星月夜(ほしつきよ)

真花

星月夜

 見上げれば星が数限りなく瞬いている。その真ん中には満月が白く輝く。空を支えるように静謐さが山や、家や、ここの土手まで深く刺さっている。僕の尻は草の湿気で濡れて、横には手を伸ばせば届く距離に君がいる。

 前を見たまま二人とも、黙っている。

 僕は君に言わなくちゃいけない。僕の想いと、今日がさよならじゃないことを、伝えなくちゃいけない。だが、想いが言葉にならない。

 桜は咲いている。だが、ここではない。もし僕の脇に一本、桜があったならもう少し勇気が湧いただろう。桜じゃなきゃいけない。今、生命の全開であることが必要だ。だからもし今日が秋だったなら、銀杏でもいい。だが、今日は春だし、春だから僕達はこうやって横並びに座っている。

 風が僕達の間をすり抜ける。冷たい精のある、愛を奪う風だ。

 君が向こう側に向かって呟いた。

「……明日だね」

 僕は応えることが出来ない。月ばかりを見る。君は何を見ているのだろう。

 君もそれ切り黙って、またまるでさっきまでと同じ二人になる。だが、僕の胸は鼓動は膨らんで、言わなきゃいけない、君の胸はどうなっている?

 君の気配は確かにここにあって、だから僕の気配も君に伝わっている。嘘をつく訳じゃない。とびきりの真実を伝えたい。

 君が何かを言いかけて、やめた。

 僕じゃなきゃいけない。僕が言葉を言わなくちゃいけない。

 勇気を出せ。本当に最後になってしまうぞ。

 思った途端に、その未来が実体となって僕の前に垂れ下がる。これは嫌だ。絶対に嫌だ。ここで終わりにはしてはいけない。実体を避ける。胸が破裂しそうになるのを堪えて、君の横顔を向く。

「出発は明日だけど、これがさよならには、したくない」

 僕の言葉をゆっくりと飲み込んでから、君が僕を向く。

「でも、行ってしまうでしょ? 私はここに残る。じゃあ、さよならだよ」

「違う」

 自分で思っているより大きな音が出て、僕はその音を回収しようと息を呑む。君は平気な顔をしている。

「何が?」

「遠く離れていても、僕が、君を想う気持ちは変わらない」

 君は応えない。じっと僕の目を見る。そこに満月が光っているかのように。僕も君の瞳を見て、探しても見付からなかった勇気がその中にあることに気付いた。僕はその勇気を摂取して、胸の膨張と混ぜ込んで、口から撃ち出す。

「僕は君が、好きなんだ」

 君はため息をそっと胸にしまうみたいに、微笑む。きっとそのため息は一生守り隠される。

「知ってる。そんなことずっと前から知っているよ。その上で、私は思うんだ。遠くに行ったあなたは、私のことを忘れる」

「そんなことない」

 また風が吹き抜ける。まるで冷たい方が現実だと言われているみたいだ。

「忘れていいんだよ。……その分、私はあなたのことを覚えているから。でも、生きている間にもっと素敵な出会いがあったら、そのときは忘れさせてね」

 言葉に反して、君の笑顔は苦くなっていた。まるで炭酸水のように。

「どうしてそんな悲しいことを言うんだよ」

 君は軽く首を振る。何かがこぼれ落ちそうな、揺れ。

「あなたよりも長く生きている分の、知恵だよ。……そう思っていて、それでも二人が求め合うなら、そのときは未来を考えよう」

 僕は君の目に言葉を叩き付ける。

「きっとそうなる。僕の想いは死なない」

「……分かったよ」

 僕達が話すべきことは全て終わった。僕の想いは伝わっただろうか。さよならにならないでいられるだろうか。

 君が悪だくみを思い付いたときの顔になる。いつだって害のない、小さなジョークだった。君はその顔で、左手の拳を僕に差し出す。それが終わりの儀式のようにも、次に進むためのイニシエーションのようにも感じて、どっちか分からないけど応じようと決めた。

 僕は君に触れたことがなかった。

 握った拳が震える。

 僕達は拳と拳をそっと重ねた。慈しみ深く、初めてで最後かも知れない接触に、僕の鼓動が胸に満ちて溢れる。

 星月夜に刻印を押した。

 君がゆっくりと手を引っ込める。

「さあ、明日に備えて帰ろう」

 君は立ち上がって、尻を軽く払う。パンパン、と言う音を聞き終えたら、僕も立ち上がる。言葉を何も交わさずに、分かれ道まで歩いた。

「じゃあね」

「連絡する」

「ん。待ってるよ」

 僕達は別れ別れに進む。

 一人で見上げる空は小さくて狭くて、月も小ぶりで、まるでコンパクトなレプリカのようだ。僕達が吸い込んでいた魔力はもうない。離れてしまうとそんなものなのかも知れない。

 僕は首を振って、右手に残る感触を頼りに、自分の気持ちを確かめる。胸はまだ膨らんでいる。


(了)

 



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星月夜(ほしつきよ) 真花 @kawapsyc

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