婚礼前夜

尾八原ジュージ

婚礼前夜

 今夜は風が強いね。

 表でびゅうびゅう音がするねぇ。

 こんな夜は座敷牢もさわがしいから、厭なもんだ。そら、風の音ばっかりじゃないだろう。ひぃーっ、ひぃーって叫んでいるじゃないか。風に乗ってこのお屋敷まで、山のにおいが流れてくるのかねぇ。

 厭だねぇ。

 あんな処へなんか閉じ込めておいて、ほんとの神様になんぞなれるものかしら。


 ねぇ。あんた、隣の隣の村から来たんだって?

 そんで、一昨日からここで働いているんだってね。

 それじゃあまだ何にも知らないねぇ。きっと、こんなとこだって知らずに来てしまったんだろう。でもおまんまがあるだけありがたいって、まぁ、あんたも苦労したんだろうね。

 あたしは庄屋ここのお嬢さんじゃないよ。住み込みで働いてる、あんたとおんなじ女中だよ。でも、それにしちゃいい部屋をもらっているだろう。お給金だってずいぶんはずんでいただいてるんだよ。

 なんでってそりゃ、あたしの兄さんが、この家の座敷牢にいるからさ。


 ああ厭だ。

 明日はいよいよ祭りだなんて。


 そりゃあ、にぎやかにやるそうだよ。

 山の神様の、二十何年に一度の婚礼だもの。

 村中集まって、大さわぎをするんだってさぁ。

 あたしは大旦那さまや若旦那さまや、神主さんと山へ入るんだ。山奥で祝詞をあげたあとで、木の枝に兄さんの髪の毛を結びながら村へ帰ってくるんだよ。

 そしたら夜になってから、結んだ髪を目印に神様が山からおりてくるんだって。それでこの家に入ってきて、兄さんと夫婦めおとになるんだって。

 神様と夫婦になると、兄さんも神様になるんだ。そしたら兄さんのたましいの半分は山へ行くけども、もう半分はこの家に置きっぱなしの体に残って、村の守り神になるんだって。

 兄さんはやせて、目ばかりぎろぎろ光っているけども、髪は黒い波のように長くて綺麗なんだ。木に結ぶのにたくさん髪が必要だからね、切らずに伸ばして、毎日洗って油をつけて、柘植の櫛でようく梳いてるんだ。あたしの仕事なんだよ。


 兄さんはね。

 明るくって、よく笑うひとだったんだけど。

 頭もよくって、働き者で、たったひとり残ったあたしの家族だったんだけど。

 それでも山の神様に見初められちまったら、もうどうにもならないんだよね。

 だって、山に気に入られたものが次の神様になるって、ずうっと昔から決まっているんだからね。だれも兄さんが気の毒だなんて言やしない。反対に、神様に気に入られるようなものがいてよかったよかったって、みんなずいぶん喜んだくらいだからねぇ。

 こんな何もないところで、みんなそうやって生きてきたんだから。

 人間を神様にしてもらって、それを守り神にすりゃ、それで村が富むんだからね。そうやって暮らしていかなきゃあ、だって。

 ほんのちょっと雨が多かっただけで。少なかっただけで。日が照らなかっただけで。照りすぎただけで。

 ばたばたと死ぬんだから。

 前の神様が死んじまって、村から神様がいなくなってた何年かの間に、あたしの父さんも母さんも弟も、みんな死んじまったんだから。


 しかたないよねぇ。


 ああ、でも、厭だな。

 兄さんが神様になっちまったら、もうあたしの兄さんじゃないんだ。

 でもね、今だってもうかなり山の気にあてられて、半分がた人間でないものになってるんだから。もしもあたしと兄さん二人で逃げたとしてさ、どうにもならないんだよねぇ。

 あんた知らないだろうね、座敷牢の土臭いこと。兄さんてば、言葉なんかろくに喋れなくなっちゃって、肌もだんだん木みたいに固くなって、黒くなってさ。

 あたしは毎日、山から腐った木だの虫だの茸だの土くれだのとってきては、兄さんの処へ持っていくんだよ。そうすると兄さんは、犬ころみたいに口をつけてね、喰うんだ。土だの虫だの、ぐちゃぐちゃ厭な音を立ててさぁ。


 だからもう、いっそさっさと神様にしてやるのが、兄さんのしあわせかもしれないんだけども。


 ああ、また風が強くなってきた。

 きっと明日は晴れるよ。だって婚礼の日だからね。

 あんたもとっとと寝たほうがいいよ。明日はきっと忙しいからさ。


 あたしも寝るよ。ここじゃなくて、座敷牢の前で寝るんだ。

 今夜は一晩じゅう、兄さんの近くにいるよ。

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