第8話 こんな感じで生贄にされそうになって

「この度の内乱は王と王の血縁者に権力が集中するがゆえに起こったことだと父やわたくしは考えております。その結果がこれです。多くの民を戦争に巻き込んだ挙げ句、女神の加護を失いかけて危険にさらすことになりました」


 後悔の滲む顔でうつむくヴィネットをユージンはおどおどおろおろと見つめた。ベッドに拘束されたままで、だ。


「それなのに反省もせず、懲りもせず、陛下に取り入って権力を手にしようとする者たちのなんと多いことか。今日のパーティもそうです。娘を正妃や側妃の座に、生まれてきた子を王座に座らせようと考える者ばかり」


 ヴィネットの言葉にユージンはコクコクとうなずく。地獄の挨拶耐久ターンで貴族たちがユージンに見せた媚びた笑顔や、令嬢たちが妻であるサーシャに向けた敵意に満ちた、あるいは値踏みするような視線からひしひしとそれを感じた。

 でも――。


「こ……こうやって僕をゆ、誘拐して……か……かか、監禁しているあなたやグレンヴィル大臣は違う、と……?」


「父もわたくしも先の内乱を止めることができなかった身。信用できないのも当然のことです。無能のそしりも甘んじて受けましょう。しかし、父もわたくしも本当に……命を懸けて民に尽くす覚悟なのです」


「な、なる……ほど?」


 ヴィネットの射抜くような青い目に見つめられてユージンはそろそろと首をすくめた。


「父とわたくしは王の血と権力を切り離したいと考えています。具体的に言えばユージン様には〝女神の加護を受けた王の一族〟ではなく〝女神の加護を得るための生贄の一族〟となっていただくのです」


「……い、生贄?」


「そして国のため民のため、貴族たちには〝貴族の負うべき義務ノブレス・オブリージュ〟の精神にのっとり、生贄の一族の血を繋ぐための種や腹を適宜、提供してもらいます」


 と、言いながらニコリと微笑んだヴィネットは手足を拘束されて身動きできないユージンの胸を有無も言わさずはだけた。


「え、えっと……そ、そそそそそれは、つまり……!?」


「生贄の一族唯一の生き残りであるユージン様に、まずはわたくしの腹をご提供いたします」


「ご、ごごごごご提供!?」


 砂糖菓子のような微笑みでとんでもないことを言うヴィネットにユージンは真っ青な顔でガクガクブルブルと震え出した。全力で胃を押さえたいし頭から布団を被って布団の小山と化したいけれどもそうもいかない。なにせ手も足も拘束されていて身動きできないのだ。


「そ、そそそそそんなに……うまうま……上手くいくでしょうか!?」


「いきますよ。この国の貴族たちは前例を重んじ、家格を重んじ、英雄的行為を重んじますから」


 砂糖菓子のように甘い微笑みを口元に浮かべ、しかし、ヴィネットの青い目は冷ややかに冴える。


「この国で公爵位を持つ貴族家は三家。公爵であり現役の大臣である父が民のためにと娘を差し出せば他の貴族もならわざる負えません。積極的には後に続かなくとも矛先を向けられれば断ることはできないでしょう」


「な、なるほど……」


「例え、差し出す娘や息子、一族の誰かは戸籍から抹消され、存在しない者として扱われ、役目を負えた後は教会に入り、修道士や修道女として一生を過ごすことを強制されたとしても、断ることはできないでしょう」


「な、なななるほど……」


「この後、すぐにでも父は大臣職を辞し、爵位も実子であるわたくしの兄ではなく、弟でありわたくしの叔父にあたる方に譲る手はずになっております。先の内乱のせめを負って職を追われ、娘を差し出す羽目になったと手の者たちに噂を流してもらう手はずにもなっております」


 流れた噂とグレンヴィル公爵が大臣職を辞し、娘のヴィネットが表舞台から消えたという事実。それらの情報があればこの先、民は生贄の一族に娘や息子、一族の誰かを差し出す貴族が現れるたびに何かしらのせめを負ったのだろうと考える。


「どんな罪を犯したのかと民に疑われるようでは権力を得ることは難しい。ですが、国のため民のために一族の誰かを差し出せと言われれば断ることもできない」


 これで王の血と権力を切り離すことができる。


「な、なななななるほど……って、そこまでします!?」


 砂糖菓子のような微笑みと肌を撫でる甘やかな手付きに反して貴族たちをゴリゴリに追い込むやり口にユージンはガクガクブルブル震えながらツッコミを入れた。しかし、ヴィネットは少しも動じない。


「国のため民のため、貴族として当然のことです。そういう事情ですからサーシャ様のことは……元とはいえオーリア国第十三王女であらせられる〝御客人〟のことはあきらめていただきたいのです」


 ウェスティア国の貴族だけならグレンヴィル公爵とヴィネットのシナリオ通りにいくだろう。でも、オーリア国の王族の血が混ざってしまったらそうはいかない。王族の血をひいた子供が〝生贄の一族〟として扱われていると知ったらオーリア国が口をはさんで来るかもしれないからだ。


「オーリア国の方々は家族をとても大切にするとうかがっております。そして、家族を害するかもしれない存在には容赦がないとも」


「そ、それは……まさに、その通り……で……」


 母とともにウェスティア国からオーリア国へと逃れた幼い頃、国境を越えた直後にサーシャの父親でもある現オーリア国国王や大臣たちの前に連行された。ウェスティア国では異国の踊り子の血が混じった卑しい王子でもオーリア国から見たら現ウェスティア国国王の血をひいた王子。厄介ごとの種だ。

 サーシャの力技な説得のおかげで追い出されるどころか王城内で匿ってもらえることになったけれど、すぐにでもオーリア国を出ていくようにと告げたときの国王や大臣たちの目は容赦のない冷酷な目をしていた。群れを守るオオカミの目だった。

 ……あと今回、サーシャが王室からの除名と勘当を頼んだときの国王の目も容赦のない殺気立った目をしていた。冬眠明けのクマでももう少し穏やかな目でユージンのことを見るだろう。


「は、話は……わかり、ました。基本的には同意、です。お、王の血と……権力と……そ、それから……女神の加護と。切り離すべき、です」


「話が早くて助かります」


「そ、そそそそれに……僕には、王になるだけの覚悟も器もあり、ません」


「……」


 嫌なことから目を背ける子供のようにぎゅっと目をつむるユージンをヴィネットは軽蔑の目で見下ろした。

 でも――。


「お、王になるためにすごく、すごくすごく努力してきた人を、み、見ている、から……思うん、です。僕は……あ、あんな風には……できない、から……」


 ユージンがぎゅっと目をつむる理由が嫌なことから目を背けるためではなく、憧れに目が眩んでいるからだと気が付いて、そして、思い浮かべている相手が誰かに思い当たってヴィネットは目を細めた。


「……話が早くて助かります。サーシャ様にも感謝しなくてはいけませんね」


「で、ででででででも……!」


 ヴィネットの言葉を遮ってユージンはますますきつく目をつむって叫んだ。


「さ、ささささサーシャ以外となんて、か、考えられない……です! い、いつかは考えなくちゃ……いけない、かも、って……この国に来るってき、決めたときに……思ったけど、で、でも……まだ……!」


「……考えられない、ですか」


「……ぐふぅ!?」


 ヴィネットの冷ややかな声と腹にかかった重みにユージンは目を白黒させながら間の抜けた呻き声をあげた。目を開けるとユージンの腹の上にまたがってヴィネットが甘い微笑みを浮かべていた。胸焼けするほどに、わざとらしいほどに甘い微笑みにユージンは顔を引きつらせる。


「あ、あの……?」


「あの〝御客人〟のことをそんなにも愛してらっしゃるのですね。オーリア国による政略結婚であれば良いと思っておりましたが……想い合ってのご結婚だったとは」


 ヴィネットの言葉にユージンは目を丸くしたけれどすぐに遠い目をした。 


「ぼ、僕はサーシャと……け、けけけけ結婚できて嬉しいけど……さ、サーシャは、幼馴染の僕のことを心配して、ここまで着いて、きてくれた……だけで……」


「では、ユージン様の片想いということですか?」


「サーシャはや、優しいから……だから、こ、こんな情けなくて、す……好きなわけでもない僕と偽装結婚までして……着いてきて、くれた、だけで……」


 言いながらじわりと目に涙を浮かべるユージンを見下ろしながらヴィネットは内心で首をかしげた。

 王位継承と女神との契約の儀式のとき。緊張でキリキリする胃にユージンが背中を丸めるたびに肩に羽織っているガウンを引っ張っては視界に入り込み、笑ってみせていたサーシャを思い出す。おどおどとした表情で王座に座るユージンの後ろに立ち、時には肩を撫でて気遣うような表情を見せていたサーシャを思い出す。


「……片想い、なのでしょうか?」


 つぶやいたあとでヴィネットは慌ててユージンの表情をうかがった。思わず口をついて出たつぶやきは、しかし、ユージンの耳には届かなかったようだ。ヴィネットの目的を果たすためには片想いだと思い込んでいてもらった方が都合がいい。

 ヴィネットは淑女らしく微笑みの仮面を被り直した。


「偽りとはいえ折角、愛する人と結婚できたのにこんなことになってしまって心苦しい限りです」


「い、いえ……って、あ、あの……え、えええええっと!?」


 〝心苦しい〟という言葉のわりにヴィネットの口調は事務的で、ユージンの服を剥ぎ取り肌をまさぐる手にはためらいがない。


「心苦しい限りではありますが、これも王族として生まれてしまった宿命とでも思ってあきらめてください」


「いや、でも、だ、だから……き、キミと……その、あの……その、それは、む、無理、で……ひゃ……!」


「確かに全然、反応しませんね。わたくしはそんなに魅力がないですか?」


「き、ききききキミに魅力がないとかじゃ、なくて……さ、サーシャじゃないと……さ、ささサーシャじゃないと……サーシャじゃない……と、とととと……とととととととと……!」


 完全にキャパオーバーしてしまったらしい。ユージンは白目をむいて〝とととと〟と謎の鳴き声をあげ始めてしまった。


「確かに心根が真っ直ぐで子供のように無邪気で……素敵な方だとは思います。でも、男のように戦場に立ち、剣を振るい、人を殺し、血に染まり、体中の傷痕を隠しもしないような人よりも魅力的な女性はいくらでもいます」


 謎の鳴き声をあげながら震えるユージンのあごを捕らえ、ヴィネットは細い指でそっと唇をなでた。


「わたくしが好みでないと言うのなら好みにあう女性が見つかるまで何人でもお連れしましょう。彼女の代わりにユージン様のそばに仕え、ユージン様の心を慰めてくれる女性を」


「彼女……の、代わり?」


 長いまつげに彩られたまぶたを閉じてヴィネットはユージンの唇に口付けを落とそうと顔を寄せた。


「えぇ、きっとすぐに見つかります」


 でも――。


「彼女の、代わりなんて……いるわけがない」


 背筋がぞくりとする感覚にヴィネットはハッと目を見開いた。


「彼女の代わりなんていない。彼女を……愚弄するな」


 噛み付かれかねない距離で見つめるユージンの顔からは表情が消えていた。底の見えない青い目に見つめられてヴィネットは凍り付いたのだった。

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