エピローグ
二つ並んだハートのステッカーが気恥ずかしい。
あのあとすぐに、俺と美海がお揃いの羽と波を模した二つのステッカーをしていることに気がついた明莉が、戸尾と二人でお揃いを実行した結果だ。それにしても、恥も外聞もなくハートを選ぶ辺りにこのカップルがカップルたる所以がある。
「本当に仲が良いんだね」
俺と美海の次の約束は、おぼろげな遠い秋の話だった。
そんなものにこだわりなどひとつも持たずに蹴飛ばしてきたのは明莉だ。戸尾まで一緒になられて突撃を食らえば、俺たちに抵抗の隙はない。いや、俺としては大歓迎であったので、抵抗の意思すら見せなかった。
美海がどういうつもりかは知らないままだ。お出かけだけに留まらず、美海がこうして交流を深めていくことに何を抱いているのかは知らないでいる。お揃いのステッカーを貼り付けている心境もだ。
ステッカーを見た後すぐに、明莉に突っ込まれている。言質は取られたくなかったし、何もなかったのだから、事実のままに答えた。
頼りないとばかりに白い目を向けられたが、今はまだフリュー上達への達成感が上回っている。嘘偽りなく上回っていると豪語はできない。感情は育っていた。
だが、今は、という気持ちがあるのも確かだ。だから、その膠着状態にあぐらをかいている。まさしく頼りないのかもしれない。
けれど、美海がこうして華やかに笑っているのだから、それを壊す真似をする果敢さはなかった。この手応えを手にしておきたい。
「どこまでも。今日中、惚気られると思っておいたほうがいいぞ」
美海が二人と一緒に行動するのは、ほとんど初めてだ。学校で少し顔を合わせた程度では、この切実さは理解できまい。
「翔大君は羨ましいの?」
「付き合わされ過ぎて、辟易してるんだよ」
仲が良いことはいいことだ。今となっては、羨望も少しはあるかもしれない。だが、リミットはある。
「なぁーんだ、そっか」
「何だよ、その反応は」
何故、羨んでいないことに素っ気ない相槌を打たれなければならないのか。
眉を顰めて横目に見ると、美海は悪戯っ子のような目をこちらへ流していた。運転中に流し目ができるようになった上達っぷりは、こういうときにしみじみ実感する。
「ううん。良い人いないんだと思って」
言い置くように少しスピードを上げられて、顔が見えなくなった。
脳内に到着した言葉をどう処理すべきなのか。その間に、美海は前を進んでいく。ステッカーが目に入って、天を仰ぐ。雨季を抜けた今、天上は青空だ。太陽はそこにあるが、眼前の姿のほうがよっぽど眩しい。どうしたものかと思考を働かせる。
美海の前をバカップルが走っているので、スピードを上げたところでしれていた。一足飛びに追いつける。
「いつも一緒にいる良い人なら、現行で隣にいるけど」
よく言えたものだ。直前までは、今はと嘯いていた自分はどこに行ったのか。
並んだ俺を見た美海がぱちくりと大きく目を瞬く。青色が青空に溶けるようだった。それから、朱色が肌の白磁を引き立てる。
現行で隣。
これですっとぼけられるほど、美海は天然ではない。
「初耳、なんだけど」
ぽそぽそと落とされた言葉は、風が強ければ連れ去られていただろう。
「初めて言ったからな」
「……私も、良い人だと思ってるよ」
反撃の威力は桁外れで、心臓が痛んだ。
「初耳」
「翔大君が言ったからでしょ」
「悪かったな」
「ふふっ」
つっけんどんになってしまったのは、照れくささが暴発したからだ。耳が熱いものだから、あけすけだったのだろう。くすりと笑われて、居たたまれなさが急上昇した。
「嬉しい」
げほっと咳き込んでしまう。つっけんどんになんてしていられなくて、美海のほうを見てしまった。
どんな顔で、そんなことを。
飛び込んできたはにかんでいる美海が眩しいのは、やっぱり言うまでもないことだ。目線が合うと、照れくさそうに笑われる。
「俺もだよ」
ようよう絞り出した俺に、美海は頬を染めた。
青空を駆ける。隣の太陽に焼かれてしまうのも時間の問題な気がした。いや、既に堕とされてしまっている。多分。追突されたあの事故のときに。
落ちたのだ、俺は。
観念して目を眇める。美海は気恥ずかしそうに前方へ視線を戻した。交通量に止まったカップルに倣って止まったその隙に、拳が腕の部分にぐりぐりと押し付けられる。
照れ隠しは分かりやすい。ぶつけてくる手を取って見つめると、美海の横顔が熟れていく。
ダメだな、これは。失墜したらもう、戻れるわけもない。
少しの間、その手を握って信号を待っていた。美海は何も言わない。明莉たちに見つからなかったことは幸いだっただろう。バカップルでよかった。
細やかな接触がじんわりと胸を温める。信号が変わって、俺たちは手を離してフリューを発進させた。
並んだフリューに貼られたお揃いのステッカーが、この先へ駆け出していく。それだけで十分だった。
青とかける空 めぐむ @megumu
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