第5話
「ほんとはさ、安心しなかった?」
今もなお、外ではカルトたちがデモを行っているようだ。軍にしてみれば、今は宇宙人にしか兵を割く気がないらしく、彼らの要求に賛否は示される事は無い。
「だってさ、直前になって、あんなプレッシャーから解放されたんだよ。そりゃあ、誰しも良かった、安心したと思うんじゃない?」
「僕は、別に」
「んー、顔色がましになったと思うけどなぁ」
ところが彼女の様子は入ってきたときとは段々と異なって、少し緊張を感じさせつつもあった。彼女と知り合って間もないけれども、おそらくは彼女にしてみても珍しいことなのだろう。海外では緊張を悟られまいとする文化も稀ではない。肌の色も青ざめていくようにみえ、何だかこちらまでピリピリとしてしまう。フランクな話し方がまるでそれらを偽り隠そうとするかのようで。
「エミリアさんは見たんですか」
「ううん、実はさ、私は棄権できないかなぁ~って、交渉してたから。もちろん、交渉なんか既に意味がなかったから、巻き込まれないように適当に時間稼ぎされちゃった」
意外だ。彼女はきっと僕より強いし、堂々とした様子を今まで崩してはこなかったから、むしろプレイヤーになれたことを誇らしく思っているかと。本当に強いからこそ、闘わずして勝敗が分かる、ともいえるのかもしれない。その分、やっぱり僕は大学生でしかないんだ。
「地球も終わりだよね」
小型船はこうして目の前で半壊し、宇宙人はどこかへと連れていかれた。月に行くのもやっとな人類が、果たして恒星間を行き来する彼らの科学を理解できるかは怪しい。少しはヒントを得たとしても、その時は彼らの母星や母艦から征服軍が押し寄せる。
そうなると、チェスなんてしてたことはみんな忘れるか、もしくはチェスだけをしていればと後悔するか。
「そうでもないか……」窓の外にいる彼らはヤンデロリアンによる征服を、祝福と称して歓迎している。確かに彼らの到来は、地球をほぼひとつにした。国連は初めてその機能を全うしている。
彼女はどこか哀願するかのように、外をぼんやりと見つめながら、そっと僕の手に柔らかな肌を重ねてきた。こちらを一切見ずに手を繋ぎながら、星に願いを託す少女のような顔立ちをのぞかせている。
――――つまりは彼らは、人類のようにたんぱく質やケイ素からなる生成物ではなく、水銀が主たる成分であった。それ故に外皮は己を維持する硬度を必要として、あたかも爬虫類のようにしていったというわけだ。
しかし適応放散はいかなる星でも通ずる生命の真理なのであり、彼らは別な惑星へと飛来した。それはもしかすると、より高度な存在にしむけられたのかもしれない。地球人の野蛮さが銀河系に改めて知られたことは、此方には不名誉極まりなくても、彼方では統治の名目にはもってこいだ。幼年期の文明を支配し、これを平和・向上させることは、いつの世も強者の好むたわ言だ。
「彼らの血液が飛散したことで、既に空気と土壌は汚染された」
これが科学ラインのスタッフ達による最終結論であった。それはまたしても敗北を意味していたからこそ、まだ公にはされていない。彼らはつまるところデコイのようなものだったに違いない。
この太陽系にもきっとヤンデロリアンは派遣されているんだ。その証拠としては不十分だが、監視用に精度を急ピッチで向上させた軍の観測望遠鏡には、それまで無かった煌めきを既に幾つか発見していた。光年の計算を含めると、彼らは太陽系外延部から少しずつ征服と銘打った調査を展開し、第三惑星である地球にもやってきたということだ。
あの光が、いずれからの攻撃なのかは未だ、我々には判別できない。そもそも未踏の地であるのだから、類推もほぼ不可能だ。
一世紀前に月へと降りたち、その後無人機を飛ばしてきた人類は、まだ宇宙においては赤子のようなもので、その子らがもし暴れるとなると、大人は物音で察知して、すぐさまご機嫌を取るか、でなければ罰を与えるか。
小型船にいた彼らの分析をした学者は、高濃度の気化水銀によって、その頭脳を塵へと戻すこととなるだろう。
皮肉なことに、あの場には、ほぼすべての地球の賢者たちがそろっていたのだ。
この先――それは明日かもしれないし、遥か未来か――ヤンデロリアンが報復活動に出たとしても、物量の差では、せいぜい原子爆弾かレールガンを用いる他に術はないが、それらを設計し、抑止力として機能させうる人材は、あと数年で地球から絶滅する。
この文明を享受するのならば、人類は否が応でも、ヤンデロリアンの植民地となる他に、選択肢はない。国連議長は早急に降伏文書を作成するよう、指示を下したが、それを認めるには、あまりに人間は大きくなりすぎていた。
金の加工によって繁栄を気づいてきた長い、だが宇宙からすれば未熟な人類文明自身が、いま、水銀によってその在り方を変えられているのだった。チェスの棋譜をコンピュータに学習させることで、知能は各段に上昇するだろうし、もはや武力抗争は、「宇宙の警察官」の統治のおかげで、軍人や歴史学者の手からも離れ、ただ民俗学における過去の伝承へとやがてはなるだろう。
人類の未熟なものは水銀中毒となり、若いうちからその大気に適合していった人類の青年期は
水銀と知性の祝福をさずかった藍川史郎。彼の子どもが生まれるならば。
惑星間チェス大戦 綾波 宗水 @Ayanami4869
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