信用

レーツェルは、暗闇の中、一人白いアンティーク調の椅子に座っていた。

地面はどろどろとした黒い何かで、周囲は完全に真っ暗。

少しこの場から離れると、絶対に迷子になってしまうのがわかる。

「私は、ここでなにを、」

レーツェルは長い前髪をかき分けて周囲を見渡すが、あるのはこの少女の存在と、この一脚の椅子だけ。少女の目には少しだけ涙が浮かび上がっていた。

レーツェルは周りを見渡すのをやめて、視線を下に向ける。

何をすればよいかわからない。

ただ、時の流れに身を任せることにしたのだ。




それから、1週間が経過した。

この世界には水もなければ食料もない。そして人間は水を飲まなければ4-5日で死に至る。

その限度を超えてその世界に存在するレーツェルは、すでにその椅子から崩れ落ち、どろどろの何かの上に倒れこんでいた。

一週間前の姿と比べるとまるで別人のようにやせこけた少女の瞳は、今や輝きはなく、はたから見れば死んでいる様に見えるかもしれない。

だが、この世界では死ぬことは許されない。病原菌に感染しようが、脱水が起きようが、死ねずにただひたすら苦しみ続けるだけ。

そのことをレーツェルはすでに自覚していたのだ。


ふと、レーツェルはキラキラと光る何かをとらえた。

焦点はあわない、だが、何かが光り輝いているだけはわかる。

「ぁれ、」

レーツェルはかすれた声を出してその光を見つめる。

いつ途切れるかわからないか細い意識はそのたった一つの光に吸い込まれてしまった。

そして、とうとう彼女の視界は暗転した。





「さっさと起きろ、生きてんだろ」


ふと、聞き覚えのない声が聞こえた。

恐る恐る目を開く。白くぼやけたその世界に広がるのはオレンジの常夜灯が照らしている部屋の天井。そしてその視界の端に見えるのはどこかで見たことがあるような男性。

どうやら、長く苦しい夢から覚めた様だ。

おそらく今はベッドに転がされている状態。この男性はその隣の椅子に腰を掛けているのだろう。

レーツェルはこの状況を冷静に分析し始めた。

どこにあるかもわからない部屋、見覚えのない男性。

彼女がこの状況に危機感を覚えるには十分すぎる材料だった。

大きく息を吸い、全身に力を入れてこのベッドから逃げ出そうとする。

しかし、いきなり彼女の全身を鈍器で殴られたような痛みが走った。

「っ、」

声にもならない声がレーツェルの口から漏れ出る。

気絶するまでに感じていたあの壮絶な痛みよりはましだが、普通に生活している分には絶対に感じるようなことはない激痛。

動かしたらさらに痛みが襲ってくるため、体を動かせないままレーツェルはその痛みに溺れる。

その様子を見ていた男性は、呆れたような目線を彼女に向けて、ゆっくりと立ち上がった。

そのまま、近くにあった机に近寄る。

その机の上には乱雑に置かれた沢山の紙があり、男性はその資料をがさがさとあさり始めた。

レーツェルは、痛みに耐えながら、目線だけを動かして部屋を見渡す。

事務椅子、机、ベッド、かなり奥にある扉。

そこまで広い部屋でもなく、おそらく、レーツェル達が閉じ込められていたあの部屋のほうが圧倒的に広いだろう。

ふと視界の外からなる音が、ガサガサからペタペタに変わった。

机の前にいた男性がたくさんの紙の中から一枚を選んで、レーツェルのところまで再び戻ってきているようだ。

赤と青がグラデーション模様になっている瞳に、不自然に伸ばされ、後ろをお団子にしている濁ったクリーム色の髪。

さすがに変な髪型と言わざるを得ないが、彼女がそんなことを考えてるだなんてつゆ知らず、近くまで来た男性はその紙に書かれているであろう内容を声に出して読み始めた。

「No,19、レーツェル・タートザッヘ、16歳、女、風を操る能力。

 で、間違いないか?

 間違いないなら、一回瞬きしろ。」

男性の口から発されたのはレーツェルの情報だった。

何のための確認か、体を動かせないそれを知る由はない。そして、ここで嘘をつく理由もない。この情報を悪用しようが、しばらくは動けない彼女が反抗することはできない。

だからレーツェルはゆっくり、ゆっくりと一度、瞬きをした。

その反応を見た男性は、右手に持つ資料を再び机に置き、隣の椅子に腰を掛けた。

すると、男性が着ているもふもふのファーが付いた緑色の上着の右ぽっけから、シャカシャカとなるケースを取り出した。

そのケースを開けると、中にはたくさんの錠剤が入っており、その中から男性は二錠薬を取り出し、レーツェルの口元までそれを持って行った。

「…ただの痛み止めだ。麻薬とかは入っていない。そのまま飲み込め。」

レーツェルは、言われるがままにその錠剤を飲み込んだ。

そのまま1分程度待っていると、痛みがなくなるわけではないが、少しずつ痛みが減っていて、10分後にはほぼ完全にあの激痛は消え去っていた。

痛みがなくなり、体を動かせるようになったレーツェルは、手に体重をかけて上半身を起こした。

そして、レーツェルは自分の体を見た。

服は気絶した時のぼろぼろの服のままだったが、泥の中を走ったはずの足はきれいになっていた。

もちろん大きな外傷はなく、激痛が走っていた割には、あそこから逃げ出す前の状態とほぼ変わっていなかった。

だが、一つ彼女は違和感を覚えていた。

「右目が、」

目が覚めてからかなり経ったが待てども待てども右目のぼやけが直らない。

もはやぼやけているというか、右目に映る世界が薄暗く、失明の一歩手前の様な感じがした。

この視界に違和感を持った彼女はなんどもなんども右目をこするが、一切直らない。

「擦るな。さらに悪くするぞ。」

それを繰り返しているととうとう男性からの静止が入った。

声の主の方に顔を向ける。レーツェルはそこで初めてしっかりと男性の顔を見た。

目の色からもそうだが、顔立ちからして日本人ではない。

どこの国なのかはわからない。しかし、それを知る意味はない。

レーツェルはこする手を止め、体を少しこの男性の方へ向かせる。

今のところは危害を加えてこないから今すぐに逃げ出す必要はないが、いつでも反撃できるように体制を立て直す。

そして、レーツェルは再びこの男性に尋ねた。

「お前は誰だ。」

「そう警戒しなくても、はなからお前に危害を加える気はない。」

「知らない部屋に、知らない男。警戒しない理由はないだろ。」

「ふむ、それも一理あるな。だが、知らない男ではないはずだが。」

「はぁ?」

男性は口角を下げたまま、スッと足を組んで頭をガシガシとかいた。

「俺の名前はフェア・レオン。瑞裏の元幹部だ。」

この男の瞳は、いつの間にか深い赤一色になっていた。

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Unknown, 頭髪 @raiga_kaminari

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