第27話

 ショッピングモールを歩き回るのは初めてではない。明莉が一緒にいたとはいえ、並んで歩いていたのは前も一緒だ。

 しかし、やはり二人きりというのでは、調和が取れない。自分の感情が変わっているというのもあるだろう。あのころとの違いは明確だ。

 まぁ、ありていに言うといくらご褒美や遊びなどの装飾がされていようと、男女二人で出かけているのだから、デートとしか思えない。そう思ったら、意識せざるを得ないのも道理だろう。ぎくしゃくするようなことはなかったが、それでも心臓はうるさかった。

 美海は常に楽しそうにしている。他意など欠片もないようだ。奇妙な意識で疎まれるのも困るので構わない。

 美海は何かを買ってあげるというつもりでやってきている。俺もその案に甘えるつもりだが、こっちもご褒美で何かを買ってあげるというところに落ち着いた。

 結局、学生のうちに返せるものには限りがある。ましてや、俺たちは学園島から出るのに許可証がいるのだ。島内でやれることで、学生ができる範疇となれば、プレゼントや奢り。その程度になる。

 これで恋人ならば、スキンシップなどがプラスアルファの効力を発揮するのかもしれないが、俺たちには適用されない。明莉と戸尾なら、迷わずその道を選びそうである。

 とにかく、収まるところは平凡なところだ。とはいえ、楽々と物は決まらなかった。学生だ。プレゼントにしたって何にしたって、限度額が知れている。俺だって、美海だって、巨額なものを強請るつもりもない。

 そんなものだから、なかなかちょうどいいものが見つからずに、ウィンドウショッピングに専念してしまっていた。


「あ」


 そうして歩き回っていれば、以前顔を出した店のそばを通ることもある。美海がぽつねんと音を零した。

 それを耳に留めて歩を止めると、美海が商品棚の一部に目を留めている。視線を辿れば、飛び抜けて型破りな商品はなかったが、美海が目を向ける思い当たりはあった。


「案外使いやすよな、マグカップ」

「使ってくれてるの?」

「そりゃ、実用品だし。助かってるよ」

「良かった。いいよね。電子レンジ対応だし、安心して使える」

「そうだっけ」


 そんなところを確認していない。そもそもレンジに突っ込むこともなかったが、確認する思考が欠如していた。さすがに、ステンレスやゴム製品がまずいのは感覚として分かるが、一般的な食器に意識がない。


「すぐにダメになるってことはないかもしれないけど、割れちゃうことあるよ」

「気をつけます」

「でも、そっか。マグカップ……欲しいのがいいよね? 何か困ってるものある? 実用的過ぎるかな?」

「そうだなぁ……プレゼントって感じはなくなるよな。美海、欲しいのあるか?」

「そりゃ、日用品になればいくらでも……ダメだね。なんか、こう、違う気がする」

「だよな。フリュー専門店とか行ってみるか」

「どんなものがあるの?」

「ハンドル部分へのアクセサリーとか、デコ用のステッカーとか。ジャンパーとか手袋とか色々あるよ」

「翔大君のフリューは荷物運べるようになってるよね?」

「あれはフックを引っ掛けてるだけだから。もっとちゃんとカゴとかをつけるんだったら、業者に任せないといけないよ」

「フックでも、生活には困らない?」

「大物はちょっと苦労する。でも、今のところは困ったことはないな」

「じゃあ、フックつけようかなぁ」

「デザイン色々あるし、見てみるといいよ。フックと合わせた紐とか、アレンジしようと思えばどんどん自分のものになっていくから。そうなっていくと愛着が湧いて、乗り方も上手くなるし」

「本当に?」

「大事に乗るってなれば、丁寧になるだろ」

「十分丁寧なつもりなんだけどなぁ」


 美海は合格して大喜びしていたし、それは持続していた。しかし、自分の技術が安定していない自覚はあるのだろう。

 実際、風に煽られてかなり危ない状態になっていたし、その点は減点対象になっていた。後から、より一層の上達を願っているという評価を受けたらしい。合格と言っても、擦れ擦れなところだったのだろう。

 これからも、まだまだフリューと向き合う日は続きそうだった。個人練習を続けるか否か。その話はしていなかったが、これからもないとは言い切れない。そういう時間が続けばいいと願っている自分もいる。どうなるかは美海次第だ。


「フリューを好きになるには手っ取り早い」

「もう苦手じゃないよ」

「やっぱり、苦手だったか」


 不安そうな顔はよく見たが、直言したことはなかった。


「そりゃ、落ちたし。しかも、翔大君を巻き込んだんだよ? 怖かったし」

「あれくらいよくあるもんだって言っただろ。子どものころに嫌というほど味わっているから、気にしなくてよかったのに」

「それは言われたけどさ、気になるのはどうしようもないじゃん」

「分かってるよ。だから、何も言わなかったんだろ」


 一度は確認したが、その後はこだわって恐怖について言及することはなかった。俺がどんなに言ったって、言葉で克服できることではない。経験値を重ねる以外に解決の糸口はなかっただろう。成功したから言える結果論かもしれないが。


「翔大君って気遣い屋だよね」

「そんなことはない」


 あくまでも独断だ。それが必ずしも状況を好転させるとは限らなかった。だから、これを気遣いと取るのは、美海の感性が柔らかいのだろう。


「私にはありがたいやり方だったよ」

「なら、良かった。とにかく、克服できてよかったよ。苦手意識を持ち続けて空で過ごすのは大変だろうしな」

「だから、翔大君に感謝してるんだよ」

「それはどういたしまして」


 さらりと答えると、美海は少し不満な顔になった。俺が感じ入っていないと思っているのだろう。しかし、これは表面上ってものだ。

 恐怖を克服させることができるほどの達成感。そうしたものが、ぐっと胸を掴んでくる。自分でも意外なほどに、感じ入るものがあった。

 だが、そこに感動するのは美海であって、俺ではない、だろう。だからってわけじゃない。単にこっぱずかしかった。そして、自分が噛み締めていれば十分なことだと飲み込んだ。美海がそう言ってくれただけで、俺には十分だった。

 まだ、どこか納得していないようだったが、美海は黙って歩を進めている。俺も余計なことは言わずに、フリュー専門店へ向かった。


「本体もあるんだね」


 着いた途端に、ディスプレイを見回しながら美海がほうと息を吐く。

 フリューは日常に寄り添っているし、肝要なものだ。区画も広く取られているし、ライバル店も多い。学園島には一店舗であるが、それでも競うディスプレイを礎にしている専門店の店外は派手だった。

 銀色がデフォルトのフリューに光が乱反射するので、ただでさえ眩しい。そこに多色のフリューも並べられている。数々の個性溢れるデザイン性の高いステッカーも多い。ジャンパーだって色とりどりで、カラフルさが溢れ返ったディスプレイだ。

 美海はそれをきょろきょろと見回している。


「買い換える必要もあるしな」

「耐久ってどれくらいなんだっけ?」

「十年は普通に持つけど、学生時代は身長の問題だとかで換えざるを得ない場合がある」


 ブレーキとアクセルがついているので、取っ手だけを取り替えればいいってもんじゃない。よほど大事にしているのであれば、修理で使用し続ける場合もある。だが、大抵の場合は世代交代するものだ。

 フリューはまだまだ技術開発が続けられている。最新機になればなるほど、性能がよくなる。美海は空に来たときに新調しているだろうから、三年は経つ俺のフリューのほうが性能は劣るはずだ。


「壊れることもあるよね?」

「あるけど、まぁ……事故レベルにならないと、そう起こらないかな。でも、冬は視界が悪くなるし、破損も増えるらしい」

「冷えるし、雪降るって言ってたよね」

「豪雪だよ」

「そんなに?」

「めちゃくちゃ降るよ。フリューで飛ぶから移動には困らないけど、大変ではある。海は降らないのか?」

「チラつくけど、積もるってことはないし、私の地区は氷塊もなかったから」

「だったら、とんでもない降雪を見られるよ」


 うわぁと感嘆して、胸の前で腕を組む。いかにも、な歓喜の表現には頬が緩んだ。空島での降雪は普通のことなので、小さな子どもでもこんなに純粋な様子はそう見られない。

 しかし、美海はすぐにはっとして、眉を下げた。それから、怖々とこちらを見上げてくる。何かを縋るような顔には胸がつまった。


「……運転、大変だよね?」


 遅ればせながら、豪雪という意味が浸透したようだ。天候に振り回されたことは記憶に新しいのだろう。


「まぁ、吹雪くな」

「大丈夫かな?」

「……練習、頑張ろうな」


 ううう、と呻き声を上げて項垂れた。ポニーテールがしょんぼりと垂れ下がっている。その肩を叩いて慰めると、美海は恨めしげにこちらを見上げてきた。そんな顔で見られてもどうしようもない。肩を竦めると、その肩口にとすんと身体をぶつけて攻撃された。


「翔大君、付き合ってくれるの?」

「もちろん」


 不満というか、不安というか。まだ続くことへのなにがしかはあるのだろう。大変なのだから、変ではない。頷くと、渋々納得したような顔になった。


「だったら、いいけど。じゃあ、ジャンパーとかってそういうときに使うんだ?」

「耳当てと手袋は必須。マフラーじゃなくて、ネックウォーマーな」

「そっか。冬に向けてリサーチしておかなくっちゃ」

「秋になってくれば、どんどん商品出てくるから、店頭で見るのもありだぞ」

「いいやつ見繕ってくれる?」

「好きなのを選んで大丈夫」

「防寒にピッタリのとかオススメのとかあるでしょ?」

「分かったよ。じゃあ、秋にも来よう」

「ありがとう。今日はステッカーにしようかな」


 先の約束が結ばれる。美海の自然さが、一段高い喜びを芽生えさせた。胸が満杯で息が零れそうになる。

 美海はステッカーの商品棚に近付いて、吟味し始めた。


「ステッカー、気に入ったのか?」


 貼るのを嫌う人もいる。ダサいと身も蓋もない言い分もあるし、自分のセンスが当てにならないというものもいる。


「ワンポイントくらいなら、おかしくならないでしょ?」

「堅実」

「だって、そんなに買えないし」

「切実だったわ」


 ごもっともな案に苦笑して頷くしかない。

 着飾ろうするとそれなりの枚数がいるし、アーティスティックなことをしようと思えば尚のことだ。頷いておいて、はっとした。美海はステッカーを眺めていて、こちらの反応には気がついていない。


「美海」

「なぁに?」


 本腰を入れているらしい。


「二つにしないか?」


 ステッカーを凝視していた瞳が大きく瞬かれる。それから、驚いたままこちらへ向いた。青色の興味を引けるというのは、気持ちが良いものらしい。


「ご褒美」

「いいの? それなりにするよ?」

「お礼してくれるんだろ?」


 そう美海の隣に並んでステッカーを見る。

 貼ろうとしたことは一度もない。興味のなさが一番で、悪感情を持っているわけでもなかった。だから、商品を見比べたこともない。

 改めて見れば、品揃えも価格帯も幅広かった。この機会にやってみるのもいいだろう。それを示すと、美海も商品棚へと目を戻した。


「お揃いにする?」


 からかうような口調で告げるものは、どういう意図だろうか。からかう以上の意図が含まれているのかを探ろうと、脳みそが駆け出した。だが、そんな無意味な推測は即刻捨て去る。

 こういうのはノリと勢い。たまには、幼なじみのやり方に倣うのも悪くないだろう。何より、美海とお揃いというのは惹かれるものがあった。


「波とかそういうのにする?」

「ふふっ。じゃあ、翼とか? そういうのは?」

「二枚にするのか?」

「翔大君に空っぽいのを選んでもらおうかな」

「じゃあ、美海は俺のほうに海っぽいのを選んでくれよ」

「翔大君も二枚にするの?」

「贈り合いになるだろ? 互い違いでもいいし、お揃いでもいいよ」


 美海がどれだけ本気だったのかは分からない。それでも、具体的に詰めていけば、美海は綻ぶように笑った。


「じゃあ、それぞれ選択ね」


 そう言い切られて、笑って頷く。

 空っぽいもの、というのは漠然としていた。翼だけを取り上げたデザインだと、ロック方面や中二病めいたものになってくる。それは美海の印象には合わない。かといって、いかにもメルヘンなものは、自分が貼りづらかった。

 そんなふうに物色していくのは楽しい。美海も同じなのか。俺たちは時間をかけて、それぞれに上げたお題に合うものを探した。途中で相手に見せることはないサプライズでいこうと言葉を交わしている。

 そうして、購入を終えた俺たちはステッカーを伏せたまま、モールの屋上へと向かって休憩を取った。そこで交換すると話し合ったわけではないが、モール街の通路で渡し合うものではないと、何となく互いに思っていたようだ。

 屋上には、暖かな陽が注いでいる。空島の建物の屋上は、段違いに気持ちが良いらしい。俺たちにとっては、屋上はこういうものだが、そう言われている意味も分かる。それほどに広々とした視界が広がって、清涼感のある風が吹き抜けていた。

 その柵付近にある外側を向いて置かれているベンチに腰を下ろして、美海が袋を出してくる。自分の分を引き抜いてから渡される袋を、俺は迷いなく受け取った。


「翔大君、本当にありがとう」

「どういたしまして。美海こそ、本当に頑張ったな。おめでとう」


 同じように差し出したものを美海が受け取る。輝いた表情の煌めきが陽光を凌ぐものであったことは、もはや言うまでもないことだ。

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