第9話 海賊の召喚姫

「まあ、……そうだな。情けない話だけど」


 リナノの肩に大人しくもたれかかったまま、ミックは短く嘆息した。


「お前が傍にいて、力を貸してくれたから元の姿には戻れた。でも全然元通りの力じゃないし、短時間しか戻れねえ。おまけにこのザマだ」

「本調子には程遠いってことかあ……。神獣たちに持ってかれた力が大きすぎるってことだねえ」

「完全に戻るには、神獣からエネルギーを回収するしかない、のか? そもそもそんなことが可能なのか……?」


 難しいねと星空を仰ぐバド。何やら自問自答をひとりブツブツ繰り返すクロエ。

 リナノも考え込んでしまった。


 グローディアを見つけ出し、役目を果たすというリナノの夢を自分の夢と言ってくれたミック。

 リナノからしてみれば、既に何度も彼に助けられている。だがミック自身が現状を歯痒く感じていることは、先ほどの言葉からも明らかだ。

 何より。短時間なら元に戻ることはできたとしても、ミックに負担がかかり過ぎる。繰り返せば彼自身の消耗を招くのは、想像に難くない。


 ——私だって、ミックさんの力になりたい。


 ぐっと唇を結ぶ。

 戻ってきたラズが渡してくれた毛布を受け取って、リナノは「ミックさん」と静かに声をかけた。


「私、もう一つ夢ができました」

「は?」


 半分閉じかけていた青い目が、パチリと丸く開かれる。微笑み、リナノは続ける。


「ミックさんに【海竜】としての本当の力を取り戻してもらうんです。そのために、グローディアだけじゃなくて……神獣たちも探します」


 リナノの言葉に、バドたちもミック同様に目を丸くした。


「え、でも……七大神獣って、いるって信じられてはいるけど誰も姿を見たことはない……よね?」

「そう言われてるねえ。教会の聖像画イコンに伝承上の姿が描かれているとはいえ、それが本当かも定かじゃないくらいには」


 自信なさげに首を捻るラズに、バドも頷く。

 しかしクロエだけは、すぐに何か思い至ったように口元を抑えた。「クロエ?」とラズに問われた途端、その緑の目が学者として輝く。


「いや……確か伝承上、神獣は【召喚姫】の召喚獣になるべく神が作り出したものだ。そうだったな? リナノ」

「はい。魔神と戦い、この世界を守る力になるようにと。伝説の通り、私も母からそう聞いて育ちました」

「だとすれば、今なら……【召喚姫】の魂を受け継ぐお前がいるなら。探し出すのも不可能ではないのでは……?」


 【黄金の海竜】たるミックが契約の糸を辿り、リナノを探し出したように。

 クロエの仮説に、仲間たちはパッと顔を輝かせる。

 大きく頷き、リナノは「やってみせます」とペンダントを握りしめた。


「神獣たちは海竜から作られたもの。ミックさんの一部です。私とミックさんが繋がっているなら……神獣たちとの糸だって、きっと在ります……!」


 誰も見たことがない、けれど存在は確かなもの。

 それは聖域グローディアも、そこに刻まれた異界への扉もそうで。

 リナノが見つけたいものは夢幻のような存在ばかりだ。


 だからといって無謀だと諦めることなんてない。

 はるか昔に繋いだ糸を頼りに、こうして自分を見つけ出してくれた。ミックの存在がリナノに勇気をくれるのだ。


「ミックさん」


 名前を呼ばれ、頭を持ち上げかけるミック。それを軽く制して、リナノは眉を下げて笑う。


「私、ミックさんや皆さんと一緒に海に出て……グローディアだけじゃなく、神獣たちも探したいです。叶えたい夢を増やしてしまってごめんなさい」

「……いいや。俺に本来の力が戻れば、もっとちゃんとお前を守れる。お前の夢を支えてやれる。ほんと、間違いなくお前の夢は俺の夢だよ」


 ミックも同じような顔で笑ってくれた。

 二人のそんな様子を受けて、仲間たちはやれやれと——安堵の息を吐く。


「壮大な夢だねえ。いち海賊の俺らにできるかな〜?」

「できるかじゃなくて、やるんだよ。船長キャプテンがそう決めてるんだから」

「ん? ということは、リナノは俺たちの……海賊の仲間になるということだが、それはいいのか……?」


 女王の私海賊プライベーティアではあるが……と不安げに溢すクロエ。その声が耳に入り、リナノはハッ! と飛び上がる。


「あっ……す、すみません! か、勝手に話を進めてしまって……! あの、雑用係でも何でも! やりますから! だから、私をこの船に置いてくださいますか……⁈」

「ま、待て! 違う、駄目とは言っていない! いいのかというのは『お前はそれで大丈夫なのか』という意味だ!」

「いや落ち着けお前ら」

「はいはい、二人とも深呼吸〜」


 ミックが至って冷静に突っ込む。

 同時に、大慌てのリナノとクロエ両名の頭をバドが揶揄うように軽やかに撫でた。

 子ども扱いするなとばかりにクロエが嫌そうな顔をするのも柳に風。「雑用係なんてとんでもないよ」と優しく目を細める。


「さっきのアーヴァンクしかり、魔物と意思疎通できる君がいてくれるのはすごく助かる。航海に魔物との戦闘は付きものだったからねえ。それに俺たちの上司様、君がいるだけで元気になるようだし」

「そうそう。いきなりこんなことになって、最初は心配だったんだけど……リナノなら大丈夫だって思ったよ。オレは歓迎!」


 ニコニコと嬉しそうに同意するラズ。

 思わずクロエの反応を伺ったリナノだったが、彼は照れくさそうに「さっき言った」と目を逸らす。

 駄目とは言っていない。その言葉を思い出し——リナノは最後に、ミックを見た。


「攫った張本人にまで確認すんのかよ」


 悪戯っぽく笑うその顔に、心が温かくなっていく。


「そうでした。……私、海賊さんに攫っていただいたんでしたね」

「覚悟決まり過ぎててちょっと驚いてるけどな、いま」

「覚悟はあるかって訊いたのはミックさんですよ?」

「それはそう」


 楽しそうな彼を寝かしつけるかのように、優しくその身体を叩く。

 二人を見守る仲間たちは、顔を見合わせて唇の端を吊り上げた。


「いやー、しかし。お仕事もしつつ神獣もグローディアを見つけるって……これからやること山盛りだねえ?」

「まずは王都に戻って報告だろう。どこまで馬鹿正直に真実を伝えるかはさておき、な」

「それが一番疲れそう……」


 困った顔で笑いながら首を竦めたラズが、ふと「そういえば」と何かに気付き自分の手のひらを見つめる。


「【召喚魔法】が無くなったあと、オレたちが今みたいな属性魔法を使えてるのは神獣の加護って話だったよね。それじゃあミックが神獣たちから力を取り戻したら、魔法ってどうなるんだろう?」

「……断言はできねえけど」


 リナノに寄り掛かって目を閉じかけていたミックが、薄目を開く。


「生まれた存在は簡単には消えねえよ。戻したところで、俺の中からたぶん変わらず加護を人間たちに与え続けるだろうな」


 火、水、雷、大地、そして光、闇。

 七つの属性をそれぞれに持つ神獣たちの加護により、現代に至るまで人間はそれぞれ一属性ずつ魔法の力を授かっている。

 使いこなせるかは本人の度量次第だが、力の素養自体は誰しもが持っているものだった。長い間続いてきたシステムであるだけに、変化が生じれば混乱を招くだろう。

 それを案じてのラズの疑問だったが、彼らの加護は恐らく変わらないとミックは言う。


「はあー……。人間代表の【召喚姫】のために作られて、絆を結んだ存在とはいえ。神獣ってずいぶん人間たちのことを愛してくれちゃってるねえ?」

「作りものとはいえ、そもそも俺の分身みたいなもんだぞ」


 感嘆するバドにそう答えて、何故かミックはリナノを上目遣いに見た。

 リナノもまたミックのほうを見ていたため、ばっちり目が合って。


「俺が愛するものはきっと、あいつらだって愛してる」


 澄んだ笑顔を濁りも曇りもさせずに、ミックはそう言った。その晴れた日の海色の瞳は、リナノをまっすぐに映している。


「っ——……」


 頬に集まる熱をどうしようもできず、リナノは息を詰まらせる。

 夢を叶える前に、まだ名付け難いこの甘い感情に溺れて死んでしまうのではとすら思った。

 ミックのほうはと言えば伝えられて満足したのか、目を閉じて改めて身を寄せてくるだけ。ひとり真っ赤になるリナノを労るように、仲間たちは揃って「ごゆっくり」と腰を上げた。


 ややあって、聞こえてくるのは波の音とミックの寝息だけになる。

 顔の熱さもやっと落ち着き、リナノはそろそろと満天の星空を見上げた。大海の真っ只中で見る星は陸で見るそれよりも多く、宝石箱をひっくり返したよう。


 ——これから、どんなことが待っているのだろう。


 昨日までとは世界の何もかもが一変してしまったようで、不安がないといえば嘘になる。

 新しい出会いも居場所も、不確かな夢を追うことも、何もかもが未知数だけれど。すぐ隣の、肩にかかる重みと温度が。目には見えない絆の糸が、恐れを押し流してくれる。

 微笑むリナノの、ブルーグレーの長い髪が夜の潮風に舞った。


 こうして現代の【召喚姫】は、蘇った【黄金の海竜】と出会う。

 今を生きるふたりの新しい物語が幕を開けた。



【一章 了】

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聖域の召喚姫 陣野ケイ @undersheep

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