事故に遭った俺のために何でも言うことを聞くと約束した幼馴染みに、たくさん『お願い』し続けた結果…
青野 瀬樹斗
本編
お久しぶりです。
何でも『お願い』を聞くって言われたら、どんなことを『お願い』したいでしょうか?
頭の片隅に置きながら読んで下さると、より楽しめるかと思います。
======
俺、
そう尋ねられた時の答えは間違いなくコレだろう。
──いつでも何でも言うことを聞いてくれる幼馴染みの存在だと。
そんな都合のいい話があるワケないって?
なんて思うだろうが、驚くべきことに事実なのだ。
その幼馴染みの名前は
肩に触れる長さの黒髪に野暮ったい眼鏡を掛けた少し内気な女の子だ。
暗いけどよく見たら意外に可愛かったりする。
互いの父親が親友で家も隣同士なので、物心着く前から俺達は一緒だった。
事の切っ掛けは小学三年生の頃、俺が水景を庇って交通事故に遭ったことだ。
信号無視したバイクが突っ込んで来た時、鈍臭い水景を咄嗟に突き飛ばして助けたものの轢かれてしまったのが原因だった。
事故直後は死ぬかと思うくらい痛くて、結果として左足と右手を骨折して入院するハメになったのである。
「ごめんね、けー君。ごめんなさい……!」
事故に遭ってケガをさせたことに対して、庇われた
涙で目を腫らす程に泣き続ける彼女に何度も謝られたけど、何度も許すって言っても自分が悪いからと納得してくれない。
水景の両親もウチの父さん達も、悪いのはバイクを運転していたヤツだって諭してもダメだった。
そうして事故から数日が経った頃、毎日見舞いに来る水景からある約束を持ち掛けられる。
「私、今日からね、けー君の『お願い』を何でも聞くよ」
「俺の言うことを?」
「それがけー君に助けて貰ったお礼と、私への罰なの」
そう話す水景の眼差しが普段と違っていたから、口にした言葉は本気だと伝わる。
もしその場に誰か大人が居たとしたら、きっと大袈裟だと笑って真面目に受け取らなかっただろう。
けれど当時の病室には俺と水景の二人しかいなかった。
誰も止める人が居ない空間での会話に一際特別感が過る。
いい加減謝られ続けるのも鬱陶しかったし、退屈な入院生活にも飽き飽きしていたから、何かしらの刺激を求めていたのもあったと思う。
でもそれ以上に当時の俺が感じたのは……どこまで聞いてくれるのかという好奇心だった。
「……本当に、俺の言うことは何でも聞くのか?」
「けー君に嘘なんか付かないよ」
再度の問い掛けに水景は臆せず答えた。
「──分かった。じゃ、約束な」
「うん。けー君の『お願い』だから、良いよ」
彼女が本気だと知った俺は提案を受け入れることにした。
何でも言うことを聞いてくれる存在が手に入る。
退屈嫌いの遊び盛りな小学生が、そんな絶好の機会を前にして断れるはずなんてないのだから。
======
「水景。『お願い』なんだけど、お菓子持って来て」
「うん、良いよ」
「漫画読みたい。『お願い』」
「お父さんに言って借りてくるね」
「あのさ『お願い』があるんだけど」
「えへへ、なぁに?」
入院中は退屈を紛らわすために身の回りの世話を頼んだ。
水景の甲斐甲斐しい献身はとてつもなく極楽だったと言える。
仮に母さんに言ったらワガママ言うなって怒るようなことも、彼女はイヤな顔をせずに受け入れてくれたのだ。
とはいえ流石に互いの両親にバレたら怒られるから、幾つかの条件を二人で決めておいた。
まず一つ目……言うことを聞いて貰うには『お願い』という形で頼むこと。
これは合図みたいなモノで、うっかり思ってもないことを口にしても大丈夫なようにした。
二つ目……『お願い』は周りに人がいない時に言うことだ。
こうすればよっぽど迂闊でない限り、父さん達にはバレないだろう。
加えてクラスメイトや友達からの告げ口を防ぐためにもなる。
三つ目……泥棒とか悪いことはさせない。
何でも言うことを聞いてくれるからって、そんな真似をすれば自ずとバレてしまう。
それにせっかく手に入った都合の良い存在を手放すような悪手は避けるべきだ。
最後四つ目……この約束は俺が飽きるまで続ける。
もし水景が約束を無かったことにしようとした時の保険みたいなモノだ。
いつまで続くか分からないけど。
四つ目を提案した時は正直嫌がると思ったけど、水景は一切の不満も無く了承した。
まぁその方が俺に都合が良いから、特に気にしなかったが。
やがて退院してからも『お願い』は続いた。
「
「分かった。喉渇いたら言ってね」
「『お願い』、宿題見せて」
「良いよ。解き方も教えてあげる」
「給食のプリン、後で食べさせて。『お願い』」
「けー君、好きだもんね。良いよ」
何を言っても水景は怒らないし、ニコニコと微笑みながら受け入れてくれる。
それどころか『お願い』したこと以上に色々と気遣ってくれた。
元から幼馴染みというのもあって、距離が近くても両親もクラスメイトも不審に思わない。
俺の言うことを何でも聞いてくれる水景がいる。
その事実が止め処ない程の優越感を齎してくれた。
もちろんそれだけして貰って何も返さないワケにはいかない。
小学六年生になった折り、たまには水景の言うことも聞こうかと尋ねたら……。
「味見?」
「うん。最近、お母さんから料理を教えて貰ってるの。でも自分だと美味しく出来てるか分からなくて……」
「食べるだけだろ? 良いぞ」
「ホント? ありがとう」
「いつも言うことを聞いてくれてるからな。それくらいならもっと早く言っても良かったのに」
「私から『お願い』するのはダメ。それじゃ罰にならないもん」
「ふ~ん……」
未だに水景は事故の件を引き摺ってるらしい。
まぁそうでもなかったら、とっくの昔に俺の言うことなんか聞かなくなってただろう。
そんなことを考えながら初めて食べた水景の手料理は、ビックリするくらい美味かった。
正直、母さんが作るのよりも上だ。
美味しく出来てるか分からないとか嘘だろ。
======
小学校の卒業式の後、今日も両家で集まって食事会をしていた時だった。
水景は少し女の子らしくなったと思う。
いや最初から女子だけど、なんていうか可愛くなった。
なんかムカつくから絶対に言わないけど。
だからなのかもしれない。
「あのね。実は卒業式の前に佐野君から告白されたの。彼女になって欲しいって」
「は?」
浮かない顔をしている水景にどうしたのか尋ねると、そんな突拍子もない話をされた。
告白?
しかも佐野って同じクラスだった男子じゃん。
困惑のあまり茫然とする俺を余所に水景は続ける。
「私、告白なんて初めてで……こういう時、どうしたら良いのか分からないの。ねぇ、けー君。私、どう返事したら良いのかな?」
「どう、って……」
そんなこと、俺に聞かれても答えられるワケがない。
恋愛のことなんて分からないし。
ただ漠然と感じたのは、面白くないっていう不満と水景と佐野が付き合った時の想像。
水景に恋人が出来たら間違いなく、今までみたいに言うことを聞いて貰えなくなる。
そう考えるとどうしようもなくイライラしてきた。
ふざけんなよ、水景は俺のだぞ?
いきなり横から持って行こうとすんなよ。
「──好きでもなんでもないなら断れよ」
腸が煮えくり返りそうな怒りと共に、気付けばそんな言葉が口から出ていた。
一瞬しまったと思ったけど、よく考えれば水景は俺の言うことを何でも聞くんだ。
だから断れと言った以上、いつもみたいに頷いてくれるはずで……。
「えっと……良いのかな?」
は?
何迷ってるんだよ。
らしくない水景の困った表情に、ますます胸の奥の怒りが沸き立つ。
「とにかく、水景は恋人なんか作らなくて良い」
「その、けー君は私にどうして欲しいの?」
「どうしてってそんなの……」
言われてふと気付く。
そういえば俺には水景を止められる方法があるのだと。
「──告白は断れよ。俺からの『お願い』だ」
「!」
念を押すようにもう一度言うと、水景は驚いたように目を丸くする。
そして……。
「──うん。けー君の『お願い』だから、良いよ」
いつもと同じように聞いてくれた。
その瞬間、胸に燻っていた不満が風に飛ばされたように消え去る。
重石が取れたからか気が休まった途端、唐突に空腹が襲って来た。
そうだ、まだ食事会の途中だったな。
「よし。んじゃ飯の続きにしようぜ」
「そうだね。あ、このハンバーグ、私が焼いたんだよ」
「おー、マジか」
さっきまでの仄暗い気分なんて無かったように、和やかな空気が漂い始める。
相変わらず水景の料理は美味しい。
中学に入ったら給食から弁当持参になるし、どうせなら弁当も作って貰うように今度『お願い』しよう。
なんて考えながら幼馴染みの作った料理を堪能した。
======
中学生になってから
野暮ったい眼鏡を外してコンタクトレンズに変えたことで、以前は目立たなかった顔立ちの良さが周囲の目に留まり始めたのだ。
当初こそ焦ったものの、今では誰が話し掛けようと問題無い。
何故なら俺と一緒に居るように『お願い』したから。
昼休みの弁当も『お願い』しておいたので、家だけでなく学校でも水景の手料理が食べられるようになった。
いくら幼馴染みといっても嫉妬の目は向けられる。
それだけ水景が女子として魅力的になっている証左だろう。
そして変わったのは見た目だけじゃなく体付きもだ。
幼い頃は俺と変わらなかった水景の胸が膨らみ出した。
正確には小学五年の頃から大きくなり始めていたが、中学生になってからは制服を来ていても分かる程だ。
もちろん俺も成長している。
身長だけじゃない、第二次性徴を迎えて男女を意識するようにもなった。
だからこそ異性に対する関心も湧いて来る。
間近で過ごして来た幼馴染みの女性らしい体に、何の意欲も懐かないはずがない。
手を伸ばせば届く距離にある肢体に何度生唾を飲んだか。
だが流石の水景もいきなり触られたりしたら怒るかもしれない。
そのままもう二度と『お願い』を聞いてくれなくなったら……そう理性が訴えかけて来る。
けれども日に日に募る情欲を抑え切れそうになくて俺は自室で二人きりの時、ついに水景に『お願い』した。
「水景、『お願い』がある」
「なぁに?」
「……おっぱい、触らせて」
「!」
思い切って口にした『お願い』に、水景は円らな瞳を丸くした。
言ってしまった後悔と、やっと言えた開放感に苛まれる胸が鼓動を加速させる。
失望されただろうか。
それとも幻滅?
いずれにせよ悪印象は避けられない。
どれだけ時間が経った?
五分か十分……いや、もしかしたら一分も経っていないかもしれない。
時間の間隔すらあやふやな緊張の中で水景は……。
「──うん。けー君の『お願い』だから、良いよ」
「っ!」
いつもと同じ、柔らかな笑みを浮かべながら『お願い』を聞いてくれた。
受け入れられると思っていなかった俺は目を見開いて絶句する。
いくら約束したからって付き合ってもないのに、こんな『お願い』に頷いたりしない。
今まで分からなかっただけで、水景はどこかおかしいのか?
一瞬訝しむけれど、水景がいきなり服を脱ぎだしたために思考が霧散した。
「ちょ、何してるんだよ!?」
「え? 触るなら服越しじゃなくて、直接の方が良いでしょ?」
「……」
動揺する俺がおかしいという風に、水景は何でも無い風に言ってのけた。
あまりにあっけらかんと告げられては返す言葉もない。
いや……本当はそこまでしなくて良いとか言うべきなんだろう。
にも関わらず口にしなかったのは、なんの障害もない彼女の胸を見れる期待感が勝ったからだ。
そうして見せてくれた水景の胸はとても綺麗だった。
触れるとくすぐったそうに身を捩らせて、でも俺が『お願い』したから嫌がったりはしない。
何度も揉み続けていく内に、性欲は収まるどころか暖炉に薪を
胸まで触らせてくれたんだから、もう少しだけ『お願い』してみようか。
そんな言い訳にもならない身勝手な思考のまま、俺は息を荒らしながら口を開く。
「『お願い』だ水景。キス、しよう」
「うん……」
「……水景。下も見せてって『お願い』しても良いか?」
「ん……いい、よ」
止まらない。
俺が『お願い』し続ける限り、水景はなんだって受け入れてくれる。
どこまで応えてくれるのか確かめるためにも、もっともっと『お願い』しよう。
こうも好都合な状況に酔いしれた俺は、留まることなく水景に『お願い』し続けて、とうとうセックスまで『お願い』した。
「うん。けー君の『お願い』だから、良いよ」
水景は……やっぱり断らなかった。
最高だ、好都合なんて言葉じゃ足りない。
この時の俺はまさに有頂天だった。
======
高校生になった。
幼馴染みのまま恋人になることもなく俺達は学校生活を送っている。
この歳になると流石に幼馴染みとはいえ、表向きは適切な距離感を意識するようになった。
それでも二人きりの時、水景は変わらず俺の『お願い』を聞いてくれる。
内容も料理のリクエストから性行為関連まで様々だ。
もう水景無しでは生きていけない、なんて大袈裟な思考すら浮かんで来る。
そんなある日の放課後だった。
「
高校で同じクラスになった女子──
席が隣になったのが話始めた切っ掛けで、見た目は水景に劣るけど可愛い方だと思う。
しかし告白か……どう返事すればいいのやら。
水景以外の異性と関わることが少なかったし、告白されるのも初めてだから勝手が分からない。
戸惑いを隠せず『あ~』とか曖昧な相槌を打つ俺に、千草が不安げな眼差しを浮かべる。
「圭也はさ、
「水景と?」
「幼馴染みって聞いてるけど、それにしたって仲良いし……」
「そりゃ幼馴染みだから仲は良い方だけど、水景は彼女じゃないよ」
「……そっか」
俺の返答に千草はホッと小さく胸を撫で下ろした。
もし水景と付き合っていたら、そうでなくとも好意を持っていたらと不安だったんだろうか。
確かに彼女を作ろうかと考えた時、真っ先に浮かぶ相手は水景だ。
でも今さらそういう関係になるのは何かしっくり来なかったし、たまには水景以外の女子と過ごすのも良いかもしれない。
そう思い至った俺は千草の告白を受け入れることにした。
了承の返事を聞いた瞬間、千草は信じられないような、けれども嬉しさを隠しきれない表情になる。
「ホント!? じ、じゃよろしく……」
「あぁ」
照れくさそうにはにかみながら差し出された手を握ると、初めての彼女は幸せそうに微笑んだ。
笑ってくれて良かったなぁ。
それ以上の感慨は無いまま、休みの日にデートの約束だけ取り付けて解散した。
帰宅した後、いつものように水景が夕食を作りに来てくれた。
食後に千草と交際することを伝えたところ……。
「そうなんだ。それじゃもう私がお弁当作ったり、こうやってお家に来ちゃダメだね」
「え。なんでだよ?」
思わぬ感想に咄嗟に聞き返してしまう。
疑問符を浮かべる俺に対し、水景は諭すような真剣な面持ちになる。
「だって彼氏が違う女の子と一緒にご飯食べたり、お弁当作ってくるなんてイヤな気分になるでしょ? いくら幼馴染みだからって許してくれるとは限らないもん」
「そ、れは……」
その言葉に金槌で頭を殴られた衝撃を受けてしまう。
水景が言ったことは尤もだ。
でも俺達の関係で今さらそんなことを言われても、素直に頷けるはすがない。
「だ、だったら『お願い』する! だから今まで通りに飯もセックスも──」
「ダメだよ、けー君。その『お願い』は聞けない」
「なっ!?」
納得がいかない反抗心から説得を試みるが、水景は無情にも一蹴してしまう。
それは彼女の口から初めて放たれた拒否だった。
「ふざけんな! 約束破んのかよ!?」
「破ろうとしてるのは、けー君の方だよ。だってその『お願い』を聞いたら、浮気してると思われちゃうでしょ? 浮気は悪いことだから『お願い』されてもダメなの」
「あ……」
驚愕と困惑から約束が違うと責めるも、まるで臆することなく反論されて唖然としてしまう。
水景の言うとおりだ。
俺の『お願い』を聞いて貰う条件の中に、悪いことはさせないと約束した。
失念していた条件を突き付けられて足元が崩れそうな錯覚に陥る。
そんなのおかしいだろ。
俺は別に千草と隠れて付き合おうとか言ってるワケじゃない。
浮気がダメだって言うなら、じゃあなんで恋人でもないのにセックスはオーケーだったんだよ。
訳分かんねぇ……!
沸々と煮え繰りかえる怒りを抑えられずに俺は……。
「──じゃあもういい。俺の『お願い』は全部無かったことにしてくれ。幼馴染みも辞めるからな」
「!」
失望のまま約束の終わりを口にしてしまった。
そんなことを告げられると思わなかったのか、水景は目を丸くして後に小さく息を吐く。
「…………そっか」
たったそれだけ呟いてから彼女は自宅へと帰って行った。
そうして一人になってようやく自分の口走ったことに、少なくない後悔が過って来る。
けれど俺は意地から水景に謝りに行かなかった。
彼女が出来たんだし、もう水景の世話になる必要も無い。
そんな強がりを抱えながら不貞寝するのだった。
======
水景との約束を解消した翌日。
それまでが嘘みたいに水景は俺と距離を置いて、家に飯を作りに来ることも弁当も作らなくなった。
普段の俺達の仲を知っていたクラスメイト達は酷く驚いていたが、刺激するのを避けるためかそれ以上は誰も踏み込んで来ない。
どこか居心地の悪さを感じながら授業を受けていく内に、昼休みの時間になった。
俺はここでうっかり昼飯を用意していなかったことに気付く。
今までは水景が弁当を作ってくれたから、自分で準備し忘れていたのだ。
最悪だ……と思っていたが、その代わりという風に
意外にも料理が趣味だという彼女の手作り弁当に感謝しつつ、中庭に移動して早速食べることにしたのだが……。
「……?」
思っていた味と違い、思わず首を傾げてしまう。
「えと、圭也? その……口に合わなかった?」
「え? あ、いや、彼女の手作り弁当って初めてだから、緊張してるだけだって。ちゃんと美味いよ」
失敗したのかと不安げな面持ちの千草を咄嗟にフォローしながら、俺は笑みを繕って弁当の具材を頬張っていく。
美味しいのは本当だ、嘘なんかじゃない。
──水景が作ってくれた弁当の方がもっと美味しいだけだ。
そんな不満を隠しながら食べ進めていくが、気付けば弁当箱は空になっていた。
もう終わり?
まだ全然食べた気がしないのに?
いや腹はちゃんと満たされてるけど満足感が皆無なんだ。
入院していた時の病院食を思い出した。
あまりに呆気ない食べ終わりに拍子抜けしてしまう。
だがバカ正直に言ったところで千草を傷付けるだけだ。
そう自らを律してから作り笑いを浮かべる。
「美味かったよ、千草。サンキュ」
「良かったぁ~。それじゃ明日も作って来るね」
「……おぅ」
──また明日もコレか。
内心に過った不満を呑み込んでその場は凌いだ。
水景と比べるから良くない。
何度も食べ続けていれば慣れるはずだ。
そう思い直したものの、違和感は日に日に大きくなる一方だった。
家でも水景は料理を作ってくれなくなったから、必然的に母さんの料理を食べることになる。
流石に千草の弁当みたいな不足感はなかったけどどこか落胆を懐いてしまう。
三食続く物足りなさを補うために、おにぎりとかパンを足して食べるようにした。
でも水景の手料理じゃないからやっぱり満足感は無い。
そもそもアイツの料理を食べるようになってから、外食しても満足出来ないことが増えていたし、吐きそうになったのもあって買い足すのはすぐに止めた。
問題は食事だけじゃない。
千草とデートに出掛けた時、何をしてもどこに行っても全く楽しくないのだ。
映画を観に行っても、千草の好みに合わせるから自分の観たい作品が観れない。
ゲームセンターで遊んでも、水景と遊んだ時ほどやり応えがない。
それでもなんとか幸せを装うことで千草には悟られずに済んでいる。
付き合って一ヶ月経った頃、デートの別れ際に千草とキスをした。
恋人とは初めてのキスだ。
千草は『めっちゃハズいね』って、真っ赤な顔で照れくさそうに微笑んでいた。
でも俺は水景とのキスの方が興奮したなぁ、なんて冷めた感想が浮かんだ。
そこからさらに一ヶ月後、千草とセックスしようとして失敗した。
未経験の彼女が苦痛に耐えきれなかったんじゃない、恋人に興奮できなかった俺のせいだ。
だからなんとか試行錯誤した結果、千草に水景を重ねることで繋がれた。
そこまでしてもなお、俺は一度も達しなかったが。
こうなって来ると流石に自分の異常から目を逸らせなくなる。
何をするにしても、水景の存在がチラついて離れないのだ。
あの別離から水景とは一度も会話していない。
なのに関心が薄くなるどころか時間が経つにつれて、アイツのことが頭から離れなくなっている。
恋人の千草よりも疎遠になった幼馴染みのことを考える方が増えて来た。
そんな有り様では気持ちを繕うにも限界が来てしまう。
「
「は?」
交際三ヶ月目を前に、悲痛な面持ちの千草にそう問われた。
あまりに唐突で思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
そしてその態度こそが千草を深く傷付けた。
「ほら、最近そーやってボーッとしてること多いじゃん。デートの時も上の空なこと多いし、エッチだってなんか淡泊で……圭也は、アタシと居るとつまらなくなったってことでしょ?」
「いや、そんなワケ──」
「だったらなんでアタシのこと見てくれないの!? 圭也、キスもエッチも遠い目しててちっとも嬉しそうにしないし……もう帰る!!」
「ちぐ、さ……」
涙を浮かべながら踵を返す千草に呼び掛けはしても、俺の足は一歩も動こうとしなかった。
そこまでする必要あるのか?
そんな諦観が拭えない。
やるせなさを抱えたまま、用事が無くなったために帰宅することにした。
======
自宅前に着いたと同時に玄関のドアが開く。
「おかえり圭也。早かったのね」
「まぁ、寄るとこ無かったし」
出てきたのは母さんだった。
何やら少しだけ化粧と服装に気合いが入ってる。
「そう。お母さん、これから倉梨さんと食事に行くから夜は好きにしなさい」
「分かった」
「
「……あぁ」
「全く。あんなに仲良かった水景ちゃんじゃなくて、違う子と付き合うなんて勿体ないことしたわね~。じゃ、もう行くわね」
「いってらっしゃい」
水景との疎遠を惜しむ母を見送りつつ、家に入ろうと一歩踏み入れたと同時にふとひらめいた。
水景も一人留守番してるって言ったよな?
じゃあ、今なら誰の邪魔も入らないんじゃないか?
夕飯は好きにして良いっていうんなら、別に水景に作って貰ったって良いよな?
家の事情だから仕方ないんだし、それくらいなら浮気にならないはず。
なんならそのままアイツと……。
どこか自分に言い聞かせるような言い訳を浮かべて、俺は居ても立っても居られず着の身着のままで隣の倉梨家へ向かう。
たった三ヶ月なのに酷く懐かしさを覚える。
勝手知ったる我が家だったこともあるが、疎遠になった後ろめたさからいきなり入る真似はせずインターホンを鳴らす。
軽快な電子音が鳴って数秒後、スピーカーから『はい、倉梨です』と水景の声が聞こえて来た。
向こうもカメラで俺の姿を見ているはず。
直接顔を合わせていないながらも久しぶりに水景に会えたことに胸が高鳴る。
久しく感じていなかった高揚感を抑えながら口を開く。
「俺だ、水景」
『けー君? 久しぶりだね、どうしたの?』
「その、知ってると思うけど母さん達が一緒に食事に出掛けただろ? それで水景も一人で留守番してるって聞いてさ、夕食も好きにして良いって言われたから、久しぶりに水景の手料理食べたいなーって思って来たんだ」
半ば説き伏せるように来訪理由を口にする。
嘘は言ってない。
だから何も問題は無いはずだ。
『ふ~ん。でも私達ってもう幼馴染み辞めたでしょ? ご飯くらい自分で用意しなよ』
「なっ……」
なのに水景は冷たく突き放した。
確かに幼馴染みを辞めようって言ったのは俺だ。
でも飯くらい食べたって良いだろ。
仄かな苛立ちを覚えながらも、なんとか気持ちを落ち着かせながら続ける。
「そ、そのことなら俺が悪かった。ホントにゴメン。だからまた幼馴染みとしてやっていこう?」
『別に怒ってないから謝らなくたって良いよ。けれどやっぱりダメ。けー君の彼女に申し訳ないんだもん』
「またそれかよ……!」
頑なな水景の態度に不満が声音に出る。
あぁもう分かったよ。
そんなに遠慮するんならもう要らない。
どうせ遅かれ早かれ破綻していたんだから、別に今から終わらせても変わらないだろ。
ポケットからスマホを取り出して千草にメッセージを送る。
──悪い、もう別れよう。
交際の終わりを伝えた画面をそのままにインターホンのカメラへと向けた。
「それならもう大丈夫だよ水景。この通り、アイツとは別れたからさ? だから浮気なんかにならない」
『そっか。残念だったね』
「あぁ」
今度は納得してくれたみたいで堪らず返事が弾む。
ブブブッとスマホが震え出して、電話の着信まで鳴り出した。
……ッチ。
うるさいな、水景と大事な話をしてるんだから邪魔すんなよ。
着信を拒否してから元カノの番号をブロックする。
これでもう静かだ。
そう思ったのに……。
『それで? けー君が彼女と別れたのは分かったけど、私が家に上げて良い理由にはならないよね?』
「はぁっ!? なんでだよ!!?」
水景は毅然とした語調で俺を遠ざけた。
あまりの理不尽に我慢の限界を迎え、門を抜けて玄関を開けようとドアノブを握る。
だが鍵が掛けられているようで、ドアはガタガタと音を立てても開いてくれなかった。
「クソッ、開けろよ! 水景! オイ!」
『やめて。ドアが壊れちゃう』
「お前が素直に開ければ良いだけの話だろ!? さっさと開けろ!!」
感情の抑えが利かない。
こっちは何を食べても満たされない、何もしても楽しくない地獄にいるのに。
砂漠の中で喉の渇きを潤せない苦痛と同じだ。
そんな状況に曝されてまともでいられるはずがない。
俺を助けてくれ、助けろ。
必死な訴えを聞いても水景は鍵を開けようとしてくれない。
その時だった。
──ピリリ。
電話が鳴った。
俺のスマホじゃない、ドアの向こうからだ。
『ちょっと静かにしてね。もしもし? あぁ
……。
…………は?
誰だよ、ソイツ。
知らない名前を聞かされて茫然としている間にも、水景は電話相手との会話を続ける。
『日曜日にグループで遊びに行くの? え、私も一緒に? う~ん……ちょっと予定を見てみるね。行けそうだったら後で連絡する。うん、じゃあね』
簡素な内容ではあったが、それでも俺の怒りを冷ますどころか突き落とすには十分だった。
「……水景。誰だよ、今の」
『最近話すようになった悟堂君っていう男子だよ。よく遊びに誘ってくれるの』
「つ、付き合ってる、のか……?」
『う~ん……』
怖ず怖ずと口にした問いに、水景は悠長に思案してから答えた。
『まだ付き合ってはいないよ』
「なん、だよそれ……!」
含みを持たせた返答に一度は消えたはずの激情が再びぶり返された。
俺がこんな目に遭ってるっていうのに、なんでお前は別のヤツと楽しそうにしてるんだよ!!
「ふざけんなよ! そんな野郎と関わるな!! 俺、言ったよな!? 誰とも付き合うなって! 約束破る気か!?」
『約束? それはもう終わったことでしょ? だって『お願い』は全部無しってけー君が言ったもん』
「あ……」
頭から氷水の滝を浴びせられたように肝が冷えた。
言った。
水景の言う通り、全部無しって言ったのは俺だ。
だから水景は普通に男子と関わるし、今はまだでもいずれ告白されたら付き合うようにだってなる。
そうなったら今度こそ水景は俺の元から離れてしまう。
一生、俺の『お願い』を聞いてくれなくなる。
あぁ。
ああ。
ああああああああああああああああああああああああ!!!!
イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ!!!!
水景が誰かのモノになるなんてイヤだ!!
水景は俺のなんだ!!
俺の幼馴染みなんだ!!
だから、だから……!
「い、イヤだ。……水景、俺を捨てないでくれ」
『けー君を捨てたりしないよ。けー君が彼女作ったみたいに、私だって彼氏作るだけだよ』
「違う。そうじゃない。水景が居なくなったら俺は……もう生きていけない」
『大袈裟だなぁ』
泣き縋る俺の言葉を聞いても水景は他人事のように返すだけだった。
もうどうしようもないのか?
俺はこのまま何の味もない、何の楽しみもない灰色の人生を送るのか?
そんな絶望の底に打ち拉がれている時だった。
『ねぇ、けー君』
水景の声が耳に届く。
そして……。
『──私にどうして欲しいのか、言ってくれないと分からないよ』
…………。
……………………ぁ。
「──『お願い』だ、水景」
一瞬、脳裏に閃いたソレを衝動的に口にした。
「鍵を開けて『お願い』だから幼馴染みに戻って『お願い』だから水景の手料理を食べさせて『お願い』だから俺の傍から離れないで『お願い』だからセックスさせて『お願い」だから俺以外の男と付き合わないで」
一呼吸置いてから、告げる。
「──『お願い』だから……俺の恋人になって欲しい」
一縷の望みに掛けた『お願い』を乱発する。
これでダメだったらもう何もかもおしまいだ。
そんな情けなくてみっともない懇願を聞いた水景は言う。
「──うん。けー君の『お願い』だから、良いよ」
反射的に顔を上げると、いつの間にか玄関のドアが開かれていた。
そして久しぶりに目にする、優しげな笑みを浮かべる水景と顔が合う。
──やっぱり水景はどこかおかしいのかもしれない。
あまりに呆気ない掌返しにそう実感せざるをえないが、そんなのはどうだっていいことだ。
それ以上に俺は水景が受け入れてくれたことが嬉しかったから。
あぁやっと分かったのだ。
俺は水景が居ないと生きていけない、水景が傍に居てくれないと何も味気がない。
俺は……倉梨水景が好きなんだと。
そうして久しぶりに彼女の手料理を味わい、元カノなんかと比べものにならない肢体を堪能した。
もう絶対に離さない。
ずっと一緒だ──水景。
======
私──
事故に遭い掛けた時に身を挺して庇ってくれたんだから、好きにならないはずがないよね。
でもあのままだとまた危ない目に遭うしれない。
そうならないように私が一緒に居なくちゃ。
どうすれば彼と一緒になれるか考え続けた結果、けー君の『お願い』を聞く約束を交わした。
彼は私を自由にしていると思っているはず。
でもそれは正確には違う。
彼の方が私という存在の坩堝に嵌まるように仕向けた。
価値観、尺度、常識……ありとあらゆる基準を私の色に染め上げる。
現に私の料理を一番だと思っているから、けー君は他の料理を食べても満足出来ない。
デートにおける楽しみを全て私と経験しているから、他の女の子と出掛けても新鮮味がない。
私に対してしか興奮出来ないように彼の心に刻み付けた。
だから他の女の子なんかと付き合っても長続きしない。
もちろんただ『お願い』を聞くだけじゃ、都合の良い存在だけに終わってしまう。
大事なのは、けー君の中に独占欲を植え付けること。
どんな『お願い』も聞いてくれる子が、油断すれば手元から離れちゃうと感じたら?
結果は火を見るより明らかだよね。
わざわざ嘘を付く必要が無くなったから、アプローチしてくれた男子達はありがたかった。
まぁだからって応える気は毛頭ないんだけど。
そうしてけー君に私無しでは生きられない程の依存心が根付いたら、後は自覚させるだけでいい。
最後の一押しを手伝ってくれた元カノさんには感謝しなくちゃね。
思ってたよりも掛かっちゃったけど、ようやくけー君と恋人になることが出来て良かった。
そんな努力が報われて晴れ晴れとした気分で、屋上の風を浴びている時だった。
「倉梨!!!!」
身を焦がす程の憎悪を込めた大声で名前を呼ばれる。
振り返れば、そこにはあっさりフラれた元カノさんが居た。
彼女は私の姿を見るや怒りを露わにして詰め寄り、乱暴に胸倉を掴んで睨み付ける。
「痛いなぁ。せっかくアイロンした制服にシワが出来ちゃう」
「とぼけないで!! アンタ、自分が何したか分かってんの!?」
「けー君と付き合ったこと? あなたと別れた後に付き合って何が悪いの?」
「人の彼氏を寝取っておいてふざけんな!! アンタが誘惑しなりゃ、圭也にフラれなかったんだ!!」
「私と会う前にけー君と話したなら言われなかった? 自分から私に付き合って欲しいって『お願い』したって。自分の至らなさを棚上げして、私を責めるなんて情けないよ」
「うるさい! うるさいうるさい!! 言え! 圭也に何したの!? 言えってばぁ!!」
キンキンと金切り声で泣かれてうるさいのはこっちなんだけど。
先に元カレから説明されても納得しないなんて未練がましいなぁ。
大体、私が何かしたなんて筋違いもいいところだよ。
「私は何もしてないよ。強いて言うなら──けー君の『お願い』を聞いてあげただけ」
たったそれだけなんだよ?
「ひっ……」
そう笑って見せると、元カノさんは化け物を見たような恐怖で顔を引き攣らせる。
数歩後退りしてから踵を返して屋上から出ていった。
バイバイ。
もう居ない彼女に手を振ってから、改めて晴れやかな空を見上げる。
「ふふっ。けー君、今日はどんな『お願い』をして来るのかなぁ」
何だって聞いてあげるよ。
私はキミの
【完】
======
自分に都合の良いように思えて、その実思い通りにされてしまう裏支配系ヒロインはどうでしたか?
作者としてはひたすら怖かったです(笑)
水景の本性を踏まえた上で冒頭から読み返すと、また違った印象が出てくるかもしれません。
こちらコミカライズ企画進行中です↓
【両親の借金を返すためにヤバいとこへ売られた俺、吸血鬼のお嬢様に買われて美少女メイドのエサにされた】
https://kakuyomu.jp/works/16816452220811029883
事故に遭った俺のために何でも言うことを聞くと約束した幼馴染みに、たくさん『お願い』し続けた結果… 青野 瀬樹斗 @aono0811
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます