Unknown,
頭髪
逃亡
私にも、親はいた。
今じゃ顔も覚えていないが、父か、母か、どちらかには愛されてた記憶がある。
事あるごとに頭を撫でてくれて、事あるごとに褒めてくれて。
自分も、多分、その人を愛していたと思う。
まぁ、知らないうちに捨てられたけど。
それがいつか?そんなの、覚えてない。なんせ凄く小さな頃の話だから。
捨てられた後の事は、何も覚えてない。
強いて言うとすれば……とにかく、寒かった。
雪が降っていたな。しかもかなりの大雪。
体を温めるものもないし、体もまだ未熟だから凍え死にそうだったと思う。
それで、そのまま私は道に倒れて、
「アンタらの幹部さんに、拾われたってわけだ。」
白髪交じりの長い黒髪をなびかせて、少女は過去を語る。
閉じていた目を開けた。睫毛が煌めくまぶたを開くと、美しい黄色の瞳が目の前に居る男性を突き刺すように睨みつける。
身長は、大体168くらいか。顔立ちは整っていて、ボサボサになっている髪をケアすれば、美人と評されるレベルには余裕で達するだろう。
「記憶ははっきりしているようだなぁ、No.19。いや、いまはレーツェルか。」
「……あぁ。」
少女は、目を伏せる。
この少女は19。今ではレーツェルと呼ばれている人物だ。
しかしながら、この名前はこの施設でつけられた仮の名前であり、少女の本名ではない。
昔、それこそこの施設に来るまでは本名で呼ばれていたようだが、今では本人でさえ本名は覚えていない。思い出そうともしていない。少女たちの本名を知っている人がいない限り、この場所では本名など意味を成さないからである。
目の前で足を組んでいる男性が、髪をぐしゃぐしゃとかきながら、あー、といって少女に質問をする。
「お前、何歳だっけか」
少女がため息をつくと、そのまま視線を何もないコンクリートの壁に移してから、余計にもう一度ため息をついた。
「ここに来てから何回誕生日を迎えたかなんて覚えてない。
……そもそも、誕生日がいつだったか。」
男性は一瞬信じられないみたいな表情をして、右手に持っている銀色のボールペンをぐるぐると回しながらふっと笑った。
回していたボールペンをポイっと宙に放り投げそのままキャッチするやいなや、左手に持つバインダーにトン、とペンを打ち付ける。
「そうかそうか、お前はそんなに自分に興味がないのか。
そんなんじゃあ、これからはとんでもなく苦労するだろうな。」
少女は目を細めて男性を少し見つめた。この施設に”完成品”として生きる少女たちに、これから等存在しないからだ。
ただひたすらにこの施設の鼠として永遠にこの場所に閉じ込められる。
そのことをわかっているはずの男性が、わざとらしく”これから”を強調しているのが、彼女には気持ち悪くて仕方がなかった。
そんな様子の少女を見つめる男性は白く、規則正しく揃った歯を見せてニヤリと笑い、紫色の、まるでアメジストのような瞳が弧を描く。
すこし長めの前髪が、揺れて更に男性の表情を引き立てていた。
男性は、その美しい瞳の視線をバインダー上の一枚の紙に移す。
そしてそのまま、先ほど打ち付けたボールペンをカチカチ、と鳴らして、何かを書き始めた。
さらさら、と紙の上をペンが踊る音が部屋中に響いている。
絵でも描いているのだろうか。とても文字を書いているような音ではない。
しばらく、その音が部屋中に響き続けた。
トン。と先ほども聞いたような音が部屋に響く。暇だな、と部屋のいろんなところを目で追っていた少女はその音に反応して男性のほうを見る。男性もまたその紫色の瞳で少女を見つめていた。
「最後の質問だ、レーツェル。」
黄色い瞳が再び輝く。その瞳は目の前の男性では無い、何かを捉えていた。
「俺の周りに、なにか見えるか?」
少女は、一度だけ瞬きをして、輝く瞳をそらした。
これは、その質問に対する肯定を示す行動であった。
一対一の面談が終了すると、少女は男性に案内されるがまま別の部屋に移動した。
といっても、部屋の様子は変わらない。先程と同様、コンクリートで固められた直方体の部屋のままである。
「あ、レイちゃん、面談終わった?」
少女が部屋に入ると、ある人物が少女に駆け寄ってきた。
身長は少女よりも少し高く、少し青みがかった髪が蛍光灯に照らされて輝く。
前髪の隙間から見える大きな瞳の色も、少し蒼い様にも見えた。
「今日の面談は長かったね、なにもされてない?」
「うん、何にもされてないよ。」
「ふふ、よかったぁ。」
少年は、そういうと丸くカーブする瞳を細めて笑う。
ふわふわとした口調で喋る少年がこの施設で与えられた番号は9。今ではヨルと呼ばれている。
少女と少年はこの施設内で知り合い、今では親友、いや、それよりも深い、絶対的な信頼が築かれている仲だといえるだろう。
「あ、そうそう!さっきね、研究員?かな。なんか、変な髪型してる人がきてね、こんなのもらったんだ!」
そういうと、少年はポケットからごそごそと何かを取り出す。
ポケットから出た握られた手を少女の前でぱっと開く。その中には、黄色と藍色の宝石が二つ並んで乗っていた。
「ず、ずいぶんときれいな宝石だな。
なんでこんなものを…」
「きっと僕たちのメンタルケアのつもりなんだよ。
こんなものでケアされるわけないけど。」
少年は少し口をとがらせて、この施設に対して文句を言う。
が、ぱっとまた笑顔になって少女に藍色の宝石をむりやり握らせて、満足そうにさらに笑顔になった。
「こっちの宝石はもらうから、そっちはレイちゃんがもっててよ。
ほら、こっちの宝石、レイちゃんの目に似てるんだよ!」
きょとん、と目を見開いて少年を見つめる少女は、握られた手を開いてその宝石を見る。確かに、この宝石は少年の瞳にそっくりだった。
少女は、この上ないほどの高揚感に包まれ、宝石をぎゅっと握って胸に当てた。
少女にとって、少年はこの施設で生き抜くために必要不可欠な人物であり、それは少年にとっても同様である。二人は、一人をなくしては生きていけないほど互いを心の支えにしている、いわば、共依存のような関係。
そんな関係であれば、その相手に似ているものを受け取ってうれしくないわけがない。
それから二人はずっとその宝石を見つめ続けていた。
初めて宝石を触った物珍しさと、お互いに似た宝石であることが相まって、それはそれは長い間見つめていた。少女は部屋の真ん中で寝そべるように、少年は部屋の隅で体育座りをしてキラキラと光る宝石を見ている。たった二人しかいない部屋が、静寂に包まれた。
すでに彼らが宝石を見つめて初めてから10分程度経過している。
ふと、ごそごそ、と布がこすれる音がした。
少年が宝石をポケットにしまっているようだ。それに合わせて少女もピカピカの宝石を胸にあるポケットにしまい込む。
そして少年は、少女が完璧にポケットにしまい込んだのと同時に、
「面談の内容、どんな感じだった?」
と少女に問いかけた。
空気がズン、と重くなる。
面談とは、先程まで少女が男と一対一で行っていた対話のことである。
この場所では通常、月に一度一人ひとりが面談を行う。
面談は、基本的に少女たちの健康状態などを確認し、新たな実験を行うことができるかどうかの確認のようなものであり、その実験対象である彼らにとってその内容はとても大事なものなのだ。
「面談、能力について話したの?」
能力。これは、普通の人間であれば持つはずのない特別な力である。
彼らにこの力を授けたのはこの施設を運営する組織、
この組織の設立者として、アイという人物が居るらしいが、少女はそのアイとやらを見たことがない。
少年いわく、常に何を考えているのかよくわからない人物らしい。
少女は、少年の問に対して、左右に首をふった。
「話したのは、私の過去だけだった。
能力に関しては…見えるか、どうか。それだけ。」
見えるか、どうか…とつぶやいて少年は足元に目を落とす。
そしてなにかを思い出したのかぱっと顔を上げてまた少女に質問をした。
「そうだよね、レイちゃんの能力って目を使うもんね…
力が暴走して失明するリスクはあるけど、繊細なところを使う能力だから、能力の暴走も起こりにくい。
しかも、最高傑作っていわれてるんだもんね。僕なんて、体も弱いから、身体能力増強の能力なんてつかってもマイナスが0になるだけ。レイちゃんは0どころかプラスもプラス。
こういっちゃなんだけど、ちょっとうらやましいな。」
少年はすこし、笑みをこぼした。対して少女はひきつった様に笑う。
彼の言う通り、彼女には今のところ能力の暴走が見られない。
確かに少女も他の人と比べて能力との相性が良かった事はまだ良いと思っているが、それ以上に彼女は瑞裏に利用されることが多かった。
度重なる電撃実験、水中実験、能力の強制発動等、言い始めたらきりがない。
その影響もあり、当時は美しかった黒髪は今では白髪交じりとなり、体はみるみる痩せていった。むしろ、そんな実験を受けておいて、体の成長が止まらなかったのは、もはや奇跡と言っても良いのかも知れない。
「まぁ、これでもましなほうだもん、ね。」
そう言って少女は軽く頭をかいた。
その後も面談について、暫く会話を続けた。
少し重い話題ではあるが今後のためにしっかりとして打ち合わせをする。
研究員に何か不審な様子はあったか、逆に、面談の間、外で何か起きていなかったのかなど、すべてをちゃんと確認した。
ちなみにだが、施設内では、この二人の仲の良さは有名である。
この二人が出会ったのはいつだったか、そんなことは誰も覚えていない。
しかしながら、出会った当時から気を許し、それからずっと仲良くやってるのは施設内の人物が全員知っている事実だ。
「あ、」
ふと、会話が途切れた。
ゴーン、ゴーンと施設中に大きな鐘の音が施設中に鳴り響く。
人外達の就寝の時間を示す一つの目安である。
「もう9時か。早いねぇ。」
この部屋には時計がなければ窓もない。
だから、今は朝なのか、夜なのか、夏なのか、冬なのか。この施設にいる限り、彼らは知ることができない。
そもそもの話、少女たちがいる空間が地上にあるのか。地下にあるのかさえも分からないのだ。
30秒間鳴った鐘の音とともに人外たちは次々と就寝の準備を始める。
少女たちも、部屋の隅に有る白くて薄いシーツや布団を運び、その場に広げる。
ばっと腕をあげるとシーツは大きく広がり、固く冷たい床を包み込んだ。
その上に、枕を置いて、掛け布団を置く。そしてそのまま、二人は布団の中に潜り込んだ。薄いシーツのため、クッション性がないせいか、背中が痛い。だが、ここに居る年数も短いわけでもないので、これが当たり前だと二人は認識している。
「…ねぇ、ヨル。」
「なぁに、レイちゃん。」
「ここから、出たいと思うか?」
天井を見ながら少女は少年に向かって問いかけた。
少年はすこし間を開けて、体を少女の方に向けてから、
「思わないよ。」
と答えた。
予想外の返答に驚いたか、少女は少し目を見開いた。視線を天井から少年の方に移す。
少年はいつも少女に見せるような、実に穏やかな表情だった。
___なぜ?
少女にとってこの場所は、自分たちを拘束する、まるで監獄のような場所だ。
少年も少女ほどではないものの、ひどい実験を受けていることには変わりない。
なのに、少年は彼女の問に対して否定を返した。
信じられない。という表情で少女は少年のことを見つめた。
その瞳はかすかに揺れている。そんな少女の動揺を鎮めるように、少年は頭をゆっくりと撫でた。髪が絡んでいるせいで偶に指に髪が引っかかる。が、そんなことは気にせず延々と撫で続ける。
「僕はいいんだよ。」
少年は優しい顔でそういった。
そういいながらも、少年は少女の頭をなで続ける。
大きな手のひらから、少年のぬくもりを感じる。
だんだん、だんだん少女は微睡んでいく。
意識が遠くなる。そして、もう夢に落ちる寸前という時。
「大丈夫。もうすぐ、ここから出られるからね。」
少年がそう呟いた気がした。
直後、少女は宝石のような瞳を閉じ、夢の世界へと誘われていった。
「レイちゃん起きて…起きて!!」
少年の切羽詰まった声で少女は目を覚ました。
酷く汗をかき、焦った表情をした少年が瞳にうつる。
その少年を見た少女は、ぼんやりとした目をこすり、バッと飛び起きた。
「何があった…!?」
少年の肩を掴んで問いかける。少年がまとう服は汗でじっとりと濡れていて、少女にただごとではないという事を実感させた。
少年は、揺れる肩と繰り返される息を落ち着かせてゆっくりと言葉を発する。
「じゅ…銃声と、悲鳴が…!!」
「銃声…?」
少年の言葉に反応するように呟いた直後、部屋の外からバン。と大きな銃声が鳴り響いた。その音に反応するように体が跳ねる。
バン、バン、バン。と今度は連続して発砲音が聞こえた。
銃声はやまない。マシンガンのように途切れなく鳴っている訳では無いが、片手銃を何度も何度も連続して発泡しているくらいの間隔で銃声が響きわたっていた。
「なにが、起きて、」
少女は汗をたらりと流す。
発砲音から察するに、銃をもっている者はこの施設内、しかもかなり近くにいる。
可能性の話だが、もし、もし、このまま銃を持った者がこの部屋に入ってきたら。
きっと二人は襲われる。いや、少女は持ち前の身体能力で生き延びるかも知れない。
だが、体の弱い少年はどうだ。能力を使えればうまく逃げだせるだろうか。
いや、彼は元から体が弱い。今とっさに能力を使ったら体が驚いて倒れてしまうかもしれない。
でも、能力を使わなかったら、逃げ遅れて撃たれるかもしれない。
脳天を貫かれて死ぬかもしれない。
「いや、あれ、」
_______ヨルが、しぬかもしれない?
ドクン、少女の心臓が高鳴りはじめた。
手汗が止まらない、呼吸も、かなり荒くなってきている。
このままだと、ヨルは死んでしまうかもしれない。いや、ほとんどの確率で死んでしまうだろう。でも、ヨルを死なせるわけにはいかない。ヨルが死んでしまえば、私は、何にもできなくなってしまう。
ヨルを助けるにはどうすればいい?どうすれば、どうすれば、どうすればいいどうすればいいどうすればいいどうすればいいどうすればいいどうすればいい。
だんだん、涙で前が見えなくなる。
まだ、実際になにかの被害にあったわけではない。少年が死ぬと確定したわけでも無い。しかし、少女にとっては少年の命は自身の命も同然。まだ、可能性があるだけだが、彼女の動揺の肥大は止まらない。
「レイちゃん落ち着いて、」
少年が何かを言った気がした。
おちつく?そうだ、ヨルを守るにはまず落ち着かないと、でもどうやって落ち着くんだっけ。思い出せない。どうする、どうする。
ああそうだ、深呼吸をするんだ。でも、深呼吸ってどうする、呼吸ってどうやる?やりかたが思い出せない。吸い方がわからない吐き方がわからない。何も、わからない。一体、なにがどうなって、わたしはなにがしたいんだ
「…レイちゃん。」
何も聞こえていない少女に向かって少年は両頬をぱちんとたたく。
その痛みは、少女の思考を遮るノイズを一瞬で払い除けた。
少年は少女の手をぎゅっと握った。その手からはぬくもりを感じる。
合わなかった焦点が、ゆっくり、ゆっくりと少年に合い始めた。
額に汗が落ちてきた。少女ははぁ、はぁ、と息をする。
「ごめん、もう大丈夫。」
少女は少年に向けて少し微笑む。少しは落ち着きを取り戻した様だ。
さて、ここからどうしようか。少女は汗でぺったりと張り付いた髪をかき上げて、扉をみつめる。
その時、少年は「はやいな」と、少女に聞こえない声で小さな声でつぶやいた。
そしてそのまま少年は少し不安そうな目で扉を見る。
少女たちを監禁しているとは思えないほどに簡素で質素な何処にでも有りそうな扉だ。きっと、鍵さえあればすぐに出られるだろう。
だが、鍵を持っているはずがない。
少女は顔をしかめる。当たり前だが、ふたりとも鍵などは持っていない。
そんなものを持っていればとっくのとうにこんな場所からはおさらばしている。
どうしたものか。と肘に手をあてて少女は思考を回す。
下手にこじ開ければ、脱走に気づかれてしまうかもしれない。こんな緊急事態であっても、私たちを人間だと思っていないこの施設の人間が、この場所から非難することを認めるとは思えなかったできる限り、それは避けたかった。
そして、何よりも少女は少年の命を守り切るという大きなミッションもある。
彼を逃がすためなら、人を殺すことも厭わない。
が、なかなか状況に合った考えが思いつかないまま、10分が経過した。
少女が思考の海から戻り視線を少年に向けると、少年は扉の方をじっと見つめていることに気づいた。
「どうしたの?」
そういって少女は扉の方をみた。先程と何も変わっていない普通の扉だ。
一体、何があってそんなに扉を見ているというのか。
そう考えながらも少女は少年のように扉を見つめる。
こつ、こつ、こつ。
どこかで、聞いたことのあるような足音が聞こえる。
すると、扉の向こうからガチャリ。と解錠の音が聞こえた。
___開いた?
少女は少しだけ後ずさる。銃を持つ人間か?それとも研究員か?
どちらかわからないが、先ほどからずっと銃声はほかの場所でなり続けている。
そして、いま扉の奥にいる人物の足音を、少女は聞いたことがある。
つまり、扉の奥にいる人物は、この施設の研究員だ。
「くそ、」
少女は扉のほうを警戒するかのように確認する。
銃を持っていれば逃げようが撃たれて終いだが、ただの研究員が銃なんて物騒なものを持つはずがない。だからこそ、反撃はできなくもないはず。
しかし、下手に動いてしまえば、少年が死んでしまうかもしれない。
今の二人には、扉の奥にいる人物をできる限り警戒するしかなかった。
向こう側の人物がノブに手をかけ、扉を開く。
油断の隙はない、相手に攻撃される前に、この部屋から出なければならない。
少女は、扉を睨んで右手を力強く握りしめる。一方で少年は、悲しそうな目つきで少女を見つめていた。開いた扉から光が漏れ出しはじめる。
この部屋が暗いからか少しだけまぶしい。が、そんなことで目を閉じてしまえば、隙を与えて死んでしまうかもしれない。
目はちかちかするが、そのまま二人は瞬きもせず、扉のほうを見つめていた。
扉が半分くらいまで開いた。向こうには少女よりも背が低い女性がいる様に見える。
黒くて長い髪に真っ青な瞳。そして、白いシャツに水色のパーカーを羽織っている。
扉が開いている時間は本当はかなり短い時間だろうが、なんだか、非常に長く感じられた。
もうすぐで向こう側の人物の姿が完全に見える。少女はゴクリと唾を呑み込んだ。
ぎぃと音をたてて開く扉が完全に開かれる。その瞬間、少年は少女を右にドンと押し出すと、少年は左方向に飛んだ。
バン
大きな発砲音が鳴った。近くで銃声を聞いたせいか、少しだけ耳がキーンとする。
少女はまだ何が起きているのか理解できていない。
少年に押し出された勢いのまま、尻餅をつく。
からんからん、と何かが落ちる音がした。
ふと、もともと二人がいた場所を見ると一つの銃弾が落ちていることが確認できる。
驚いた少女はすぐにコツコツと足音を鳴らして部屋の中に入ってくる人物をみる。
その人物の右手には一丁の拳銃が握られていることに気づいた。
「なっ」
少女がそう声をあげると、その女性は銃口を少年の脳天に向ける。
銃を持っているとは思わなかったと焦る少女は、
「やめろ!」
と大声をあげて女性のほうへと走り出す。
すると、女性はその銃口を少しずらし、バン。と壁の方向に発砲した。
その音に反応して少女は動きを止める。
「次は当てるわ。おとなしくしなさい。」
女性は、真の通った声で少女に言い放つ。その手に握られた銃は少し揺れていた。
少女は、この人物が何をしたいのかがわからなかった。
施設内での発砲音はいまだに続いている。この音は外部から侵入してきた何者かが発砲している音。
つまり、この目の前にいる人物も、避難しなければ死んでしまうかもしれないということ。さっさと殺さないと、自身が死んでしまう確率も上がる。
でも、今この人物は少年を殺さなかった。
いや、殺されては嫌なのだが、その行動に違和感があることも事実なのだ。
「私たちを殺すの?」
動けない少女はその場で女性に問いかける。
そしてその女性は、きめ細やかで美しい髪を揺らして少女をちらりと見る。
銃口の方向は変わらない。少女の頬に冷たい汗がつたう。
「殺すわよ。あなた達をつくったのもあくまで暇つぶしだし、一応、こんな実験はすべて違法。
もし、私たちがこの場所から逃げられたとしても、あなたたちが訴えて社会的に死んでもいやだもの。正しい判断だと思うでしょう?」
そういって女性はくいっと口角をあげる。
見た目のラフさに対して口調が丁寧すぎる事に違和感を覚えながらも、少女はさらに強い目つきで女性を睨む。
しかし、心を強く持たせようと強がりな行動を見せようとしているが、少女の体は、震え続けていた。ぶるぶるぶると、まるで携帯電話のバイブレーションのように震えている。
この震えの正体は自身が死ぬかもしれないということではない。
このままだと少女の目の前で少年が殺されてしまうかもしれないという恐怖心からの震えだ。
死ぬなら、ふたりでがいい。
そんな生きることをあきらめた様な思考も浮かび上がるが少女は顔ふって忘れようとする。そんな少女の姿を、女性はずっと見続けていた。
すると、銃口を向けられている少年が、口を開いた。
「さっさとやってくださいよ。
それとも、あなたにその勇気はありませんか。」
少女は喉を鳴らした。
今一番ピンチに陥っている少年がわざわざ相手方をあおるような発言をした。
その言葉にイラついて、発砲されてしまうかもしれないのに。
そんなリスクを負ってまで、なぜ少年はそんなことを言ったのだろうか、少女はその理由を知る術は無い。
女性が少女から目線を外して少年をにらみつける。やはり、少しイラついているようだ。
「結構なこと言うのね。その命が惜しくないの?」
売り言葉に買い言葉。女性は少年が放つ売り言葉を買って出る。
少年は「もともとこんなに弱い体、惜しくなんてありませんよ。」と言って自身の額を銃口に近づけた。
銃口とその額の距離はほぼ0mm。
いま女性がその銃を撃てば確実に少年は撃ち抜かれ、死んでしまうだろう。
少年はそれが怖くないのだろうか、少女はその場で固まっていた。
そんな少女の様子を見た少年は少女と目を合わせて、女性のほうを見る。
その少年の行動は、おそらくこの隙に女性を倒せという少年からの指示だと少女は認識した。
ここから移動して近距離で倒そうとすると、どうしても足音がなってばれてしまう。
だから、この位置から、確実に、一撃での人物を無力化する必要があった。
女性と少年はお互いを睨んでいる。少女がこの場で行動する分には死角になってばれることはないだろう。
少女は周りを見渡した。
ふと、足元を見ると転がっている一つの石を発見した。
直径4cm程度の石だが、少女の能力を使ってしまえば、この石で人を無力化することなんて容易かった。
紹介が遅れたが、
少女の能力は”風を操る能力”。
周囲にある酸素、窒素、二酸化炭素、アルゴンを視認することができ、それらを増やしたり、操ることが出来る。
しかしながら、その気体を減らすことはできないというデメリットもあるが、減らすことなんていままでに無いので、少女にとってそんなことはデメリットでもなんでもなかった。
少女は能力を発動する。
周囲にある気体を確認し、もっている石の周りに集めた。
あとは、女性めがけて放つだけ。幸い、まだ少年が女性の気を引いてくれている。
今なら、やってもばれないはず。
そう考えた少女は右手に持つ石をすこし投げて、宙に浮かせた。
少年に当たらないように、ちょうどいい場所に…。
少女は目を細めて微調整を行う。右に1mm上に7mm。そして完璧な位置にした後少女は少年の合図を待っていた。彼らの様子を見ると、額に当てられていたはずの銃口が少しだけ下がっていることに気付いた。チャンスは今しかない。
女性と言い合い続けている少年が一瞬だけ少女のほうを見る。
会話の内容を聞く限りそろそろ時間稼ぎも限界なのだろう。
少女は右手を大きく開いて力をこめ、石を女性の後頭部めがけて発射した。
ビュンっと音を立てて石が飛ぶ。
この音に気付いてもよけれる距離ではないし、石は右方向にぐるぐると回っているため、威力はとんでもないだろう。
少女がにっと口角をあげて、勝利を確信した笑みを浮かべるその瞬間、少年が力強く目をつぶった。
がん、と鈍い音がした。人が死ぬところを見たいとは思わないからか、少女は少しの間目をつぶってしまったが、これで死なないわけがないという確信を持ち、落ち着いて目を開く。
が、少女の視界には、信じられない光景が広がっていた。
女性がいまだに立っている。
「死んで、ない?」
少女は当たれば確実に死ぬように石を放った。そう、当たれば。
少年の周りの壁を見ると、女性の後頭部で隠れている壁が不自然にへこんでいることに気が付いた。
そう、当たらなかったのだ。
だが、へこんでいる位置的に、位置を間違えたとか、そういう話ではない。
少女は、一瞬息を吸った。黄色の瞳が左右に揺れる。汗が止まらない。
よけられた。
その事実に、少女が気付くことに対して時間はかからなかった。
「ずいぶんと舐めたことしてくれるのね。」
女性が目を伏せてため息をつく。
心底がっかりそうな雰囲気を醸し出していて、口論で少しづつ下がっていた銃口が、もう一度少年の頭をとらえた。
その銃のトリガーに指をかけられ、力が籠められる。
少女は、その場から動くことができなかった。
「レイちゃん、いき」
ばん
大きな、大きな銃声が部屋の中で鳴り響く。
「最期の言葉はそれでよかったのかしら。」
少年の脳天からびちゃびちゃと飛び出る血が、女性の額にかかる。
その血を女性がパーカーの袖でぬぐった。
部屋が暗いせいではっきりと見えるわけではないが、その女性は歯を食いしばっている様にも見える。
そんな女性の心境などはつゆ知らず、少女は少年の近くに駆け付けた。
少年の瞳に光はない。他人が見れば、一発で死んだと思うだろう。
彼女は自身の服をちぎって、少年の額に空いた大きな穴に当てる。じわじわと血がしみこんでいくが、流れ出す血が止まる気配はない。もう、きっとこれだけ血が出てしまえば助かることはない。
人が撃ち抜かれて死ぬところを見たことがない少女でも、そういう簡単なことは一瞬で理解してしまった。
一番、起きてほしくないことが起きてしまった。
ついさっきまで生きていたのに、ついさっきまで少年が死んでしまったらと取り乱していたのに。
守り切れなかった。少年は少女の目の前で死んだ。
両手がまた震え始める。
少女はごめ、なさいごめんなさいと何度も謝りながら少年の体を大きくゆする。
もう起きないとわかっていても、現実を直視したくないがために、少女は現実を否定するかのようにゆすり続ける。
「残念だけど、ヨルくんは死んだの」
後ろから、女性が声をかけてきた。
少女は、少年に向けていた視線を女性に向ける。
女性は、少年の死体を悲しそうな目で見つめている。
よく見ると、その瞳はほんのり、いやかなり、少年の瞳に似ている。
その目が、再び少女を捉えると、
「次はあなたよ。」
そう言って、銃口を向けた。
気づくと、少女たちを囲っていたコンクリートの壁は崩れ去っていた。
目の前には、力なく倒れ込んだ先の女性がいた。その近くに、少年がいる。
先程まで見えなかった青空が、少女たちを照らす。ここは地上にあった部屋だということを、今初めて知った。
「服に、血が」
少女の服には少しでは有るが、血がついていた。
そういえば、息が苦しい。疲れだろうか。今まで何をしていたか、少女は何も覚えていなかった。
少女たちが拘束されていた建物は、周りに生い茂った緑の木が建物を覆っている。
風が吹き始めた。肌を撫でるようなほのかな風は木々に触れて音をならす。
先程までたくさんの発砲音がなっていたとは思えないほどの静寂。
フラフラとした足取りで、少女は外に出た。
ふと、額に雨粒が落ちる。
いきなり、空が黒い雲で包まれてしまった。
少女は、なんとなく、なんとなくではあるが、この場所から逃げないといけないような気がしていた。
少女は走り出した。全力で、死なない程度に。
逃げようとする少女を拒むように大雨が降り注ぐ。
建物をとり囲う森に入って、走り抜ける。
大雨のせいで足が滑る。だが、転ぶことはなかった。
彼女が通ると木々が揺れる。
葉の上の水がぽたぽたと落ちてくる。
「なんで、私は走って、」
少女は何故走っているのかわからなかった。
何となく逃げないといけない気がしただけで、別に逃げる必要は無い。
なのに、足は勝手に動き続ける。
体が軽い。
まるでこのまま、空を飛べてしまいそうなほどだった。
走り始めてどれくらい経っただろうか。
足が勝手に動き始めてから、少女は一度も止まっていない。
走る意味はないが、脳は足が止まることを許さなかった。
「うぁっ」
少女は足を滑らせて、転んでしまった。
手が上手く出ず、額で着地してしまったため、当たった部分がかなりズキズキする。
血は出ていない。だから痛みはあるが、普段であればさくっと立ち上がれるはずだった。
しかし、何故か体が異常に重く、うまく体を動かすことが出来なかった。
少女は無理やり顔を動かして前を見やる。
すると、少女の左前方に暗く細い路地を見つけた。少女は、だんだん痛み始める四肢を無理やり動かし、最後の力を振り絞って立ち上がった。
動くしかない。と、1歩1歩確実に歩いていく。
予想通りだが、この路地は異常に狭い。
普通であれば通ろうだなんて思わないだろう。
しかし、今はこの道しかない。
いや、探せば別の道もあるだろうが、今の少女に他の道を探す力は残されていなかった。
泥水が彼女の足にまとわりつく。
「そういえば、裸足だったな、」
そうぼそっと呟き、足元を見ると彼女の足は真っ黒になっていた。
足、洗えるかな、なんて今考えるべきじゃない思考が少女の脳裏に浮かぶ。
そうやって集中が足元に向かっていたからか、壁に取り付けられた室外機が肩にぶつかった。痛みはない。
悲しみも、辛さも、怒りも、何もない。
まるで、あの施設に感情と痛みが置いてけぼりにされてしまったようだ。
雨が強くなってきた。視界が悪い。
前が見にくい。
少女は歩き続ける。
狭い狭い路地を歩き続ける。
少女の瞳は左右に動いている。ビルか何かの壁にもたれ掛かりながら、長い路地を歩いている。
そうやって歩いていると、暗かった路地に光が差し込み始めた。
日陰から、日向へ。ぼやけている視界を元に戻すため、細い指で目を擦る。
瞑った目を眩しくならないようにゆっくりと開くと、そこには、たくさんの人が歩いていた。
世間一般的に"大通り"と呼ばれるよう場所まで出てこれたらしい。
ボロボロの少女ははぁ、はぁ、と息を切らしてその大通りをキョロキョロと見た。
「ここから、どうすれば」
足はもう動かない。もう、足は勝手に動いてはくれない。
やっと落ち着いた少女の体には、先程まで置いてきていたありとあらゆる感情、感触が戻ってきた。
少年はもう、戻ってこない。その事実を少女はやっと受け入れた。
少女の右目から暖かい液体が流れてきた。
手で拭おうとも溢れ出して止まらない。
少年を失った辛さ、悲しみ、少年が殺された怒りが一気に流れ込み、少女の意識を飲み込もうとしてきた。
少女の前を通る通行人たちは、少女を嫌悪感を込めた目で見つめてくる。
少女はそんな通行人たちの視線など気づいておらず、肩を揺らしていた。
気づけば、少女は視界は横転していた。
体に力が入らない。先程のように力を振り絞って立とうとしても、そもそも、力の入れ方が分からなくなってしまう。どうやら、少女の体は完全に限界を迎えてしまったらしい。
さっきから感じていた四肢の痛みが、どんどんと広がって、強くなってくる。
「が、」
痛みが酷く、声も出なければ息もできない。
まるで、全身を全力でトンカチで殴られているような感覚だ。
この一瞬で、少女が抱えた怒り、悲しみ、辛さは全て痛みという新しい感覚に塗り替えられてしまった。
濡れたコンクリートの上に少女は倒れて声にならない悲鳴を上げ続ける。
たすけてほしい。そう思いながらも彼女にそれを伝えるすべは無い。
もちろん、倒れている少女をわざわざ助けようとする人物も居ない。
そりゃそうだ、明らかに一般的な見た目をしていない人間を助けようものなら、助けた本人にも危ないことが起きてしまうかもしれないからだ。
それが、ごくごく普通の反応なのだ。
もう、前が見えない。少女は両親に捨てられてしまった時に感じたあの凍えるような寒さを再び感じている。
ドンドンドンドンドンドン。
なんの音かもわからない音が少女の耳に響来はじめる。
「うる、さ」
痛みに耐えながら少女は耳をふさいだ。
だが、その音はその手を超えて聞こえてくる。
鼓動の音だ。太鼓の音のような鼓動が、ずっとなり続ける。その鼓動に合わせて、口から赤い液体が飛び出してきた。
その瞬間、少女の視界は暗転する。
少女はここで、死ぬことを悟った。
「あれ、どっちが、うえだっけ」
コツ、コツ。
段々と死の音が近づいてくる。彼女の五感が消えた。何も見えない、何も聞こえない、何も感じない。
自身が発した声でさえ、彼女には聞こえていない。ここに、本当に身体があるかどうかさえわからない。
だが、感覚はもうないはずなのに、痛みだけは、少女にまとわり続けていた。
「お前も大概鬼畜だよ。」
ふと、聞き覚えのない声がこの大通りに響いた。声の主は少女の前にしゃがみこみ、少女の頭を撫でる。
その手はやさしかった。大きかった。
少年もなかなかに大きな手だったが、それよりもひとまわり、ふたまわりは大きいだろう。
しかし、少女は気づかない。五感も何も残されていない少女はその人物の存在に気づくことは出来なかった。
そのまま少女は痛みに溺れて意識を失う。
痛いという感覚でさえ、真っ暗な闇に飲まれて消えた。
「めんどくさ、」
その声の主は、力の抜けた少女をおぶる。
先程まで誰も助けに入らなかった少女を救助したその人物をたくさんの人が変なものを見るかのように見つめる。
そんな視線に気づいていないふりをして、その人物は、その道を堂々と歩いていた。
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