第52話 七の女王
七の女王は、その年の一年間、その部活動に恩恵を与える。自分の持つ幸運を分け与えて。
雪解け。日差しが少しずつ春の匂いを含んできたその日。
獅子王と七音は音楽棟の裏庭に向かい合って立っていた。獅子王の胸には、卒業生の印である梅の造花が飾られていた。
七音は目の前が滲んでよく見えない。色々と話したいことがたくさんあるというのに。まるで中学生時代に戻ってしまったかのように、うまく言葉が出てこなかった。
「そんな顔するな。心配で卒業できないだろう」
獅子王の大きな手のひらが、七音の頬を伝う涙を拭った。
「だ、だって……。僕。先輩が、いなくなったら……」
「いなくなりはしない。ただ、ちょっと。少しだけ。離れたところに行くだけだ」
「で、でも」
(僕のお小遣いじゃ、一年分貯めても会いには行けないよ……)
全国大会。梅沢高校の快進撃は続いた。合唱部創立以来、初めての全国大会での金賞受賞。自由曲は、有名作曲家の委嘱作品ということもあって、レコーディングのオファーもきた。
獅子王は無事、関東圏の音楽大学に合格。教職員も視野に入れながら声楽の勉強をすることになった。
他の3年生たちも無事に大学合格を決めた。3年生が抜けた後、比佐たち2年生が中心となり、合唱部は活動を続けている。先日は市内の学校で開催する新人演奏会にも無事に出演できた。
もう来月には七音たちも2年生。そして新しい1年生が入ってくる。それはいいこと、なのかも知れないが。それでも。七音にとって辛いのは、獅子王の卒業だった。
ずっと泣いていた。卒業式が始まり、獅子王が入場してくると、その姿を見ただけで涙が出た。見送りの曲も涙で歌えなかった。
(そんなんじゃダメなのに。僕。笑顔で見送らないと。先輩が困るでしょう?)
けれど。涙は止まらないのだから仕方がない。
獅子王は何度も何度も、七音を撫でた。
「おれの女王」
「僕は。無力でした。なにもできなくて」
「そんなことはない。お前は、おれの想像以上、いや斜め上を行く魅力的な女王だった。おれたちを導いてくれてありがとう。おれの高校生活。とても楽しく、そしてかけがえのない宝物になった」
「先輩……」
彼はにかっと笑みを見せる。
「目がウサギみたいに真っ赤だぞ。ずっと泣いてくれたんだな。七音。だから。おれは泣かないって決めている。お前がおれの代わりに泣いてくれているからな」
きっと。一番寂しくて泣きたいのは獅子王だろう。七音はそのことを理解し、泣くことを止めた。涙を堪えようと息を潜めると、獅子王は「またすぐ会える。必ず会いにくる」と言った。
獅子王の太くてたくましい腕が、七音の腰に回ってきたかと思うと、あっという間に抱き寄せられた。獅子王の匂いが鼻先を掠める。
(僕はこの匂いが好き)
「お前のところに必ず帰る。だからお前も、待っていてくれ」
「……はい」
七音はそっと獅子王の背中に手を回した。
(時間が止まってしまえばいいのに。僕はこのまま。こうしていたいのに……)
すると後ろから物音がした。驚いて振り返ると、そこには優がいた。
「お邪魔でしたね。へへ」
「邪魔だとわかっているなら、顔を出すな」
獅子王は苦笑した。それから、からだを離すと、優の元に背中を押した。
「お前に託す。変な虫が付かないように見張っておけ。夏休みには顔を出すからな」
優は「了解っす」と敬礼の姿勢を取った。
「お任せください。頑張ります!」
優は「えへへ」と笑うと、七音を見た。
「体育館の片付け当番だろう? 先生がすごく怒っているよ。篠原はサボりかって」
「え?!」
優は七音の腕を引いた。もう少しだけ。ここにいたい。そうは思っても、時間は待ってはくれないのだ。後ろ髪引かれる思いで振り返ると、獅子王が手を振っていた。
(ああ、僕は——それでも前を向いて歩く。そうですよね。先輩)
不安でいっぱいでこの学校に入学した。七の女王が導いた出会いは七音にとったら、幸運の鍵だったのかも知れない。
——七の女王って、周囲に幸運をもたらす代わりに、自分が不幸になるんだって。
誰かの言葉。それが真実なのかどうかはわからない。少なくとも、自分にとったら、そんなことはなかった。
(ねえ、先輩。もう少ししたら、新しい七の女王が誕生するんです。僕は、七の女王として、その子に伝えていきたい。七の女王って、そんなに悪いものじゃないんだよって。そう伝えたい。そして僕は——先輩がいなくても前を向いていきます)
七音の目には涙はない。まっすぐに前を向いて。彼は確実に前に向かって歩みを進めていくのだった。
−了−
七の女王 雪うさこ @yuki_usako
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