第10話 こんな感じで一件落着
「ユージン、見つけたぞ!」
窓ガラスを突き破り、灯かりが漏れないようにとかけてあった暗幕を払いのけ、銀色の髪をオオカミの尻尾のようになびかせて現れたサーシャにヴィネットはぎょっとした。ユージンは知らないがここは高い塔の上にある一室なのだ。
だというのに、受け身を取って勢いを殺し、見事に着地をしたサーシャは動揺することなく、冷静に、すぐさまベッドに拘束されているユージンに駆け寄った。
「どうしてここが……!?」
「周囲の様子を確認しようと城内で最も高い塔の屋根に上がってみたら明かりが見えてな。メアリから誰だかを幽閉するために作られた塔だが今は使われていないと聞いていたからおかしいと思ってとりあえず飛び込んでみたのだ」
「とりあえず、窓ガラスに飛び込んだんですか!? しかも、この高さをよじ登ったと!?」
「しっかりとツタが絡みついていたし、石も堅いから足場にしても崩れる心配はない。問題なく登れる」
淡々とヴィネットの問いに答えているあいだにもサーシャは剣の柄でユージンの拘束を解いた。すべての手枷足枷を壊したサーシャはユージンをベッドに腰掛けさせると上半身をぺしぺしと叩いてまわった。ベッドから立ち上がらせると次は下半身だ。どうやらケガがないか調べているらしい。
「さ、ささ……サーシャさん!?」
ヴィネットに服を脱がされたせいで上半身ほぼ裸状態のユージンはおろおろあわあわしている。
「ケガはないようだな」
サーシャの方はといえば無言でぺしぺし全身チェックを終えると――。
「……心配したぞ、ユージン」
ユージンの首に両腕をまわした。元気いっぱいの明るい声で飛びつくようにではなく、か細い声で壊れものにでも触れるようにそっと抱きつくサーシャにユージンは目を丸くした。
「……ご、ごめん」
戸惑いながらもユージンはサーシャをそっと抱きしめた。その姿を見てヴィネットは〝……あぁ〟とため息のような声を漏らした。
サーシャが着ているマーメイドドレスの裾は動きやすいようにと太ももが見えるほどに短く破られている。元から袖はなく、首回りも背中も大きく開いたデザインだ。ユージンいわく二○一箇所あるという全身の古傷があらわになっている。
特に背中の傷は大きく、斜めに一直線に伸びていた。鞘を背負ったまま斬られたかのような五センチほど間があいた一直線の傷だ。
その五センチほどの間はなんなのか。
サーシャの体にある二○一箇所の傷のうち、一〇〇箇所は小さい頃からの訓練でついたもの。あとの一〇〇箇所は〝白狼戦〟でついたものだとユージンは言っていた。
なら、あと一箇所はなんなのか。
浮かんだ疑問を尋ねることはできなかったけれど、きっと答えは〝これ〟なのだろうとヴィネットは思った。
王位継承の儀式で
それから――。
「サーシャ様の代わりなんていないと仰る理由も、きっと……」
ユージンの右腕には古い傷痕があった。抱きしめるとサーシャの背中にあるものとユージンの右腕にあるものとが繋がって一直線になる。
そんな――古い傷痕が。
何があってサーシャの背中とユージンの右腕に傷が出来たのかはわからない。でも、〝これ〟が理由なのだろうと思った。
と――。
「さて、これはどういうことなのか。説明をしてもらおうか、ヴィネット嬢」
ユージンから体を離したサーシャは剣先と狼のような鋭い視線をヴィネットへと向けた。
ウェスティア国の近衛兵や貴族なら説得できる自信がヴィネットにはあった。しかし、相手はオーリア国からやってきた――元とはいえ王族のサーシャだ。ウェスティア国の感覚は通用しない。
手枷足枷でベッドに拘束されているのを見ているし、そもそもユージンが証言すればサーシャは一〇〇パーセント信用する。言い訳も言い逃れも不可能。
だから、ヴィネットは深呼吸を一つ。
「ユージン様の子種をいただこうと思いまして。二人きりになるために少々、手荒な方法を取らせていただきました」
きっぱりと言った。ヴィネットの言葉にサーシャの目がつりあがる。
今日、ヴィネットが見たサーシャは子供のように無邪気で人懐っこい印象だった。しかし、相手はオーリア国の元次期国王候補。〝白狼戦〟で実戦も経験している。ヴィネットがユージンを誘拐監禁したと知れば手に持った剣で斬り殺す可能性は十分にある。
死を覚悟して、ヴィネットはだからこそ凛と背筋を伸ばした。
でも――。
「お目が高い!」
「イタッ……って、お目が高い!?」
サーシャは大真面目な顔でずかずかと歩み寄ってくるとバシンバシンとヴィネットの肩を叩いた。剣もさっさと下ろしている。
予想以上に強い力で肩を叩かれ、予想外のことを言われ、ヴィネットは目を白黒させた。
「お、お目が高い、とは……さ、サーシャさん、どういうこと!?」
サーシャと付き合いの長いユージンにとっても予想外の反応だったらしい。こちらも目を白黒させておろおろあわあわしている。
そんなユージンとヴィネットを交互に見てサーシャは腰に手を当てると胸を張った。
「ウェスティア国に戻ってきて王になってほしいという手紙は嘘で、オーリア国に匿われている自身を殺すための罠かもしれない。国王になったとしても子供の頃のように冷遇されるかもしれない。ユージンはその可能性を考えながらもこの国の民のため、女神の加護が失われて苦しむことがないようにと戻ってきたのだ!」
我がことのように誇らしげに語るサーシャを前にヴィネットはぽかんと口を開いた。
「民を想い、民のために命を
「……お、お目が高い?」
拳を握りしめて力説するサーシャの後ろでユージンはおろおろと首を傾げている。
「民を想い、民のために命を
サーシャの言葉を繰り返し、ヴィネットは静かに目を伏せた。
「痛いほど感じております。得難いものだと……痛いほど」
「そうだろう? いやぁ、さすがだ。この短期間でユージンの値打ちを見抜くとは……やはりお目が高い!」
「……一国の王を胡散臭い骨董屋の骨董品のように言うのはやめてください」
ため息混じりに言ったあと、ヴィネットは真剣な顔でサーシャに向き直った。
「サーシャ様。わたくしはユージン様を誘拐監禁し、あなたの夫を奪おうとしたのですよ? それでも怒らないのですか?」
ヴィネットの言葉に一瞬、表情を曇らせたサーシャだったがすぐさまいつも通りの快活な笑顔を浮かべた。
「この国の事情はわかっている。女神の加護を失えばこの国の民の生活は立ち行かぬ。女神の加護を失わないために王の血を絶やすわけにはいかない。この国のため、民のため。ユージンも王としてそれくらいの覚悟はできているはずだ。側妃の百人や千人! 愛のない行為の百回や千回! なぁ、ユージン!」
「ひゃ、百!? せせせせ、千!!?」
偽装結婚、片想いと思ってはいても好きな人の口からそんなセリフが出ればショックだろう。涙目になるユージンをヴィネットは憐れみの目で見つめた。
ユージンはといえばガシリと拳を握りしめて力説するサーシャに気を使ってか、涙目のまま曖昧にうなずいた。
「こ、こここの……ウェスティア国のため、た、民のため、王として、そういう覚悟はし、しなきゃとは……思っているけど……ま、まだ気持ちがついていかない、というか……」
「うむ、そうか! ならば、早くついてこい!」
「え? あ? え、えっと……?」
「ついてこい!」
「え、あ……は、はい! 頑張りま、す!?」
サーシャの勢いに負けて思わず背筋を伸ばしてうなずいてしまうユージンと、ユージンの返事に満足げにうなずくサーシャと。二人の顔を見比べてヴィネットは納得したようにうなずいた。
「なるほど。確かにユージン様の片想いのようです」
「た、確かに……確かに、そ、そうなのですが……だ、だだだからと言ってさっきの話を蒸し返すのは、や、やめて……ください!」
ヴィネットのつぶやきはユージンの耳に届いていたらしい。慌てた様子で首やら手やらをバタバタと振って拒絶の意思表示する。さっきの、というのはサーシャ以外の女性と子作りしろという話だ。
「そ、そもそも僕は……こ、このウェスティア国に戻ってくると決めたときから……お、王座にもこの国にも、な、なな長居をする気はなかったん、です。だって、ぼ、僕は……王になる器じゃない。国よりも民よりも……さ、ささサーシャを優先してしまう自信しかない、から!」
「……なら、どうして我が国に戻ってきて王になったのですか。手紙を破り捨てて、見なかったことにして、オーリア国に引きこもっていればよかったではないですか」
「だ、だって……加護を失って苦しんでいる民を見捨てたなんて、し、知られたら……サーシャに、き、きききき嫌われちゃうかもしれない、ですし……!」
サーシャに聞こえないようにだろう。声をひそめて、しかし、曇りのない目できっぱりと言い切るユージンにヴィネットはため息をつきつつ、軽蔑の目を向けた。
ヴィネットの冷ややかな視線なんて意に介さず、ユージンは声をひそめたまま話を続ける。
「あ、あなたとグレンヴィル公爵が想っているのは……こ、ここ……この国の民のこと、です。そのためにお、王の血と、権力とを切り離そうと……考えた、んですよね?」
「えぇ、そうです。その通りです。そのためにユージン様を誘拐監禁したのです」
「そ、それなら王の血と女神の加護を――ぼ、僕の血と女神の加護を切り離すのでも、あ、あなたたちの目的は……た、たた達成できると、思うん……です」
「王の血と、女神の加護を切り離す……?」
ため息ついでに聞いていたヴィネットはユージンの言葉を繰り返し、飲み込み――それがどういうことかを理解して固まった。
「無事に切り離すことが、できれば……あ、あなたたちは王の血にこだわらずに、ま、まま
にやにやにまにましながらそんなことを言っているユージンをヴィネットは口をぽかんと開けたまま見つめた。
「女神と……神と、交渉する?」
「は、はい」
そんな突拍子もないことをユージンはあっけらかんとうなずいて肯定してみせた。
「伝承が本当なら、か、可能だと……思います」
ある時、この世界に存在するあらゆる国の王の前に女神が姿を現して言った。
――わたくしを唯一の神と崇めるのならあなたが治める土地に祝福を与えましょう。
――あなたが死んだ後もあなたの血を継ぐ者が王となり土地を治めるならば祝福を与え続けましょう。
と――。
それが女神と、女神の加護の伝承だ。
「め、女神は何らかの目的があって……各国の王に祝福を与える、と言った。だって……た、ただの慈悲ならすべての国に、む、無条件で祝福を与えればいい、のだから」
でも、女神はそうはしなかった。
「そ、そうしなかったということは……な、何らかの目的があるという、こと。も、目的があるということは、こ、交渉の余地があるかもしれない……ということ、です」
相変わらずユージンはおどおどおろおろと話をする。でも、おどおどおろおろした態度はいつものこと。平常運転だ。神と交渉しようなどという突拍子もなく罰当たりなことを言っているという気負いは少しもない。
むしろ――。
「さ、サーシャを誰にも、邪魔されずに、お、思い続ける……ために……サーシャのと、隣にいる、ために……
サーシャを手に入れることよりも女神との交渉の方が楽だと言わんばかりのユージンの物言いにヴィネットは一言も返せないまま――。
「ど、どうでしょう……? 王の血と、め、女神の加護を切り離すというのは……あ、あなたとグレンヴィル公爵の望むところだと思うのですが……い、一旦……あなた方の計画は、ほ、保留にして……僕に協力、して……くれませんか?」
呆然と底の見えない青い目を見あげたのだった。
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