第11話 ……一件、落着?
「ヴィネット・スコット・グレンヴィル、参りました」
ユージンのためにと用意された部屋にやってきたヴィネットは優雅な仕草で一礼した。それを見てサーシャはパッと笑顔になる。
「よく来てくれた、ヴィネット嬢。余の教育係を引き受けてくれたそうだな。礼を言う!」
「……陛下の誘拐監禁事件というネタを握られているのです。逆らえるはずがありません」
「べ、別に
「うむ、そんなつもりは少しもないぞ。ただ、ヴィネット嬢とはもっといろいろと話してみたいと思っていたから嫌なら断ってもらっても構わないとは口が裂けても言わんがな!」
「言わないんですか」
「言わん!」
おどおどと首をすくめるユージンと、なぜか胸を張るサーシャを見てヴィネットはため息をついた。
ユージンが国王になったことを祝うパーティから――グレンヴィル公爵とヴィネットが起こしたユージン誘拐監禁事件から一週間が経った。
「ぼ、ぼぼ……僕の方が、グレンヴィル公爵とヴィネットの二人に……は、話があってこちらに来てもらったん、です。……ヴィネット嬢はこの国で一番の淑女だと、う、噂を耳に……しまして。ぼ、僕の妻は……さ、サーシャは、この国にまだ不慣れですから、せ、先生に……できればお友達になってもらえないかと、お、おおお願いしていたん、です」
ユージンの言葉に目を丸くしたのは塔を取り囲んでいた近衛兵とメアリだけではない。塔の内部で近衛兵たちと一戦交える覚悟で構えていたグレンヴィル公爵とグレンヴィル家の私兵もだった。
「いや、ですが……」
ユージンの説明を鵜呑みにするにはちょっと……だいぶ無理のある状況に近衛兵は不信感丸出しの目をグレンヴィル公爵とヴィネットに向けた。
そんな重苦しい空気をぶち壊して近衛兵とメアリに満面の笑顔で駆け寄ったのがサーシャだった。
「ヴィネット嬢はな、お目が高いのだ。とてもお目が高いのだ!」
「は? え……お目が高い!?」
「そう、お目が高い! ……そうだ、剣を返さねばな。助かったぞ、ありがとう!」
「あ、いえ……お目が高いとは? ……って、俺の剣! 俺の剣の柄が、つ、潰れて!?」
「硬い物をガシガシしたからな」
「硬い物をガシガシ? 剣の柄が潰れるほどに!?」
「うむ、実に助かった!」
という感じで話が逸れ、事は有耶無耶のうちに闇に葬り去られたのだった。狙ってやったことではもちろんない。サーシャはただ〝ヴィネットはお目が高い〟と言いふらしたかっただけだ。
だが、その結果的に――。
「それでは、ご指南ご鞭撻よろしく頼むぞ。ヴィネット嬢……いや、師匠!」
「……師匠はおやめください」
「よ、よろしく……し、しし師匠!」
「ですから、師匠は……」
こういう状況になってしまったのである。
ヴィネットは額を押さえ、〝完全無比の淑女〟に相応しい砂糖菓子のような微笑みを浮かべるのもすっかり忘れてため息をついた。
「陛下、父は城内の書庫でお待ちしております」
「あ、ありがとう……ござい、ます。それじゃあ、さ、サーシャ。ぼ、僕も行ってくるね」
「グレンヴィル公爵から帝王学を学ぶんだったな。うむ、頑張って来るが良い!」
サーシャの応援に頬を緩め、ヴィネットに目配せしてユージンは部屋を出た。ヴィネットは淑女らしく優雅な一礼で近衛兵と共に書庫へと向かうユージンの背中を見送った。書庫で行われるのは帝王学の勉強ではない。女神に関する調査だ。
娘の話を聞いたグレンヴィル公爵はユージンの提案に乗ることに決めたのだ。
ユージンがグレンヴィル公爵からウェスティア国内に残る女神の伝承について教わっているあいだ、サーシャとお茶をし、サーシャが望むのであればウェスティア国についてや淑女の振る舞いについて教えてあげてほしい。これがユージンから改めて申し入れられた〝お願い〟だった。
コホンとせき払いを一つ。
「本日の授業を始める前にサーシャ様には確認しておきたいことがございます」
「ふむ、なんだ」
背筋を伸ばすヴィネットにサーシャは笑顔を向け、紅茶を用意していたメアリは身構えた。メアリからすればヴィネットはサーシャから
「サーシャ様はいつまで我がウェスティア国にいらっしゃるおつもりですか」
ヴィネットの問いにメアリが目をつりあげたのも〝いつまでもこの国にいるつもりだ。とっととオーリア国に帰れ〟という嫌味だと捉えたからだ。
でも、ヴィネットの真意は違う。
「陛下からうかがいました。この国での陛下の身の安全と立場を心配し、この国に一緒に来てお守りするために結婚されたのだと」
「間違ってはいない」
「陛下が安全とわかればオーリア国に帰るつもりなのではありませんか?」
ヴィネットの言葉にメアリは振り返ってサーシャを見た。心配そうな顔のメアリににこりと微笑み返してサーシャはヴィネットに向き直った。
「余はな、ウェスティア国とのレベナド山脈での戦いで死ぬつもりでいたのだ」
穏やかな口調で話すサーシャをヴィネットは静かに見つめ返した。
「次期国王として育てられ、民のために生きることこそが余の役目であり、すべてだと思ってきた。余自身がどうしたいか何をしたいかなんて考えることすらしなかった。ところが弟が生まれてその役目は……余のものではなくなった。それどころか余がいてはオーリア国を分断させてしまう。余の存在が尽くすべき民を危険に晒していた」
メアリが用意した紅茶を涼しい顔で飲みながらサーシャは話を続ける。
「だから、ウェスティア国との戦いで死のうと思っていた。だが、死ねなかった。大怪我を負って生死を彷徨いはしたが……ユージンが死ぬことを許さなかった」
ヴィネットの口元に浮かんだ苦い感情をどう受け取ったのだろう。サーシャはくすりと微笑んだ。
「生きて帰ったあと父に言われた。オーリア国次期国王としての役目は終わった。その体では王女としての役目も果たすことはできない。だから、あとはお前の好きなように生きろと。どうしたいか何をしたいか、今まで考えたことすらなかった。けれど、考えてみたらすぐに思い浮かんだ」
「つまり……」
自嘲気味に笑ってうなずくサーシャにヴィネットは途中で言葉を切ると額を手で押さえた。
「つまり……余は可能な限りユージンのそばにいたい、ということだ。いずれ離縁してユージンには適切な妃を迎えてもらわねばならない。しかし、それまではこの国に……ユージンのそばにいたいと思っている」
なんだか物凄く面倒でじれったい関係に巻き込まれてしまった気がしてきたからだ。
「確かにオーリア国の……元とはいえ王女である貴女が我が国の妃になるのは難しいでしょう。ですが、不可能ではありません。根回しをし、時には弱みを握り、最後には行動で示して周囲を黙らせれば良いのです」
「淑女とは意外と過激なものだな」
「民のためなら陛下を誘拐監禁強姦するのが〝完全無比の淑女〟です。過激なものですよ、淑女とは」
澄まし顔で言うヴィネットにメアリは目を丸くし、サーシャは〝なるほど、勉強になる〟と大真面目な顔でうなずいた。
「付け入る隙を与えなければ側妃を迎える必要も……」
「いや、正妃にしろ側妃にしろユージンには余以外の妻を迎えてもらわねばならぬ。それがユージンを大切に想ってくれる相手であれば良いとも思っている」
「ですから、無理に側妃を迎えなくとも……」
「余は子供が産めないのだ」
サーシャの穏やかな微笑みに一瞬、何を言われたのかわからずヴィネットは首をかしげた。
でも――。
「レベナド山脈での戦いで負った怪我で子供が産めない体になった。女神の加護を必要とし、王の血族を必要とし、ユージン以外の王族が生き残っていない今のウェスティア国で王の妻の座に子供を産めぬ余がいつまでも座っているわけにはいくまい」
言葉の意味を理解してヴィネットはゆっくりと目を見開いた。
「そのことを……陛下は?」
「もちろん知っている」
だからか、とヴィネットは額を押さえて深々とため息をついた。だから、王の血と女神の加護を切り離す必要があったのだ。
根回しをし、時には弱みを握り、行動で示して周囲を黙らせ、サーシャをウェスティア国現国王の唯一の妃とする。どこにいるのかいないのかもわからない女神を探し出して交渉するよりも遥かに楽で現実的な方法もあるのに、女神との交渉に挑むという無謀で罰当たりな方法を選んだのはこういう理由だったのだ。
「……なんて面倒な夫婦と関わってしまったのでしょう」
「うむ?」
「いいえ、なんでもございません」
ヴィネットはゆるゆると首を横に振って今日、何度目かのため息をついた。
ウェスティア国の民を守る貴族の一人として王の子供を産まなくていいとは軽々しく言えない。しかし、だからと言ってすぐにでも側妃を迎えろとか離婚しろとか言うことはできなかった。
二人のことをろくに知らないままだったら言えただろう。でも、今はもうできない。
だから、背筋を伸ばし、サーシャの金色の目を見つめ、ヴィネットは言った。
「それでは、サーシャ様。サーシャ様がこの先、死ぬまで一生、この国にいらっしゃるものと……陛下のお隣にいらっしゃるものと信じてこれよりわたくしは王の伴侶、正妃、ウェスティア国の国母となるべくわたくしが受けてきた淑女教育の全てを叩き込みます。どうぞお覚悟を」
ヴィネットの言葉にメアリはにこりと微笑んだ。息子のように可愛い親友の息子の嫁に友人が出来たのだ。微笑みたくもなる。
サーシャはと言えばヴィネットの返答に戸惑いの表情を見せた。しかし、それも一瞬のこと。
「うむ、よろしく頼む! ヴィネット嬢……いや、師匠!」
「……だから、師匠はおやめください」
元気いっぱいの笑顔で淑女には程遠い返事をしたのだった。
ウェスティア国物語 ~キミと添い遂げるためなら女神にも挑む~ 夕藤さわな @sawana
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