第51話 ラストステージ

 翌日——。梅沢合唱部は、決戦の舞台である文化ホールの前に並んでいた。その中心にいるのは獅子王。

「誰一人欠けることなく。今日この日を迎えられたこと。おれは、本当に嬉しい。1年生。よくぞここまでついてきてくれた。おれたち3年は例年になく不甲斐ない上級生だったかも知れない。けれど、お前たちが下支えしてくれたおかげでここまで来られた」

 獅子王の言葉に1年生たちは嬉しそうに微笑を浮かべ、互いに視線を交わした。

「それから2年生。中間の学年として、おれたち3年をよくサポートしてくれ、そして1年生の面倒も見てくれた。感謝している」

 獅子王は「それから」と言った。

「3年生。おれはお前らと同じ学年でここにいられることを誇りに思う。不甲斐ない部長だったが、おまえたちがいてくれたからこそ、ここまで来られた。おれにとって、お前たちと梅沢高校合唱部で過ごしたこの時間が宝物だ」

 彼らの青春の集大成が、今ここにある。視界が滲んで、獅子王の姿がぼやけて見えた。

(これが仲間。友情。大切な人とのつながり。今までの僕になかったもの。そして、今は僕にもあるもの。でも……それもこれで終わり)

 なぜもっと早くに気がつかなかったのだろうか。いや。今までの人生で、こういう関係を築ける人と出会うことはなかったのだから仕方がない。

 七音は比佐を見た。彼もまた、真っ直ぐに獅子王を見ていた。その横顔。彼との出会いが七音をここに導いた。

 それから、偶然とは言え、「七の女王」という席に座ることになり、獅子王と出会った。

 曉とはうまくいかないのではないかと思った時もあった。

(ここにいる人たちは、僕の話し方を笑ったりしない人たちばかりだった)

 話し方も含めて、篠原七音という人間として受け入れてくれる人たちばかりだった。

 社会に出たら、そういう人ばかりではないということは理解している。けれど、そうではない人たちもいるのだということを学んだ。

 七音は獅子王に視線を戻した。彼は拳を握りしめると、みんなに笑みを見せた。

「楽しもう。どんなことになってもいい。おれはこのステージを楽しみたいと思っている。このメンバーで、この曲を歌える最後のチャンスかも知れないからな」

「そうだ。楽しもう」

 歌川も頷いた。有馬も「こんな面白いことはめったにないからな」と同意をした。

「例え、これが最後になったとしても。おれは後悔することはない。だから、全力で楽しもう。それがおれたち、梅沢高校合唱部だ」

 部員たちは「おおお」と雄叫びを上げる。周囲にいた人たちは、驚いた顔をした後、笑顔を見せたかと思うと拍手を送ってくれた。

「青春だねえ」

 北部は苦笑している。

「ほらほら。時間になるよ。中に入りましょうか」

 北部の促しで、部員たちは決戦の舞台へと歩みを進めた。

(そうだ。これが僕の最後の舞台——)

 七音も力強く頷くと、部員たちに混ざってホールへと入っていった。


 結果は——。梅沢高等学校合唱部は、今年。金賞を受賞した。更には、特別賞も授与され、全国大会への切符を手にした。

 帰途につくバスの中。ひとしきり大喜びをした部員たちは、眠りにつく者が多かった。スマートフォンを持参することを許可されている梅沢高校。

 七音はそれを取りだし、家族に結果を報告することにした。

 初めての独唱ソロ。緊張するかと思ったが、心配するほどでもなかったようだ。獅子王がいてくれるから。そして歌川がリードしてくれて、初めてのステージを楽しくこなすことができた。

 演奏を終えた後、写真撮影をしていると、高梨がやって来て「す、すまなかった」と頭を下げた。昨日、獅子王たちに随分と虐められたせいかと思ったが、高梨は「見直した。おまえ、歌上手いのな」とだけ言って立ち去っていった。

 更に、お手伝いで入っている大人のスタッフからも「良かったよ」と声をかけられた。

 誰かの心に少しでも何かを届けることができたということに、七音は喜びを覚えた。それにもまして、嬉しかったことは。ステージの上で思い切り歌えたこと。気持ちが良かった。みんなに注目されてしまうと、うまく話せた試しはなかったと言うのに。まるで自分ではないように、のびのびと声が出たのだった。

 けれど。それも今日が最初で最後だ。

 隣では優が寝言を呟いていた。通路を挟んだ向かい側には、優と同じように寝息を立てている陽斗。それから、曉は物憂げに車窓を眺めているばかりだ。

(僕自身が、歌うことをやめなければ、また歌える。けど、ここで歌うのは最後)

『終わりました。金賞をもらって、全国大会に行けそうです。僕は関係ないけれど。嬉しい結果でした(^_-)-☆』

 SNSのグループチャットにそう打ち込むと、すぐに既読がついて、奏から返信があった。

『おめでとう(*^▽^*) すごいじゃーん! 全国大会ってどこでやるの?』

『えっと……。今年は名古屋って言っていたけど』

『ひゃっほー。私も行きたいな♪ 名古屋ってなに美味しい? 味噌カツ? おでんだっけ!? 飛行機で行くのかな? お母さん、どーする?』

(この人、なに言っているんだろう)

 七音は続けて打ち込んだ。

『全国大会は10月下旬だから。間に合わないよ』

 すると、そこに母親が割り込んできた。

『間に合わないってどういうこと?』

(え? だって)

『だって。アメリカに行くんでしょう?』

 しばらく間があり、母親から『ああ、お父さんは見られないわね』と入ってきた。

「え? え?」

 七音は思わず声が上ずる。

(どういうこと? え、どういうこと?)

 混乱していた。

『お父さんはね、って。え。アメリカに行くのは』

『アメリカは、お父さん一人で行ってもらいます。子供じゃあるまいし。お父さん。一人で行くの不安だからって凹んでいるけど。仕方ないじゃない。七ちゃんは、とってもいい仲間も見つかったんだもの。今回は教授にお願いしたの』

 それから間があり『あなた、ちっとも家族と話しないから悪いのよ。お母さん、何回もその話しようとしていたのに』と入ってきた。

「えええええ!!」

 七音は驚いて、思わず立ち上がった。確かに。ここのところ、引越しの話をされると思い、母親を避けて来た。もっと早く話をしていれば、「最後だ」などと思う必要はなかったということ。

 みんなを引っ掻き回してしまった罪悪感。しかし、それよりなにより……。

「最後じゃない。これで終わりじゃないんだ。僕はまた、ここで歌える……!」

 眠っていた優たちは、「なんだ、なんだ」と目を覚ます。

「うるさいな。なんだよ。七音……?」

 目をこすっている優。七音は、優の肩を思い切り掴んで揺さぶった。

「ぼ、僕! 引っ越さなくていい……って!」

「は、はあ? なに言ってんだよ。引っ越すってなに? え?」

 優たちは狐につままれたような顔をしていた。

 それからぱっと視線を遣ると、前の席に座っている比佐が親指を立てて、「やったな」という顔をしている。そして獅子王。

 彼は歩けないというのに、七音のほうに向かってやってこようとしていた。七音は逆に獅子王の元に駆け寄った。

「僕。アメリカ。行かなくていいって。今。母さんから——」

 涙がこぼれた。獅子王はそっと七音を引き寄せると「よかった。よかった」と何度も頭を撫でてくれた。

(僕の居場所はまだ、ここにある)

 


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