「……」
「どう? かわいいでしょ」
ああ、
僕はその前にしゃがみこんで、言葉を失った理由を告げる。
「それ、猫じゃなくて、犬ですね」
どうみても見事な黒柴です、ありがとうございます。
「ね、ネコ
「食肉目の別名ですね」
大枠過ぎる。というか、どういう本を読み漁ったのか。
僕はよいしょ、と黒柴を抱きかかえる。
「出る? 外、だいぶ血まみれだけど」
「でも、出ないわけにもいかないでしょう」
なんだろう。こうして抱き上げると、なんか、違和感がある。
ぶよぶよし過ぎというか、生ぬるいというか、意外と重いというか、水っぽいというか。これほんとに筋肉で動いてる?
「それはそうなんだけどさ」
「……すみません、意外と重いので、人の形になってもらっていいですか?」
「重かったかー。いいけど、どういう人がいい?」
正直それは僕としては、どうでもいいんだよな。
「どうでもいいです。一応、あいつらが変なことしてなければ、たぶん入り口横に僕の
「ああ、あれ君の
「はい。僕はあなたに強制する気はありません。今は他者に何かを強制することは、よっぽどのことでなければない世の中なので」
今までの反応から、普通を盾にすれば、言うことは聞いてくれると踏んで、そう言うと、黒柴は右前足を口元に持って来て首を
「とりあえず、僕は一旦荷物取りに上に上がります。
そう言って階段を登って、開け放されたままの扉からそっと顔の上半分だけ出してみた。
新鮮な空気を吸って、鼻がすっかり
正味、十四の子供が慣れてはいけないものだろ。
すぐそばに落ちてた
その背中を
「大丈夫?」
「げほっ、あれ、ごほっ、元の……? げふっ」
背丈は僕と同じで髪も肩口で切り
けれど、顔の造作は最初に見た時と一緒だった。
「やっぱり長年コレだったから、馴染んじゃって」
「げほっ……そういうものなんですね」
「よごれて、げほっ、ますけど、どうぞ」
「……これ、どう着るの?」
そこからかあ。まあそこからだなあ。
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