第2話
練習が始まるのは4時から。現在は3時40分。自主練と着替えの時間を考えると、どう考えても時間が足りない。優斗は急に慌てて走り出した。
優斗が教室より少し暑く感じるバスケットボール施設に到着すると、すでに部員たちが黙々と自主練を始めていた。檻のようなボール整理カゴには数多くのボールが入っており、いくつかはこぼれ落ちている。
大会が終了し、次の国際体育大会に向けた3年生部員の鬼気迫った表情はあまりの気迫に身を凍りつかせるようなものがあった。体育大会の出場権がないメンバーでさえも、獲物を狙う鷹のような鋭い目つきでドリブルやシュートを繰り返す。
体育館とは別に、この学校にはバスケ部専用に施設が増設されていた。
普通の体育館は他の部活も当然使うが、他の部活と比較してあまりにも多い練習量とコートの使い方を見た学校側が急遽作ったものだった。
別の学校なら注意程度に済ませるだろうが、学校側もバスケ部に対して期待を寄せているが故の対応だろう。
それを見た優斗は逃げるように素早く更衣室に向かい、練習着に着替える。制服の重苦しい感触がなくなり、身軽な格好となった。黒いマイケル・ジョーダンのシルエットがでかでかと描かれた白いTシャツを着ると、脳の中で「なにか」のスイッチが入る音がした。
ロゴがすっかり削れきったバスケットボールを手に取り、ボールハンドリングをスタートする。目に追えないほどの速さで頭、腰、膝、足と続けて動かしていく。ボールが手から離れても片方の手に吸い込まれるように、いつまで立ってもボールが落ちる気配がしなかった。
周りの音が聞こえなくなるまで集中してハンドリングを続け、ようやく優斗はハンドリングをやめた。周りでボールが弾む音が聞こえるようになり、先程まで強い集中力でやっていたことの反動でぷつりと集中力が切れた。
そして途端に、足から腰にかけて響くような小刻みの振動が伝わってきた。異変を感じて横を向くと、柔らかそうな髪質に焦げ茶色をした髪の毛をし、雑に耳の上でヘアピンを止めている男子が目に入った。
顔は見えないが、恐ろしげな速さでクロスオーバーを繰り返し、常人ではできないほどの低さでボールを操っているのが分かる。
この学校のバスケ部の中で、ここまでの技術でボールを扱えるのは一人しか居ない。
彼の動きを目で追いながら、感嘆の息をはいた。
彼は無意識かどうかは分からないが、ボールが弾けると小さくため息をつき、ボールを両手で持って立ち上がった。視線を感じたのか、後ろにいる優斗の方を向く。
「青野、何ぼーっとしてんの?」
呆れたように形の整った眉をひそめ、榊原中屈指の天才PGであり1年B組の
陽稀は身長は榊原中の中で最も低く、148cmという高さだったが、そのPGとしての実力やシュートとドリブルの技術には全国経験が豊富にあるOBの高校生をも圧倒するものがあった。
今年の全国大会でも度肝を抜かれるような活躍を見せ、県内男子バスケ部にとって激戦区の地区大会ランキングでは他の実力派選手を抑えて県内No.3、PG部門では第一位に選出された。
メンバーの誰よりも評価が高いが、学年はなんと1年で年齢は12。
榊原中学校入学前のミニバス時代では全国大会へと率いたキャプテンをしていたので、すでに活躍は知られていたが、これほどまでとはと名監督たちも太鼓判を押していた。
「ごめんごめん、高峰も続けてよ」
「別に謝られたくて言ったわけじゃない、そろそろ練習始まるからぼーっとしないで体温めてってこと」
陽稀は再び疲れたような目で肩を上下させたあと、鳥のキャラクターがバスケをするイラストの横に白文字で『The left hand stays relaxed』と手書きフォントで印字された可愛らしい黒Tシャツを翻し、シュート練習を始めた。両手首がしなやかに動き、美しく曲線を描いたボールが気持ちがいいほどに綺麗にゴールに入る。
優斗も負けじと3Pラインからボールを射抜く。リングの中心へとボールは行き、白いネットにボールが吸い込まれ、床にワンバウンドして落ちた。
陽稀の方を向いて得意げな表情を浮かべると、陽稀は若干むっとしたような顔を見せてあとに続くように3Pを放ったが、少し短かったのかリングに軽く当たって落ちた。
「集合!」
腹の底から出したような声がコートに反響する。優斗と陽稀、そして他の部員がボールを扱う手を止めて声のした方へと走った。
国体が始まるまで全員残る体格のいい3年生が、優斗たち1年と2年を待ち構えていた。中でも中心にいる最も体格がよく身長が高いのは、C兼PFの
北原玲司は今年度の国体メンバーに選出された、現時点で国内トップクラスのCだった。全国的に見ても驚異的な量のリバウンドを獲得し、一試合では平均7回のダンクを決めており、C、PF部門では県内の強豪センターを差し置いて第一位に上り詰めた。
フリースローの成功率は高くはないが、チームの得点源でありリーダーシップの強い玲司は後輩からも強く慕われていた。
体格も顔立ちも様々だったが、表情は全員一緒だった。
黒光りするようなぎらぎらとした瞳で、部員一人一人を選別するように見つめている。
今日も始まる。
だが、その日の3年の恐ろしげな表情に、部員たちは拳を握って身構えた。
FINAL basketball+(カクヨムコン9応募作品試し読み版) 華月椿 @tsubaki0110
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