第9話 こんな感じで推し語り(?)して

「サーシャ様、こちらの塔です」


 メアリが案内してくれたのは城内の中央に立つ、城内で最も高いという建物。ある高貴な身分の者を幽閉するために百年以上も前に作られたという石造りの塔だ。

 今は使われていないとも教えられていたけれど、なるほど。手入れがされていない塔の外壁にはびっしりとツタが絡みついていた。葉を手で払いのけてのぞきこんでみると外壁に使われている石はしっかりしていて足を掛けても崩れる心配はなさそうだ。

 サーシャは腕組みをしてじっくりと塔を見上げたあと――。


「ふむ、行けるな」


 笑顔でうなずくと右手に携えていた剣を背中にまわすとマントの端を胸の前できゅっと縛って背負った。近衛兵から奪い取り、近衛兵が貸してくれたマントに包んで持ち歩いていた剣だ。

 続いてマーメイドドレスの裾を躊躇なく破り、ヒールを脱ぎ捨て、銀色の長く美しい髪を一つ結びにする。


「まぁ、ヴィネット様にお借りしたドレスを!」


「ヴィネット嬢にも侍女たちにもあとであやまらなくてはな」


 メアリの悲鳴に淡々とした表情で答えながらサーシャはその場で軽くジャンプをしたりストレッチをしたりしてひとしきり体をほぐしてから再び塔を見上げた。


「サーシャ様、行けるって……まさか!」


「周囲の様子を確認したらすぐに戻ってくる」


「すぐに戻るって……やっぱり塔をよじ登る気ですか!?」


 ぎょっとするメアリが止める暇もなくサーシャは絡みついたツタやほんの少し出っ張っている石を頼りに塔の外壁をすいすいと登っていってしまった。


「あらあら、まあまあ……なんというかアレは……」


 ウェスティア国城内の使用人の子供たちが半分も登ることのできなかった塔をあっという間に登っていくサーシャの姿を見上げてメアリは呆れ顔になった。


「白狼というよりもおサルさんですね」


 ***


 ヴィネットの中のユージンの印象は王位継承の儀式の際に出会った最初からベッドに拘束されている今も、おどおどと気弱で、およそ王の器とは言えない威厳のひとかけらもない青年というものだった。

 ところがどうだろう。


「彼女の代わりなんていない。彼女を……愚弄するな」


 サーシャよりも魅力的な女性はいくらでもいる、サーシャの代わりを連れて来る。そう告げた途端、ユージンは冷酷無比な王のように冷ややかな目でヴィネットを見つめた。底の見えない青い目に見つめられて凍り付く。

 ヴィネットの怯えに気が付いたのだろう。


「あ、ご……ごごごご、ごめんなさい……! で、でも……あの……」


 あわてて首をすくめると、もう元通り。威厳も何もないおどおどと気弱な青年の姿に戻った。一見すると、だけれど。


「……あ、あなたはとても……う、美しい。贅を尽くしたドレスを……み、身に纏わなくても、宝石で着飾らなくても、化粧をしなくても……と、とととっても綺麗、です」


 凍り付いて身動きができないまま。ヴィネットはユージンの唐突な褒め言葉をただ黙って聞いた。


「そ、そそそれはこの国の貴族として……こ、公爵家の令嬢として……大臣の娘、として、覚悟とか矜持とか……そ、そういうものを纏っているから。あなたの中から生まれる美しさ、だと……思うんです」


「……」


「彼女も……さ、サーシャもそう、なんです」


 おどおどおろおろと目を泳がせながらも必死に言葉を探すユージンを、ヴィネットはただ黙って見つめた。


「お、オーリア国の現国王には……サーシャのオトーサンには、と、当時、息子がいなくて……それで末娘のサーシャがじ、次期国王になるための教育を、受けることになった……んです」


 オーリア国との関係が良好とは言えないウェスティア国にもその噂は伝わってきていた。男系男子に継承されてきたオーリア国の王座に女性がつくかもしれない。これを好機と考えるウェスティア国の貴族も一定数いたのだ。

 でも、実際に女性が王座に――サーシャが王座につくことはなかった。


「は、腹違いの弟が生まれたのは……サーシャが十才のときです」


 新たに迎えられた側妃とのあいだに待望の男児が生まれ、さらに続けて双子の男児が生まれた。現オーリア国国王の三人の息子たちは大病をすることなく元気に育っていった。

 そして――。


「さ、サーシャが十六才になる頃には……オーリア城内は二つに、割れて……いました」


 次期国王として育てられたサーシャを王座にと推す者たちと。

 男系男子継承の歴史に従い、ようやく生まれた男児を王座にと推す者たちと。


「お、オーリア国の国王に求められる資質は……か、駆け引きの上手さとか、か、賢さとかではなくて……。女神の加護が、ない……過酷な土地を生き延びるために、こ、国民の先頭に立ち、困難に挑もうとする勇猛果敢さと……不安を吹き飛ばすような、あ、明るさ……強さ、です」


 次期国王だったわりには良く言えば子供のように素直で、悪く言えば思慮深くない性格をしていると思っていたが――なるほど。ヴィネットは内心で納得した。サーシャが国王として相応しい器だったからこそ、オーリア城内は二つに割れることになったのだろう。


「政治的分裂は……く、国を混乱に陥れ、こ、ここ国民を……危険に、晒します」


 ウェスティア国が内乱で多くの民を危険に晒したように――。

 ユージンが飲み込んだ言葉にヴィネットは唇を噛んだ。


「その頃に始まったのが、れ、レベナド山脈での戦い……この国では〝白狼戦〟と呼ばれてる、らしい……戦い、です」


 ユージンの父であったウェスティア国前国王が病床に伏すと国内に存在感を示そうとする王位継承者たちがあれこれと好き勝手に動き始めた。そんなパフォーマンス染みた行為の一つがオーリア国とウェスティア国の山側の国境で行われた〝白狼戦〟だ。

 関係は良好とは言えないオーリア国とウェスティア国だが直接的に衝突するのは半世紀ぶりのことだった。


「王城内はピリピリして……し、しししししかも、オーリア国現国王自ら出陣するなんて言い出して……だ、大臣たちもみんな、お、大慌てで……」


 ユージンの額に脂汗が浮かび始めたのは当時の王城内の混乱を思い出して胃がキリキリと痛み出したからだろう。


「そ、そんなときに……サーシャが、言ったんです。オトーサンに頼んで、お、弟を膝に……王座に座らせて、ひ、膝を折って……だ、大臣たちもいる前で……国王の娘で、次期国王の姉である自分以外に、こ、今回の戦の指揮を執るのに相応しい者は……いない。だから、ぜ、前線には自分が……出るって……」


 サーシャは弟に膝をついて、そう言ったのだ。

 次期国王となるべく育てられたサーシャは扱いが厄介な上に淑女としての振る舞いを教えられてこなかった。体中の傷のこともある。あの傷は〝白狼戦〟のみでできた傷ではない。いくら王女といえどサーシャを政略結婚の駒としては使うのは難しかった。

 隣国との戦により高まる緊張感と、自身と弟がいることで生まれた不和と。やるべきことと、やれることと――。


「や、野生の勘みたいなもので……感じ取った、んだと……思います。王族の一人として、お、オーリア国の民のため、やれることは……剣を持って戦場に出ること、だって……」


 サーシャの狙いは二分する王城内の人々の前で弟が次期国王であると宣言し、忠誠を誓って見せることだったのか。それとも自身が戦場で死ぬことで二人いた次期国王候補を一人に絞ることだったのか。

 ユージンの表情を見れば後者だっただろうことはヴィネットには容易に想像できた。


「さ、サーシャの体にある二○一箇所の……き、傷のうち、一〇〇箇所は戦争に行く前……小さい頃からの訓練で、ついたもの。あ、あとの一〇〇箇所は、戦争でついたもの……です」


 あと一箇所はなんだろう。浮かんだ疑問をヴィネットが尋ねることはなかった。


「さ、サーシャの女の体にある傷痕は、彼女が国のため、た、民のため、立派な国王になろうと……努力した、証。い、命を賭しても王城内の分断を止めようと、た……たた戦った証。王族としての……矜持」


 ユージンが射抜くような目でヴィネットを見つめたからだ。


「だ、だから、体中に傷があろうと……サーシャは美しい。王族としての誇りと矜持を纏い、いつだって国のため民のため、に……あろうとしてきた、から……だから、美しい……んです」


 だから、そんな彼女を愚弄することは許さない。ユージンの青い目はそう言っているようだった。


「それに……さ、サーシャ以外の誰かとっていうのは……こ、こここの国に来るって決めた、ときに……覚悟はしてたけど……で、でも、やっぱり……最終手段、で……え、えっと……きょ、今日……僕は一つ、ガッカリしたことが、あったんです」


「……この国の――貴族たちのあり様にですか?」


「女神との、け、契約の儀式に……め、女神が現れなかったこと、です」


 ユージンの言葉をゆっくりと飲み込んで――ヴィネットはきょとんと目を丸くした。


「女神が現れなかったこと? それがガッカリしたことですか?」


 驚くヴィネットをよそにユージンは真剣な表情でうなずいた。


「女神が現れてくれれば、は、話は早かったのに……で、でも……女神との契約の儀式を終えて、すぐに加護は戻ってきた」


 ユージンがパーティを中座してグレンヴィル公爵とヴィネットと一緒にバルコニーに出た理由はこれだ。

 王位継承と女神との契約の儀式の前日――この城に到着した日にメアリが窓を開け放って教えてくれた。ひんやりとした空気が教えてくれた。ウェスティア国はすでに女神の加護を失っているのだと。

 そして、女神との契約の儀式が無事に終わった今日――バルコニーに出たユージンの頬を撫でた風は穏やかで暖かな、子供の頃に感じたウェスティア国の風に戻っていた。ウェスティア国は再び女神の加護を得たのだ。


「つ、つつつまり……女神に相当する、加護を与えている何かはいるっていうことで……で、でも……それが意思疎通が可能で、こ、ここ交渉が可能な何かかは……まだ、わから……なくて……」


「意思疎通? 交渉?」


 大真面目な顔をしているユージンの口から出た突拍子のない単語に目を白黒させていたヴィネットだったが、納得する説明をしてもらうことはできなかった。

 なぜなら――。


「ユージン、見つけたぞ!」


 銀色の髪をオオカミの尻尾のようになびかせ、窓ガラスを突き破り、サーシャが颯爽と部屋に飛び込んできたからだ。

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