『月を横切るハエ』
pocket12 / ポケット12
『月を横切るハエ』
暗い部屋の窓辺を、一匹のハエが月を横切るように飛んでいた。ふらりふらりと、まるでかぐや姫を迎えに来た使者のように。
どうやらハエは窓の内側にいるらしい。月に影が横切るたびにコツコツとした音が耳に届く。
僕は窓を開けてやることにした。ハエは勢いよく飛んでいく。自由を喜んでいるのだろうか。あるいは余計なことをしやがってと
窓の外。九月の
花より団子……いや、この場合は月より団子と言うべきだろうか。せっかくの名月にもかかわらず、僕の意識は別にあった。
夜の闇が僕を包む。薄暗い感情が深い穴へと僕を
その時、手に持っていたスマホが震える。僕は飛びつくように画面を見た。ネットショッピングのクーポンを取得した旨の通知に落胆し、スマホをベッドに放り投げる。
彼女からの連絡を待っていた。去年の今頃からイギリスに留学している彼女からの連絡を。
今日は僕の誕生日。なのに、未だメッセージは届かない。
忘れられているのだろうか。不安が頭をもたげるたびに、イギリスとの時差を考えて心を落ち着かせる。あっちはまだ正午を回ったばかり。慌てるような時間じゃない。
ハエに憧れてしまいそうだった。あのハエのように空を飛んでいけたらと思う。月を目指して飛んでいけば、いつかはイギリスにまでたどり着けるだろう。地球は丸いのだから。
一時間が経ち、二時間が経った。未だ何の連絡も届かない。
どうせ何かしらの勧誘だろうと、居留守を決め込むことにする。
しかし訪問者は強情で、二度三度とチャイムが繰り返される。
鳴り続ける音にいい加減うんざりし始めたところで、再びスマホが震えた。画面を見て、僕は慌てて部屋を飛び出した。
「居留守とはいい度胸してるね」
と、部屋の前にいた彼女は言った。
「どうしてきみがここに……」
目を丸くして茫然と呟いた僕に彼女は笑って、
「さて問題です。わたしはなぜここに来たのでしょうか」
左手の拳を向けてくる。親指から人差し指、中指と順番に伸ばしていきながら、
「一、連絡の少ないキミを
「二、浮気してないかの抜き打ち調査」
「三、サプライズパーティをするため」
最後の言葉とともに彼女はにっこりと微笑んだ。
「Happy Birthday to you」
ネイティブな発音に笑いそうになるよりも先にキスされる。そっと触れるようなキス。唇が離れていくと、そのまま僕の首に腕を回してくる。
「ずっとこうしたかった」
首元に顔を
「……僕もだよ」
ギュッとお互いの存在を確かめ合う。離れていた時間を抱きしめるように僕は彼女の背中に手を回した。
ドアが閉まる音が静かに響く。倒れ込むように僕らは部屋へと落ちていく。
月が綺麗な夜だった。淡い光がベッドを照らしている。僕はもう死んでもいいと思った。
(了)
『月を横切るハエ』 pocket12 / ポケット12 @Pocket1213
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