第4話

 今日の午後、僕は初めてヤンデロリアンと対面する。佐々木原さんも審判のひとりとして随行することとなった。

「誰も聞いたことが無いので、彼らの母国語は未だ不明です。話によると、演説の時と同様、流ちょうにいかなる言語も使いこなせるとか。きっと今回は日本語を話してくれると思いますよ。私が通訳する必要はきっとありません」

「それだけ高度な知性なのか、あるいは何かトリックがあるのか」

「それを考察するのは別の者の仕事です」

 今朝も彼女は淡々と報告事項を済ませると、僕のネクタイの歪みをただし、国連議長らと写真を撮りに行くと言う。僕は『戦地』へ向かうからこそ、形式的であれ、何か記念を残しておくのだろう。

「ちなみに、昨日も負けたわけですよね、午前の部もそうだとしたら、本当に僕の試合が、地球の未来を左右するんですか」

「当然です」

「負けた人たちの精神状態ってどんな感じでした?」

「ヤンデロリアンとコンタクトした人々は、畏怖心を抱いてはいますが、心理学者の分析では、SF作家が危惧したような精神汚染のようなものは確認されていません。その力量さに驚愕しているプレイヤーと観戦者の心理でしかありません」

 最後の分析のひと時を乱したのは、館内にとどろく爆発音だった。

 一度目に呼応するように、続いて二回三回……と間髪入れずに騒音と地響きが伝わる。

 煙幕のようなものが先ほどまで見えていた窓の外の光景を遮断し、何かが起きたという意識ばかりがつのってゆく。先ほどとは異なった爆音が窓を揺らし、風を切ってゆく。戦闘機は東から西へと直線的に去っては、また回転してこちらへと。彼らが見ているのは、爆撃が成功したか否か。まるでスポイトで落とした酸の影響を一言一句書き記す科学者のように、彼らはヤンデロリアンの小型船の様子をみているに違いない。

 非常に硬い材質で出来ていると勝手に想像していた彼らの宇宙船は、まるで卵のようにガラクタと化し、中から負傷したヤンデロリアンが数名這い出ている。あまりにもグロテスクなのに、どうしても目を背けることができず、きっと別の部屋の窓からも、僕のような野次馬が数百もいるのだろうと思うと、彼らからの視点はあまりに気味悪いことだろう。百目に覗かれながら、異星で死ぬなんて僕はイヤだ。彼らにそういった心理があるかは分からない。だが、人間として彼らを救出すべきだとは思う。

 けれど、まるで殻から飛び出したドロドロと怪我をしたヘビのような奇妙な生物を、ただじっと遠く危害の無い距離から眺めつつ、キモいという感情をどうにかこうにかする以外に、結局、誰もしないらしい。

 女性の悲鳴が聞こえた。

 ヤンデロリアンは死んだと思われる個体へ近づいたかと思うと、共食いを始めた。うろこの下の、肉のような表面と青みがかった血の光景は、低俗な映画村にだってありはしない、あまりにも強烈なもの。

 ―――やばっ―――

 ようやくそう感じて、身動きが取れるようになったのは、食べている奴の目がこちらを向いたときだった。顔に一文字の亀裂、つまりは爆撃による裂傷が目をえぐっていた。なので、本当は目が合ったとは言えないが、まるで次の獲物が僕に定まったか、あるいはもっと明確な憎悪としての視線が遠いここへと届いてしまった。

 急いでブラインドを降ろしたが、かえってそれは、無数の窓の一つを狙うよう、自ら招いてしまう事となったかもしれない。奴はこっちへ向かってくるだろうか。

 部屋全体は綺麗でも、流石にブラインドには少し埃がつもっている。風にさらされても飛ばないあたり、足元でみかける類の埃とはやや状態が異なっているに違いない。刑事ドラマのように少し指を差し込んで、わずかにのぞき見をする。覗きという行為は往々にして興奮をもたらすものだろうが、今回の場合は神経的な興奮の一種に過ぎず、快楽には一切作用しない。僕らとチェスをさし、完全なる勝利をおさめていたヤンデロリアンは今や凶悪なるリザードに過ぎない。この二面性をさらけ出させた爆弾に僕は怒りすら覚える。


 軍車両があたりを包囲し、生き残ったヤンデロリアン撃ち、捕らえる。それが今も生きているのかこの距離では分からない。

 とにもかくにも地上の小型船は半壊し、僕の対戦相手も半強制的に棄権となった。それが認められるかはわからないけれど、今をもって地球連合騎士団なる時代コスプレは幕を閉じた。

 午後へのプレッシャーはたしかに解消されただろうが、それと同じくらい、いやそれ以上のトラウマを植え付けられるという代償を許してしまった。

 壁をみつめていると、板木の境が、やつの目の傷にみえてくる。そうすると段々と、まだあの個体が生き残っていて、これから戦争が本格化したときに、必ず復讐されるという予知的な妄想が一時的であれ心を同じように切り裂いてゆく。

 戒厳令がしかれ、各々の行き来は今日一日、厳重に禁じられ、佐々木原さんも秘書の任をそれに伴って凍結されたらしい。僕らは既に戦士ではない。これからは本業の兵士がその責務を負う。特にあれから、ヤンデロリアンからの通信は入っていない。


 しかし一方で、周囲が騒がしくなったのはその日の夕方だった。

 一般には今回の事件はまだ知られていない。なので、この周囲へと集まっているカルト達も、ヤンデロリアンはまだ平然とチェスをしているものと思い込んでいる。

 彼らは拡声器で敷地の外から、ヤンデロリアンへの帰依を訴えかける。もちろん、ここに居る誰にもその言葉は響かない。ましてや共食いを行う種であるのを知った僕らは、かえって元来の人間文明に根ざしてきたタブーを避けようとする自然宗教を思い出しているころなのだ。

 どうして奴らが救い主と思えるのか。

「殺される」

 何かの文言のうちに、ある信者がそういった。その前後の文脈は耳には入らなかった。もしかすると、愚かな人間は殺されるとかそういう内容だったかもしれない。

 でも、今の僕の心を支配しているのは、やつらに自分、この僕が殺されるという自覚のようなもの。それを騒音で知らしめられたのが苦しかった。

 配膳係がもってきた夕食のロブスターを、ただ意味もなく窓から捨てた。目が合って以来、開けていなかったあのブラインドの奥へと。

「おいおい、食品ロスは社会悪だよ~」

「エミリアさん!? ちょ、出歩いちゃマズいですって」

「だって、部屋にいようがいまいが、結局誰も訪問してこないし、バレないって。それよりさ、どうしたの?」

「いや、それはこっちの台詞な気が」

 鍵は閉めていたと思う……。クリーム色のカーディガンを羽織った彼女からはなんとなく落ち着いた雰囲気が感じられる。青や緑、鉄のようなものはしばらくみたくない。

「汗すごいね?」

「え、ほんとだ」

 彼女の服装からしても、今は肌寒いはずだ。そう言えば高価なエビを投げ捨てたときも、窓には結露のようなものがあった気がする。あの時の感触を思い出すと、妙に温かく、ざらざらしていた感覚が蘇ってぞっとしてしまうので、それ以上、考えないようにした。

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